第19話 潜入しよう、そうしよう
びょうと冷たい風が頬をなでてゆく。
辺りは暗く、わずかな月明かりだけを頼りに広々とした敷地を染めている。
ナザルの住む邸宅は二階建てで、クンと風の匂いを嗅いだあとに石造りの屋上を俺は足音も立てずに進んで行った。
エリンギ製の黒装束を着ている通り、いまは潜入の真っ最中だ。
目元しか見えないことから、探偵モノなどで頻繁に出てくる「全身タイツの怪しい真犯人」に見えないこともない。まあ、普通に犯罪者だけど。見つかっちゃったらどうなっちゃうのか俺にも分かんないなー。
気配を殺すのは俺の得意技であるのだが、ここは魔剣士の住処だ。用心に用心を重ねるくらいがちょうどいい。
息を殺して俺は周囲を探る。誰もが寝静まっている時刻ではあるのだが、しばらくすると何人かの気配を嗅ぎ取った。
この邸宅には使用人が十名近くおり、うち住み込みの者は6名ほど。
まだお会いしたことのないメイド長だったが、先ほど覗き見たところ白銀の髪を生やす女性だった。確かメイルーシカという名だったかな。
当たり前のように着替えの最中で、こちらにガーターベルトつきの桃のようなお尻を向けていたからスタコラ退散したが、いやー驚いたね。メイド長といえば普通は男性だ。なのにその地位についているということは、よほど有能なのか気に入られているかだ。
ただ、それだけじゃないだろうな。武を極めた者特有の匂いを彼女は発していた。
まあそれはいい。
今夜ここに忍び込んだ目的は、素晴らしいお尻を覗き見ること……ではなくて、魔剣の保管先を調べるのとナザルがどんな男なのかを調査することだ。
「…………」
かすかに声が聞こえてくる。男、それと女の声だ。恐らくは二人きりだろう。
気配を殺してこっそりと聞き耳を立てる。すると声の主はナザル本人だと気づいた。
「魔剣の力が弱くなり続けているのはどういうことだ。このあいだの戦いで、私は半分程度の力しか引き出せていない」
「ナザル様、魔剣には特性があると聞きます。神のごときその力は人智の及ばぬところですので、焦りや推測はもはや逆効果でしょう」
イラついた様子で室内を歩き回っており、対照的に女性は静かなものだ。
初めて見る顔であるものの、お忍び用の衣服は上等な布だった。いまは外されているが、フードをつけて邸宅まで訪れたのだろう。
蝋燭に照らし出されるのは黄金色の瞳。
あの特徴的な目の色、そして年齢から照らし出すとすれば、王族のシャロット姫が当てはまる。
ふむ、となると三女である姫の嫁ぎ先はここなのか。魔剣士は貴重だ。外交よりも大事なことだと思ってもおかしくはない。
「それで、これからナザル様はどうなさるのですか。戦が終結した以上、しばらく平穏と思いますが」
「私は迷宮に舞い戻ります。以前の力を取り戻さねば、貴女との仲を引き裂かれる運命だ。それだけは避けなければ」
あら、お上手ですねと女は笑い、近寄ってきたナザルの手を取る。
黄金色の瞳を輝かせて、口元には挑発的な笑み。それでいて荒々しく彼を引き寄せると……。
おう、ファックス……。
なんか知らんが猛烈に死にたくなった。
女がすべてとは言わないよ。だけどさ、人生における有意義さの7割くらいは女の子が占めていると思うんだよね。
あとそいつ、昨日は違う人と一緒にいたから。
おっぱいの大きい女の子とイチャイチャしてたからぁ!(2度目)
あーあ、なにやってんだろうな、俺。
脳裏に浮かぶのはフラウデリカの面影だ。
大粒のダイヤモンドみたいに美しい彼女と、もしも会話できる日が来たら俺はたぶん朝まで眠れないくらい嬉しい。憧れてやまない彼女のことを考えていたときに、俺の心臓はドキリと痛いくらい鳴った。
あ、ああ、あああああ!
信じられねえ! いるじゃん! フラウデリカがその地獄みたいなイチャイチャ部屋にいるじゃん! おげえ、嘘だろ!!
ただしいつも見かける彼女ではない。
あの日、大通りを凱旋するときと同じくらい瞳は冷たく、また漂う空気は極寒のそれだ。
微動だにせず一部始終を見つめる彼女は、いったいどんな思いをしているのだろう。分からないが、ことが済んだあとにふいっと顔を背けて、振り返ることなく部屋をあとにしてゆく。
俺はその背中を追うことにした。
ここは……宝物庫か。
わずかな灯りしかないが、魔力を秘めた品は光を増幅して乱反射でもするのか周囲は明るい。
おほぅ、かなり溜め込んでいやがる。想像以上だ。
ここにあるだけでも城を買うこともできるだろう。魔剣士ナザルは評判以上に成功しているのだと俺は知る。
こりゃあ王様も放っておけないな。姫を差し出すくらい痛くも痒くもない。だが俺の見たところ、あの男は野心家だ。国の財源になんてとてもじゃないができないぞ。
この国において魔剣士は複数名おり、特に名高いのは4人だ。
ナザル、ウッドゲイト、ギガフレア、ヨル。いずれも高名であり、挙げた戦果はもはや常人では想像できない。
待てよ、問題はそこではないか?
誰も魔剣士の実力を計り知れていない。どのような思想で行動しているのか、これから何をする気なのかさえも。
思うにドラゴンのような存在なのではないだろうか。
決して手綱をつけられず、顔色をうかがいながら話しかけることしか人はできない。王でさえも。
いくら戦争で勝利をしても、戦果を得るたびに魔剣士は財力を膨らませる。それを良しとしていないのは、常に戦場へ送り届けていない様子を見ればすぐに分かる。
もしも俺が王様の立場だとしたら、戦々恐々の思いで日々を過ごすことだろう。その気になれば反旗をいつでもあげられるのだから。
ではなぜここまで溜め込むのか。
その考えに思考が傾きかけたとき、カツコツと靴を鳴らして歩いてゆくフラウデリカに気づく。
一番奥に置かれた魔剣。
最も高価であると示すように台座は宝石で飾られており、彼女が鎮座すると刀身をオーラが包む。
黙して語らず、そのままフラウデリカは瞳を閉じた。
金銀財宝に囲まれた部屋だ。きっと誰もが羨ましがる。だけどこのときの俺は、彼女が可哀想だと感じた。
話し相手は一人もおらず、ただそこに在ることだけを主人から望まれている。あのように飾っている以上、さっきのお姫様をここまで連れてきて見世物にしただろう。
魔剣が力を失いつつある理由を、俺は少しだけ知ることができた。
口の覆いを外すと、新鮮な夜の空気で肺いっぱいに満たされる。
心地よい思いをしたが、どうしても胸の奥もモヤモヤは薄れない。俺はなにもしていないただの傍観者なんだけど、でもやっぱり嫌だった。
なんだろ、クラスメイトの女子がいじめられているのを覗き見た気分だ。やめてくれと決して言えないのは、やるせない気持ちになる。
いっそのこと盗み出してやりたい衝動に襲われて……でも、やっぱりまだ無理だった。魔剣というものを俺がちゃんと分かっていない以上、手痛いしっぺ返しを受けてしまう可能性が高い。
ただ、ナザルが迷宮に行くのなら、流れとして悪くはない。だって、あそこは俺の庭だから。
じゃあどうしてやろうかと思案しつつ、俺は家路に向かった。




