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第26話 果ての領域、世界の境目

 首のあたりになにかが入ってくる。

 それは形のないものであり、だからこそ難なく肌をすり抜ける。かすかに甘い香りを発するそれは、黄金色の粒子を残して消えていった。


 ぱちりと目を開く。

 視界は真っ暗だ。それでいて足元は明るく、黄金色の波が漂う。


 なんだろうここは。

 夢を見ているのだろうか。


 首に触れてみると痛みはなく、こきんと鳴らしてから素足を黄金色の波につける。

 わずかにも沈むことはなく、しかし硬い感触も得られない。おかしな感じだなと思いつつ、俺はゆっくりと歩き出す。


 最初、目に入ったのは小さな子供だった。

 髪を背中まで伸ばしており、棒で地面に絵を書いている。明るい髪は手入れをまったくしていないらしくもさっとしており、振り返ったその顔も髪になかば埋もれて見えた。


 ぼんやりした瞳に見つめられることしばし。

 こくんとひとつうなずいて、小さな子はなぜか俺に近寄ってくる。クイと袖を引いてきたけど、なにをして欲しいのかまったく分からない。


「迷子かな。えーと、なにをして遊んでたの? 名前は?」


 ぼうっとした表情を向けてくるものの、答えてくれる気配はない。

 どうしたものかと思いつつ、その子が描いていたものに目を向けて思わず息を呑む。


 幾何学的な模様が床一面に広がっていた。

 統一性があり、整然としており、とても子供の落書きなどとは思えない。


 何者なんだろう、この子は。

 驚きつつその子を再び見ると、なぜか俺にべったりと抱きついてクンクンクンと犬のように俺の匂いを嗅いでいた。


 えっ、なに、怖い。

 ほんとに意味わかんない。


「えっと、少し離れようね。初対面で匂いを嗅ぐのはちょっと……うおっ、力強っ! こいつびくともしねえ!」


 ぎゅっとしがみついているし、なにを言っても聞きやしねえ。ふんすふんすと嗅がれているものだから、こそばゆくて仕方ない。


 えー、親御さんどこにいんのかなー。というかここはどこなんだ。

 そう思いつつ周囲を眺めると、もう一人、水面の上に立つ女性がいた。


 燃えるような赤い髪をしており目つきは鋭い。

 この子よりちょっと大きいくらいで、まあまあ可愛いかなぁ。


「おどれ、おめおめとよおワシの前に顔を出せたもんじゃなあ」


「は?」


 どうやらコスプレ趣味があるらしく額に角がついている。試しに触ってみたらペンと手をはたかれた。


「さわんなや」


「あ、ごめん。でも手ざわりが良いから」


「でも、ってなんじゃあ! ふん、手ざわりがいいからって人様の角をべたべたさわんなや。……ちょっ、さわんなと……さわんな言うたばかりじゃろうが!」


 はい、めっちゃキレました。

 はてさて、この子も何者だろう。腰に抱きついている子に比べると服がしっかりしており、金糸で飾られたマントもどこか高価そうだ。ほっそりした太ももを隠すことなく、そのつけ根には子供には似合わない三角形のきわどいパンツで覆われている。


「人様のパンツをじろじろ見んなや」


 あっ、はい。

 だけどその服、どう見てもパンツを見せてるよね。


「おどれ、いいからそこ座れ。ワシから大事な話がある」


「大事な話?」


 ぎぬろと睨まれて俺はしかたなく膝を折ることにする。どうして仁王立ちをしている子の前で正座することになったのだろう。

 腰に抱きついていたほうの子は、当たり前のように俺の太ももの上に座ってきた。


「おう、ワシを舐めとったらあかんぞ」


 ずうんと幼女が威圧感たっぷりに睨んでくる。

 でもはっきり言ってぜんぜん怖くなくて、仕方なく俺はじっとパンツ鑑賞をすることにした。

 なんでこの子、紐パンをはいているんだろう。マントと同じように黒い布地で、金糸の飾りがついている。とはいえ伸縮性は高く、みょーんと伸びることで幼女の肌を守って……。


 ぱんっ、と頭をはたかれた。

 ぱんっぱんっとなおも続いて、ふーっと怒り心頭の息をその子は吐き、赤く腫れた手を痛そうにさする。


「人様のパンツをじろじろ見んなや! ブッこむぞワレえ!!」


「でも……目の前にあったから」


「でももストライキもあるかボケえ! おどれ、ええ度胸じゃの。このワシ相手にそこまで舐めくさった態度をするとはのう!」


 ゴゴゴと大気が震えそうなほど怒っていらっしゃる。

 でも仁王立ちは変わらず、見せパンがすぐ目の前にある点も変わらない。仕方なくわずかなふくらみ越しに彼女の顔を見上げることにした。


「ごめんね。ところで大事な話ってなに?」


「おっ、そうじゃった。おどれ、そこにいるやつと同じように、さっさとワシにも名をつけんかい!」


 びしいっと指を向けられて「は?」と俺はとまどう。

 膝の上に座っている子も同じように見上げており、ぽんやりとした瞳をしていた。


「名、前……?」


「ああ、名前じゃ。ふん、別にワシはそこまで名にこだわっとらん。だがな、こいつに名があって、ワシにないのは我慢ならん!」


 怒り狂った赤髪の子とは対照的に、ぽんやりした子と見つめ合う。

 俺、この子に名前をつけたの? いや、知らんけど。エッチしたこともないし。


「つけたじゃろうがい! エリンギという立派な名をなぁ! そいつの見てくれに騙されたらアカンぞ。ぼけっとした顔をしているが、ことあるごとに自慢をしてくる極悪な性格じゃあ」


 は?

