シュタイナー伯爵 セルマンとアマンダ 8
セルマンの母、ロンサール侯爵夫人は、有力でも財産家でもない伯爵家の出身だ。ただし、その領地は稀少な薬草を産出していて、製薬工場を持っていた。一人娘だった母は、自ら実家の事業を手伝い、軌道に乗せた、という実績を持っている。
二十年近く前の貴族社会は、今よりずっと閉鎖的かつ保守的だったが、それをものともせずに成し遂げたかわりに、悪評を受け、婚期を逃しかけた母に、若きロンサール侯爵が求婚した。当然のことながら、社交界は騒然となったが、様々な障害を乗り越えた二人は、無事に結婚し、実家の伯爵家の爵位と事業は、二人の子供に受け継がせることを条件に、ロンサール家のものとなった。
両親の仲は良好で、特に問題は無いように見えるが、セルマンは、時々、母は、満足しているのかと、疑問に思うことがある。
その噂は、アマンダとの婚約が囁かれるようになった頃から、耳に入ってきた。父がカーライル伯爵家を乗っ取ったように、次はシュタイナー伯爵家も取り込まれるのか。要約するとそういうことになる。
シュタイナー伯爵家は、事業の規模も当主の力量も大きく、ヴィアンカという妹がいるので、ロンサール侯爵家が完全に取り込むには、無理がある。それでも、侯爵家傘下という位置づけには間違いない以上、侯爵家の意向が大いに反映されることになるだろう。ロンサール侯爵夫人となったアマンダが、それをどう考えるのか、似たような立場だった母に、質問したことがある。
「わたくしたちと、あなたたちでは大きな違いがあるでしょう?」
意味が解らず困惑するセルマンに、母は言った。
「わたくしは侯爵を愛していて、侯爵はわたくしを愛していない。彼にあるのは、妻に対する家族愛のようなもの。では、あなたたちはどうなの?」
言葉が出なかった。今の自分たちにあるのは、愛ではなく、仲間意識のようなものだったから。
黙ってしまったセルマンに、母は、ため息を落とすと続けた。
「理想の貴公子と言われているのに、女心も掴めないなんて、情操教育が悪かったのかしら。だけど、まあ、誠実というのは悪くはないわ」
「母上、褒めるか貶すか、どっちかにしてください」
「両方しておけば、舞い上がることも卑下することもないでしょう。合理的なのよ」
ひとしきり、野暮な息子の愚痴を聞かされた後、母は言った。
「相手から与えられた恩恵を、忘れないこと。対価として、必ず相手が望むものを与えること」
「母上の愛情の対価は、何ですか?」
母は、はっきり愛されていないと、それでも気にしていないと公言する人だった。
「侯爵には、愛する人がいないということよ。今までも、これからも、ね」
「これからも、ですか?」
それは、些か分の悪い賭けではないのか、と疑問に思っていると、
「事実は、どうでもいいのよ。わたくしに、周囲の人に、決して気づかれさえしなければ」
「気づいたら、どうするつもりですか」
「そんなことにならないように、祈ることね。わたくしも、できれば、面倒なことは避けたいの」
「それは、父上に逆らうと言うことですか」
ロンサール侯爵家の事業の大半に係る母の離反は、やりようによっては、大打撃に繋がる。セルマンから見た母は、常に侯爵家の利益を最優先に考えていたはずだ。俄かには、信じがたかった。
「よく覚えておきなさい。愛というものは、厄介なのよ。ある日突然、目覚める可能性だってあるわ」
漠然とした言葉。何に目覚めるのかと尋ねても、おそらく答えはもらえないだろう。
そして、母は、ゆったりとした微笑みを浮かべると、こう言った。
「多分、あの子は、要らないとなったら、躊躇いなく捨てるでしょうね」
そうならないように気をつけなさい、と言って背を向けた母の言葉に、セルマンは、これは、自分への忠告だ、と悟った。以降、折に触れてこの時の会話を反芻することになる。
自分たちの間に、愛情が介在することは無いだろう、と妙な確信を持ちながら。




