6話 絡まれているギャルと僕の関係
「じゃあ行こうか那谷羅さん」
「私は見知らぬ男に当然の礼をしただけだぞ?」
「それを世間じゃ窃盗被害っつーんだよ!」
オレは淀鹿島警察署に向かうべく那谷羅と一緒に教室を出た。淀鹿島警察署は淀校からさほど離れていない。十分も歩けば到着するだろう。
「元気いいなミチヒト。うん、ミチヒトはその感じがいい」
「な、なんの事かな那谷羅さん? 僕はちょっとだけツッコミしただけだよ」
今日何回目だ? うう、これまでも思わず素が出てしまうのはあったが、ここまで酷くなかった。親や霧は例外として、まさか会って一日程度しか経ってない人物にこうも心が油断するなんて。なんて日だ!
心の中で某お笑い芸人のように叫びながら反省する。くそっ! こんな虫ムシャ女にペースを乱されるなどオレもまだまだ未熟! 帰ったら座禅しよう! そうしよう!
昇降口に着き、手早く上履きから靴に履き替える。後ろから那谷羅も続き、このまま校門を出て警察に行こう――と、していたのだが。
「あー、正義くん……」
「蕾さん? どうかしたの?」
昇降口から外に出ると、不安そうな顔をして校門前を見ている蕾がいた。何でそんな顔をしているのかわからず、オレは自然と蕾の見ている先に視線を向ける。
「久城。もう観念して指導室に行かないか? こんな所で話したくないだろう?」
「あ、あたし何もしてないよ!」
その視線の先、校門のそばで詰多と霧が何やら言い合っていた。
こんな場所では無視する方が難しいため、帰宅部の大半が二人の野次馬になっている。面白がって見ているヤツ、蕾のように不安着に見てるヤツ、何もわからず見ているヤツと様々だ。
どうして詰多は霧に絡んでいるんだ? 遅刻の件か? いやそんなワケない。今日の霧は遅刻してないし、今は放課後だ。
じゃあ何を?
「まさか久城が他人の財布の中身を盗むとはな。遅刻では飽き足らず、犯罪にまで手を染めるとは呆れて物も言えん」
瞬間、全身の血が沸騰しそうになった。
あのクソ教師は霧に何を言っている?
「どうしたミチヒト?」
「ごめん那谷羅さん。警察には一人で行って」
気がついたらオレは那谷羅を放って、霧の前にやって来ていた。
「……え? セイギ?」
「なんだ正義? 今、俺は久城と話してるんだが?」
ふと、脳内にオレが総理大臣になりたいと思った理由がフラッシュバックする。
「先生。霧が何かしたんですか?」
オレは他と比べて優秀だった。授業は毎日しっかり理解しているし、塾に行かなくともテストは高得点だ。運動神経も悪くなく、こっちもクラスで上位だ。学校生活や私生活での悩みなんてのもない。手のかかならい子供ってのを地で行っているのがオレだった。
「ある生徒から相談されたんだ。久城霧さんが生徒の財布からお金を抜き取っているのを見た、とな」
そのためクラスメイトに頼られるのはしょっちゅうで、宿題なんて何人に見せたかわからない。長期休暇明けなんて最たるモノで、オレはいつも必ず誰かに頼られていた。
別に良い気も悪い気もしない。オレはただ成果を見せているだけで、見るなり書き写すなり勝手にすればいいって感じだった。
「本当ですか? その生徒の見間違いではないのですか?」
でも、霧だけはオレを頼ろうとはしなかった。宿題だろうとなんだろうと、いつも自分だけでどうにかしようとして――よく失敗していた。
「生徒の名は言えないが、ソイツからはっきり見たと言われている。見間違いはありえん」
霧は自身の容量の悪さを知っていた。自分が他人よりデキない人間という自覚があった。その未熟を克服しようと一人で頑張っていた。
『誰かに頼っちゃうと、その誰かがいないと何もできなくなっちゃうから』