 呆気にとられたあと、髪の毛に半ば埋もれたもさもさの子と再び見つめ合う。

 どこか水の芳醇な香りを放っており、ぱちんとまばたきをした瞳は濃い水色をしている。


「エリンギ?」


 うっすらと笑みを浮かべて、わずかに頬を赤く染める。急に恥ずかしくなったのか、胸に顔を埋めてきたので表情は見えなくなった。


 パアン! と頭をはたかれた。


「ワシの前で甘酸っぱいのは絶対に許さんぞ。おう、分かったらさっさとワシにも名をつけんかい!」


「いてぇ……。じゃあお前、もしかして火竜か!?」


 ぱちっと瞳を開いたあと、その子は「やっと気づいたのか」と言うように笑みをにんまりと浮かべてきた。


「おどれからどう見えるかは知らんが、ワシはタロの肉体と魂の一部を食っている。有象無象のはずであった魔物には魂が宿り、そこのエリンギにも人格というものが生まれたのだ。大いなるこのワシを通じてな」


 まだ驚きから立ち直れない俺は、火竜からの言葉を大人しく聞く。

 そんな神妙な姿をお気に召したのか、幼女は余裕ある態度をして俺の頭をなでなでしてきた。


「人格が宿れば、そこには新たな形が生まれる。事例は少ないが、魔物であれど変質をするのは古来から行われていることじゃ」


「そっか……。まだぜんぜん理解できていないけど、お前たちと一緒にいて落ち着いていられたのはそういうことか」


 初めて目にしたとき、既視感デジャヴのようなものがあった。

 嗅ぎ慣れた匂い。身体のすみずみまで触れ合ったことのある感覚。

 なつかしささえ覚えたのは、恐らく彼女たちとずっとそばにいたからだと俺は気づいた。


 まろ眉の角度を変えて、火竜はにんまりと笑みを浮かべてくる。


「では、話が伝わったところで、そろそろワシに名づけをするのじゃ。そして立派で可憐で知的で優雅な名を世に生み出すのだ。そうすべきだ」


「名前、名前かぁ。そういうの苦手なんだよなぁ」


 ちらりと目を向けた先にいる幼女に、エリンギという名をつけたことを若干だけど後悔しているんだよね。あまりにも考えなしだったし、いくら好きだからって食べ物を名前にしちゃだめだよね。


「こら、なーにを悩んでいる。まだまだ実力は足らんが、タロにはその手の才能があると思うぞ」


「そ、そうかなぁ……」


「ふん、悔しいがおどれはセンスの塊じゃ! ワシがどれほどエリンギを羨ましいと思い、枕を濡らして過ごしたことか! 同じくらい……いや、それ以上の名前をはやくよこせ!! もう待ちきれぬ!!」


 じだんだを踏みながら、なんでか知らんが大絶賛された。

 いや、俺のネーミングは微妙を通り越して壊滅的だと思うぞ。さてはお前、かなりセンスが悪いな。


 ふーむと唸ってから俺はまず膝の上に座っている子に指先を向ける。


「エリン」


 ぱちりと濃い水色の瞳が見開かれてゆく。

 改めての名づけは「ギ」を除いたもので、まあまあ女の子らしい響きになったと思う。


 次いでそわそわしている赤い髪の子に指先を向ける。


「カロン」


 ぱっと瞳のなかに炎の鱗粉が浮かぶ。

 火竜をそのまま使い、火を「カ」、竜を外国の読みで「ロン」とした。


「うーん、ぱっとしないぞ。前に言っていたデスタンバリンのほうがインパクトはあったのじゃが……」


「……お前のセンスは本気でヤバいな」


 思わず冷汗が頬を伝ってゆく。

 いっそのことデスタンバリンにしようかと思ったけど、周囲の連中から非難されるのは明らかなのでカロンのままにする。


 しかし名がついたのは嬉しかったらしく、カロンとエリンは手をにぎりあってきゃいきゃいとはしゃぎ始めた。

 俺はいつの間に幼稚園に迷い込んでしまったのだろうか。


 それよりも、ここはいったいどこなんだ。

 真っ暗な景色をぐるりと見回して、当初の疑問について考え始める。


 足元は黄金色の波がたゆたい、迷宮の奥底から発せられる生命のスープだと感じられる。

 漂う匂いは、迷宮で過ごしたときのものと同じだった。


 そういや俺、アーイカに首の骨を折られたんだっけ。

 あのときは確実に死が見えていたし、とっさに逃走をした俺の判断はベストだったと思う。


 首に触れてみるとやはり痛みはもうない。

 身体のどこにも違和感はなく、健康体なのだと分かった。


「ここは……俺がいつもやっている瞑想よりも、ずっと奥深くにある場所なのかもしれない」


 嗅ぎ慣れた匂い。

 触れ慣れた気配。

 

