第3話 謎のスライム
いくら気を張っても死力を尽くしても、すべての敵に見つからないなんて不可能だ。
敵それぞれの感知方法は異なり、視力、聴力、嗅覚、熱探知、生命力感知、第六感、精霊の動き、魔力、魂を見るなどの特殊能力……などなどあげ出したらキリがない。
だから迷宮への潜入を試みた時点で俺の死は確定しており、だけど心は死に抗おうとし続ける。
やがて俺の踏み入れたことのない領域まで及んだとき、純粋な恐怖がやってくる。
のしのし歩く大型獣は銀色で、あれは血を吸ったときだけ赤く染まり、どういう理屈かは知らないが敏捷性が異様に高まるんだ。
そいつがたいして足音を立てずに歩き、俺のいる辺りに目を向ける。
死がすぐそこにある恐怖というのは果てしない。抗おうといくつも脳裏に送ってくる策は、これまでに培った俺の経験則が導き出される。そして最も強いプランは「逃げろ」というたったの3文字だった。
忘れよう。
これまでのことを全部忘れよう、いいね?
俺とあいつは距離にして約30メートル。
常人であれば襲いかかってくる距離だが、俺の隠蔽術と身を隠せる遮蔽物のおかげで助かっている。
では、死の境界線はどこにあるだろう。
あと1メートル? 2メートル? 俺には分からないし、たぶん誰にも分からない。武器も持たずに潜入する者など他にいないだろうしさ。
では観察だ。
息を殺して様子を探る。
しかし視野を狭くしてはもったいない。周囲の状況を立体的に捉えて、他の仲間や魔物がいないかを割り出してゆく。
このときは意外にもすんなりと立体的な絵が見れた。俺自身は極めて冷静なつもりだったが、死の直前まで追い込まれたことで集中力が異様に高まっていたのだろうか。
頭の栄養素、糖分が欲しいな。
高いからなかなか買えないけど。
そう悠長に考えながら、ぬるりと俺は闇のなかを移動する。
やがて俺の立っていた位置に、異なる銀狼が姿を見せる。
気配を探っていた最初の一体も、仲間を見て「なんだぁ」と言うような気の抜けた顔をする。カップルかどうかは知らないが、二頭はそのまま連れ添って歩いて行った。
そんな様子を眺めながら俺は口元の覆いを外す。
いまちょっとだけ死の境界線が見えた。見えた気がする。
生と死の境界線に立ち続けたことで、俺の知らない感覚が目覚めかけているのだろうか。
緊張によって痩せこけつつある頬をさすり、悲痛さも喜びもない顔つきで俺はまた迷宮の奥底へ向かい始めた。
§
潜入を開始して2日目。
不思議な奴に遭った。
ぼこぼこと形を変える半透明の生き物で、たぶんスライムの亜種だと思う。
溢れるような水の匂いを運ぶ奴で、恐らくはあの匂いで他種族を呼び寄せている。
喉の渇きを癒そうと近寄る者に、ちょっとした悪意ある液体を与える。そういう性質をしているのだろう。
半日ほど観察をしても生と死の境界がうまく判別できない。もしかしたらと思って近づくと、やはりそいつは俺を認識することができなかった。
「水みたいな存在なのか。地下50層からは水筒の水を飲むように徹底しているのは、もしかしたらこいつのせいかもな」
試しに隠蔽術を解くと、ようやく俺を認識できたらしい。驚くことにそいつは近くのくぼみに近づいて、こんこんと湧き出る地下水のような形状となった。
へえ、面白い。こんな生態系もあるのか。
何も知らなかったら近づくし、喉の癒しを得るだろう。初見殺しとは正にこのことだ。
しばし悩み、手持ちの水筒の中身を空にする。それから液体に触れないように注意しつつ、謎の生命体を水筒に収めた。
いい子は触ってはいけません、という感じだけどさ、とにかく今は誰もやらないことをやってみたいんだよね。
「そろそろ街まで戻る……いや、時間がもったいない。今夜もここに泊まるか」
このまま山籠りならぬ迷宮籠りをするか。
水はいま尽きたし食料も乏しいが、まあなんとかなるだろう。