111.畑の視察
気が付けば数十分話続けてしまっていたことに気づき、私は慌てて本日の主題へと話を切り替えていった。
すると、ドリスさんは少し考えるそぶりを見せつつ一言二言言葉を交えてから、
「それでは、実際に畑を拝見させていただきたく存じます。用地の規模から、地質。それにこの辺り一帯の職人事情に関する情報がないのであれば、そちらも視察する必要がありそうですね。その辺りはいかがですか?」
と聞いてきた。
当然、そんなの用意しているはずもなく。ファーマーに関しても、ヴェグガナークではそれほど盛んな方ではなく、少人数のプレイヤーが趣味で花を育てたり、薬草を育てたりしている程度にとどまっている。
その程度の情報しかない。
「ミリスさん、例のものを」
「かしこまりました。ドリスさん、ヴェグガナークの職人事情についてはこちらにあります。それから、こちらは異邦人のファーマーの方々が市場に流してくださっている薬草類の市場価格やその品質の資料になります」
なんて思っていたら、サイファさんとミリスさんがいつの間にか今ドリスさんが欲しいと言っていた資料に加えて、ヴェグガナークで出回っている薬草の内、ファーマーのプレイヤー達が市場に流している薬草の価格までまとめて資料にしてくれていたみたい。
優秀過ぎないかな、私の侍女さんと教育係。
「資料を作るにあたって必要な情報などは、お嬢様があちらの世界にお戻りになっている間に。薬草類の品質などはミリスさんにも協力をいただいております」
「僭越ながら、我が家も関わることですので、私も微力ながら尽力させていただきました」
「ありがとう、ミリスさん。サイファさんも、わざわざありがとうございます」
「いえ。これくらいであれば、たやすいご用です」
「ふふ、ハンナ様は周囲の方々に恵まれているのですね。ミリス姉さまも用意してくれてありがとうございます。では、移動しながら拝見させていただきますわ」
「かしこまりました。それでは、ご案内させていただきます。ミリス、馬車の用意は?」
「護衛の選定も含め、すでに整っております」
「ありがとう。では、参りましょうか」
私達は、屋敷を出て馬車に乗り込む。
同じヴェグガナークの市内なので歩きでもいいのではないか、と思わなくもないけど、貴族の体面というのがあるし、今は私一人だけではなくドリスさんもいる。
ドリスさんは正真正銘の貴族令嬢、それもミリスさんと違って次期当主候補という、実に華々しい肩書きを持っているNPCだ。
当人が言うには戦闘系のステータスも高いわけではなく、むしろ低い方だと言っていた。実数値を見れるわけではないのでどれくらいなのかは不明だけど、ミリスさんと同じくらいだと仮定して、無駄な戦いは避けるに越したことはない。
馬車に乗っていれば、【麗しの戦姫】の影響もなくなるしね。
「屋敷に来る途中にもありましたが、いくらか整備されていた農用地がありましたわね」
「はい。私と同じ異邦人の中にも、ここヴェグガナークで農業に勤しんでいる方が数名いますが、今は公爵家でもいくつかの区画を共同研究のために整備し始めています」
「なるほど……確かに、資料にもそのように載っていますね。――資料の上では、農用地としては一等地というわけではありませんが、それなりにいい土地のようですね」
「はい。まぁ、一等地はさすがに異邦人向けとして売りに出したままにしたいから、とエレノーラさんが言いまして。とはいえ、海からもそこそこ離れていますので、立地的にもよいかと」
「そのあたりは、実際に行ってみなければ何とも言えませんわね」
「そうですね」
そうこうしているうちに、馬車は現地へと到着。
クエストを経由してエレノーラさんの計らいで私の直属の従者となった農村出身のファーマー4人組は、ヴェグガナークに来て以降せっせと畑を耕したり、肥料を調合して撒いたりして整備していると報告を受けている。
実際には冒険とかこの前の王女関連のクエストとかで、クエストの時に契約をして以降は会いに行けてないんだけど。
「ここが、その畑ですのね?」
「はい。ここと、あと隣接するあちらの区画も公爵家で押さえた土地となります。いかがでしょう」
「ふむ……少々、失礼いたしますわ」
そう言って、ドリスさんは畑に入り込むと、おもむろに土を一つまみして何かを確かめる。
