第33話 人喰いボッゾ
斧を持ったいかつい男。
そんなやつを目にしたら雑魚だと思うかもしれない。
なにしろ魔術師のように超常的な力を持っておらず、影に潜む暗殺者よりもずっと対処しやすい。
だがその認識は改めたほうがいい。
今日、いまこの場からは。
プンという蚊の放つ音のように小さかったのだが、どうやらそれは斧を振るう音だったらしい。
衝撃で髪の毛は引きちぎれてゆき、無意識下での回避をした直後、ボッゾの側面に着地したときには真横から斧が迫っていた。
これまで俺は、斧というのはなにかに当たるまで止まらないものだとばかり思っていた。鈍重なぶん破壊力があり、当たったものを粉々にするものだと。
しかし手首のスナップだけで、ボボボという心底ゾッとする音を立て、追いかけてくるのはいかがなものか。
少なくとも迷宮にこもる前の俺であったら、この時点で何度か死んでいるのは確かだ。
とん、と斧を肩に乗せて、ボッゾは感情のこもっていない目で俺を見る。俺が間合いよりも離れたから、というわけではなく言いたいことを思い出したような感じだった。
「以前、お前を殺すべきだと思った。いまもそう思っている」
「……そんなに憎たらしい顔をしてます?」
「さあな、その首をもいでから観察してやってもいいぞ」
まったくひどい話だと俺は呆れる。
ちょうどそのときに、隣の戦場でワッと沸く。海で大暴れをする猛者が、頭頂部から股までを真っ二つに切り裂かれたのだ。
エイイイッ! という覇気あるリサの声にあてられて、男たちはさらなる興奮を楽しんでいるようだ。
その様子にボッゾは溜め息を吐いた。
「見ろ、あいつは戦場のほうがよく映える」
「ですね。メイド服があれほど似合わない人はいないでしょう」
彼に賛同したというのにギロリと睨まれた。なぜなのか。
「これが最後に見る光景とはな。もったいねえ」
人喰いと恐れられた彼が、そこまでしみじみと言う様子に俺は驚く。
恐らくは女戦士に執着しているのだろう。
どのような感情がその胸のなかにあるかは分からないが、わずかな希望を込めて俺は問いかける。
「彼女を助ける方法はありませんか?」
無視されるかと思ったが、ボッゾはしばし熟考する。
しかし、吐き出したその言葉を俺は理解できない。
「……国をひとつ滅ぼす覚悟があるのなら別だ」
つまり不可避なのだと態度で示しているが、なにをどう考えてその結論に至ったのかまったく分からなかった。
答えあぐねていると彼はゴツい指で斧を握り直した。
「まあいい。俺はコッチしか能がない」
そう言うや独特な形状をした斧を振りかざす。
すでにボッゾから心理的な葛藤は感じられない。どうすべきかはすでに決めている気がする。
と、睨みつけてくる目がわずかに開かれた。
「おまえ、それは……」
え、気になります? 首から顎先までじわじわと黒色を広げさせつつある光景のことが。
人喰いボッゾの力量を先ほど見たばかりだ。ヴァイキングに対処するべく、服の下にいるエリンを操って形状を変えつつある。
指から肘まで、そしてつま先から膝までを厚めにして、ここだけは衝撃特化にさせる。少なくともこれまでとまったく異なる戦い方をしなければいけないからだ。
男がなにかを言いかけた瞬間、目にも止まらぬ速度で斧が頭の上を抜けてゆく。かと思いきや真上から振り下ろされる軌道に変わり、どんなでたらめな筋肉をしてんだよと俺は舌打ちをする。
もはや受け止めざるを得ず、手甲に斧が食い込んだ瞬間、ばしゃあっと俺の手のひらからトゲ状の広がりを見せる。
これはエネルギーの意図的な拡散だ。
しかしまだまだ練習中でもある。
未熟な技だということを示すように右手側の指はすべておかしな方向にへし折れてしまった。
だけど成功した部分もあり、斬撃が俺を通過するようにして、背後の地面をボコンと大きくえぐらせた。その光景はさすがのボッゾも怪訝な顔を見せていたよ。
「……おかしなガキだ。足も折っておこう」
振り下ろされた拳が太ももに食い込み、ボキンと鳴ると同時に激痛が起こる。歯を食いしばってそれに耐えなければならなかった。
やっぱダメだ。まだぜんぜんこなせない。
分かってはいたが、俺の望むタイミングで攻撃がこないとまったく対処できない。
「俺の望むタイミング……俺の……」
ぶつぶつとつぶやく俺を気色悪いとでも思ったのか、ボッゾは斧で横薙ぎにしようとする。だけど、どこを狙うかはまだぜんぜん分からない。あいつは途中で急に軌道を変えるんだ。
ああ、久しい感覚だな。
もうすぐ死ぬという感覚は何日ぶりだろうか。
瞬間的にアドレナリンが駆け巡り、身体の痛みが勝手に薄れてゆく。そして俺は足をふらつかせたそのときに……ふっと姿を消した。
――絶界。
いかなる者であろうと俺を認識できない世界に入り込み、だが俺は相手を金色のオーラとして見ることができる。
攻略者たちはたっぷり地下迷宮の空気を吸っていて、だから正確に位置や動きが分かるのだ。
「つまり、タイミングを俺が決めれば対処できる」
ひたりとボッゾの胸に手をつける。
瞬間的に斧が飛来してきたのだが、しかしこれはもうどんぴしゃのタイミングと言うほかない。つまりは絶界を解いた瞬間であり、今度こそ意図通りにボッゾを動かせた。
俺の位置と体勢から、ボッゾが狙える位置はもう胴体しかない。そして、あらかじめ決まっているのなら対処は非常にたやすい。
衝撃は指のおかしな俺の手に吸い込まれて、肌を覆うエリンを通じて流れてゆく。右手から左手へと渡ったものは、そのまま人喰いボッゾの胸でベキボキンという破砕の音を立てる。
胸骨のうち3本がへし折れるのを俺は知覚した。
「……ッ!」
なんだいまのはと分析する間など与えないぞ。
反対の側面、ボッゾの影からぬうっと姿を現して、今度もまた相手の斧を誘う。気が焦っていたのだろう。先ほどよりもたやすくエネルギーを伝えることができた。
――ばズズンッ! ッ!
