第2話 カエルちゃんの観察
誰もいない地下迷宮で、俺はゆっくりと息を吐く。
辺りは暗く、長期にわたって暗視を鍛えておかなければ何も見えなかっただろう。もちろん、ここに通い続けている俺はまったく問題ない。
さて、魔剣士になるためにはどうすればいいだろうか。
魔剣を奪うと決めた以上、あとは奪うための腕があればそれで済む。
しかし今のままでは常人の域から抜け出せない。ここ数年ほど剣術は頭打ちになっている感覚があって、これまでとまったく異なる方法を試すしかなかった。でもその方法が分からない。
やったるぞーという心構えではなくって、どちらかというと「赤字経営の会社をどうにかしろ」と言われたような感じかな。魔剣という確かな目標だけあって、しかし道筋が漠然としているのはそれにそっくりだ。
迷宮の奥深くからゆるやかな風が吹き、すえた匂いが押し寄せる。海と同じように、生き物が多ければ多いほど生臭くなるらしい。
まったく違う方法か。
ならばこれまでの戦い方をすべて忘れたほうがいいのだろうか。
ずっとソロでやってこれただけあって、俺は危機管理に長けている。その勘に従わなければ、ころっと簡単に死んでしまうかもな。
だけどそれでいいと思った。
魔剣が手に入らないのなら、命を大事にかかえていてもしかたない。
「まったく違うこと……」
ぼそりとつぶやいて、いつもより一人の世界に浸ってゆく。
多人数のパーティーだとこうはいかない。早く行こうぜと声をかけてくるせっかちな仲間がいなくて本当に良かったと思う。ああいう騒がしいやつ、俺は大の苦手だし。
かつこつと靴を鳴らして石畳を歩き出す。
遠くから聞こえてくる鳴き声は巨大蛙だろうか。生臭く、利益も少ないことから無視することが大半だった。
俺の靴音はだんだん消えてゆく。
意図的に歩き方を変えたからであり、また同時に気配は闇に溶けてゆく。
もうひとつ、ソロで良かったと思うことがある。それは気配の遮断能力を鍛えられる環境だということだ。
辺りはジャングルのように生命力で満ちていて、そのすべてが捕食者である。そいつらはポリポリとスナック感覚で俺を食おうと手を伸ばす。
こんなおっかない場所だし、最初のうちは頭がおかしくなりそうだった。何度も吐いたし、それを必死に土で埋めた。
実は剣の腕よりもこっちのほうが得意だったりするんだ。身を隠す術というのかな。ソロでやっていく以上、必須条件といえるだろうし。
ぼっちとか、クラスに一人くらいそういうやつがいるよねとかそういう意味じゃなく。
と、そのとき光沢のある大きな目玉が見えた。
ケロリと鳴くのはやはり巨大蛙で、水辺を陣取れたせいか嬉しそうに喉を膨らませている。
へえ、こうして見ると可愛いと言えないこともないな。いや、可愛いなんて言える大きさじゃないか。
近くの倒木に腰を下ろして、ふうとため息を吐く。
気配を遮断して、いつもと違うことをしようと思ったのに、何が悲しくてカエルちゃんの生態鑑賞をしているのだろうか。
今までの俺は、敵を見つけ次第すぐに倒す感じだった。刃物を振り回す危険人物ってわけじゃなくてさ、やっぱり魔物は怖いし、あんまり痛い思いをしたいとは思わない。
しかしこうなると舞台裏を覗いている気分だ。
カエルはときどき飛んでくる虫をむしゃりと食べて、同族が来たら「ここは俺の縄張りだぞ」と大きな態度で主張をする。
なんだか平和だなと思いつつ、考えはどんどん脇道に逸れてゆく。
この迷宮はどこまで続いているのだろう。
足元はしっかりして見えて、実際のところは空洞だらけだ。
延々と下に続いている階層はもはや数える気力も尽きるほどで、先代の攻略隊が202層に至ったところで記録は途絶えている。
そして彼らの手記には「まだ先がある」と書かれていた。
尽きることのない鉱山を見つけたように、人々は足繁く迷宮に通い続ける。
もっと下、ずっと下、俺が思っているよりもずっとずっと深いのではと思う。
奈落の底を覗き見ているように感じていたとき、ふと思う。
このままずっと奥まで潜ったらどうなるだろう。
安全マージンを考慮して地下40層を越えたことはなかった。だが、これまでとまったく違うこと、誰もしたことのないことを思いついてしまった。
どうせ普通にやっていては魔剣など手に入らないのだ。なら思い切って、まだ年若いうちにチャレンジをしてみたい。
考えはまとまった。
ならばと隠密に邪魔なもの、武器や防具をそこいらに捨てながらプランを練る。俺の剣の腕などたかが知れているし、この先で役立つとは思えない。どうせなら潜伏に集中したほうがずっといい。
食料は足りるだろうか。
水はどうだ。
もしも敵に見つかれば命はない。
しかしうまくいけば、これまでとまったく異なる成果を持ち帰ることができる……かもしれない。
死を決意するのとは正反対の顔、ぼうっとした表情で俺は立ち上がる。
やがて水面にぼちゃんと何かが落ちる。
振り返った大蛙は、そこに沈んだピカピカの剣を見て不思議そうな顔をした。