第25話 ところ変わって
ショリショリと皮を剥くアーイカ。
むーっと唸りながら間近から林檎を睨んでいるものだから見ていて危なっかしい。ついつい「俺がやろうか?」と声をかけてしまうのだが、なぜか歯を剥いて「寝てて!」と一喝されてしまう。
また魔剣ダイヤモンドスカイはというと、あわあわしながら危なっかしい主人を見守っている。内股になってブルブル震えているし、たぶんものすごくご主人思いなのだろう。
なぜこうなったのかは思い出したくないが、俺はアーイカの私室で横になっている。外はもう真っ暗で、窓枠の向こうからは風の音しかしない。
以前ここに泊まったのはもう何日も前のことで、また連れてきてくれたことに内心でホッとしてもいた。
ずっと友達でいてねと言って去って行った姿がどうにも忘れられなかったし。
当の彼女はというと、ぶかっこうな林檎を「あーん」と言って近づけてくる。仕方なく齧ると、見栄えに反して甘酸っぱく美味しかった。
俺の知っている林檎の味じゃない。たぶんお高い品だ。
「これ、風邪のときにすることじゃない?」
「いーの、アタシがそうしたいだけだから。タロちんはもうちょっと具合悪そうにして」
なんともまあ無理難題なお願いだ。
お腹をぽこぽこ叩いてくるし、つい頭を撫でたくなるくらい可愛らしい。たぶん俺と同じくらいの年だろうけど。
「仲がいいのね。あ、起きないでいいわ」
お盆を手にして部屋に入ってきたのはリサだ。家事をしたらしく明るい髪を後ろに結いており、エプロンを着ると……ちょっと大人の色気が溢れ出ますね。
「すみません、なんともないのに」
「そのまま、動かないで」
近づいてきた彼女は、クイと俺の下まぶたに触れたり、舌を出させたり、首の脈などを測ったりする。
手際がいいなと感心していると「本当に大丈夫そうね」と安堵の息とともに口にしていた。
その様子を後ろから睨むのはアーイカだ。
「アンタね、どうしてタロちんに毒なんて盛ろうとしたの。あやうく死にかけたじゃん」
うん、君のボディーブローでね。
そう言いかけたとき、枕元にざくっとフォークが突き刺さる。ひぃっと俺は悲鳴をあげかけた。
リサはなんともいえない顔つきをして、申し訳なさそうにして床に座る。それからゆっくりと重い口を開き始めた。
「そう命じられたのは本当よ。ただ、話しているうちに気が変わってしまったわ」
ピン、とアーイカはなにかを察した表情を浮かべて、俺のすぐ横に突き刺さったままのフォークをぐりぐりと動かす。
あーわわわわ。怖い。はっきり言って怖い。睨んでいる相手はリサなのに、殺気が向けられている相手は俺のような気がしてならない。
「コイツを殺してどう得するワケ?」
「得はしないわ。ただ損をするかもしれないからその予防ね。まさか毒がぜんぜん効かない体質だなんて思わなかったけど」
神妙な顔を向けられて少しは冷静さを取り戻したのか、アーイカはお盆の上にある湯呑みをつかむ。それからごく自然な動作で俺に飲ませて毒見をさせてから口をつけ……おいおい、ナチュラル過ぎて文句も出なかったぞ。だいたいそれ毒見になってないから。
「それで、これからどーすんの?」
ベッドに腰掛けてアーイカはぶっきらぼうにそう言う。リサの主人、魔剣士ナザルからの命令を拒むようなことを先ほど口にした。今後はどうするつもりなのかと問いかけたのだろう。
「そうね、戦いにも疲れちゃったし国を出るわ。タロを殺してまで、ここで生きていたいと思わないし」
「あいにくとアンタなんかにタロは殺されないから。見た目と違って頑丈だし」
ああ、さっき殺されかけたけどな。
ただ初めて対峙したときに、俺は魔剣ダイヤモンドスカイからの攻撃を避けきっている。そういう点で認められているのだろう。
などと考えていると、にまーっと意地悪な笑みをアーイカが浮かべていることに気づく。俺をバカにしているのは間違いなさそうだ。
「残念だったわね。同情もするわ。生まれて初めてモテ期を迎えたと思ったらまさかの暗殺者だったなんて。そんなひどい話がある……ぶふっ! ごめんごめん、笑っちゃって」
「笑いたければ笑えよ。まあ、彼女いない歴イコール年齢だし、元からあんまり期待してねーから」
何がおかしいのやらアーイカは腹を抱えて大笑いだ。バンバン背中を叩いてから「ざまあ」と言ってくるし……おいおい、この魔剣士様ウザいっすね!
