第23話 化かしあいならぬ馬鹿試合
迷宮で一晩も過ごさずに帰還をしたナザル率いる漆黒の流星。
超越者との戦闘により2名が死亡しており、討伐を完遂することなく逃げ帰ったという噂は攻略特化地区エツィオネに知れ渡るのは時間の問題だ。
俺はというと酒場の隅でそんな噂に耳を傾けていて「いいぞー、言っちゃえ言っちゃえ」と心のなかで応援していた。
ごほんごほん、主人であるナザル様になんというひどい言葉を! ぐぬぬ、許せん!
などと喜んでいられたら良かったのだが。
ポリ、と野菜の酢漬けを口に放り込み、苦虫を噛むような表情を俺は浮かべる。
というのも邸宅に戻ってすぐにナザルが暴れ狂い、家具を壊してゆく様子を見かねたリサが止めに入った……のを殴りつけちゃったんだよねぇ。
『このゴミめ』
手にしていた剣にそう言っていたのは、どうも俺の心に響く。
あいつが落ち着くまで俺は出入り禁止になってしまったし、いまごろフラウデリカはどうしているのだろうと心配しっぱなしなんだ。
「醜聞を外に知られたくないんだろうなぁ。だけど俺のお給料はどうなったんだよー、もー」
間近で戦闘を見ていた俺の意見として、フラウデリカに落ち度はなかった。
周囲の変化にすぐ反応していたにも関わらず、ナザルはそれに気づけない。魔剣士ギガフレアは剣の声をきちんと聞いていたのだし、主従関係が壊れつつあるのではという疑いに確信を持つに至った。
がろんと目の前の椅子が音を立てる。
視線を持ち上げると、ちょうどそこに座ろうとする女戦士の姿があった。
「あれ、リサさ……」
「しっ、私の名を呼ばないで。タロ、探したわ。ニコライに聞いて何軒か当たりをつけて来たけど……。店主、私にもエールをくれ!」
良く通る大きな声でそう言い、彼女はまた顔を向けてくる。
攻略時のように健康的な肌を見せびらかすような装備ではなく、ローブで目元まで隠しているのは攻略者として名が知れている対策だろう。
わずかに見える目はかなり赤黒く腫れていて、ナザルがいかに激昂したのかが伝わってくる。
「……ケガは大丈夫ですか?」
「平気よ。と言いたいけど、私もさすがに疲れたわ。仲間の死は珍しくないけど、あそこまでなにもできないと歯がゆくて……」
いや、彼女の立ち回りは及第点以上だ。
サポートに徹していたし、超越者の攻撃に対して小盾と剣で防いで致命傷を受けなかった。あれはそう簡単にできるものじゃない。
まだ戦いの余韻が残っているらしく、全身から発される気配はどこか剣呑だ。酒を運んでくる店主もヒヤヒヤした表情を浮かべていた。
「命あっての物種です。まずは食事を摂り、英気を養いましょう」
「そうね。ええ、その通り」
ポリ、とまた野菜を齧る。
どうにも歯切れが悪い。俺を探したと言っていたのはリサさんなのにね。
ははん、これはあれか。口封じだ。
超越者相手だし、俺は醜態と思っていない。しかし好き勝手にベラベラと話したりしたら邪魔な男だと思われておかしくない。
でもここだと人目があるしどうするんだろ。毒でも盛るのかな。
などと考えつつ彼女の言葉を待つ。
するとエールをグイと飲んでからリサはわずかに赤い顔を向けてきた。
「さ、さっきはありがと!」
大きな声でそう言い、俺の首に抱きついてくる。
わずかに思考が空白となったのは「はい?」と戸惑ったのと、彼女がなかなか抱擁を解いてくれないせいだ。決しておっぱいが大きかったからじゃない。冤罪だ。
「あ、あの、リサさん?」
振りほどくことはできない。体格差で劣っているからだ。そうでなければすぐに逃げていたのに。くそう!
などとふざけている場合ではなかった。
のしりと本格的に乗ってきたし、わずかな布だけでは感触をまるで隠せない。他は筋肉質なのに、ここだけはどこまでもやわらかい。
いや、その、と口にするだけで動けないときに、彼女は吐息を耳たぶに当ててきた。
「あのときの技、なに?」
ぼそりと囁かれる。こっちが本題だったらしく声には凄みがあった。
本格的に逃さないようにしようと考えたのか、リサはギイと椅子を動かして俺のすぐ隣に腰掛ける。
「あなたの腕、切られなかったわよね。なのに背後の岩が切り裂かれた。ねえ、どういうマジック?」
いくら真面目な声で言われてもさぁ、おっぱいが当たってるんだよなぁ。勘弁してくれないかなぁ。
「言いますから離れてくれません?」
「言ったら離すわ。あなたって、こういうのに弱いみたいだしちょうどいいわ」
おーおー、嬉しそうな顔をしますねぇ。ネズミを押さえつけた猫みたいだ。そんなに童貞をいじくって楽しいんですかぁ?
はあ、と溜息を吐いてから観念した。
「体術です。武術の一環として、さばく、いなす、というのはごく一般的ですし、今回はそれを応用しました。東洋の『気』は奥深いですからね」
できっこないじゃん、体術なんかであんなこと。しかしこれ以上の説明はできないし、相手もこれ以上の説明を理解できない。
だからこれでいいのだという堂々とした態度で、かつ「内緒ですよ」と茶目っ気を混ぜる。
さて、納得してくれるだろうか。
しなくてもこれで押し通すから問答はジ・エンドだけど。
リサはしばらく黙り、俺の言葉を吟味する。だけどそろそろ腕を離して欲しい。押し当てられた乳房がぬくぬくしていて、辛抱たまらないんですよこっちは!
