第1話「オーバー・ザ・ディメンションⅠ」
短編としていますが、今回は3話構成でお送りいたします。
指定いただいたテーマは、「初恋」です。
俺が初めて恋をしたのは、小学五年生の時だった。
その相手は、同級生でも先輩でも従妹でもない。ましてや幼馴染だなんてことはあり得ない(そもそもいない)。
俺が初恋をしたのは――画面の中で得体の知れぬ怪物と戦う、あのクールな黒髪魔法少女だった。
なかなか寝付けなくて夜中に自室から出て、暗いリビングで静かに電源を入れたテレビにたまたま映っていたのが彼女だった。
話の内容は全く分からなかった。
ただ彼女が、気味の悪い怪物の大群にたったひとりで立ち向かっていることしかわからなかった。
しかし、俺はその美しい容姿に、必死に戦うその表情や動きに、繊細な息遣いに、一目惚れしてしまった。
一瞬で彼女に釘付けになった幼い俺は、テレビの音量を下げるのも忘れて彼女の戦いに息を吞んでいた。
かなり激しい戦闘だったので、深夜にしては大音量のテレビの音に母が気付かないわけがなく、いいところで母が襲来してお叱りを受けてしまった。
二十分ほどのお説教の後、自室に戻って布団に潜ったわけだが、彼女の姿が脳裏に焼き付いて僕を刺激するので、その日は一睡もできなかった。
翌日になっても興奮は冷めやらず、食事中も授業中も風呂の中でさえも彼女のことで頭がいっぱいだった。
数日も経つと少しは落ち着いてきたが、また彼女の姿をこの目に焼き付けたいと思った僕は、翌週の同じ時間にまた部屋を抜け出し、今度はテレビの音量を下げ忘れないようにしてそのアニメを最初から最後まで鑑賞した。
どうやら最終回だったらしく、もうテレビで彼女が見られないと思うと胸が苦しくなって、思わず涙ぐんでしまった。
しかし、いくつか分かったこともあった。そのアニメのタイトルと彼女の名前だ。
彼女は、「ほむら」という名前らしい。
それが知れただけで、俺は大いに満足だった。
それ以来、俺は誕生日やクリスマスといった何かもらえるイベントがやってくるたびに彼女のグッズを請うた。
その狂っているとも言える溺愛っぷりに母はあきれていたが、俺はそんなことは微塵も気にしていなかった。
彼女のグッズは、とにかく気の済むまで集めた。
同じものを十個以上購入するなんてことはざらで、地域限定のものなんかは自力では手に入れられないものが多いから、オークションに出るのを待ち、出れば即落とした。
彼女を機にほかの多くのアニメやラノベ、マンガにも触れるようになり、俺はあっという間にオタクと化した。
そんな生活が数年間続いて、俺は高校二年生になった。
難関大に対して高い進学率を誇る進学校に入り、受験勉強漬けの毎日を送る俺の部屋は――
「おはようほむら。今日もキミに囲まれて目覚める朝はすがすがしいよ。ありがとう」
壁も天井も彼女まみれになっていた。
午前六時五九分――アラームが鳴るより少し早く起きた俺は、ベッドから立ち上がって枕もとのスマホを取った。
少し伸びをするとちょうどアラームが鳴ったので、待機させていた親指を押し込みアラームを止めた。
リビングに行けば朝食が待っているだろうが、その前にやることがある。
ツッタカターのチェックだ。
「さて、昨夜の最新話のレビューは……二千ファボか。まぁ、フォロワーも二〇人くらい増えたしそこそこだな」
そう。俺――雛守星は実は界隈ではちょっと有名なフォロワー三万人ほどのアニメ垢の持ち主なのだ。
毎日欠かさず投稿している最新話のレビューは、当たり前のように千ファボは突破するし、同じ趣味を持つ人達からはちょっとした尊敬を集めている。
時間がないのでリプの方はさらっと確認し、俺は朝食を食べるためにリビングに向かった。
「おはよう、星」
「おはよう母さん」
リビングに向かうと、母が朝食をテーブルに並べて待っていてくれた。
「今日、テスト返却だったよね?」
「うん」
朝っぱらから嫌な質問をしてくるもんだ。
「不安?」
「まあね」
「大丈夫よ。自信あるんでしょ?」
「もち」
――嘘である。自信なんてものはない。正直、平均点とそこまで変わらない点数しか取れている気がしない。
「ま、今日は授業ないんだし、気楽に行きなさい」
「……ん」
俺は不安を紛らわさんと朝食をかきこみ、颯爽と身支度をしに洗面所に向かった。
制服に着替え、歯を磨き、顔を洗った。
その間ずっと考えていたのは、最悪の事態だった。
母は昔から僕のオタ活にあまり肯定的ではなかった。
この度のテストの結果次第では、二次元とおさらばする可能性だってある。
不安は尽きない。でも、今更どうしようもない。
腹をくくった俺は、自室からカバンを取り部屋を出る際にはいつも通り壁と天井いっぱいの彼女に「いってきます」を告げ、登校を開始した。
電車通学の俺はまず歩いて最寄り駅まで十五分ほど歩いて向かう。
その際、駅前の広場に普段見慣れないステージが設置されていたが、電車に乗り遅れてもいけないので近くの宣伝看板には目もくれず素通りした。
満員電車に揺られること二十分、電車は学校の目の前の駅に到着する。
そこで乗客のほとんどが下りる。俺は最後の方に降りて、人混みに揉まれることなくゆっくりと学校に向かうようにしている。
駅を出て十分ほどで教室に着いた。
もう一度ツッタカターを確認しようとすると――
「おっすセイ!」
「おっはー勇人。朝から元気だなぁ」
「おはおは。お前が暗いだけだよ。みんなこんなもんよ」