それまで黙って話を聞いていたリサは、ぱちくりとまばたきをした。
「え、まさか交際していないの?」
「してませんよ。というか交際経験さえありません」
そう、と口をつぐみ、無意識なのか彼女は己の唇を指先で触れる。
「ふうん、そっか」
思わせぶりな表情を浮かべて腰を上げると、リサもぎしりとベッドに腰かけてくる。
その瞬間、バチリと二人の女性のあいだで火花が散ったように見えたのは気のせいだろうか。
「暗殺しようと考えてた時点でオワコンじゃない、オバサン?」
「そうかしら、彼は私に気があると思うわ。ねえ、タロ君?」
ゆさりとエプロン越しに胸を弾ませて、色気の強い瞳を向けてくる。脇の下まで素肌を見せており、ぽんと足を叩かれただけで俺はなにも反論できない。
ごおうとアーイカの瞳に炎が灯ったように見えたのも幻覚だろうか。
彼女は素早く身体を動かして、後ろからはがいじめをしてきた。
「オワコン! オワコン! オワコンオバサン!」
「あら、勝負したいんだ。私に勝てるのかしら」
ぎしりとベッドを鳴らして四つん這いになり、覗き込んでくる様子に俺は戸惑う。
まさか、まさかまさか! この俺にビッグウェーブもといモテ期が来たというのだろうか。
ひとことで言い表すなら「バカな!?」が近い。
ぼっちのまま生きてきて、うだつの上がらない剣士として烙印を押されて、魔剣士のファンから吹き飛ばされてドブにハマる男。それがタロという男のはずだ。
それがいま美女からのしかかられており、ふっくらとした唇が「違うの?」と囁いてくる。あ、息がもう甘いですぅ。
あとその、のしりと乗ってます。なにがとは言わないけど、ぬくぬくの体温が伝わってきて、僕はもう、僕はもう……!
「ダメだったら!!!」
ごきんと鳴ったのは俺の首で、視界は90度ほど折れ曲がる。全身の痺れは頸椎圧迫によるもので、瞬時にして本能が生存するための方法を模索し始めた。
「あっ」
アーイカの声がどこか遠くから聞こえる。もはや一刻の猶予もない。ギャグなんて挟める余裕なんてない。
取るべき道は絞られている。
ヒュッと鋭く息を吹くと、壁際に置いていた光ゴケは明かりを失い、その瞬間に「絶界」の発動、次いで背筋を爆発させて1メートルほど跳躍するやエリンギを呼び寄せる。途中で「キャッ」という悲鳴が聞こえた。
傷んだ頸椎の修復は後回しにするとして、最も最優先する事項、女性たちからの離脱をすべくエリンギの操作に全神経を注ぐ。
末端神経はいまだ死んでいる。だがエリンギを己の身体のように操れば、開いていた窓から飛び降りることは雑作もない。
より迷宮からの波動を感じられる地表。そこを目指して自然落下に身を任せる。
頃合いを見て指先に感覚を集中して、その半ばまでをーー壁に突き刺す! おらあっ!
ガガッ、ガガガッ! と破砕する音を響かせて着地のダメージを減らすと、そのまま水路まで一直線に駆けて飛び込んだ。
二人がそれからどうなったのかは知らない。
どちらにしろ傷を癒すことに集中しなければならなかったし、モテ期はもうこりごりだと思ってもいたのだ。
頼むからさぁ、もっとマシなモテ期を持ってきてくださいよ!
死と隣り合わせの三角関係はもうやめよう!?
こんなのだれもうらやましがらないから!!
生命のスープに浸りつつ、俺は心のなかで大絶叫した。