第4話 火竜 VS 巨大蜘蛛(の観戦)
ハッと意識を取り戻して、寝ていたことに気づく。
どうやら冷たい地面にぶっ倒れていたらしく、身体に力が入らない。起き上がるときにベリッと剥がれるような音がした。
うむ、今朝もまずまず好調だ。
近くの隙間に身体を押し込んで、たっぷり一分ほど経つと地響きが伝わってくる。
周囲のピリついた空気といい、どこか硫黄に似た匂いといい、やはりというか嫌な予感通り巨大な竜がすぐ横を歩いていった。
鱗は焼けた鉄のような色と熱気を放っており、恐らく触れただけで肌が焼け落ちるに違いない。
あんなものを相手にするやつがいるなんて驚くなぁ、と思いながら俺は己の気配をどんどん消してゆく。
ズシズシという地響きは恐ろしいが、それよりも生と死の境界線のことを俺は意識する。見つかれば即死だが、見つからなければ問題ない。
火竜は強力だ。鉄の鎧をやすやすと溶かす炎を吐き、全身から発される熱で周囲の者は燃え上がる。いつでもどこでも焼肉パーティーを楽しめるご身分とはたまげたなぁ。
じっくりと観察をしているうちに、火竜はどこかに行ってしまった。
それから柔軟運動をたっぷり30分ほどかけて行い、身体が温まってきたあたりでようやく動き出すことにした。
しかし60階層半ばともなると俺の知っている魔物はいない。遠くから地鳴りがするし、大量の虫が這っているようなガサガサという音もする。とてもじゃないけど食える感じがしない。
えーん、お腹がすいて元気が出ないよぉ。
などと愚痴を吐いても仕方ないので、本日のお食事を求めてウロつく。
しかし、辺りの景色を眺めて「人間が世界を支配していると思うのは、単なる勘違いでは?」と思う。
身の丈8メートルを超える蜘蛛が巨大な巣を張っており、辺りには無数の人骨が散らばっている。その手前にはナメクジみたいなのが半透明の触角らしきものを広げつつウゾウゾと前進をしていた。地下67階層はもはや魔境と化している。
えーと、安全な領域は……うわ、真っ赤っかだ。
生と死の境界線が見えるなんて格好つけて言ったけどさ、こうなるともう蜘蛛の領域には死しかない。
どうしようかなぁ。見つかったらアウトかぁ。
おまけにいま持っているのは小道具くらいで、朝食の準備をする程度のものしかないんだよね。
となると様子見しかできないので、近くの石を手にすると蜘蛛の巣とは正反対の方向に思い切りぶん投げる。
その結果を見ず、俺は小道具をごそりと取り出す。
「はいはい、悪い子は燃やしちゃおうねー」
火打石を使い、ボッと蜘蛛の巣に火をつけた。
松明に使われることもあって火は舐めるように燃え上がる。勢いは凄まじく、炎の渦による熱気を感じてか先ほどの巨大ナメクジはさっさと逃げてゆく。
驚いたね。ものの数秒で死の領域はさらに膨れ上がり、もはや逃げ場はどこにもない。脳裏にビーッという危険アラームが鳴り響くのと同時に、かすかにだが感知系の術らしきものを感じ取った。
やはり単に巨大化した蜘蛛じゃないな。魔術らしきものを操るし、この魔境で堂々と縄張りを張っている。
などと観察しているあいだに、蜘蛛とは異なる危機が後方から近づいてくる。ズシズシと足音を響かせるのは、牙だらけの口に陽炎を生む存在であり、先ほどやり過ごした火竜だった。
石を投げたのは、あいつを誘い出す目的だったのだが……。
――ゴオオオオオオッ!
