第28話 魔剣士さまにご報告
ずんずん肩を怒らせて歩いてゆくアーイカを追うのは簡単じゃなくって、何度話しかけても「知らない」「死んじゃえ」「無視」の3パターンしかない。
普段ならいざしらず、びしょ濡れになりながら屋台の食事を抱えているため早足で歩くのも難しい。漂うオーラも怖いので、十メートルほどの距離は一向に埋まらない。
胃のあたりがキュッとする思いをしていたときに彼女は玄関を開ける。
あかん、締め出される。そう思っていると彼女は俺を睨んできた。
「はやく! 締めちゃうよ!」
「はい! いますぐ!」
たたっと小走りをして玄関をくぐると、彼女はバタンと閉じた。
おっかない顔は相変わらずだけど、薄暗いなかアーイカは不機嫌そうに口を開く。
「先にお風呂入るから。ご飯はそのあとでいい?」
もちろんもちろんとうなずいて、そこらのテーブルに物を置いてから俺たちは脱衣所に向かった。
ここの集合住宅は上下二階がアーイカのもので、階段を下りてゆくと浴室などの水関連を扱う設備がある。
以前は光ゴケの明かりをつけていたが、今日は外からの日差しがまだあるので必要ない。
いつの間にか湯を張ってあったらしく、えらい準備がいいなと感心しつつアーイカと背中を向けあって服を脱ぐ。
「あとでちゃんと洗うよ」
「いい。別にそういうことタロちんにして欲しいわけじゃないし」
まだふてくされているものの、さっきよりも会話をしてくれることに安堵する。
手を引かれて、アーイカのきれいな背筋とお尻を眺めながら俺は浴室に入ってゆく。
歩きながらアーイカは湯船の周囲にあるものを順に触れる。
花がらの詰まった瓶を手に取ってお風呂に入れたり、棚にあった道具を取り出すと線香のようなものに火をつける。
もうもうと漂う煙は湯気に乗り、浴室内に満たされてゆく。とたんにエキゾチックな雰囲気に変わったことに俺は驚いた。
このあいだは暗かったが、単なる風呂をこういう風に準備していたんだな。
なにも言わずにアーイカは椅子に座ったので、俺はどうしたらいいのか分からず第六感に救いを求める。すると「ご機嫌を取れ」と囁かれたので、すぐさま行動に起こす。
花がらから色素がにじみつつある湯船からお湯をすくい、顔にかからないよう注意しつつかけてゆく。
それから前に使ってもらった香ばしい液体の入った瓶を手に取り、髪の毛を丁寧に洗い始める。
ちらりと見つめてきた瞳はどこか嬉しそうで、もう少しだけ俺は安心することができた。肩といい、背中といい、まぶしいくらいだからぜんぜん気が抜けないけど。あまり見てはいけないという意味で。
「首のケガ、治すの大変だった?」
「ん? んー、そうでもなかったと思うけど意識がぜんぜんなくってさ、気がついたら橋の下にうずくまってた」
「そうなんだ。やっぱりタロちんはおかしいけど、無事で本当に良かった。あれからずっと眠れなかったし、明るい時間はいつも町中走り回ってたから」
そう言われてみると顔色が良くない。目にクマができているし、泡だらけにされてゆくのを気持ちよさそうにしている。
殺されかけたけどアーイカが優しいと思う気持ちはずっと変わらない。本気で怒らせると大変なことになるけど、その恐ろしさがそこいらを歩いている熊よりも上というだけだ。
髪の毛を洗い流して、今度は身体を洗ってゆく。そのあいだもアーイカは大人しくて、たまにちらちらと見つめてくる。
「タロちんは女の人とつきあったことある?」
「前にも言わなかったっけ。ないよ。アーイカは?」
「ないない、ありえなーい。そんなことできる立場じゃないし、誰かと一緒にずっと同じ部屋にいるなんて考えるだけで疲れちゃうし。あ……、それ、もっとして……」
グイと肩を揉むとアーイカは呻く。
最近はとにかく体幹に意識を向けているので、こういう淀みというのかな、不健康なところには鼻が利くんだ。
もっとしてという命令だったので、後ろから肩をがしりとつかみ、半ば羽交い絞めのように固定してから揉みほぐしてゆく。
健康に近づくのはどんなことでも気持ち良くて、瞳をつぶったままアーイカは唇をわななかせる。
血色はどんどん良くなってゆき、蒸気熱もあって汗がしたたり始めたときに彼女は瞳をうっすらと開いた。
「ナザルのとこの潜入作戦は失敗?」