ボッゾの頭部、腹部にそれぞれぺたりと手で触れて、急激な内圧上昇を誘えたことを俺は知覚する。
通ったという感覚が確かにあり、ぱちりと目を開いたときにボッゾは人体の限界まで身を仰け反らし、宙に浮いていた。血煙が起きているのは、圧力で肺が破裂したのだろうか。
「できた……リサ、飛べっ!!」
タタンッとヴァイキングの肩と頭を踏み、リサは見事なまでの跳躍をして見せる。その瞬間に俺は体内の火竜に命じて、ごおうと灼熱吐息を撒き散らした。
――ゴッ!!!
衝撃もまた一瞬だ。
こちらを向いた男たちはみな呆けた顔をしており、直後、真上への衝撃波によって身体をバラバラにさせてゆく。ドズン、ズンと大気が震えて建物がひしゃげるや、無数の壁材を辺りに撒き散らしていった。
§
ボッゾは貧しい集落で生まれた。
冷たい雨と雪にじっと耐え忍ぶような生活をして、春になると先祖代々から伝わる行事として大海原を渡り他国に攻め入る。
勇猛果敢であれば神の祝福を受けるという。
人を殺すと褒められるし、そのための技術を会得するのも得意であった。やがて戦果を認められてボッゾは小国の英雄ともてはやされるに至った。
大国であるアーヴ国に飲み込まれるその瞬間までは。
いつしかヴァイキングたちは私掠船に乗せられて、諸国の海路で荒れ狂う部族となった。
いつしか子供たちがあまり生まれない国になっていた。
いつしか笑うことのない日ばかりになっていた。
まぶたを閉じると若き日の英雄としての姿が蘇り、そのときを懐かしみながら彼は迷宮で斧を振るった。
敵を倒し、奪う。
シンプルであり、かつ人生の醍醐味を覚える行為だ。
しかし賞賛を受けることは一度もなく、彼の心は凍てついてゆく。
そのような日々のなか、ついに毒を盛られた。
普通の毒ごときで命をおびやかされることはない。だがこのときは「眠り姫」と呼ばれる高価なものが使われて、まぶたを閉じれば死に至るという呪いが込められていた。
「おいで」
目を閉じぬまま夜を過ごして憔悴してゆく日々のなか、手を差し伸べてきたのはリサだった。
体重が3割ほど減ったときで、足がフラフラのなか見知らぬ解呪の店に連れられてゆき、気がついたときには彼女の太ももの上に寝かされていた。
「起きたの? いいからそのまま寝ていなさい」
目にクマができているリサを見て、このとき彼は悟った。
奪い、殺し、英雄になりたかったわけじゃない。己よりも大事な人を見つけて、ただ愛する家族が欲しかったのだと。
人前で泣いたのはあのときだけで、よしよしと頭を撫でてくれたのも彼女だけだ。
だからこそ魔剣士ナザルから追われたとき、彼はこう考えた。
花嫁として俺の国に呼べば、あいつの手は届かない。
だが、魔剣士の機嫌を損ねたとしたら未来はない。アーヴ国との仲が決裂する可能性があり、そのときは俺の国が亡ぶ、と。
ぱちりとボッゾが目を開いたとき、辺りには惨状が広がっていた。
空から無数の塵が降っており、あちこちで炎が上がっている。海の仲間たちの遺体はもはや原型をとどめておらず、手足や腸を枝にブラ下げていたりした。
「……勇猛な死を迎えたか。うらやましい」
肺がつぶれておりうまく声にできなかったが、幸いなのはまだ目が見えることだ。
すぐ近くに立っていたのはリサで、ビリビリになったドレスを着てじっと見下ろしている。
「……あのときは、世話になった」
「いいわ、私がしたくてしたことだから」
ふっと笑う余力があって良かった。
自国を亡ぼすようなことをしなくて良かった。
あの若者に勝てないのも初手で悟っていたのだ。廊下ですれ違ったあのときでなければ、もう敵わない予感があった。
ならばもうこれしか道は残されていない。
道半ばで旅を終わらせる。英雄に憧れ続けた男は、戦場でも大海原でもない場所で命を落とせばいい。
だがその前に、意識を失う前に、どうしても伝えておきたい言葉があった。
「旦那の狙いをあのガキに伝えたのか?」
「いいえ、まだ」
「そうか。なら早いとこ言っておけ。でないと後悔することになる。そう俺の勘が言っているんだから絶対にそうしろ」
しばしリサは押し黙り、それから男に「ありがとう」と口にする。
だが、もうそのときにはヴァイキングは還らぬ男となっていた。