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第6話 迷宮の奥深く

 やや高齢な男が迷宮を歩いていた。

 従えるのはまだ若い二人組の者で、頭からかぶっているフードの隙間から装備品が見え隠れする。


 先導する男がさりげなく二人の様子をうかがっているのを見るに、まだ道に慣れていない若者を指導しているのだろう。


 水先案内人のように働く彼のような者は、この迷宮近郊にあるエツィオネの街において貴重だ。経験を積んでおり、生き残る術に長けている。

 それだけに雇うには金がかかりはするものの、金を惜しんで命を失うのは愚か者だという意味を成すことわざは山のようにある。


 実際、この場に彼がいなければ、まだ年若い者たちは揃って命を失っていた。


「え、飲んではいけない水、ですか?」


「ああ、こいつはダメだ。こんこんと沸きだす清水に見えるし、喉がかわいていたらさぞ美味いだろう。だが、こう見えて魔物なんだ」


 どうやら彼の話によると、遅効性の毒を持つらしい。

 迷宮攻略者が死んだとき、遺体を焼くと骨さえ残さない者がたまにいる。不思議なこともあるものだと首を捻っている者も、同じように骨を残さない可能性がある。


 そういうときは、不可思議なこの魔物の仕業だ。

 体内で同化をして、徐々に人と魔物の境目がなくなってゆく。そう説明をすると男女の二人は驚きで仰け反った。


「魔物になっちゃうんですか!?」


「ははは、そいつにとっては死んでから気づいたんだから大したことはない。だが時おり、生きたまま魔物になる奴がいる。その瞬間はおっかないぞ。全身の皮がめくれていって、その内側は……」


 キャッ、わっ、と若い者たちは同時に悲鳴をあげた。

 なんだい、怖がりな奴らだ。そう案内人は思い、怖がらせたことに内心で愉快に感じながら「だから飲まなければ平気だと言ったろう」と口にする。


 しかし若い男のほうが指先を後ろに向けてくる。

 なんだろうと振り返った瞬間、彼はあまりの光景にびっくりした。


 そこには清水に頭を突っ込んで、ゴッゴッゴッと飲み干そうとする者がいたのだ。


「あああーーっ! うっめえーーっ!! サイッコーーだぜ、エリンギ……じゃねえ、この清水は!! っかーー、生き返るぅーーっ!!」


「な、な、な、なにをやってるんだお前は!! こ、こ、これを飲んだらやがて死ぬんだぞ!! いますぐ吐き出せっ!! こら、風呂みたいに浸かるんじゃない!!」


 そう怒鳴りつけると青年は「いたの?」という視線を向けてくる。

 やや違和感を覚えるのは、武器や荷物といった攻略者としての装備をなにも手にしていないことだろう。服のあちこちに穴を開けており、ざぶざぶと身体を洗い始めると垢がごっそり落ちていく。


