2話 どっかの女子と登校する
「眠い……」
誰も歩いていない通学路をダラダラ歩きながら、あくびをかみしめて独り言を漏らす。
昨日、夜空をカッ飛んでいった那谷羅心梨とかいう女子が頭から離れないせいで、眠れたのは朝方だった。数十回の寝返りを繰り返してどうにか寝付けたが、吸血鬼消滅間違い無しな朝日が出てきてからじゃ遅すぎる。あー、しまったなぁ。半端な睡眠になるくらいなら、寝ないで帝王学の本でも読んときゃよかった。
「今日の授業起きてられっかな――ドゥアッ!?」
幸か不幸か、一瞬で目が覚める出来事が起こった。不覚にも曲がり角での確認を怠ったオレは、急に現れた人物と派手にぶつかってしまった。
「いちちち……」
衝撃で思わず尻餅をついてしまったが、これは明らかにオレの前方不注意が原因だ。
痛がりつつも起き上がろうとしたら、その前に相手から手を差し伸べられる。
「すまない。大丈夫か?」
ん? なんか聞き覚えのある声だな。
「ごめん、前を見てなかったのはこっち――い!?」
そう思いながら相手を見上げると、オレは脳と脊髄に氷柱をぶっ刺さされたように驚愕する。
「む? ミチヒトじゃないか。昨日ぶりだな」
ぶつかった相手が昨日の夜空カッ飛び系女子、那谷羅心梨だったからだ。
まさか昨日の今日でまた会えるとは。でも、そりゃそうか。コイツは淀校生徒なんだから、登校中に会うくらい不思議でもなんでもない。
「ケガはないかミチヒト?」
「だ、大丈夫。君の方こそケガはない?」
那谷羅を気遣うオレだが、そこには形式的な意味しかなかった。
だってこの女子ってば、立ちはだかる巨壁ってなくらい平然としてんだもん。どうみてもノーダメージだ。
オレにとっては尻餅をついてしまう衝撃が、那谷羅にとってはゴムボールが当たった程度でしかないらしい。どんな体幹してんだコイツ。
「問題ない。身体に大岩がぶつかろうと微動だにしないのが取り柄なんだ」
「そ、そうなんだ」
それは取り柄ってレベルなのか? それともギャグで言っているのか?
適当な返事がわからないので、とりあえず頭に手を当てて「ハハハ」と笑って流しておく。多様できないが、会話に詰まったら意味もなく笑っとけばいいのさ!
「お、バッタだぞミチヒト」
オレの目では全く捕らえられない速さ(誇張じゃない)で、那谷羅は草むらに向かって腕を振るった。瞬間、心梨の手にバッタが握られ――ひょいと口に放り込まれる。
バリバリバリバリ。
那谷羅は小気味よい咀嚼音をオレに思い切り聞かせた後、ゴクリと思い切り飲み込んだ。嚥下音もめっちゃ聞こえた。
「この辺りのバッタは美味いな。きっと良いエサ環境が広がっているのだろう」
「…………」
今、コイツ何した?
いや、バッタを食べたんだよ? 何をしたのかわかるよ? でも、なんでこの女子はバッタを食べてんだよ! つか、バッタを味で解説するヤツとか始めて見たよ!
オレは思わず新種の動物でも見つけたような視線を那谷羅に向けてしまう。
「どうした? 私の顔に何かついているのか?」
昨日と同じく、赤リボンが胸元についた特徴的な半袖シャツと無地のスカート。無表情で凜とした目をしていて可愛らしい顔、というアンバランスに溢れた魅力的な美少女。創作物の影響でも受けてそうな高校生らしからぬ喋り方。
「ああ、なるほど。ミチヒトも食べたかったのか。すまない。美味しそうだったので我慢できなかった。次見つけたらミチヒトにあげよう」
「ごめん。いらないです」
この女子は那谷羅心梨だ。夜空をカッ飛んでいった美少女だ。シャランと、鈴の音が聞こえそうなサラサラ黒髪ロングな部分も一緒だし、バッタをムシャったけど本人で間違いない。
「……もしやこの制服がおかしいのか? 本の内容そのままに着たつもりだが」
那谷羅は手に提げている通学鞄から淀校のカタログを取り出してページを捲る。そして、自分の制服とカタログ写真を見比べ、着衣がおかしくないか確認しはじめた。って、オイ!? なんで鞄に学校カタログが入ってるんだよ! いや、別に持ってていいけどさ!
