26.ヴェグガノース樹海
ログインした私は、いつも通りミリスさんに話しかけて、出かけ準備を整える。
そう、整えようとした、のだけれど――
「あらハンナちゃん。おはよう……それともこんにちはかしら。向こうの世界での試験は予定では今日が終了だったわね。起きたってことは、無事に終わったのかしら」
おぉう、目を開けた瞬間、視界の脇からエレノーラさんの声が。
やっぱり一週間も間を開けるとこうなっちゃうかぁ。
とにもかくにも、まずは起きて、エレノーラさんからの熱い歓迎を受け容れる。
そして、一通りそれが済んでから、どうしてエレノーラさんが直々に迎えたのかを聞いてみた。
「あぁ、ごめんなさい。びっくりさせちゃったかもしれないわね。ほら、さっきも言った通り、予定では今日からまたハンナちゃんがこちらの世界に長い時間来てくれるって話になっていたじゃない。それが待ち遠しくてね」
おぉ……見事な親ばかっぷり、といえばいいんだろうか、この場合は。
とにかく、喜んでくれているのは確かなようだし、私もその点についてはありがとうございます、と伝えておく。
「えぇっと、はい……ありがとう、ございます?」
「えぇ。本当に、予定通りに終えてきてくれたのね。ありがたいわ……おかげで、急遽できてしまった伝えたいことが伝えられそうだし、ハンナちゃんにやってもらいたいことも頼めそうになったし」
「私に、伝えたいことと頼みたいこと?」
「えぇそうよ。……まぁ、試験が終わってそうそうにあれこれ言うのも野暮というものだし、ある程度落ち着いたらで構わないわ」
う~ん……気になるといえば気になる。
けど、正直ありがたいのもまた事実。今はトモカちゃんや鈴を待たせているからね。
「わかりました。それなら――今日は、トモカちゃんと鈴と、あと私と護衛も入れて、五人で冒険に行く予定なのですが、向かっても大丈夫ですか?」
「えぇ、大丈夫よ。気をつけて、行ってくるのよ?」
「はい」
「それから、こっちは伝えたかったことなのだけれど……こればかりは、早い方がいいでしょうから、今伝えておくわね」
「なんでしょうか」
エレノーラさんが私に伝えたいこと、というと大抵は大ごとなんだけど……。
結論から言うと今回伝えられたお話も、私にとってはとても大きなものであった。
「ハンナは知っているかもしれないけれど、この世界にも学び舎というのはあるの。平民向けに開かれている学舎もそうだし、貴族向けには王都にある学園もある。そう、貴族向けの学園が、ね……」
「もしかして、弟さんのことですか?」
「弟さんって……一応、あなたの弟でもあるのだけれどね」
まぁ、厳密には私のアバターのベースになった、エリリアーナさんの弟さんなので、私にとってはやはり弟『さん』である。
「まぁいいわ。とにかく、その弟――オリバーって言うんだけどね。学園がそろそろ夏休みに入るんだけど、それで一旦うちに帰ってくることになってるから、あらかじめ伝えておくわね。何も問題が起こらなければ、あと数日で帰ってくるはずよ」
「なるほど、わかりました」
鈴の予想通りになったか……。
いや、もしかしたらそうかなぁ、っていう考えも何割か占めていたんだけど、見事に的中しちゃったかぁ。
これ、どうなるのかわからなくなってきちゃったなぁ。
私にとっては、そんな複雑な胸中だったんだけれど、エレノーラさんにはそれが淡白な返事のように聞こえたらしい。
「あら、案外あっさりしているのね。やっぱり、あちらの世界にも夏休みという概念はあるのかしら」
「えぇ、ありますね。学生なら、一か月と少し。時期的には、あと二週間くらい、といったところでしょうか」
「こちらよりそれなりに遅いのね……。私的には、あなた達が学んでいるのがどのような内容なのかも気になるところだけれど」
