シュタイナー伯爵 オスカー 1
庭園から屋敷へと続く路を、連れ立ってしばらく無言で歩く。オスカーは、沈黙が苦手な方ではない。軽くて洒脱な会話も、深刻な話題も、持ち前の饒舌さでいくらでも対応できるが、重苦しい沈黙も自然体でやり過ごすことができる。それでも、今の一幕については、つい、余計な口出しをしたくなった。
「アンタ、本当に満足なのか?」
「別に後悔はしてないけど」
「後悔してなきゃ満足?」
「不満は無いわ。ロンサール様もそう言っていたでしょう」
ホントかよ。オスカーは、口の中で独り言ちた。俺は、絶対にそうは思わないぞ。
だが、まあ、恋愛感情ほど厄介なものは、そうそうないというのが世間の常識らしいから、そこに言及するつもりはない。問題は――――――。
「本音は、どこにあるんだ」
「・・・・・・」
「アレは、カーライル卿向けの話だろ。納得できるような話を作って、わざわざ聞かせたんだ」
「・・・・・・どうして、そう思うの」
「あの用意周到な男が、二人で寄り添うなんて、ヘマをするとは思えない。おまけに、覗き見されて気付かないなんて、論外だ」
「あら。ロンサール様も否定しなかったのに」
「じゃあ、本当なのか?」
「・・・・・・私にはそう見えたわ」
「・・・・・・見ようによっては、じゃないのか」
アマンダは、小さく笑ってオスカーを見ると、答えた。
「だけど、ウソじゃないわ」
そう、嘘ではない。ヴィアンカに請われて、手を握って慰めていたし、見る角度によっては、寄り添っているように見えたのだから。
ヴィアンカを見る、セルマンの目が好きだった。表情こそ変えないけれど、いつも深い青の強い紫色が、明るい光を宿して、一瞬で消え去る。あの目を見たくて、お茶会にヴィアンカを呼んだ。二人でセルマンの対面に座って、時たま煌くあの光を、見逃さないように、気づかれないように見つめ続けた。
滅多にヴィアンカの名を呼ばないセルマンが、彼女の名前を口にする時、切ないような、何かを渇望するような響きを持つ声が好きだった。あの声を聞くと、掻き立てられるような何かに、胸を締め付けられた。
私を見て、私を呼んで。そう願って必死になり―――――やがて、理解した。
――――――あの光とあの響きは、ヴィアンカにだけ向けられているのだ、と――――――。
セルマンは、三人でいるとあまり喋らず、ヴィアンカが彼に話しかけた時だけ、彼女を見る。その時だけ明るい瞳の色は、当たり障りのない言葉の後、いつもの色に戻って、アマンダを見つめて問いかける。
「君も、そう思わないか」
若しくは、
「君は、どう思う?」
それは、常にアマンダを優先し、気遣う完璧な婚約者の姿。だけど、その眼に浮かぶのは、常に冷静で穏やかな表情。アマンダが挑発した時には楽し気に輝くが、それでも、ヴィアンカに向けるような、明るく、蕩けるような光を宿すことはなかった。
「ウソじゃないけど、本当でもない――――――アンタ、自分がどんな顔してるか、わかってるのか」
ポーカーフェイスに自信のあるアマンダが、訝し気な目を向けてくるのに、そっと囁く。
――――まるで、宝物を喪くしたような顔してるぞ――――。
宝物。言い得て妙だ。この日、アマンダは確実に二つの宝物を失った。
一つは、長年支えてくれた婚約者。ともすれば、失言と捉えられかねないアマンダの際どい発言を、巧妙に誤魔化し、違う印象へと誘導することに長けたセルマン。彼がいなければ、完璧な令嬢は、存在できない。
もう一つ。ヴィアンカ。この年齢まで、ほぼ家庭の中で愛しんで育てられたせいで、負の感情がほとんどない。それだけでなく、生来の賢さから、人を思いやることも知っている。無菌培養の箱庭のお姫様。それだけで完結すれば、何事もなく済んだだろう。だけど、王子様に恋をして、外の世界と繋がってしまった。愛を叶えたお姫様はどう変わるのか――――。
そして、諦めたものが二つ。明るい光を宿す瞳と、願望を込めた、切ない響きの声。
「しかたないわ。もともと私の物ではなかったのだから」
手元の扇に視線を落とす。黒水晶に、くすんだ緑の石が嵌め込まれた、二人の色を使った、思い出深い扇。この扇を皮切りに、社交界の若い女性のモードを牽引し、流行を作り出してきた。セルマンと事業規模を拡大し、新たな販路を開いて軌道に乗せた。不安な時でも、この扇を手にしていれば、不思議と安心できたけど―――――もう二度と、これを手にすることはない――――――。
「アンタ、恋愛するのは大変そうだな」
そんなアマンダの様子を見ながら、別れ際、肩を竦めて呟いたオスカーの言葉は、しばらくアマンダの中に留まり、うまく消化されないまま、いつまでも片隅に蹲った。