ちなみにドリスさんは屋敷を出る直前に、連れてきていた侍女さんによって着替えさせられている。今は、農作業に適したパンツスタイルにブーツ、つばの広い帽子というスタイル。本人のたたずまいからしてお嬢様らしさは抜けきっていないため村娘では無理があり、本当に農業が盛んな土地の領主の令嬢、といった雰囲気だ。
「あ、Mtn.ハンナお嬢様。ご機嫌麗しゅうございますか?」
「えぇ。なかなか会いに来れなくてすいません。何か問題などは起きてはいませんか?」
「特にはないですね。領都ヴェグガナークは海洋貿易都市と村では聞いていまして、そんな立地で農作業などできるのかと心配していましたが……街の大きさを見て納得しました。これだけ海から離れていれば、海風の影響もそれほどひどくならないようです」
「そう。それならよかったです」
「……ところで、こちらのお方は……? 見たところ、こちらの方も貴族様とお見受けいたしますが」
雇った農婦の一人、サブクラスに錬金術師を持つファーマーの一人であるリゼットがそう聞いてきた。
リゼットさんもやはり、ドリスさんのお嬢様然とした雰囲気はさすがに感じ取ったらしい。
「こちらは隣のモルガン伯爵領から視察に来ました、ドリス・モルガン伯爵令嬢です。ドリスさん、こちらがこの畑を任せているファーマーの方の一人で、ノリア村から来たリゼットさんです」
「リゼットと申します。どうかよろしくお願いします」
「えぇ。リゼットさん、こちらこそよろしくお願いするわね。話しづらいでしょうから、私のことは名で呼ぶことを許可いたします」
「ありがとうございます、ドリス様」
リゼットさんがドリスさんのことを名前で呼ばなかったのは、多分身分差を考慮してのことだろう。片や、辺境の農村出身の平民で、片や辺境の土地を任された上位貴族の令嬢。フェアルターレ王国においては、平民は許可がなければ貴族の名を呼ぶことも不敬に当たる、という設定があるのだ。
まぁ、私は全然気にしてないから、普通に名前で呼ばせているけど。
「さて、ハンナ様。ざっと土の状態を確認させていただきましたが、一般的な総評をも仕上げるのであれば、農用地としては及第点は出せても少々心許ない、といったところでしょうか。モルガニア地方の基準で申し上げますと、この土の状態では薬草を育てたとしても、まだ売りに出せない程度の最低品質のものしか収穫できないと存じます。より上質な堆肥を撒くことで地質の改善をお願いしたいのですが、よろしいでしょうか」
う~ん、なるほど……私には畑の様子なんてわからないし、何が悪いのかはよくわからなかったんだけど、リゼットさん達の作業の成果は、ドリスさん的にはまだ不合格らしいことだけは確かだった。
「畑の土壌の改善、ですか。私自身は農作業には明るくないのですが、具体的にはどのようにすればよろしいのでしょう」
「そうですわね……まず、雑草が生え放題だったのか、土地周辺に宿る属性付きの魔力が枯渇しかかっています。無属性の魔力だけではそれこそ何の効果もない雑草しか生きていけませんから、様々なフェアリー種の鱗粉で属性付きの魔力を補ってあげる必要があります。それから土壌もやや痩せてしまっているようです。上質な腐葉土に、野菜くずや魚系のモンスターの骨を撒く、といったところでしょうか。野菜くずや魚系のモンスターの骨については、ここは海沿いの街で貿易の街でもあるので、入手には困らないかと存じます。問題なのはやはり、フェアリー種の鱗粉と、上質な腐葉土の入手でしょう」
「ヴェグガノース樹海とかですかね」
「ヴェグガノース樹海ですか……そういえば、樹海にはエルフ族も住んでいるのでしたね。でしたら彼らを頼る方法もあるかもしれません」
よかった、何も指針がないかと思ったけど、案外近場でもどうにかなりそうな雰囲気だね。
するとやはり、問題になってくるのはフェアリー種の鱗粉だろうか。
「フェアリー種の鱗粉は、どの属性のものをどれくらい集めればいいんでしょうかね」
「そうですわね……それについては、屋敷に戻ってから紙に書いてお渡しします。ハンナ様は調合も嗜んでおられるようですので、フェアリー種の鱗粉に含まれる魔力の属性の強度もある程度は把握できますよね?」
「えっと、はい、まぁ……」
フェアリー種の鱗粉なんて、調合素材として使ったことはないからわからないけど、ミリスさんに視線を送ったら頷いたから、多分ミリスさんと相談しながらやればなんとかなるだろう。
