31.イダノア丘陵
サイファさんからの指導は、その次の日から早速始まった。
日曜日の夜、食後のログイン時からミリスさんからそれとなく注意をされ始めたんだけど、それはまだ序の口。
サイファさんを交えての本格的な講習は、やはり厳しかった。
「Mtn.ハンナ様、背筋が曲がっています。壁まで戻ってください」
「やりなおしです。動きが大きすぎます振り返る時も最小限の動きで」
「違います。カーテシーはこうです」
とまぁ、そんな感じで歩く時の姿勢はもちろん、振り向くときの手や足の動き、そしてカーテシーっていうお嬢様風の礼の仕方に、何かをミリスさん達部下に頼むときの言い方や提案された時の了承の仕方。
今晩だけで、覚えることや直していかないといけないことがいっぱいだった。
最終的に、すべてに合格点をもらえたのはログインしてから2時間が経ってからのことだった。
ただ、ファーストコンタクトは最悪だったにもかかわらず、総評としては意外と高評価をもらえたらしく。
「今日が初めてということを考慮すれば、客観的に見れば十二分に合格点と言えるでしょう。それに、昨晩はどう教育をつけていくべきかとも思い悩みましたが、Mtn.ハンナ様は意外と筋がいいと存じ上げます。総評として、まだ一晩だけですが、かなりよかったかと。このままいけば、かなりのハイペースで仕上げることも可能でしょう。頑張っていきましょうね」
とこんなことを言われたほど。
それは数値データにも如実に表れており、昨日一晩だけで印象値が一気に30も上昇してしまったほどだった。
最初はどうなることかと思ったけど、結果としては上々だろう。
そんなことがあった翌日、火曜日。
私は、昼休みに佳歩ちゃんと顔を突き合わせて、お互いのゲーム内での近況報告をしていた。
「へぇ、じゃあ華ちゃんは今、ゲーム内で令嬢教育受けてるところなんだ」
「うん。まぁね」
「どおりで今日は立ち方がきれいだと思ったよ。一瞬、鈴ちゃんが二人いるのかと思っちゃったくらい」
「いやそこまでかな」
アイドルとして、モデルの仕事もそれなりにこなす鈴は、常日頃から立ち方歩き方、ともに心掛けているらしいけど、そこまで違うものなのかね。
むしろ、髪型によるところの方が印象の違いは大きいと思うんだけど。
「鈴からも似たようなことは言われたし、普段の私って本当にそんなにガサツな歩き方してたんだ……」
「自分の立ち姿なんて、自分自身じゃわからないからね。しかたないよ」
「まぁ、それはそうだけど……」
まぁなんにせよ、私側から話せるようなことは全部話しきったわけで。
今度は私から佳歩ちゃんに何か変わったことがないかどうか聞いてみた。
「私は、う~ん……そうだなぁ、最近は短剣だけじゃなくて、鞭にも手を出し始めたことくらいかな」
「鞭?」
そう言えば、テイマーの初期スキルの中には、【鞭】スキルもあった気がするけど。
「私は、【鞭】スキルってあんまりよくわからないんだけど……強いの?」
「そうだねぇ。武器としての違いをあげるなら、攻撃重視の【短剣】か、付加価値重視の【鞭】かっていうところかな。【鞭】って、テイマーだけじゃなくて、魔法使い系の初期スキルにも入ってるし、意外と後衛向けの武器スキルなんだよね、ファルオンでは」
「え!? そうだったの!?」
私、てっきり【鞭】スキルって前衛向けのものかと思ってたんだけどどそうでもなかったんだ……。
「普通に武器としても優秀なんだけどね。特に系統基礎効果の『裂傷』付与効果が優秀で――」
系統付与効果とは、名前の通り特定の系統の武器に共通して備わっている追加効果のこと。
これ自体がある系統とない系統もあり、私が使っている【扇子】には武器ごとに個別に付くことがあるパリィボーナスとは別に、系統付与効果としてもパリィボーナスとパリィ効果アップの共通効果が付いている。
「そういった意味では、華ちゃんのユニーククラスは、完全に後衛サポーター向けの戦闘スキルだよね」
「確かにそうだね」
なるほどねぇ。
【鞭】スキルか……。
チュートリアルの時に自動で扇子装備になって以降、流れで【扇子】スキルしか育ててこなかったけど、【鞭】スキルにも一考の価値はあるんだね。
頃合いを見計らって、ちょっと検討してみるのもありかもしれない。
それから家に帰って、出されていた宿題を手っ取り早く終わらせた私は、ちょっとばかり時間ができたので、ゲーム内に入ってみることにした。
「……おや、お嬢様。この時間帯に起きられるのは珍しいですね」
「そうですね。一週間のうち5日は連続して、日が昇っている時間はこちらの世界には参られないと聞いていましたが……」
何かあったのかと心配してくるミリスさんとサイファさんに、私は時間ができたから軽く冒険をするために来ただけだと伝えた。
「そうでしたか。では準備をいたしましょう」
「うん、お願いね、ミリスさん」
言いながら、私はベッドから這い出る。
ミリスさんを待ちながらう~ん、と伸びをしていると、私をしげしげと眺めていたサイファさんが、