「そうかぁ」
こいつは俺のいちばんの友達の勇人だ。
いつも明るくて、馬鹿だがなんちゃってクラスの中心に立ってるやつだ。
「テスト返却かぁ」
「テスト返却だなぁ」
「セイやばいんだっけ?」
「あぁ、やばい」
「大丈夫だって。俺よりは悪くなんねえよ」
「いやわからんぞ。今回勇人めっちゃ勉強してたし」
「必至なだけだよ。今回平均なかったら塾送りだからさ」
「そりゃ大変だ」
そんな風に駄弁っていたら、始業時間が迫ってきた。
「んじゃ、お互い健闘を祈って」
「あぁ、お互い生き延びような」
そう言って、俺たちは放課後に戦いを生き抜いて再び会うことを誓い合った。
そして迎えた一限目――
「……は?」
二限目――
「……い、いやいやいやいや」
三限目――
「嘘だろ?」
四限目――
「まじで?」
五限目――
「あー」
六限目――
「…………」
暮会が終わってスキップでやってきた勇人の目の前にいたのは、全身をだらんとさせて意気消沈している俺の亡骸だった。
一度も見せたことのない様子に、さすがの勇人も焦った。
「ちょっ……ちょいちょいちょいちょい。大丈夫か?」
「あー」
「そんなに、悪かったのか」
「……見てみろ」
俺は最低限の言葉を吐き出し、返却された解答用紙をすべて表向きで机から机の上に取り出した。
それを見た勇人は――
「うげぇ。これは流石に……」
言葉を失っていた。
俺もここまでは予想外だった。
一教科たりとも、平均を上回っていなかったのだ。
中学時代に頑張って勉強してこの学校に入り。はじめは学力トップ層にいた俺は、二次元にうつつを抜かした結果ここまで落ちぶれてしまったのだ。
ほかのみんなが授業外で頑張っている数時間を、俺はすべてほむらに捧げた。
試験準備期間にも関わらず、彼女の絵を描いたり、彼女の登場する作品を三周ほど一気見したり、一日目のテスト帰りに街中に彼女のグッズを探しに行った結果がこれだ。
「どうすんの?」
「どうすりゃいいんだろうな」
何も思いつかなかった。
こんな成績をとったんだ。何かしらの罰が下されるに違いない。無論、彼女たちとの関係性に大きく影響するものだろう。
「とりあえず……家帰るわ」
「……おう。頑張ってな」
「……あぁ。ははは」
別れ際に出たのは、普段からそこまで明るくないと自負する俺だとしてもあまりに低く力ない笑い声だった。
「――ただいま」
「おかえりなさい」
家に帰ると、玄関で母が待ち構えていた。
「ただいま」に対してノータイムで「おかえり」が返ってきたことなんて今までなかった。
これは母様うっきうきですわ。
平常運転からの負のテンションならまだしも、このハイテンションから落とすとなると、完全に終わったとしか言いようがない。
「じゃあ、結果――見せて?」
「……あい」
俺は一切抵抗せずカバンから回答用紙一式を取り出し、母に差し出した。
その点数をパッと見た瞬間の母の表情の変わり様を、俺は絶対に忘れることはできない。
「とりあえず、お話ししよっか?」
「はい」
これ以上会話は必要なかった。
無言の圧に押されて、僕は母とともにリビングへと向かった。
「それで、これはどういうこと?」
「……どういうことと言われましても、こういうこととしか」
俺がぼそぼそつぶやくと、母はバンっと机を叩いていきり立った。
「そうじゃなくて! なんでこうなってんのかってこと!」
「…………」
「なにか言いなさいよ」
「…………」
俺は黙っていることしかできなかった。
彼女にかまけていたせいだとは、口が裂けても言えなかった。
いつまでも黙っている俺を見かねてか、母が立ち上がり俺の部屋へと向かっていった。
俺はそれに黙ってついていった。
そして部屋に入って母が一言――
「これ全部はがして」
「――え?」
咄嗟に出たのは疑問の声。言われた言葉の意味がよくわからなかった。
「次の定期試験で学年トップ十に入れるまでこの子たちとそこの本は没収します」
「そっか」
思ったより抵抗する気は湧かなかった。
自分に非があるのは重々理解しているし、このくらいの処罰は下るだろうなと想像していたから。
「でも絶対に捨てはしないから、勉強頑張ってね」
「うん」
厳しい罰の中にこういう優しさを織り交ぜてくるから、本当に泣きそうになる。
「私は剝がすの怖いから、自分で剥がしてね」
「わかった」
「夕食準備するから、できるまでにお願い」
「うん」
そう言って母は部屋を出て行った。
ひとり残された僕は、部屋をぐるりと見渡した。
相変わらず壁にも天井にもクールだったり可愛かったり様々な彼女が僕を包み込んでいる。
これだけの量を夕食までに剥がせというのか?
まったく。難しいこと言ってくれる。
心中で文句を言いながらも、僕は作業を開始した。
これは一過性のものだ。そしてこれは戒めだ。
この出来事を心に強く刻んで、これから挽回していくんだ。
そして僕は、一枚、また一枚と彼女たちを部屋から引き離していく。
ひとりも傷つけないように丁寧に――
そしてひとりひとりにお礼と謝罪を添えて――
僕は小学五年生のあの日以来、毎日ともに過ごした彼女たちとお別れをした。
初めまして!
V-iii所属5期生10月組の氷室ルイです!
普段は学生生活の傍ら毎日IRIAMにて配信を行っています。
基本的には短編のみを投稿する予定です。
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次回をお楽しみに!