8話 那谷羅心理という勇者
「心梨ちゃんは昨日からここに住んでるの」
「住んでる!?」
淀鹿島市は駅を境に、都会の北淀鹿島と田舎の南淀鹿島とで二分されており、南淀鹿島は呼び名の通り自然がいっぱいだ。森やら田んぼやら畑やら野生動物やらと、のどかな雰囲気満載で、そんな南淀鹿島のど真ん中に民宿イセカイはある。
「住んでるって何!? しかも昨日!? どうして!?」
「住んでるは住んでるよ。心梨ちゃんがここに来たのは夜中だったから、気づかなかったのよ。心梨ちゃんはテントで寝るから民宿内にはいないし。あ、でも、昨日は制服着て散歩に行ってたな」
「あー、なるほどな。だから昨日オレと出会ったのか」
民宿イセカイはオレが生まれる前から経営している、その名の通りの民宿だ。森林に囲まれ、静かな川のほとりで佇むように建っている。
ちょっとした旅館くらいある木造建築で、決して広くはないが和室も洋室もバランス良く用意されている。浴場も食堂も右に同じだが、民宿に高級ホテルや旅館のサービスを求めている客はいないので問題ない。
綺麗ではあるが年季を感じさせる外見と内見はそれなりに人気があり、少なくとも正義家が苦労しない程度には新規やリピーターがやってきている。
正義家の生活スペースもその中にあり、建物の後ろ側が正義家だ。仕事場と家が同じ場所という、個人商店によくあるような造りになっている。
「そういやアイツ、テントって言ってたけど、そのまんまの意味だったのか」
「家より外の方が落ち着くんですって。用意した部屋は荷物置きにしてるみたいで、寝起きはテントでしているわよ。奥の川辺にテントが張られてるから見に行ったら?」
ちなみに淀鹿島高校も南淀鹿島にある。駅に近いため、イセカイの周囲ほど自然豊かじゃないけど。
「で、どうして那谷羅がここに住んでんの?」
今、オレは母親である正義情無とイセカイの事務室で話していた。
机や電話といった事務に必要な道具が揃えられた正義家の仕事場だ。民宿の受付も兼用しているため入り口そばにあり、民宿に出入りする客は必ず事務室の前を通る。今日は客がいないので誰も通らないが。
「有所さんの紹介よ。ここに住まわせてってね」
「親父が那谷羅を?」
有所とはオレの父親である正義有所だ。民宿イセカイの経営者だが、その本人は冒険家を兼任しており、いつも世界を渡り歩いている。というか、冒険家が本業だ。
遺跡発掘やら、見つけた美術品の鑑定やらと、そういった仕事をしている人で、ほとんど家におらず連絡もとれない。親父から連絡がくる時はあるけども、一年に一回あるかないかだ。父と子の会話は完全にレアイベントである。
「あ、もちろん母さんビックリしたわよ。電話がきたと思ったら、突然あんな可愛い子を置いてくれって言うだもん。久しぶりに長く話しちゃった」
「親父と那谷羅の関係が全く見えねぇんだけど?」
「それは心梨ちゃんから聞いた方がいいんじゃない? ほらほら行ってきなさい」
母さんは「まだ夕飯まで三十分くらいあるから」「心梨ちゃん連れて戻ってきなさい」と、オレを民宿の外に追いやった。話をしてこいとばかりに追い出される。
那谷羅のヤツ、まさか親父繋がりだったとは。冒険家が出会うような女子だから空飛んだり、手から風を撃ったりできるのか――って、そんなワケねぇか。
我が家&仕事場な建物を後ろに、オレは知れた夕方の川辺を歩いていった。
夕陽が川面に反射し、清らかな水面が絹のように輝いている。今日は天気がいいから、一段と景色が映えてるな。オレは川沿いに続いている石畳の小道を歩きながら、程よい冷たさの空気を味わう。
やがて、石畳から少し外れた場所に建つ小さなテントを見つけた。制服姿のまま、慣れた手つきで焚き火の用意をしている。
「ミチヒトか。奇遇だな」
「那谷羅さん、奇遇の使い方間違ってない?」
那谷羅は「許可はナサナ殿にもらっている」と、串に刺した川魚を四匹、焚き火で焼きはじめた。
「あ、母さんから那谷羅さんを夕飯に誘う用に言われたんだけど……」
「このくらい食べても夕飯は問題な――」
そこで、焚き火のそばに串魚を刺す那谷羅の手がピタリと止まる。
「……もしかして、夕飯前に魚を食べるのは悪い事なのか?」
「ぜ、全然そんなことないよ! いっぱい食べるのは健康の証! 問題なし!」
「そうか。よかった」
那谷羅の止まった手が動き始める。
夕飯前に焼き魚四本……一本がオレ用だとしても、三本は那谷羅が食べるのか。夕飯前にこの本数を食べられるとは、結構大食いなんだな。
「……那谷羅さんて何者なの?」
オレが焚き火の前に座ると、那谷羅も焚き火を挟んで反対側に座った。
「私はマルリリク王国の人間だ」
「マルリリク?」
全く知らない国名だ。って、王国? 今時王政してる国なんてあったっけ?
