第一話 潮汐ロックサラリーマン
月は地球にずっと同じ面を向けたまま周っているんだってさ。月の自転と公転の周期が全く同じだからこんなことが起きるのだそうだ。これを『潮汐ロック』というらしい。広い宇宙においてこれは結構起きていることなんだ。つまり偶然周期が同じになった訳ではなく、理由があるってことだ。何でも星と星の重力が原因で起こるらしい。お互いが引っ張り合う力で、向けている面がロックされてしまうのだそうだ。そしてこれは重力が強いほど起きやすいんだとか。つまり星と星の距離が近いほど起きやすい。この潮汐ロックがもし太陽と地球で起きたらどうなるか?まぁ、太陽と地球はだいぶ離れているから、潮汐ロックは起きなかった訳だけど、この物語はそんな潮汐ロックが起きている世界の物語。
「本日よりグリーゼ887c朝日町支部インフラサポート課に配属になりました城塚 均と申します。つい先程、地球からこちらに到着したばかりです。できるだけ早く戦力となれるように頑張りますので、よろしくお願いいたします!」
パチパチパチパチ・・・。
簡単な挨拶が終わると、社員一同から簡単な拍手が贈られた。
「ようこそインフラサポート課へ。地球から来たってことは長旅でお疲れだろう。今日は簡単に社内案内が済んだら終わりでいいよ」
温厚そうな課長はにこにこしながらそう言った。
「課長、定時後は歓迎会ですよね!」
いかにも酒好きそうな男性社員が呑みの口実を見つけてうれしそうだ。
グリーゼ887というのは地球から11光年程の距離にある赤色矮星、えぇと、ちょっと弱めの太陽だと思ってくれればいいかな。で、それを中心に公転している惑星の一つがグリーゼ887cだ。弱めの太陽と、この惑星との距離はとても近いため、潮汐ロック状態にある。太陽が弱めであるため、距離が近くても気温は灼熱にはならず、水が液体で存在できる。つまり、人が住める環境というわけだ。
とある天文学者の研究により、地球の寿命はあと100万年程しかないという見積りが出てしまった。各国は新天地を求め宇宙開発に力を注いだ。その結果開発されたのが宇宙空間高速移動システム 通称『S4』だ。S4を使って人々は地球に代わる住みよい惑星を目指して移住を始めた。日本を含む十数ヵ国が新天地として定めたのがこのグリーゼ887cという惑星だ。
人々は志願者から順にゆっくりと移住を始めている最中だ。現状ではまだ地球の方が人口が多い状態といったところかな。
「お疲れ、昼休みだぜ。飯でも行こう」
気さくに話しかけてくれたのは、あの酒好きそうな先輩だ。
「え?もうそんな時間ですか?」
窓の外を見ると、朝に挨拶をした時と全く同じ位置、東の空に日が昇ったままだ。まるで時間が止まっているかのように。
「この星では外の明るさじゃ時間を感じられねぇんだよ。この辺りは一日中ずっと朝なんだ。だから『朝日町』って呼ばれている。この星でサラリーマンをやるとなったら、腕時計は必需品だぜ。それも24時間表記のやつがいい。午前と午後の区別も全くつかねぇからな」
潮汐ロックにより、この惑星は中心の赤色矮星(弱めの太陽のことね)にずっと同じ面を向けている。つまり内面半分は常に昼で、外面半分は常に夜という事になる。この場所は昼と夜の中間あたりに位置するため、常に朝という訳だ。日の出、日の入りが一日を区切ってくれないため、この星で時間を考えるのは難しい。グリーゼ887cの自転周期および公転周期は地球時間で言うところの21.8日。一日が21.8日続き、一年が21.8日で終わってしまう。いろいろ考えた挙句、地球から持ってきた時計とカレンダーをそのまま使うこととなった。
城塚は会社の近くの飲食店へ先輩と一緒に到着した。
「しかし、潮汐ロックの件は理解していたつもりだったんですが、実際体感してみるとすごい違和感ですね」
「まぁ、そのうち慣れるさ。何喰う?朝日町では24時間モーニングセットが食えるぜ」
面白い冗談だ・・・と地球にいたら思っただろう。全く笑えなかった。
さて、それにしても何を食べたらいいのだろう?城塚は周りを見渡してみた。
トーストにコーヒー、サラダのモーニングセットを食べている客、ざるそばにかつ丼とこちらはランチセットみたいなものを食べている客、ビールを片手に宴会をやっているグループもいた。
「ここにいる客たちは、皆が皆昼休みって訳じゃねぇんだよ。何せここは一日中朝だからな。暗くならないなら、いつ働いたっていい訳だ。ほとんどの会社がシフトを組んで早番と中番、遅番の24時間営業をしているんだ。つまり、勤務時間次第では今が定時後の人もいるって訳だ。そりゃぁビールも呑むってもんだろ。あぁ地球と違うのは早番だろうと遅番だろうと夜勤手当はつかねぇところかな。ちなみに俺達がその遅番だ」
遅番だったんだ。じゃぁ今は昼の12時じゃなくて、真夜中の12時なのかな?城塚は24時間表記の腕時計を明日にでも買いに行こうと思った。
先輩は生姜焼き定食を頼んだので、同じものを食べることにした。
「じゃ、午後も頑張れよっ!」
我々遅番にとっての午後(つまり午前1時くらいか?) が始まるようだ。混乱するのでひとまず時間について考えるのはやめよう。城塚は仕事に集中することにした。っといっても初日に厳しい仕事をふられるようなことはなく、社内ルールなどの確認だけで、一日は穏やかに過ぎた。オフィス内はどの部屋にもしっかりと時計が設置されており、屋内で作業する分には地球とほとんど変わらなかった。
「ようこそ城塚君!これから一緒に頑張ろう!カンパーイ!」
会社から程近い居酒屋にて、歓迎会は開始された。
ビールジョッキを傾けた後、ふと窓の外を見ると・・・そこには変わらない朝日がしっかりと輝いていた。
なんだか朝から飲んだくれているみたいな背徳的な気分だ。
いや、それが逆に、なんだかビールを旨くしているような気もした。