エレノーラさんが興味津々に聞いてくるものだから、今学校で習っている数学の範囲を軽く話してみたんだけど……少し話したところで、頭の上に星マークが飛び始めて、しまいにはぷしゅーっ、と煙を上げて頭に手を当ててしまった。
「もう、いいわ……。なんというか、あなた、学び舎で学ぶことに関してはエリーをはるかに凌駕するほどの知識をすでに蓄えていたのね……」
「あはは……」
なんというか、ゲーム内世界の学習レベルって言うんだっけ? 割と低く設定されているんだなぁ。
これ、学校で教わったこととか簡単に学べる雑学とかをそのままこの世界の人に教えたら、きっとその手の読み物よろしく、内政チートみたいなことができるんだろうなぁ。
実際問題、私そういうことができる立場のユニーククラス持ってるんだし。
――にしても。
やっぱり、このタイミングで弟君の登場が確定するのか。
う~ん、これは予想通りの展開だなぁ。
だとすると、やはり何か一波乱ありそうな気がする。
キャラクターのベースからして、いよいよ悪役令嬢のその後的なストーリーが本格的に動き出す感じのかな。
まぁ、そのあたりはその時が来ないとわからないし、今は考えても仕方がない、か。
「何はともあれ、オリバー君? のことについてはわかりました。なにか、準備しておくこととかありますかね」
「そう、ね……今のところは、まだ大丈夫かしら。ただ、旦那様が帰ってきてから、ちょっとまた一つ伝えないといけないことはあるのだけれど」
「えっと、はい。わかりました。気に留めておきます……」
「えぇ。その時になったら、また改めて呼ばせてもらうわね」
それじゃ、私は執務室に戻るから、と退室準備を整え始めたエレノーラさんを眺めて、こう思ってしまった私は悪くないはずだ。
――親ばかにもほどがあるっていうか……うん、真正の親ばかかな。
まさか私がログインしてくるのが待ち遠しくて、私の部屋に書類を持ち込んできているとは思わなかったよ。
しかもあの量……いや、らちが明かないし、もう何も言わなくていいか。
バタバタと出ていったエレノーラさんを見送ってから、私はやれやれ、と溜息をつくのであった。
さて――それじゃ、エレノーラさんを見送ったところで、いよいよ冒険に出発だ。
「それじゃ、ミリスさん。新しい防具に着替えたいんだけど、お願いできる?」
「はい。ご出立の準備ですね。お任せください」
今日は確か、新しいドレスの初陣だったよね。
ミリスさんが早速といわんばかりにクローゼットからドレスや靴、手袋やアクセサリ各種を持ち出してくる。
ドレスを着せられ、そしてアクセサリ各種を着ける段階になると、ふと気になったことがあってミリスさんに質問してみた。
「このアクセサリって、髪飾りと同じように勝手に着け外ししちゃまずいのかな」
「そうですね。いずれも、お嬢様に何かあった時に、痕跡を一つでも残せるようにという計らいですので。……ただ、追加で何か物を身に着けるのであれば、構わないかと」
「なるほどね」
なら、特殊効果のあるアクセサリが欲しいなら、それらに被らないものにしないといけないね。
さてと。
「これで準備万端――っと、その前に……」
ちょっとだけ、スキルを弄っておこう。
この前の妨害クエストで、【扇】がレベル10を超えたことで新しいスキルに派生可能になったんだけど、その直後は達成報告やら達成祝いのお茶会やらでタイミングを逃してしまったし、その後はテスト期間に入ってしまったのでゲームは極力禁欲していた。
たまに甘~い食べ物を求めて、ゲーム内にインすることもあったけど、それだけだったので結局スキル自体は調整できていない。
なので、鈴たちと合流する前にちょいちょいと弄って、【扇】の上位スキルを習得しておくことにしたのだ。
――【扇】スキル 規定レベル10以上になっているため【鉄扇】スキルと【魔導扇】に派生可能です。
