120.イベントフィールドの夜
それからほどなくして、初回のアギトさん達への預け物は滞りなく完了。
私達は夕食や入浴などを済ませるために、それぞれのタイミングで一旦ログアウトすることになった。
それらを終えて再びログインした私を待っていたのは、真っ暗な宵闇のベールに包まれた空間。
すでに遺跡とかして永い神殿の跡地だ、人の気配がなくなれば、夜には漆黒の暗闇に包まれてもおかしくはない。
「私が一番乗り――?」
「でもないな」
後ろから声をかけられてぎょっとする。
「誰っ!?」
ホームエリア以外に本当の意味でのセーフティエリアなど存在しないこのゲーム、PKなどどこででもできてしまえる。
「おっと、驚かせちゃったみたいだな。すまんかった」
「……アギトさんだったんだ。ほんと、驚かさないでよね……」
夕食前にログアウトした時、めぼしい素材系アイテムはすべてミリスさんに預けてからログアウトボタンを押した
だから、PKerに襲撃を受けたとしても、たいして被害を被ることはないのだけれど――それでも、精神衛生上悪いものは悪い。
声をかけるなら、せめてもう少し距離を離してほしかった。
「ごめんって。頼むからその顔で睨むのはやめてくれ……」
「むぅ……わかりました。悪気はなかったんですよね」
「あぁ、もちろんだ」
「それならいいです。……次は気を付けてくださいね、こっちは女の子なんですから」
「おぅ、肝に銘じておく……」
ちょっとアギトさんの腰が引きすぎているような気がしなくもないんだけど――膨れっ面になった私の顔が怖かったなら、それはこのアバターの元になったエリリアーナさんの顔立ちのせいだから仕方がない。
私を驚かせたアギトさんと、綺麗系だけどちょっときつめの顔立ちのエリリアーナさんというキャラが悪いのだ。と、自分で自分を納得させた。
「それにしても、その格好ですごい軽やかな身のこなしなんだな」
「まぁ、これでも令嬢教育受けてるからね。社交ダンス覚えさせられてるおかげで【ダンス】スキルがメキメキ上昇するから回避行動なんてお手の物だし」
「いや……それはそうかもしれんが、そんなドレス着ながらだと動きづらそうに見えるんだがな……」
「それは否定できないかなぁ。このドレスもコンバットドレス――戦闘向けの防具ではあるけど靴のヒールが高いし、ドレス自体も重量があるから、慣れないと対応スキルがあってもかなり動きを阻害されるしね」
【フォーマル】スキルを要求されるドレスとしてシステムに認識させるには、結構な基準を満たさないといけないようで。
アスミさんも、そんな中でできるだけ動きやすく、かつ【フォーマル】に見合った華美なドレスを――と、結構苦心したと言っていた。
それはつまり、動作一つとってもかなり【ドレス】系の装備になれが必要だということでもあり。
「――動作アシストとか、入れてるのか?」
「入れてないよ? というか、あれ入れてると結構特定の動きを強制されるみたいだからね、結局はどこかで動きにぎこちなさが出て来ちゃうの。戦闘時はとてもじゃないけど、導入なんてできないよ」
最初の頃に試してみただけだけれど、サイファさんに令嬢教育の初期段階で禁止されて以降、自分なりの『令嬢としての』動き方を自分自身で開発していって、その積み重ねで今に至る、といった感じだ。
動作アシストありきだと、正直【フォーマル】を要求されるようなドレスを纏っての戦闘は厳しかっただろうね。とっさの動きでつい出てしまう癖も、動作アシストの強制で修正されて、かなりぎこちなくなってしまうみたいから。
私はやったことないけど、れあちぃずさんがそう言ってたのだ。動作アシストで戦闘するものじゃないって。
れあちぃずさんは令嬢教育始めた当初は動作アシスト入れてたみたいだけど、切り忘れたままモンスターとの戦闘に入ったら、動きが滅茶苦茶になって散々な目に遭ったという。
最終的にはサイファさんが言っていた通り、自分の体の動かし方は、自分で覚えて行かないといけないのだということだね。
「ということは、素であのステップとターンか? そのドレスで?」
「うん。令嬢生活はそれくらい必須スキルだよ」
私がそう言うと、アギトさんは畏怖の念を抱いたような目で私を見つめてきた。
「…………公爵令嬢なんてユニーククラス、実際にはいろいろ動作アシストありきで品性のよさを見せてるだけなんじゃないか、なんて思ってたけど、勘違いだったんだな。滅茶苦茶大変そうだわ」
「ま、ね。それなりに苦労はしたかなぁ」
今はそれほどでもないけど、最初の頃は本当に苦労したんだから……。
それから、アギトさんに預けたポーションを返してもらうのと、最初の報酬の引き渡しを終えるころになるとログアウトしていたプレイヤー達も徐々にゲーム内に戻ってき始める。
公式イベントというだけあって、やはりプレイ意欲が普段より増しているのか、その勢いは普段の日ではなく、頻繁にログインのエフェクトがそこかしこで起こるほどだった。さながら、フェアルターレの地方都市こと『スタート地点候補』の広場と同じくらいの賑やかさだ。
私達のユニットも、ゆーかさん達に加え、新たに加わったアギトさん達のパーティが揃うまでそれほど時間はかからなかった。