「いや、大丈夫。全然おかしくないから」
「なら何故私を見て――あ」
何か気づいたのか、那谷羅は非常にバツが悪そうな顔になり俯く。
「もしかして……バッタを食べるのは悪い事……なのか?」
「ぜ、全然悪くないよ! 食べたいならいくらでも食べればいいさ!」
那谷羅は上目遣いで恐る恐るオレに聞いてきたが、別に犯罪をしたワケじゃない。驚いたのは事実だが、バッタを食べられて困るヤツなんていないのだ。那谷羅の欲望のまま食べまくればいいと思う。絶滅させたらマズいのでほどほどにして欲しいけども。何を心配してんだオレは。
「そうか、よかった。バッタが食べられないのは凄く悲しいからな」
声が軽やかになり、パアッと那谷羅の表情が(無表情だが)明るくなる。 バッタが食べられないのはそんなにショックなのか。
「那谷羅さんって、昨日空を飛んでいったよね?」
バッタは良しとしていいが、昨日のアレは聞かねばならない。
「ああ、空を飛んだぞ。それがどうかしたのか?」
カップラーメンはお湯を入れて三分待てばできるでしょ? 何言ってんの? とでも言うように那谷羅は首を傾げる。
「いや、当然じゃないよね? 空飛べる人間とか歴史上に存在しないよね?」
さすがにスルーできず、オレは至極当然のツッコミをいれてしまう。
「……もしかして空を飛ぶのは普通じゃないのか?」
那谷羅は致命的ミスに気づいた科学者のように、そっとオレに確認してくる。
「むしろ、なぜそれが普通と思えるのか謎で謎でしょうがねんだけど?」
やべ、あまりにもツッコミ所だらけだから素が出てしまった。
「……おかしいとは思っていたんだ。みんな当然のように地面を歩いていて、空を飛んでいるのは私しかいなかった。たしかに空を飛ぶのは先天的な才能がいるが、全くいないのはおかしいからな。念のため歩いて来てよかった。ミチヒトにも会えたしな」
「なーるほどー」
わかるようで全くわからない那谷羅の言い分だったが、とりあえずオレは肯定するように頷く。ついでに意味もなく笑っとこう。ハハハ。
「空を飛ぶのは控えたほうがいいかもね。あ、飛ぶなってワケじゃないからね。見つからなきゃ騒がれないし」
何の注意してんだオレは。
「わかった。これから空を飛ぶのは控えよう」
「うん、それがいいと思うよ」
もっと聞くべき事があるが、もうすぐ学校に到着する。短時間じゃ理解できる会話にならんので、那谷羅とは後でゆっくり話そう。
「その、ミチヒト。カエルも控えるべき……だろうか?」
「え? カエル?」
那谷羅心梨の名がオレの脳内生徒図鑑にないのは、おそらくコイツが転校生だからだ。
昨日帰った後、ノートに全生徒を書き殴ったが、その数は全校生徒数と一致した。つまりオレの記憶に落ち度はなかった。ふー、ったく不安にさせやがって。
「カ、カエルも勝手に食べればいいよ。文句言うヤツなんていないし」
あ、良いこと思いついたぞ。那谷羅の存在はオレの評判をさらに高めるチャンスになるんじゃないか?
「そうか。よかった。カエルが食べられないともの凄く悲しいからな」
「う、うん。そうだね」
オレはクラス委員長だし、教師からも生徒からも信頼されている。もし那谷羅がオレと同じクラスになれば、高確率でオレがしばらく世話をするはずだ。
那谷羅をキチンと世話できればオレの評判はさらに良くなるだろう。最高の淀校生徒として、オレの名は卒業後も轟き響くに違いない。例え、同じクラスじゃなかったとしても顔を合わせる機会はあるし、いくらでもやりようはある。
フハハハ! 那谷羅よ! オレの養分になっておくれ!
「那谷羅さんは転校生だよね? このまま一緒に行かない? 職員室まで案内するよ」
「それは心強いな。この辺りは誘惑が多くて、一人で淀鹿島高校に行けるか不安だった。助かるぞミチヒト」
「誘惑?」
「例えばここの土を――」
「な、那谷羅さん? 土をほじくり返すと学校に間に合わないからさ。今はやめとうこう」
何を見つけたのか、それとも何を感じたのか。コレ、絶対聞かない方がいいヤツ。
オレは口元を拭いながら土を掘り返そうとする那谷羅をやんわりと止めた。
「……むー?」
「どうかした那谷羅さん?」
那谷羅と横に並んで歩いていると、時折那谷羅は不思議そうにオレを見てくる。
「なんだかミチヒトの喋り方に違和感があってな。すまない。ミチヒトは私の勇者だというのに」
「ボクの喋りが不快だったかな? ゴメン、ボクの態度が気にくわなかったら遠慮なく言ってほしい。欠点は直していきたいんだ」
勇者という部分をスルーしてしまったが、別にいいか。つか、コイツ昨日も言ってたよな?
「不快なんて全く思っていないぞ。ミチヒトとの会話はとても楽しい」
うっ! なんて眩しいセリフを言いやがるんだコイツ。恥ずかしくねぇのかよ! オレじゃなくてアホな男子に言ってたら告白と勘違いするぞ。自分を美少女だと自覚しろ。あぶないヤツめ。
「昨日も今日も、私を導いてくれてありがとう」
「大袈裟だよ。照れちゃうな」
ううう! 背中が痒い!
「おお、あそこを見てくれミチヒト。程よく太ったバッタがいるぞ。欲しいか?」
「……ボクはいらない」
那谷羅は夢中になってバッタを捕まえると、我慢できないとばかり口に放り込む。
この朝、那谷羅という神秘いっぱいのJKが、オレの目に強烈に焼き付いたのは言うまでもない。