41.弟君の動向
昨日一昨日と令嬢教育を行い、今日は7月最後の火曜日。
今日は鈴がたまの休日ということで午前中一緒に宿題をこなし、午後からがっつり一緒に調合三昧することになった。
「ハンナ様、鈴様におかれましてはご機嫌麗しゅう存じ上げます」
「はい。サイファ様におかれましてもご機嫌麗しゅう存じ上げます」
「ご機嫌麗しゅう、存じ上げます」
私がサイファさんに挨拶を返すと、鈴も私をまねてサイファさんに挨拶を返す。
もはや、この挨拶もすっかりなじんでしまった。
「本日はハンナ様も鈴様もアトリエで調合でしたね」
「そうですね。……こっそり、見に来ちゃいます?」
「……お二人にご迷惑をかけてしまいますので」
そろそろ店の完成まで時間がないのでしょう、といわれれば、何も言い返すことはできない。
というわけで、ありがたく二人でアトリエへと向かった。
ただ、サイファさんも図書室に用があるということなので、途中まで一緒に行くことにした。
「……そういえば、ハンナ。弟君は、結局どうなったの?」
「オリバー君?」
「うん。先週、突っかかってこられて以降、全然会ってないでしょ? だから気になってて」
「あぁ、鈴もなんだ。私も気になって、一昨日サイファさんに聞いたんだけどね――」
一昨日馬車の中で聞いた、オリバー君のちょっとヤバ気な現状を鈴に話したら、鈴も顔をしかめて、また面倒くさそうなことになってる、とぼやき始めた。
「それ、絶対ハンナのクラスにも関わってきそうじゃない?」
「十中八九関わって来るでしょ」
『薬師』系のクラスの最下位に『見習い』があり、師匠なりなんなりに認められて一人前の『薬師』にクラスチェンジ、いや正確にはクラスアップという事象が起こる。
そういったことが、『ヴェグガナルデ公爵令嬢』にもないとは言い切れないのだ。
ただ、『公爵令嬢』って何をもってクラスチェンジのきっかけになるのかが今まではっきりとしていなかっただけで。
でも、一昨日その話を聞いたことで、急にその輪郭がおぼろげながら見え始めてきたのが今の状況だ。
まだ確定したわけではないけど、おそらくはそうなる可能性が濃厚だろうと私は思っている。
「とはいえ、本当にまだ確定したわけじゃないだろうし。弟君の動き方次第、だと思うけどね」
「そして、その弟君の動き方には、私達の、主に私の行動が大きくかかわっていると……」
だとしたら、私がいかに動くかによって、私自身の行く末が決まるということでもあり――この辺りはやはり、きちんとゲームらしいフラグでもあるのかな、と考えを巡らせてみた。
と、そこへサイファさんから新しい爆弾が放り投げられる。
「私から、一つだけ。ハンナ様のその考えは、間違いなく正鵠を打っているかと存じ上げます」
「サイファさん? 午前中に、何かあったの?」
私がそう聞いたのは、サイファさんが何かを見たとするなら今日の午前中が一番怪しいとにらんだからだ。
昨日一昨日と、私はほとんどサイファさんと一緒だったしね。
「今日の午前中に何かあった、というわけではありません。ただ、お二人のお話を聞いて、話しておいた方がいいかと判断いたしまして……。オリバー様が、焦りを感じているということは、一昨日ハンナ様には申し上げたかと思いますが」
「うん、確かにそう話してたよね」
「そのことで、オリバー様はかなり功を焦っておられます。ここ一週間は、スラム街でポーション類を民に施しつつ、なにやら犯罪組織の調査をしているようですし……」
「スラム街で、犯罪組織の調査……!?」
「スラム街がそういった組織の温床になっていることは、公爵家でも問題視はしています。しかし……それを解決に導けば確かに功績にはなり得ますが、一朝一夜で解決するのはとても無茶な話でしょう」
うん、確かに。それ、少しまずくないかな。
犯罪組織といってもピンキリだろうけど……。
少なくともこの辺りには、私が気に入らないからと、わざわざラージトレントという大物をアイーダの森に放つ、なんてことをしでかすような輩がいるというのに。
しかも、討伐戦の動きを見るに、それすらその組織にとっては陽動でしかなかった様子なのに。
「一応、警戒だけはしておいた方がいいかもしれないね」
「うん。そうだね……」
ただ……と、鈴は顔を少ししかめる。
「今週と来週は、ちょっと過密気味。今日も、本当にたまの休日っていう感じだったし。……でも、ハンナだけだとちょっと心配。ハンナ、一人でいるといつもイノシシだし」
「ちょっと、何気にひどいこと言わないでよ」
「事実は事実」
「むぅ~」
ちょっとだけむすっとしてしまう。
とはいえ、そんなことをして何かが変わるわけでもなく。
目前に考えるのが大得意な相手がいると、どうしてもそっちに頼ってしまいたくなるのが私の心情だ。
「ねぇ、お願い鈴。私、どう動いたらいいのかな」
「まだ何とも言えない。ただ、この間の妨害クエストみたいな、厄介なクエストが来るのは確かだと思う」
「うえぇ~」
もうあんなのはこりごりだよ~。
「まぁ、落ち着いて。仮にそうなったとして、予測くらいは立つから。あとはパターンをいくつか考えておけばいい」
おお、さすがは鈴、やっぱり頼るべきは妹だよ!