――【鉄扇】:クラススキルのためSP消費無し。【魔導扇】:クラススキルのためSP消費無し。
――一つのみ選択可能。選ばれなかったスキルを習得したい場合は、派生元のスキルを通常スキルとしてて再取得し、再度派生する必要があります。
ん~、片方だけしか選択できないんだ……。
なになに……【魔導扇】はMAGとMDFが上がるのね……あ、でもダメだ。
ただでさえ貧弱なDEFなのに、【扇】スキルよりもDEFへのボーナスが低くなっちゃう。
これはいただけない……パリィボーナスで処理速度の引き延ばしもされないみたいだし……。
私としては、やっぱり貧弱な守りを固めたいから、【鉄扇】でいっかな。
ポチっとな。
――【扇】スキルは【鉄扇】スキルに変化しました。
これで良しと。
あとは……うん、【調合】スキルも派生可能みたいだし、クラススキルでスキルポイントなしでできるみたいだから、こっちもやっておこう。
…………よし。
「お待たせ。【扇】スキルを【鉄扇】に派生させたよ」
「そうですか。【魔導扇】ではなく何よりです」
「え? 【魔導扇】だと、まずかった?」
「はい。【魔導扇】を持っていた場合、夜会などの場では淑女の必需品であるはずの扇子が、武器として明確に認められてしまうのです。そのため、受付で預けなくてはいけないようになってしまうのですよ」
「そうだったんだ……」
「その点、鉄扇術はあくまでも護身術の範疇ですからね。そういった場でも、携行は認められるのです」
「そっかぁ……知らなかったとはいえ、正解のスキルを選んでたみたいで何よりだよ……」
今はまだその兆しはないけど、社交界系のイベントでは扇子にも専用のフィジカルにボーナスが入るみたいだし――。
そう言った面でも、【魔導扇】を選ばなくてよかったね。
「それじゃ、行こっか」
「そうですね。……護衛二人は呼ばなくてよろしいのですか?」
「集合場所についてからでも遅くはないかなって。今日は、鈴たちもいるし」
「なるほど、それもそうですね」
そして私はミリスさんを連れて噴水広場に転移。
その場でファンに囲まれていた鈴と、それに巻き込まれていたトモカちゃんを救い出して、私達は本日の探索へと出発した。
本日の探索の目的地は、ヴェグガノース樹海。
私にとっては新天地であり、鈴やトモカちゃんにとっては通いなれた場所である。
私は、ここの素材は鈴経由で手に入れることもできたといえばできたんだけど、さすがにそれは鈴にも多大な手間をかけてしまうことになりかねなかったので、気持だけもらって遠慮することにした。
私も鈴も、売る目的でポーションを作るから、鈴が二人分の素材を集めるとなると半端ない量になってしまうためである。
そんなわけで、私にとっては入手できる素材から遭遇する敵から、そのすべてが新しいことだらけの新天地のヴェグガノース樹海へと到着した。
この樹海は、アイーダの森とはまた違った趣きの印象だった。
あちらが整備された森だとすれば、こちらは自然そのままのまさしく樹海といった感じだ。
樹海に入って少し歩いたところで、早速新しい素材を次々と発見。
嬉々として私がそれを回収していると、ふいにフィーナさんが警戒した面持ちで私に語り掛けてきた。
「お嬢様、あの木を見て違和感がありませんか?」
「言われてみれば……他の木と、微妙に何かが違うような……あ。今枝がひとりでに動いた」
視界の先では、木の枝がひとりでに動き、かと思えば周囲のほかの木の枝をへし折りながら一人のNPCが落ちてきた。
直後、そのNPCに対し、地中から放たれた根っこによる串刺し攻撃が襲い掛かり、直撃した彼はそのまま私の足元まで吹き飛ばされてきた。
うん、言わずと知れた暗部系NPCなんだろうけど……見る見るうちにアイコンの表示が敵対マークから緑色のマークへと変わっていった。