 どう見ても攻略者とは思えない風貌であるものの、さっぱりと洗い流した顔は大人になりかけの顔つきをしている。

 しかしいくら危険だと諭しても、彼はまるで気にしていない。そうこうしているうちに、名も知らぬ者は清水からざばりと身を起こした。


「ごめんね、微妙な空気になっちゃって。えーと、良い子は真似をしてはいけません。では、お達者で」


 ニッと陽気な笑みを浮かべて、上半身の服を脱いだまま去ってゆく。


 裸足のまま武器のひとつも持たず、お風呂上がりのような気楽さで歩いてゆく姿はどう見ても異常だ。

 もうひとつ異常だと感じたのは、振り返ったその先、こんこんと染み出ているはずの清水が消え去っていたことだろう。


 あとには岩のくぼみしか残されておらず、残された彼ら三人はしばらく唖然とした表情で過ごすことになった。



     §



 ぼう、と指先が金色に光る。


 たぶんこの光は人に見えない。

 魔力とは異なり、また実際に光っているわけじゃないからだ。


 なんという名の術かは知らないが、五感で理解をしつつ意識の波動を放つ。すると透明なスライムは波打ち、さざめいて、形をだんだん変えてゆく。


 謎のスライムは大人しく願いを聞いて、俺の全身をすっぽりと包み込む。それから時間をかけて切れ込みの調整をすると、屈伸をしてもまったく邪魔にならない鎧となった。


「ん、さすがにちょっとは重いか。鉄よりはぜんぜんマシだけど」


 具合を確かめつつ、まだちょっと邪魔なところは切れ込みを増やして調整する。

 防具にはあまり詳しくないので、いつも愛用していたものと形を似せて、忍びやすいように色も黒で統一することにした。


「うん、これで前みたいに鼓膜が破れたりすることはなさそうだ。なら問題ないかテストしてみるか」


 うん、と頷いてから気配遮断を開始する。

 ズズ……と闇が広がるような感覚は、つい先日まで得られなかったものだ。これは生命のスープというものを知ってから、俺なりの理屈で技を構築しなおしたんだ。


 迷宮の奥底から届く黄金色の光は、ゆらゆらとゆらめいており一定の形にはならない。そこに触れないようにしてみると、いつもよりずっとうまく己を隠すことができるようになった……気がする。

 うーん、分からないな。気のせいかもだし、この迷宮だけの技かもしれない。


 とりあえず一歩ずつ進みながら隠ぺい術を改良してゆくとしよう。

 