「知らないのは無理もない。マルリリク王国はこの世界に存在しないからな」
「存在しないって……」
「今から話す内容は信じられないと思うが……聞いてほしい」
那谷羅は言いながら焚き火に薪をくべる。
「私の生まれたマルリリク王国は、魔王によって滅ぼされようとしていてな。王国は魔王を倒せる者を欲し、それに私は選ばれた。その後、私はパーティを組み、魔王に挑んで勝利した」
「それって……」
王国を救うため、選ばれし者が魔王を倒す。
それは勇者と呼ばれるヤツのする事じゃないか。
「ミチヒトが思っている通りだ。私は魔王を倒した元勇者なんだ」
何処か沈んだ様子で那谷羅は自身の正体を告げた。
勇者じゃなくて元勇者? 何かひっかかる言い方だな。
「元って、別にそんな事ないでしょ? 那谷羅さんが魔王を倒したっていうんならさ」
我ながら何を言ってるんだと思うが、ここでオレにデタラメを言う意味はない。嘘ついでどうすんだって話だ。
それに――罪を告白するように話す那谷羅を否定するなんてできなかった。
「魔王が消えれば勇者は必要とされなくなる。必要とされない勇者は元がついて当然だと……私は思う」
那谷羅は焚き火で焼いてる魚をクルリとひっくり返す。
「世界が平和になってしばらく経った後、王国に必要なくなった私はディライドの裂け目に落ちる事にした。ああ、ディライトの裂け目とは地獄に繋がってると言われている大穴だ。何人もの罪人が落とされている。落ちれば二度とマルリリク王国に戻って来られない。望むところだったがな」
「……え?」
「だが、その地獄はミチヒト達が住むこの世界だった。これにはかなり拍子抜けしたし、戸惑いもしたぞ。光の眩しい空、青い海、広大な大地。とても地獄とは呼べない世界が広がっていたからな」
今の那谷羅の話――飛んでないか?
いくら世界が平和になって勇者が必要とされなくなったとはいえ、どうしてディライドの裂け目なんてのに落ちなきゃいけないんだ? しかも那谷羅は罪人じゃないのに、自らその穴に落ちている。
どうして勇者が罪人が落ちる穴に自ら落ちなきゃならない?
「アリトコ殿とはこの世界に落ちた時出会った。記憶に残る出会い方だったぞ。落下先が森林だったんだが、丁度そこにアリトコ殿が倒れていてな。空腹が原因とわかったから、近くにいたヘビを口に無理矢理突っ込んだ。ああ、もちろん皮は剥いだぞ」
予想しない所で現れた親の登場に、オレは魚を吹き出しそうになる。
親父ぃ!? 冒険家とはいえ何てとこで倒れてんだよ! 森林ってたぶんジャングルだし、那谷羅がいなかったら詰んでたんじゃないのか。本人もまさか空から落下してきた美少女に助けられるなんて思わなかっただろうな。
「アリトコ殿を介抱し終わった後、この民宿イセカイを紹介してもらった。助けてくれた礼がしたいとな。生活の手配はコチラで全て済ませるから、その身一つで問題ないと言われた。で、何日か飛行してここにやって来た」
ここに那谷羅がいるのは命の恩人に対する礼だったのか。なるほどな、って。いやいや待て待て!
礼するのはいいとして、なんでその礼がオレ家を紹介する事なんだよ! もっとあんだろ!
それとも何か? 父さんは那谷羅をここに連れてきたい理由でもあったのか?