やべ、鼓膜が潰れた。
吠え立てられるだけで薄い鼓膜は耐えきれず、ブツッという音を最後に聴覚が死ぬ。代わりに足元からの振動を感じ取り、俺はおしっこを漏らしたい気持ちでいっぱいになった。
「化け物の対策は、もっとちゃんと練らなきゃだな。だけどいいのか? ここはあいつの縄張りだぞ?」
そう口にしたからではなく、第三者からの圧力により、真っ赤な目は頭上を向く。
のそりと現れた巨体は紫色の蜘蛛であり、胴体も手足も鋭角な形をしていた。禍々しさという点では、火竜よりもずっと上だ。
あっしは見てましたよ旦那、放火魔はこいつです!(嘘)
67階層の最強種、ボリッゾ・スパイダー。
対するは豪炎の放ち手である火竜。
勝敗は強烈にして一瞬だ。
ヴンッと複眼から放たれたのは紫色の禍々しい光線で、火竜の厚い装甲を貫いた瞬間、真上への猛烈な爆発を起こす。ズドオ、という重低音が響き、周囲一帯を爆風が荒れ狂った。
わずかに遅れて体内から響く破裂音は、衝撃によって潰れた内臓の音だろうか。
火竜にとって冤罪ではあるのだが、巣を焼かれた怒りはすさまじかった。数え切れないほどの目がやたらめったらに探知系の術を放ち、他に放火魔がいるのかを探している。もはやどこにも逃げられる領域などない。
周囲に死の匂いしか感じられないなかで、猛烈なまでのアドレナリンが全身を駆け巡るのを俺は感じた。
逃げ場はない。
死ぬしかない。
自分よりも大きな破片が宙を飛ぶなか、地上十メートルという高さで、ハッと気づく。
俺はバラバラになりつつある火竜の側面に立っていた。
聴覚を失い、耳から鮮血を流しつつも、ゴバリという破砕されてゆく振動を足元に感じる。そして、あの蜘蛛から逃れるため、唯一といっていい死角を探し当てたことに俺は気づく。
おっ、と思わず呻いた。
いまのはいい。悪くない。割と……常人とは思えない動きだった。
剣も持たない身ではあるのだが、以前とは少しずつ変わり始めていることに気づけた。
それと、火竜の焼きたてお肉を貰えたことにも感謝しないとな!
パンパンと手を合わせる。
ところ変わってここは俺の家、もとい瓦礫の奥にあった小さな空洞であり、さっきの化け物がいた場所からは遠く離れている。
いやいや、あんなの勝てるわけないし、さっさと逃げて正解だって。
いやぁー、興奮するぅー!
目の前にあるのは数日ぶりのたんぱく質もとい火竜のメディアムというかウェルタンというか、爆炎と衝撃でぐずぐずになったお肉です。
「いやぁー、食いたかった。一度でいいから竜のステーキを食ってみたかった!」
迷宮といえば竜だし、そいつのお肉を食べてみたいと思うのは当たり前だ。竜ってかっこいいし、その肉を食べられるだなんて人生の勝者そのものだよね。
……あいつ、コテンパンにやられてたけど。
「気にしない気にしない。ではいただきまーす!」
……かってえ。
歯が折れるかと思ったよ。なにこれ、肉汁が溢れる岩石かな?
あごを手でさすり、テンションがだだ下がりになりつつあるのを感じつつまた噛みつく。
なんだよこいつの筋繊維、ふざけてんの?
そう文句を言いつつも、俺だって調理をまったくしていない。お料理界を舐めているのはお互い様だった。
あっ、うん、分かった。
肉と思ったらダメなんだ。スルメかなにかだと思って、じっくり咀嚼したほうがいい。
なるほどね、分かった分かった。
すっごい顎が疲れるけど、まあ食えないこともない。にがいし食いたいと思うかどうかは別の話として。
「んっ!?」
ちょっとびっくりしたのは、俺の身体から煙が上がったことだ。
燃えているわけじゃなくて、お風呂から上がったばかりの湯気みたいな感じ。んんー? おまけに身体がポカポカする?
「なんだろ、うま味は少ないけど妙に後を引く。高タンパクなのは分かるけど……まあ、空腹は最高の調味料ってね」
もっくもっくと噛み、限界まで細かくしてから呑み込む。でないと弱っている胃がやられかねない。
あんぐともうひとくち噛み、それから瓦礫の向こうにある迷宮に目を向けた。
食料はなんとかなる。敵がウロウロしているし、さっきみたいに敵対を狙えばいい。
あとの問題は鼓膜が破れたりすることで、こればかりは人体としての欠陥というか、耐えられる限界を超えちゃっているのだからいかんともしがたい。
一週間ほど迷宮で過ごして得たものは、敵が感知できない「向こう側」に渡れる技を会得しつつあること、それから魔物の体液とかそういう変なアイテムコレクションだったりする。
水筒を手に取り、揺らしてみたが特に反応はない。あの不思議なスライムは生きているのだろうか。
色々と検証をしたいが、そのための場所を確保できないから宿題を後回しにしている。
まあいい。時間だけはたっぷりある。
地産地消というエコロジーな生活でもあるのだし、焦ってもしょうがないって。
かまへんかまへんと手を振って、それから地面に寝転んだ。