第二話 潮汐ロックミュージシャン
光のようなものすごい速さで動くと時間の流れが遅くなるって話、聞いたことないかい?SF映画なんかで時々使われる設定だよね?これは本当のことなんだってさ。例えば、駅とかで目の前を新幹線が通り過ぎると、ものすごいスピードを感じるよね?でも、線路沿いの道を車で移動中に新幹線に追い抜かれるときは車のスピードの分だけ新幹線が少し遅めに見えるはずなんだ。ここまではなんとなく経験あるよね?次は、動いているのが新幹線ではなく『光』として同じ話をするよ。この光というやつの速度を見てみると止まっている人から見ても、高速で移動するロケットに乗っている人から見ても同じ速さに見えるんだそうだ。そんな訳ないだろ?ロケットに乗っている人はロケットの速さ分だけ光がゆっくりに見えなければおかしい。っと思うところだがこれはすでに証明された事実なんだそうな。
距離=速さ×時間
この公式は小学生で習うよね?止まっている人から見ても、高速で動く人から見ても、光の『速さ』が同じという事は『時間』の流れが変わってしまったという事になるという訳だ。
時間の流れがどれくらい変わるかというと、光の速さに対する比の2乗を1から引いたものの平方根だそうだ。つまり光の速さの99%の速さで移動するロケットに乗っていた場合は、
0.99の2乗 = 0.9801
この数字を1から引く 1-0.9801 = 0.0199
この数字の平方根だから √0.0199 ≒ 0.14
外の世界が1秒経過してもロケットの中は0.14秒しか経っていないことになる。
本当かよ?って思うのだけど、地球の周りを高速で周る人工衛星の中にある時計は、年間で9秒遅れるのだそうな。
ゆっくりと目を覚ますと・・・そこは夜。ここはグリーゼ887cの外面に位置する町 通称『夜街』だ。
松崎英栖はミュージシャンを目指す女の子だ。居酒屋でバイトしながら音楽活動を続けていたある日、彼女は移民志願者の募集記事に目を止めた。移住先の星はなんでも、永遠に夜らしいじゃないか。
ずっと真夜中でいられたら
空けない夜を求めて
松崎の好きな歌にはそんな歌詞がよく出てきていた。
彼女にとって夜というのは穏やかに過ごせる神聖な時間だった。仕事に追われて自由を失う昼から何とか抜け出し、夜の世界にいる間だけは自由と平穏を手に入れることができた。あるいは、憂鬱な時間となったとしても、それが夜であれば幾分は良かった。思い通りにならない現実をひたすら思い悩み、出口のない思考を巡らせる。そんな不毛な夜の中から取り出した言葉を紡いで、彼女は歌を作っていた。
彼女はいち早く志願したため、一般人の中では最初の移民集団となった。早めに移住することにはいくつかのメリットがあった。その中の一つが、昼街と夜街のどちらに住むかを選択できることだ。11光年も離れた場所へ行くのだから、もう戻ってこない覚悟が必要だ。両親や兄弟は猛反対したが、彼女は単身で移住することを決めた。彼女はずっと求めていた『空けない夜』をついに手にしたのだ。それはまるで異世界転生した主人公のような気分だった。
空けない夜。ついに手にした夢の世界・・・のはずだった。
とても当たり前なことだが、人は生きるためには働かなければならない。たとえ朝が来なくても、一日というものは始まってしまうのだ。
松崎は真夜中に目を覚ますといつも思った。
人類は移住をする際にとんでもないミスを犯した。
この星に『時計』だけは持ってきてはいけなかったんだ。せっかくの真夜中が台無しだ。午前9時の真夜中って一体何だよ!
松崎はよろよろと布団から出ると、バイトへ行く支度を始める。午前10時から居酒屋でバイトをするのだ。
大丈夫、諦めるな。この星でミュージシャンとして成功すれば、バイトをやめて、時計に縛られず、ずっと真夜中の世界を楽しむ生活がおくれるはずだ。
大丈夫!空けない夜はない。希望の光は必ず・・・あ、空けない夜にわざわざ移住したんだった。
朝はまた来る 日はまた昇る
この星では、そんな歌は流行らない。朝が欲しいなら朝へ行くしかない。自分の意志で、日の光のさす場所へ赴いた者のところにだけ、朝はやってくるのだ。
欲しいものがあるのなら取りに行け
夢を見るのなら行動もしろ
潮汐ロックは松崎に厳しく、大切なことを教えてくれた。
松崎は歯を食いしばる。なぜなら、諦めることなど既にできないのだから。
光の約99%の速度を誇るS4を以てしても11光年の距離を移動するのには約11.1年もかかる。ただ、S4に搭乗している乗客は時間の流れが変わってしまうため、約1.6年しか時間が進んでいない。
地球とグリーゼ887cの移動に関しては、基本的に片道切符とされている。一度高速移動してしまうと時間の流れから置いていかれてしまうため、仮に地球へ戻ってももう元の世界には戻れない。往復すると20年以上置いていかれるため、親兄弟とも友人とも、もう昔の関係には戻れないだろう。つまり、夢を諦めて実家へ帰る。ということはもうできないのだ。
潮汐ロックの憂鬱なる夜、その中から取り出した言葉を紡いで、今日も彼女は歌い続ける。
あぁ、ついでに捕捉しておくと、松崎の住む場所は夜街の中でも明け方のすぐそこ。歩いて一時間もすれば朝日が見られる程度の浅い夜。彼女は自分の居場所を『夜』ではなく『真夜中』と表現することが多いが、それはその方がカッコいいと思っているからであって本当の真夜中に住んでいる訳ではない。夜の深い所は気温が低くなる。なにせ永遠に日の当たらない場所だからね。松崎は『夜』は求めていたけれど、寒いのは嫌だなぁ・・・っというなんとも『ロックじゃない』理由によりギリギリ夜の明け方目前の街を選んだ。
時々朝日が恋しくなって近くの朝日町へ向かうのは、なんとなく恥ずかしくて誰にも言えない。