 ずっと前、敵に見つからないと舞台裏を眺めている気分だなと思った。いまもまったく同じ気持ちだ。


 どろどろ流れてゆく溶岩を眺めて「おー」と歓声をあげる。


 長い年月をかけて産み落とされようとしている四足獣は、胎児のように丸まって明日の目覚めを夢見ている。


 日輪の輝きが常に頭上にある層には、新たな強敵を待ち受けているのか禍々しいオーラを放つ者が鎮座する。


 多種多様な生き物がたくさんいて、俺は観光気分で歩いていた。

 もはや通り過ぎた階層を数える気にはならず、よくこれだけの魔境を202層まで踏破する者がいたものだと他人ごとのように感心した。


 宙を漂う巨大な生き物は、もうどんな分類名称なのかさえ分からない。ゴッと大量の霧を吐いて、己の姿を隠してゆく様子をぼんやりと眺める。


 ここまで入り込めたのは、たぶんあまりにも弱いからだ。ときおり知覚されるのを感じたが、そいつらはついに襲ってこなかった。

 変わった奴もいるものだ。そう思われたのだろうか。しばらく観察された後に、ふぃっと頭上を泳ぐ魔物からの視線は外れた。


 隠蔽術は高まり続ける。

 意識をどんどん希薄にさせて、存在自体が消え去ったように見せかけて、それだけではまるで足りないから練度を積むのと同時に改良を進めてゆく。


 そんなことをしていたせいだろうか。

 やがて時間の感覚はあやふやになり、ハッと気づいたときにはかなりの距離を歩いていたりした。


 途中で人型のピンク色をした奴から「幽鬼か?」と問いかけられたが、あまりちゃんと覚えていない。


 そして気づいたら……歩くべき道がなかった。


 澄み渡った青空と、同じ色をした地表をぐるりと眺めて「ここはどこだろう」とつぶやく。

 水の香りが芳醇であり、吸い込む空気は清々しい。口の覆いを指でずらすと、火竜の新たな棲家になりつつある肺いっぱいに吸い込んだ。


 ふと背後に気配を感じた。


「こんにちは」


 挨拶をしてきた相手の姿はうまく見えない。

 清らかな空気と同じくらい美しい声で、驚いたのと同じくらい納得した。ここはたぶん……。


「こんにちは。ここが迷宮の終わりなのでしょうか?」


「ふふ、人はいつでも終わりを求めます。変わった生き物ですね。終わりが必ずあると信じているなんて」


 彼女こそ変わった存在だろうに。そう思うとクスリと笑われた。


「旅をして、海を渡り、世界が丸いことを知ったとき、人はどう思うでしょう。旅の終わりに気がついて安堵するのと同じくらい、実は悲しんでいたと思います」


「悲しむ、ですか?」


 さらりと髪を撫でられる。

 まるっきり子供扱いだが、きっとこれでいいのだろう。彼女に抗える者がいるとは思えない。


「ええ、あなたを見てそう思いました」


 言葉と共に笑いかけられた。顔は見えないけどそんな気がする。見知らぬ相手なのに、慣れ親しんだ者のように優しいことへ俺は戸惑う。


 見果てぬ大陸を目指した船乗りは、もう新たな発見はないと悟ったときにどう思っただろう。

 いまなら少しだけ分かる。


 この景色のように晴々とした気持ちとなり、また同時に終焉を感じ取る。

 気力も覇気も消え去り、あとに残るのは情景への思い。これだけの美しい景色を、俺は二度と忘れられないだろう。


 心の穢れが消えてゆく思いをしていたときに、ふと気づく。


「なぜ俺はここまで来れたのでしょうか。途中で見かけた魔物より、ずっとずっと弱いというのに」


「奇遇ですね。あなたとまったく同じ問いかけを、いま私もしようとしました」


 ぱちくりと俺は目を見開き、彼女はゆったりと上品に笑う。

 思わず吹き出すと彼女もまた笑みを深めた。くつくつとおかしそうに笑い、よほど楽しかったのか苦しそうにお腹を抱えながら彼女は顔を上げる。


「戦う相手がいなければ、あとは旅路を楽しむだけでしょうね。ふらりと訪れた旅人さん、あなたの目的は何ですか? ここまで何をしに来たのです?」


 くりくりとした瞳で覗き込まれる。いつの間にか表情を感じ取れるようになったのは、こちらの問題ではなく彼女が許してくれた気がする。


 気づけば手を握られていて、気づけば絶世の美女がすぐそこにいる。頭の芯がジンと痺れてまともに考えられないなか、俺は何を目的にしていたのかを振り返る。


 名も知らぬ女性は瞳を輝かせており、答えを聞く瞬間をいまかいまかと待っているようだ。

 見つめているうちに彼女は恥じらい、唇に笑みを浮かべたまま頬をわずかに赤く染める。とても魅力的な人だと思いつつ俺は口を開いた。


「えっと、魔剣を迎えるため、ふさわしい男になりたかったんです」


「……あらそうですか。では実りある旅で良かったですね。さようなら」


 なぜ不機嫌になったのか。

 それよりも急に暗転した視界に俺は戸惑い、彼女が何者なのかも分からないままお別れのときを迎えてしまった。


 唐突に途絶えてしまった景色に、俺は呆然として過ごす。そして、なんとはなしに指先をクンと嗅ぐ。つい先ほどまで彼女と繋がっていたところだ。


「ん、生命のスープとまったく同じ匂いだ。だからか。彼女に警戒心をまったく抱けなかったのは」


 迷宮に入ってからずっと、俺は彼女の匂いを嗅ぎ続けた。もっと嗅ぎたいと願いもした。

 深淵を覗くとき、深淵もまた……という有名な言葉がある通り、もしかしたら彼女も俺を見ていたのかもしれない。


 辺りは暗い迷宮に逆戻りをして、魔界もかくやという恐ろしい光景だ。しかし俺はというと、先ほど感じたのとまったく同じ晴々とした気持ちだった。


「ありがとうございます。また近くに来たら立ち寄らせていただきます」


「そうですか。では帰り道はお気をつけて、旅人さん」


 まだ拗ねた声でそう耳元に言われた俺は、びっくりしたあとに笑みを浮かべる。


 丸々一ヶ月くらいかな。

 長い長い武者修行になったけど、そろそろ帰還を果たすとしよう。


 そう思い、いつものようにスライム製の防具で口元まで覆う。


 帰りましょう、そうしましょう。

 軽い足取りで俺はまた歩き始めた。

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