第8話 とある酒場で君と僕と
チャッチャッと指先で鳴らしているのは、黄金色に鈍く光る金貨だ。何代目かの国王の顔が刻まれており、その周囲をアーヴ国の刻印が飾る。
卓に置かれたランプの灯りが照らすそれを、ぎゅっと掴む。
「んー、全財産がこれか。しばらくは生きていけるけどやっぱり貧しいな。迷宮で金稼ぎなんて考える余裕もなかったし」
ボヤきながらぬるいエールに口をつける。
これは俺の隠し金だ。あれからさっさと役所に行って死亡扱いを取り消してもらったものの、やはり財産は戻らなかった。
ちなみに俺の記録には「死因:大蛙に丸呑みされた」と書かれており、そういえば蛙のそばに荷物を捨てたんだっけ、と思い出した。だってあのときは邪魔だったし。
外は暗くなり始めており、話し相手はおらず、店内では盲目と思わしき吟遊詩人が弦の調律を始めている。
味けなく、また人けのない酒場であったが、弦の響きは一定のリズムを刻みだし、やがて喉を震わせる。
じゃらんと弦を弾く指。空気の震えをかすかに伝えてくるそれを、しっとりとした女の声を乗せることによって美しい歌に変わる。
普通なら対価を得て披露するものだが、いまは調律の最中なのか、今宵の吟遊詩人は金銭を求めない。まばらに座る客たちも、女の発する歌声へ耳を澄ませるうちに言葉数を減らしていった。
酒場で出会うにしてはいい歌声だ。
俺もまた目を閉じて、迷宮を思う。
足元にはたくさんの輝きがあって、黄金色の波がたゆたう。満天の夜空と何ら変わらない美しい光景だ。
名も知らぬ彼女もこの歌を聞いているだろうか。
愚かにも迷宮に挑み続ける、陽気で楽しい者たちの歌だぞ。わずかな糧を得て、ぐっすりと眠りにつく歌だ。
ルンルンと弾むように黄金色の波はたゆたう。「旅人さん」と声をかけてきた彼女を思い、ふっとわずかに口元を緩ませた。
そういえばと思い出すのは魔剣の存在だ。
魔剣士ナザルの手にする魔剣フラウデリカ。迷宮を踏破して、以前と比べようもないほど五感が鋭敏になったいまなら彼女を感じ取ることはできるだろうか。
目を閉じたまま感覚をいつもより集中する。
視野を広くして、いつもよりずっとずっと広くして、アーヴ国領地のエツィオネ地区全体に感覚を広げてゆく。
魔剣は高名なものだと4振りあり、それ以外にも16振りほど現存している。
ナザル、ウッドゲイト、ギガフレア、ヨル。いずれもアーヴ国の命運を左右する存在であり、各々の持つ魔剣は強力だ。
黄金色の生命そのものといえる力を俺は感じ取れるようになった。迷宮の奥底まで入り込み、ささやかながらも持ち帰ることのできた力だ。
それらは地表に出てからもうっすらと漂っており、相反するように押し戻された場所、ぽっかりと空いた場所があることに気づく。
――白銀色? なんだろうこれは。
隠されているその奥に、迷宮とはまた異なる色があることに気づく。
いくつかの場所を覚えて、もうちょっと奥に探りを入れる。すると、そこに竜がいるのではと思える強い反応があった。
なるほど、これが魔剣というものか。確かな力を持っており、他の者たちと次元が異なる。内心で「ふうむ」と俺は唸った。
魔剣士のうち俺が居住地を知っているのはナザルくらいだ。自慢するようにでかい邸宅を構えているからな。
あとの3人は顔でさえもほとんど知らない。
どいつもこいつも化け物クラスで、ギガフレアは特にド派手だ。戦場一面を……。
「もっしもーし、起きてますかぁー?」
ぱちっと目を見開いた。
だれもいなかった正面の席に座るのは、まったく見知らぬ女性だ。
キツめの金髪を首元まで伸ばしており、眉の下、それと頬の辺りでそれぞれ刈り揃えている。やや病みがちに見える瞳は青色で、くりっと顔の角度を変えると極彩色に変わって見えた。
肌の白い女性に向けて、とまどいつつ俺は口を開く。
「あの、どなたです?」
「んんー? キミに見られたと思ったのに。違うのかなぁ。勘はいいほうだと思ったけど……」
クン、とすぐそばで匂いを嗅がれる音がした。
身のこなしがあまりにも自然で、警戒する間もなく懐に入られたものだから、わずかに遅れて俺はピクッと震える。
「いー匂い。キミ、変わった匂いがするね。なんだろ、懐かしい感じ。それで、なんでアタシのことを見てたの?」
狐のような目が上向いて、俺をじっと見つめてくる。
八重歯が長いせいか唇をむにゅむにゅとさせており、眼力の強さのせいで目をまったく離せない。
この圧力、この空気、そして俺の第六感がこう言っている。
「魔剣士ギガフレア……!」
当たり、と言うように彼女は笑みを浮かべた。
これが彼女との初対面だ。
二度と忘れられないだろうと確信する強烈なインパクトがあった。