鈴は歩きながら、早速その考えられるパターンと対応策を話していった。
「とりあえず、まず最悪のケースが、オリバー君退場エンド」
ですよねー!
この場合の最悪のケースって言ったら、とにかくもう弟君の命が失われるっていうケースに限られるよねぇ。
って、全然笑えないし!
「退場というと……なんとなくですが、よくない雰囲気の言葉ですが……」
「実際問題、かなりオブラートに包んでいます。……このケースの場合、もうハンナは逃げ道がないから、次期当主が嫌なら覚悟を決めてキャラリメイクチケットを切るしかない。もともと、そういうときのためにってもらってたんでしょ?」
うん、それはそうだ
もしそんなことになったら、最悪私が全部を取り仕切んないといけなくなるわけだし?
もうゲームといいつつゲームじゃなくなっちゃうよね、それ。
「無論、それで確定だと今の時点でもう詰みって言うことになるし、これはあくまでも私の予想だけど、運営としてもそれでハンナがログインしなくなっちゃうと面白くない。仮にも、ユニーククラスはNPCの代役っていう重大な役割まであるわけだし」
きっと、今後のゲーム内においても、何か役割が与えられるはずだと鈴はいう。
ならば、ここで私が折れないようにするだけの救済措置も、きっと用意されるはずだ、と。
「というわけで、一つ目のケースはあくまでも結末の一つとしか考えられない。となると、次に考えられるのは、さっき言ったクエストによる分岐が来るケース。あるいはストーリー系のイベントかもしれないけど」
「それなら、まぁ多少なら助けられる余地はあるのかな」
「多分ね。……ただ、一つ引っかかることがある。サイファさん」
「なんでしょう」
別館への渡り廊下。
話に夢中になっていたせいか、いつの間にか図書室を通り越してここまでサイファさんが付いて来てしまっていた。
とはいえ、サイファさんは万が一アトリエにこっそり入るようなことがないように、と別館への侵入も禁止されているので、付いてこれるのはここまでだ。
必然的に、まだ話すならここで立ち話をするということになる。
「サイファさん、オリバー君はいつから、スラム街に? それから頻度は?」
「私が覚えている範囲内ですと……先々週。ちょうど、ハンナ様の教育を始めたころからかと。頻度も週に三、四回と多く、ウィリアム様は出費がかさむと嘆いておられました」
鈴は再び、顔をしかめる。
「私の予想だと、多分もういつクエストが来てもおかしくない。自分の周囲をあれこれ嗅ぎ回られて、穏やかでいられるはずがない。今回は相手が短気そうだから、結構厳しめに見積もってももう何が起きてもおかしくはないと思う」
う~ん、そっかぁ。
「そういうことなら、今はとにかくいつでも動けるように準備しておく以外に方法はないね。サイファさんも、そのつもりで。もしそうなったときに令嬢教育だのなんだの言われても困りますから」
「それは……もし、オリバー様に何かあれば、鈴様もですが、ハンナ様も動かれる、ということですか……」
「もちろんです。じゃないと私のこの世界での未来が危ない」
「…………これは、何を言っても、てこで動かそうとしても無理のようですね。仕方がありませんね……」
「ということは……」
「はい。仕方がないので、私もできる範囲でよろしければ協力させていただきます」
「ありがとうございます! ……その時が来たら、よろしくお願いしますね、サイファさん」
「いえ……。くれぐれも、無理はなさらぬように。ご自愛くださいませ」
はぁい、とここだけは元気よく挨拶して、私達はこの後久しぶりに二人で調合三昧に励んだ。