 ただそれだけのヒントしかなかったけど、極めて精神的な領域なのではと俺は思ったのだ。


 そのときに冷気を感じ取った。

 ひんやりとした夜気に似たものが流れ込んできて、目を向けると周囲よりもずっと暗いもやがある。真っ黒であり、墨で塗りつぶしたように先をまったく見通せない。


 不安になったのだろうか。

 カロンはなにも言わずに近づいてきて、そっと両手を伸ばしてくる。小さなお尻をかかえると抱きついてきて、持ち上げるときも炎色の瞳でじっと闇を睨んでいた。


 エリンもそうだ。俺の後ろにしがみついてきて、幼子のように親指をしゃぶる。肩を抱くと少し安心したのか、腕の隙間からじっと何者かを見つめていた。


 身じろぎもせずに俺は待つ。

 すると暗い暗い場所から声が聞こえてきた。


「僕はもう、ここに辿りつく者は現れないとばかり思っていた」


 男か女か判断しづらい声でそう言う。

 水中のように声は反響しており、うまく聞き取れない。


「だけど君はどうだ。意識をせずに世界の深淵を覗き込む者よ」


「俺に言っているのかな」


 暗闇から視線を感じる。声もそうだが感情や気配を感じられず、人と話している感じはまったくしない。冷たいのか温かいのかさえも分からない。

 ゆらゆらと漂う真っ黒いものは、やがて人の形を成してゆく。背丈は俺よりも小さかった。


「僕は魔剣士ヨル。こうして人に姿を見せるのはいつぶりかな……」


 ばさりと黒いローブを鳴らして姿を現したのは、髪も目も黒いやつだった。声と同じように男か女か判別できず、腰には身の丈にあわぬ剣を吊り下げている。


「っ!」


 魔剣士ヨル。

 アーヴ国における有名人物だし、もちろん俺も知っている。

 人前に姿を見せることなく、それでいて戦場では敵兵をことごとく亡き者とするらしい。


 どのような者でも夜を迎える。

 とっぷりと陽が暮れて、お茶を飲み、暖かい寝床に入って心地よい思いをする。

 そのように夜が明けると――戦場にはあまたの死者が折り重なるように死を迎えていると聞く。


「そんな有名人物がどうして俺なんかに声をかけたのやら」


「君は興味深いよ。意識せず、意図もなく、誰も知らない世界を知っている。神でもなく、人でもなく、ましてや魔物でさえもないというのに」


 歌うような響きで魔剣士ヨルはそう言う。

 一歩進むたび、足元に漂う黄金色の輝きを遠ざけている様子に俺は気づく。するとあれは生命のスープと相反する存在なのだろうか。


 水中を漂うような声がまた響く。


「意志があるね。強い意思だ。なぜ君は、君という本質は、飽くことなく魔剣を追い求めるのだろうか」


 白金プラチナ色の輝きを秘めた瞳。それは雲が晴れた夜空に現れる月のようだと俺は思う。

 そして不明瞭な声は突如として鮮明となる。耳穴に息を注がれるように、生温かい声が俺の鼓膜を直に震わせたのだ。


「そのことを疑問に思ったことはないか?」




 ハッと目を覚ました。

 辺りは明るく、河原では虫たちがたくさん鳴いている。


 橋の下にうずくまっていた俺は、己の息が荒いことに気づく。とめどなく流れてゆく冷汗を手でぬぐい、それからほうっと安堵の息を吐いた。


「夢、かな?」


 どうもそんな気がしないけど、お約束としてそう口にする。いまは下らない冗談でもいいから口にしたい。

 もしも夢でないのなら、俺は高名な魔剣士三名と顔を合わせたことになるが……はてさて、迷宮から戻ってからというもの、どうしてこうも慌ただしいのだろう。


「まあいい。腹も減ったし適当な店にでも行くか」


 うーんと伸びをして、俺はそんなことを口にした。

 もちろんエリンとカロンもきゃああと悲鳴を上げており大賛成のようだった。

 どうやら人里の食事というものを、彼女たちはことのほかお気に召したらしい。七面鳥のように、丸々と太らなければいいのだが。


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評価は作者のモチベーションに直結しますし、連載を続ける大きな励みとなります。

― 新着の感想 ―
[一言] 生と死の境界みたいなところに入り込んだのかな? 火竜もスライムも女性だったとは。でもどちらも造形は子供なのか。名前を付けると強くなったり、はしないんだろうなあ。
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