いつか霧に「なんでいつも一人で頑張ってんだ?」と聞いた時、そう返答されたのを覚えている。
その時、オレは霧のそばにいると決めた。
霧は嫌がったが、それで離れるオレではなかった。好きで近くにいるだけだと、霧を強引に納得させていた。晴れだろうと雨だろうと雪だろうと、霧のそばに居続けた。
オレは霧を助けたかった。
「先生。霧はそんな事をする人間ではありません」
だってあまりにも寂しすぎる。誰かに頼る事を禁じ、自分の欠点しか見ようとしない少女は見てられなかったのだ。
オレは霧と友達になり協力した。
最初は直接的な助力を避けるよう影ながら行動し、それはやがて遅刻をさせないための世話をするまでになっていった。
オレの助力は成功し、霧は己に自信を持った。欠点だけでなく、毎日の小さな成長も感じ取れるようになったのだ。これはかつての霧では考えられない変化だった。
「正義の意見などどうでもいい。実際に被害が出てるんだからな」
感無量だった。誰かに頼る事を罪としている少女を、オレは変えられたのだ。
やがて霧は笑顔をみんなに見せられるまでになり――ある時オレに言った。
『もしセイギが総理大臣になったら、もっと色んな人が救われそうだね』
そう、オレが総理大臣になりたいと思ったきっかけは、救えた少女が何気なく呟いた見知らぬ相手へのエールだった。
「霧が窃盗なんかするワケないじゃないですか!」
オレは詰多に怒鳴っていた。自分を抑えられなかった。
「成長しようと努力する人間がそんな事するワケがない!」
マズいとわかっている。オレは詰多をここから立ち去らせる説得をしなければならない。詰多を最終的に立てるようにして、会話を誘導しなければならないのだ。なのに、ただ感情的に叫んでいる。
これは完全に悪手だった。
「そんなの理由にならん! いいか正義? お前が庇っている相手は信用なんか何もないヤツなんだ。理解しているのか?」
とっくの昔に熱くなっているオレの頭にマグマが流れ込んでくる。
「いつもいつも俺に迷惑かけるだけの不良生徒だ。そんなヤツがする事なんて決まってるんだよ。優秀な生徒を妬んでしょーもない事をやるんだ。例えば金を盗むとかな」
詰多の胸ぐらを掴まなかったのは奇跡だった。
「正義も久城から被害をうけてるんじゃないか? お前は淀鹿島高校で最も優秀な生徒だからな。大丈夫か? 先生いつでも話を聞くぞ?」
ダメだ。これまで積み上げた全てが無くなってしまうのに。わかっているのに止めらない。奇跡は二度も起こらないようだ。
右手に力が入り、その拳は容赦なく詰多の顔面にブチ込まれ――
「もー、セイギってばなんて面白い顔してんの。ウケるー!」
オレの右手に霧の手がそっと添えられた。
「セイギはいっつも眉間にシワよせてるけどさ。今日のは、ちょっと多すぎだぞ」
ツン、と霧の指先がオレの額を軽く突いた。
職員室前でも見せた霧の笑顔がオレの視界に映る。
「私、大丈夫だから。心配しなくていいよ」
今、霧が何をしようとしているのかハッキリとわかる。
「ありがとね。セイギ」
行ってしまったが最後、無実の罪を着せられるとわかっているのに何の迷いもない。
庇ってくれる幼馴染みの夢を壊させないべく、霧は犠牲になろうとしていた。
「行こセンセ」
「最初からそう言えばいいんだ」
ゲスな笑みを浮かべる詰多の横に霧が並び、二人が指導室に行こうとしている。オレは止めたかったが、そうすればこんどこそ詰多を殴ってしまう。霧の行動を無駄にしてしまう。
オレはジッとしているしかなかった。眺めるしかできず、それは蕾も他の生徒達も同じだった。
「詰多教諭」
たった一人を覗いて。
「少しいいだろうか? 聞きたい事がある」
校門前、那谷羅の場違いな声が響いた。