「さて――全員揃ったところで、今日この後どうするかを話し合いたいんだけど――」
「私としては、この後は軽く情報収集をしてから方針を決めたいかな」
「イベント初日にして、すでにいろいろと気になる情報が出てきているからな」
それに関しては私も同感である。
隙間時間で私も情報収集をしてみたのだけれど、このイベントフィールドは割と広く、そしてエリアごとの『特色』に明確な違いがあることも判明していた。
その最たるものが――
「驚いたぞ。こっちが極寒のフィールドだっていうのに、中央の山を挟んで反対側のエリアは止む気配のない大雨と真夏のような蒸し暑さに包まれた熱帯フィールドなんだもんよ」
「この極寒地帯は南側のエリアで、北側のエリアは熱帯エリア」
「西側はいたるところで毒ガスや毒沼が形成された毒エリアで、東側が――」
「灼熱地獄と渇きに支配された荒れ地エリア。これだけ多彩な環境があるイベントフィールドだ、公式から出されてる課題の考察材料には事欠かないよな」
「だね……それに、従者NPCが言っていた、精霊たちの活動の異常性に、『・狂』と付くフェアリー種の出没。絶対因果関係あるよね」
「だよね……」
総じて、イベントフィールドは中央の山から離れるほどそれぞれのエリアの悪環境がひどくなる傾向にあり、私達南エリアの場合は南に下れば下るほど寒くなっていく、といった具合だ。
私達がいる神殿が、中央エリアの南端とイベントフィールドそのものの南端の真ん中よりも南側なので、ここは相当寒い環境であることがうかがえるが、同時にこれより南はもっと寒くなるであろうことも予想に難くなかった。
一方の中央エリアは、温帯ともいえる比較的安定した気候となっているが、そこはそこでかなり強いモンスターが跋扈しているとのこと。
中央の山に近づけば近づくほどモンスターも強くなっていくらしいので、イベントフィールドのラスダンは疑うまでもなく中央の山と見ていいだろう。
おそらくだが、そこに今回の公式イベントの課題、その『答え』が眠っているはずだ。
と、ここまで考察を重ねたところで、ここからどうするか、という話になった。
「言うまでもないが、このままこのエリアで探索を続けるのはNGだろうな」
「だろうな。俺達やハンナちゃん、従者NPC達はともかくとして、ゆーかちゃんはともかく、そっちの二人は暑さ寒さに対する耐性がない」
「横合いから失礼いたします。話に合った各方面における環境についてですが、れあちぃずお嬢様、並びにオルキス伯爵令嬢は確か『傘』を持ち込まれていたはずですよね。それを私達が差して差し上げれば、あるいは暑さに支配されたエリアはある程度探索可能になるのではないでしょうか」
「そういえば……でも、これって【熱波耐性10】くらいまでしか対応できないよ?」
そっか、れあちぃずさんとレアンヌさんは傘を持ってきていたんだね。
そう思ってみたものの、即座にレアンヌさんが傘を取り出してそのスペックをみんなに共有し、それが浅はかであることを思い知らせてきた。
そうだった……私のも、ミリスさんが初めて出してくれた初期装備の『傘』って、それくらいの性能だった。すっかり忘れてた。
「う~ん……確かに。【熱波耐性10】って、真夏の通常エリアの気温が活動しやすく感じる程度だもんなぁ……。北や東のエリアで、どれくらいまでいけるかは正直わからないところではあるよな……」
「ですが…………いえ、なんでもありません」
うん、なんだろうか。クレアさんが、何か言いよどんでいたみたいだけど……うん、何かなミリスさん。
「(ひそひそ)クレアさんご自身は今は侍女ですが、私の知り得る限りでは生粋の伯爵令嬢育ちだったかと記憶しています。ゆえに、まだこうした冒険に慣れ切っていないのです。ですから、毒の霧や毒沼が広がっているという情報を皆さんが手にしたというのを聞いて、レクィアード公爵令嬢がそちらの方へ赴くことに抵抗感を覚えていらっしゃるのでしょう」
「(ひそひそ)なるほど、そういうことね」
クレアさんのフルネームは確か、クレア・レクィアス。スタート地点候補の一つである地方都市レクィアスの実質的な支配者である、レクィアス伯爵家の関係者だったはずだ。
だかられあちぃずさんの侍女という役割を割り当てられた、としてもおかしくはない。そしてそうだったなら、ミリスさんの言うことにも納得しかない。
さらにミリスさんはこうも言った。
「(ひそひそ)ですが、れあちぃずさんはお嬢様と同じ境遇の異邦人です。まして、これは話に聞いていた異邦人の祭典。であるならば、ここでれあちぃずさんを制止することはできるはずもありません。だからこそ、本当はお止めしたいのを、ギリギリのところでいいとどまっているのでしょう」
確かに、クレアさんの顔、かなり懊悩しているような、凄い顔になってるからなぁ。
しばらくは、クレアさんも葛藤の日々が続きそうだと思いつつも、今回の公式イベントで、彼女にも異邦人に使えるということがどういうことなのかというのを知ってもらえれば、今後れあちぃずさんとの主従関係もさらに円滑になっていくんだろうな、と私は思った。