「そうだな、追い出されちゃったし。あんまりいい情報は拾えなかったぞ」
ひと段落したし、これまでにあったことを報告しておくか。いちおうと潜入準備のために金を使ってくれたんだし。
「あいつが仲良くしていたのは王族のシャロット姫、他にも多くいたけどそっちは完全に遊びだろうな。魔剣との相性が悪くて調整をするため迷宮に向かったが、ほぼ初心者むけの低階層で離脱するという体たらくを見せた」
「へえ」
リラックスできる環境のせいか、アーイカの頭脳が働き始めたように思う。情報を吟味して、一見ばらばらに見えるものから法則というか答えを導き出そうとしているのだろうか。
では考えるための材料を俺も与えていこう。これまでにあったことを整理しつつ、ひとつずつ口にしてゆく。
「ナザルは相当な財宝を溜め込んでいたな。残念なことに俺たち使用人にはほとんど還元しなかったけどさ。配下は俺が観察した限り、人喰いボッゾ、魔術師の三人の王、盗賊王デヴィット……は成れ果てに殺されたか。あとはこのあいだアーイカも会った女戦士リサ・オウガスター」
ふんふんとアーイカは機嫌良さそうに鼻を鳴らす。これまでになかった情報がいくつかあればいいんだけどな。
仲良くしていた商人たちの名前も順に伝えていくが、あまり面白いものはなかったのか彼女の思考はマッサージに寄ってゆく。
もうひとつ、ふと思い出すものがあった。
「それと……昨日だったかな。魔剣士ヨルと会った」
「はあっ!?」
それまで夢見心地で聞いていたアーイカは、バッと勢いよく振り返る。
同じ魔剣士であり、人々の噂では魔剣士ヨルとギガフレアは同列だ。なぜそこまで驚くのだろうと俺は呆気にとられる。
「あいつ、存在するの!?」
「え、たぶん。アーイカのほうが詳しいんじゃないの?」
「いや……うん、そうなんだ。へえ、どんな顔だった?」
おや、と思う。
興味津々なのを隠そうとしているし、俺たちの潜入作戦は手ひどい失敗だったにも関わらずものすごく瞳を爛々と輝かせている。
そして第一声で求めた情報が「魔剣士ヨルの顔」なのだから、いろいろと邪推しちゃうよね。たとえば……。
「アーヴ国は魔剣士ヨルを英雄だともてはやしているが、だれ一人として顔を見たことがない。それはなぜか」
この場の情報と記憶だけで推測立てているが、恐らくはアーイカの知る真実と一致しているのだろう。青い瞳は輝きを増しており、もはや己の裸体を恥じる気配はみじんもない。
「答えは、この世界に存在しないからだ。もちろん会った者などいない。この俺を除いて」
狐のような瞳は細められてゆき、唇は笑みの形を浮かべていた。
んっふっふ、と嬉しそうに笑うアーイカは、バスローブを着てご満悦の様子だった。
たっぷりマッサージをしたせいか身は軽やかで、お風呂掃除をしている俺にじゃれついてくるなど、入浴前とは正反対の様子になっていた。
「タロちん、タロちん、キミって何者なの? このアタシが何年も調べていたのをたったの三日で尻尾を掴んじゃうなんて。んもー、なっちゃおうよ。アタシの部下になっちゃおう? ね? ね?」
「……友達って話はどこいったんだよ」
カビ対策もあるのでさっさと掃除を済ませたい俺は、脱力気味にそう言う。するとアーイカは唇をとがらせた。
「だって、急にいなくなっちゃうんだもん。友達ならそれでもおかしくないけど、なんか嫌だなって思ったし……それに、お金とか欲しくないの?」
「んー、悪い。アーイカを上司にしたくないというか、言いたいことを言える仲がいいんだ。なんというか、俺にとっては特別だから」
しばしの静寂があり、俺は失言したのだと悟る。
後ろから抱きついていたアーイカは、これまでの饒舌さが嘘のように無口になっていた。
直情的な人だ。
そして、もしかしたら彼女はものすごく強い感情を持ち合わせているのかもしれない。
そうと気づいたのは、がらんと転がる桶の音を聞いたときだ。
あお向けに押し倒された俺は、呆然とのしかかる女性を見つめることしかできない。
肌が白いぶん肌は真っ赤に染まり、まだ湿ったままの髪をぱらりと垂らす。香油の残り香のなか、夕方を迎えて薄暗くなりつつある浴室で彼女はこう囁いた。
「アタシも特別、だよ」
湯のように温かく、そしてはずむような唇の感触をそこで知った。
息苦しさに耐えかねて離れてゆくその瞬間まで。