「やはり、筋はいいんですよね……」
と言っていたが、私はそれに気づかないふりをした。
――そういえば……。
私に視線を向けてきているサイファさんに、私からも視線を投げかける。
こうしてみていても、サイファさんは令嬢教育を任されているとあってかなり立ち姿がきれいだ。
けど、今の私にはその彼女の脇に立てかけられている、一本の鞭しか目に入らなかった。
「それにしても……本当に、Mtn.ハンナ様は冒険に出られるのですね……」
「えっと、はい、まぁ……一応、ミリスさんには調合も教わっていますから」
「ミリスさんから調合を、ね……。なるほど、確かに、彼女なら適任でしょうね。しかしなるほど、そうなると素材もご自身で採取されているということなのですね」
道理で令嬢としては落第点なのに、それなりの威圧感は感じられるわけだ、とサイファさんは納得顔でそう言ってきた。
サイファさんから見た私は、どうやらかなりちぐはぐだったようだ。
「今日は、夜もちょっとお出かけしてくるつもりです」
「そうなのですね。まぁ、昨日も申し上げましたが、毎日厳しく指導するのも逆効果ですから。……くれぐれも、街中では私が昨日お教えしたことは実践していただきますよう」
「わかってますって」
「……まぁいいでしょう。今見ている限りでも、不満な点はそれほど見当たりませんからね」
不満な点はいくらかならあるんだ。
「お嬢様、お着換えの準備ができましたよ」
「あ、うん。それじゃお願いね」
「はい。では――」
ミリスさんによって、瞬時に部屋着から冒険用のコンバットドレスに着せ替えられる。
それからこまごまとしたアクセサリ各種を着けられて、最後に扇子を受け取れば準備完了だ。
「はい、準備できましたよ」
「ありがとう。それじゃあサイファさん、行ってきますね」
「はい、お気をつけてお出立ちくださいませ」
そうして、私は自室から冒険者ギルドへとファストトラベルした。
これから向かう予定のエリアは、イダノア丘陵。
アイーダの森を抜けた先にある、その名の通り小高い丘となっている場所だ。
ちなみに北上すればレヌーラ湿原という湿原地帯を挟んで街道エリアに行き当たり、南にはエストアイーダ海岸というエリアに通じている。
エストアイーダ海岸はノンアクティブモンスターしか出てこないフィールドで、私が行っても敵性NPCが出てこない仕様になっているらしく、一種の準セーフティーエリアとしてプレイヤーたちには扱われていた。
というわけでイダノア丘陵に出てくるのは必然的に、丘陵よりも街道に近い二つのエリア――アイーダの森とレヌーラ湿原――のいずれか、あるいは両方のモンスターということになる。
まぁ、正解は両方のエリアのモンスターが出てくる、なんだけどね。
レベルも街周辺を起点として三つ目のフィールドエリアということもあって、出現する敵のレベルも20以上とそれなりに高く、チームを組んで出現することが大半なので、ソロでプレイするなら適正レベルは30以上必要とも言われている。
「ん~、イダノア丘陵のあたりでいいクエスト……今日はそんなにはないなぁ」
「そのようですね。どれも、私達で相手をするには持て余してしまうような相手や見つけにくい素材ばかりです」
向かうにあたり、ギルドの受付でよさそうな依頼がないか、イダノア丘陵あたりのクエストを探してもらったんだけど、意外と今日はいいクエストが出てなかった。
常設クエストは労力に対してリターンが少ないので除外するとして、これだと受けなくても同じかと判断して、私はさっさとイダノア丘陵へと向かうことにした。
「おぉ~、すごいプレイヤーの数」
どうやら、いいクエストがなかったのは、単純に先を越されてしまっていたからのようだ。
「異邦人の方たちも、この世界に慣れてきた人が多くなったようですね。聞く限りでは、イダノア丘陵の先、ヴェグガモル旧道にもよく足を運ぶという方がいるとか」
「あぁ~、あそこね……」
実は、一回だけ興味本位で行ったことがあったんだけど……。
「あそこ、夜はできれば行きたくはないから、行くとすれば学校が休みの日かなぁ……」
「お嬢様は向かわれたことがあったのですか? 私達は知りませんでしたが」
「あはは、実は鈴と、樹枝六花のみんなとね……」
「あぁ、樹枝六花の方々とでしたか……」
それなら納得です、とフィーナさんは安心したようにそう言った。
う~ん、どうやら心配をかけてしまったみたいだ。
「ゴーストは、呪いをかけてくることがありますから、気をつけてくださいね。解呪のためのポーションは調合できず、解呪魔法か、教会で聖別された果実の露でなければ解呪できないのです」
「うわっ、それは大変だ。十分気をつけるよ」
「ぜひともそうなさってください」
まぁ、とりあえず今は旧道にはいかないから大丈夫でしょ。
さてさて、それじゃあ狩りをしながら、ポーションの素材をいろいろと集めていきましょうかねぇ~。