「あれこそは、この樹海にはびこる厄介なクリーチャー――トレントです。私達は【気配察知】スキルがそれなりに育っているので簡単に見分けがつきますが、駆け出しの冒険者がこの樹海に入ったら生きて帰るのが奇跡、とまで言われるほどに危険なクリーチャーです。まぁ、今の私達なら、負けることはほぼないでしょうが、警戒するに越したことはないでしょう」
「うん、わかった」
にしても。
今の一連のイベント? 的な何かって、もしかして何かの伏線なのかな。
この森にいる間は、敵性NPCの襲撃はなしと見てもいい、的な。
一応、SECUREは36を示しているけど。
ちなみに木から木へ猿のように飛び移ろうとして、そのままトレントと気付かずに奇襲を受けてしまった敵性NPCは、今のトレントの攻撃で急所を突かれたらしく、すでにVTが尽きてしまっていた。
間もなくして彼は、電子データの藻屑となって消えていった。
「こんな樹海ではありますが、私達でも気づくことができる程度の擬態なのですから、実力のある賊や暗部の者たちは問題なく活動できているかと。油断は大敵です」
「あ、うん。気をつけるよ」
まさしく油断しかけていたところだったので、改めて気を引き締めなおす。
「最初に、まずはクエストの達成条件から済ませちゃおうか」
「そうだね」
トモカちゃんの提案をそのままに受け入れて、私は周囲をざっと見渡す。
うん、こうして目に見える範囲内でも、三か所にトレントが潜んでいるのがわかる。
「まとめて攻撃すると、一撃で倒せなかった際に複数のトレントの擬態を解くことになってしまいます。それはそれで厄介ですから、一体ずつ、単体に攻撃できる魔法などで攻撃するのがセオリーかと」
「だねぇ。……どうする?」
「私がやるよ。無属性だけど、だからこそどんな敵にも平均的な効果があるからね」
「わかった。それじゃ、早速――『激励』〈みんな、張り切っていこう〉!」
私の『激励』を合図に、トモカちゃんが無属性魔法の単体攻撃アビリティで視界の先にいるトレントにまずは一発、魔法を打ち込む。
すると、トレントは――
「ありゃ。ワンパンだったね」
「……あ~、まぁこの森の適正、15くらいだからね……」
「アイーダの森で、確か5レベルくらいからだったっけ……」
「正確には7~8くらい。それでも、この森はそこの二倍くらいの適正レベルではあるんだけど……」
それでも、私達のレベルは現在最弱の私でさえ26レベル。
オーバーキルしてしまってもおかしくはないくらい、適正レベルとの差は大きかった。
「う~ん、トレントの木材10個は、やっぱり今の私達にはお使い程度にしかならなかったね」
「いいんだよ。目的は、グループヘイトを下げるためなんだから」
結果に関係なく、一回でも妨害クエストが起きれば、特定のグループに属するNPC達からのヘイト値は一旦リセットされる。
クラス特性のせいで悪漢系と暗部系、そして野盗・盗賊・山賊系のNPCからの敵意をダントツで稼いでしまっている私は、どうにかしてヘイト値をリセットしないといけない状態だ。
だから、今私が求めているのはクエストの質ではなく数なのである。
――どれだけヘイト値が高くても、妨害クエストの発生率は最大でも50%が限界だからね。
今回発生しなかったら、また次回以降に持ち越し。
素材採取をしながらトレント達をワンパンで倒しつつ、その妨害クエストが起こるのをじっと待ち続けていたのだけれど――残念ながら、今日は妨害クエストを引き当てることはついぞなかった。
こういう時に限って起きてくれないとは――おのれ物欲センサーめ、いらん仕事をいつもしてくれる。
暇を出せるものなら出してやりたいよ、まったく。
まぁ何はともあれ、目的の一つであるヴェグガノース樹海の素材採取は無事達成できたから、良しとしますかね、うん。