「早く、答えを言って」
ぼそおっと耳に囁かれる。
エッチなお姉さんはエッチだった。周囲から見えないように足を絡めてくるし、さっきからずっと吐息が耳に当たる。というか当てられている。
まいったな、ぜんぜん納得してくれない。となるとナザルの指示で秘密を聞き出そうとしている可能性がグングン急上昇する。
迷宮攻略者において己の武器ともいえる能力を隠すのは当たり前だ。暗黙の了解として深く追求しないマナーがあって、なのに色仕掛けをしてくる時点でおかしい。
女性から抱擁を受けて、耳たぶを食まれながらも俺の頭は急速に冷めてゆく。
攻略者のリストからタロという名の剣士は割り出されている。
しかし自信を持って言うのはどうかなと思うけど「うだつの上がらない剣士」というレッテルが貼られている。剣士としての将来を諦めて邸宅で勤め始めたのはおかしくない。だが……。
「もうご存知と思いますが、このあいだまで攻略者をやっていたんです」
ふうん、と流し目を送りながら彼女はもう一度耳たぶを食んでくる。続きを早くという催促だ。
ああ、そういうことはやめてくださいと正面から断れる度胸が欲しい。みんなおっぱいが悪いんだ。
「迷宮で一ヶ月ほど帰還できなくなり、それでもう怖くて怖くて……だから迷宮に再び連れて行かれたとき、僕は心底恐ろしい思いをしました」
両手で顔を隠して、ぶるぶる震えるチワワみたいになって声を絞り出す。
いいぞ、俺。かなりの名演技だ。舞台でナンバーワンを狙えるのではなかろうか。
「あら可哀想に。言ってくれたら私が守ったのに」
いい子いい子と頭をなでてきて、この人も演技派だなぁと感心する。
観客は一人もいないが、この卓だけは狐と狸の化かしあいが始まっている。たぶん俺が狸側かな。
どうせ演技をするなら本気でやらないと。
そう思い、キッと強い意志を込めた視線を送る。
「違います、僕がリサさんを守りたかったんです」
狐役のリサは、演技を忘れたのか目を見開く。
おどおどした青年が突如として気迫を見せて、たじろいだのかもしれない。追い討ちとして離れようとしたその手を掴む。
「あのときだけ僕は恐れることなく動けました。魔剣であろうとなんであろうと、たぶん僕は……いえ、どんなものからでもあなたを守れます!」
決まった。超ゴリ押しが決まった。
ワーッと歓声が上がるなかで、片腕ガッツポーズをしている気分だぜ。ふっ、とニヒルに笑い、頭上から無数の紙吹雪が舞っているあの感じね。
これ以上の演技は彼女にできまい。勝ったなと勝利を確信しているとき、リサは態度を急変させる。
「あ、りがと……」
ぱちくりとまばたきをするリサは、直後、一気に顔を赤くさせてゆく。ぱっと俺から離れた手で顔を隠して、涙目をこちらに向けてくる。
「恥ずかし……見ないで」
むううー、やりおる。
まさかこれほどの演技力を持っているとは……!
恐ろしい人だと冷や汗を流しながらゴクリと俺は喉を鳴らす。
認めよう。彼女もまた一流の女流俳優だということを。不覚にも「好きです」と言いかねなかった。
だが勝負はまだ決まっていない。俺の武器、超ゴリ押しはまだ死んでいないのだ。
「すみません、急に……。だけど本気だということは分かって欲しかったんです」
ドキンという心音が伝わってくるくらいリサの肩が跳ねる。
ちなみにここの酒場の客はドン引きだ。こんなの俺だってドン引きするし、オエーと吐き出しそうな顔をしかねない。営業妨害してほんとごめんね。
リサはまだ顔を赤くさせたまま、まぶたを閉じる。観念したような表情を浮かべて、それから涙で濡れた瞳を見せてきた。
「びっくりしたわ。あなたってすごいのね。私の心臓の音を聞かせてあげたいわ。その、あとひと押しで降参しちゃいそう」
そう言い、わずかに身を寄せてくる。
うまく言えないが、このときリサの色気がドッと高まった。そんな気がする。
女性として魅力的な雰囲気をまとい、先ほどより距離は遠いというのに魅力は桁違いとなった。
……なんか、ヤバくない?
俺の第六感が「シャレにならない」と言ってさじを投げていて、下腹部のあたりがキューンと鳴っている。
ただこのときは未曾有の危機が迫っている気がした。
演技、だよな?
だって俺なんかがモテるわけないし。
そう思っていると彼女はもじりと太ももを擦り合わせる。その仕草だけで頭がボーっとしそうで、どうしてここまで色気を高められるのだろうと俺はすごく不思議だった。
「ね、あなたの家は近いの?」
はにかみながら彼女はそう言う。どこか少女の面影を感じる若々しさがあって、思わず俺はうなずいていた。
「じゃあ、行こ?」
この誘いを断れる者は、果たして地上にいるのだろうか。
そんな疑問を浮かべながら、俺はがたりと椅子を鳴らして立ち上がった。