そう思って、とりあえずは頷いておくことにした。
「でしたら、おそらくは大丈夫かと存じます。わからなくても、ミリス姉様に相談していただければ、おそらく問題はないでしょう」
よかった、私の見立ては正しかったようだ。
「わかりました。それでは、何とかやってみます」
「お願いしますわね」
では、屋敷に戻って、話の続きをいたしましょう。そう言って、ドリスさんは馬車へと戻っていった。
私もその後に続き、それ以降は再び屋敷での話となった。
「さて、それでは改めて、ハンナ様にやっておいていただきたいことを纏めさせていただきますが、よろしいでしょうか」
「はい、大丈夫です。確か、畑の土を改善するために、上質な腐葉土と、フェアリー種の鱗粉や魚系のモンスターの骨などを集めて、それを畑に撒く、ということでしたね」
「端的に言えば、その通りですが……フェアリー種の鱗粉は、属性の強度がより強いものが望まれます。これについては、一応魔力属性の強度が弱い素材同士を混ぜ合わせても、相応の量を用意すれば属性の強度を高めることは可能です。しかし、望まれる魔力属性の強度に到達させるには、生半可な強さのフェアリー種の鱗粉では膨大な量を必要としてしまいます。鱗粉自体も多すぎると害虫を呼び込んだり、畑の病の原因になったりもしますから、結果的には強い魔力属性の鱗粉同士で混ぜ合わせる必要があります」
「つまり、倒さないといけないフェアリー種も、それに見合うくらい強い個体じゃないといけない、ということですか」
「そうなります」
「わかりました。他に気をつけるべきことはありますか?」
「あとは……特にはないかと。逆に、ハンナ様からは何かございますか? モルガン家側でぜひとも研究に使いたい品種の種はある程度選定できましたが、ハンナ様――ヴェグガナルデ公爵側からも、ぜひ確かめてみたいものがあればお申し付けください」
「ん~……」
ドリスさんにそう聞かれて、私は少し考えを巡らせて、
「それなら、ドリスさんにはまだ伝えられていないことがあったのですけれど、一つだけこちらでも試してみたいことがありまして」
「はい、ぜひお聞かせください」
「種を調合錬成により改良できないかと考えているのですが、いかがでしょう」
「種を、調合錬成で……ですか。……なるほど、なかなかに面白そうですね。それもぜひ、試してみましょう。ただ、一つだけ気になるのですが……調合錬成ができる錬金術師の方にお心当たりはあるのでしょうか」
「今のところ、私が運営している店で一人雇っている異邦人の方のみですが話は通してあります」
先ほど、ドレスのことで話題に挙げた人物だというと、ドリスさんはまぁ、と目を輝かせてそれは会うのが楽しみになってきた、と嬉しそうに言葉をこぼした。
「しかし、それほどまでのドレスを作り上げられるような方が、なぜ畑仕事に関わるのでしょう、と思いましたが……そういうことだったのですね。納得いたしました、なかなかの逸材を抱えていらっしゃるのですね、ハンナ様も」
「いえ。たまたまそのような巡り合わせとなっただけです」
ほんと、それに関してはそういうしかない。
アスミさんがファルオンを始める際にPCを完全にランダム任せにしたことで起きた偶然が、そのすべてのきっかけなのだから。
「調合錬成ができる方がいるとなれば、できることはかなり広がります。こちらでも、用意する種について、再び吟味する必要が出てきましたね」
「そうですね。私も、肥料を集めながら、何かよさそうな薬草がないかどうか、探し回ってみますね」
「……冒険者ギルドに依頼を出すのではなく、あくまでもご自身で動かれるのですね。やはり、ハンナ様は私達とは違ってちょっと一般的な貴族令嬢からはズレている気がいたします。私はそういうのもよいとは思いますが……あまりわんぱくが過ぎますと、社交界では嫌われたり、いいように弄られたりするネタに使われてしまいますから、ほどほどになさってくださいませ」
「善処はします」
「…………、」
ドリスさんは、呆れたような顔になって残り少なくなっていたお茶を口に含んだ。
う~ん、こればかりはぐぅのねも出ないなぁ。
でも冒険したいのも確かだし、やはり取り繕うにしてもこれくらいが限度だった。