うーん、全くわからん。
「と、飛んできたの? よく迷わなかったね……」
「アリトコ殿からスマホというものをもらったが、これは便利だな。探知魔道の使い手でなくとも、現在地と目的地が一目でわかる」
那谷羅はスマホを取り出すとオレに見せつけた。コイツ、スマホ持ってたのか。そんでオレのスマホより新しいっぽい。うらやまー。
学校で全く見せなかったから持ってないと思っていた。あとで連絡先交換してもらおう。
「ここへ辿り着いて、ミチヒトと出会った」
「なんとなく気になってるんだけど、あの時制服着てたのは何故?」
「それはその……う、嬉しくなってしまったから……だな」
珍しく那谷羅は恥ずかしそうな表情をして俯き、体育座りをして両手の指先を突っつき始めた。
「ナサナ殿から制服をもらって、それは登校前に着替えるモノだとわかっていたが……その、魔が差したというか、すぐに着てみたくなったんだ。着替えて少し歩いて空を飛んだら、タバコを吸ってる男を見つけて、すぐに着地して……そこからはミチヒトの知っている通りだ」
「なるほど。学校生活が待ちきれなかったんだね」
「そ、そうだ……うう……」
無表情ばかりの那谷羅が、まさかこんなに照れるとは。下着の件は全くのくせに、コイツの羞恥ラインってどうなってんだ。
「お、そろそろだな」
那谷羅は無造作に焼き魚が刺さっている串を引き抜き、オレに渡した。
「生でも美味かったからな。焼けばさらに旨みが増しているはずだ」
「ありがとう」
焼き魚一本くらいなら夕飯に影響ないし、生のバッタでもカエルでもないので、オレはありがたく受け取った。
あと、コイツってば魚も生でイケるのね。まあ、バッタやらカエルやらが生なんだから当たり前か。きっと肉も同じ――いきなり犬とか猫にかみついてないだろうな?
「なあ、ミチヒト」
「ん? なに?」
那谷羅の言う通り焼き魚は美味いが、母さんが夕飯を用意してるから二本目は食べられないのが残念だ。那谷羅と違って、オレは大食いできないので大変悔やまれる。
「ミチヒトはどうしてあの時、私を助けてくれたんだ?」
那谷羅は酔っ払いに絡まれた昨日の件を、神妙な面持ちで聞いて来る。
え? 何で? そんな真面目に聞かなきゃならない事か?
「どうしてって、困っている人を見つけたなら助けるのが当たり前だろ?」
「困っている? 私が?」
「そうだよ。困ってたでしょ?」
学校での評価を心配したってのもあるが、普通に助けたいと思ったのも事実だ。嘘はついていない。
「那谷羅さんが困ってたから助けたいと思った。それだけだよ」
実際はおっさんの方が困ってたのだが、もうそこはどうでもいいだろう。全ては過去、終わった事だ。
「だが、私はミチヒトに何もしていないぞ? なのに助けたいと思ったのか?」
那谷羅は申し訳ないというより、意味がわからないという風に聞いてくる。
「那谷羅さんが僕に何かしたとか、してないとか関係ないよ。人を助けるのに理由はいらないって僕は思うな」
「理由が……ない?」
ポツリと呟かれたその言葉にどんな意味が隠れているのか。目から鱗みたいな顔をしてポカンとしている那谷羅は、どうやらオレの言葉に衝撃をうけているようだった。
「…………」
ちょうど食べ終わったからか、無言の那谷羅は骨だけになった焼き魚を地面に置く。
そして、体育座りをすると、その膝に顔を埋めた。
「……うう」
僅かに見える頬が赤い。照れてるのかコイツ? なんで? チョロインなの?
まあ、それはいいとして那谷羅よ。制服姿で体育座りされると思いっきり見えるんだが。これだから無自覚美少女さんってヤツはよぉ!
「どうしたの?」
「少し……なんでもない。気にしないでくれ……」
オレは「見えている」と注意したかったが、何だか様子のおかしい那谷羅には注意しづらかった。まあ、オレが注意しなくても、近い内に霧が言うだろうし、その方がいいだろう。
……いいよな?
那谷羅は残っている二匹の魚が焼けるまで顔をあげようとしなかった。
上げた顔はいつもの通りで、さっきの照れは何処へやら。以降の那谷羅の顔はずっといつもの無表情だった。
その後、那谷羅を民宿の食堂に連れて行き一緒に夕飯を食べた。
夕飯中の会話で「次は心梨ちゃんが好きな食べ物作るわね」と、母さんが那谷羅に好みを聞いたら「バッタとカエルだ」と、全くブレない恐るべき答えが返ってきた。
――次回の食卓にバッタとカエルが並ばないことを祈る