第17話 菓子は女性を魅了する
庭師の仕事は続くよ、どこまでも。
というのもむだに広い敷地のせいで、庭も邸宅も手入れをしなければいけないところが山ほどある。なのに従業員は十名にも満たないんだよね。
そこに若くて良く働くイケメン男子がやってきたら、次から次へと仕事を与えるのは当然だろう。押しつけることで相手はどんどん楽になる一方で、これまでにまったく知らなかった技術を俺は会得できる。
たとえば掃除や洗濯、銀食器をピカピカに手入れをする方法などなど、いずれも一般家庭などでは決して覚えられないものだ。いや、覚えたところで特に使い道はないんだけどさ。
そしていま、俺は次のステップに向かう決意をする。
「お願いします、料理を教えてください!」
そう言って深々と頭を下げると、料理長は「ふん」と不機嫌そうな顔を浮かべる。
掃除や洗濯も奥深かったが、そのなかでも料理は最高峰だと思っている。というのも貴族連中はそれぞれの家で極秘レシピをかかえており、それで客人をもてなすのだ。
となると俺のような青二才には絶対に教えたくないだろう。
あからさまに不機嫌そうな男は、腕を組みながら「はっ」と俺をあざ笑う。
「お前か、最近ここで金ももらわずに働きまわっているガキは。あっそう、調子に乗って、俺のところまでやって来たわけだ。んで、どうして急に料理を覚えたいと思った?」
ぐっ、と俺は息を詰まらせる。
俺が料理を覚えたい理由。それは決して口にできない理由であり、もし言ったところで決して信じてもらえないのだ。
ことが起きたのはつい先ほど、お昼を少し回るころだった。
食事を終えて眠気に襲われていた俺は、廊下を歩いてゆくフラウデリカたんに気づいて目をぱちんっと覚ます。
惚れ惚れとする太もものラインと、大きくて安産型のお尻を見ちゃったらそりゃあ眠気なんて吹き飛びますって。
最近、彼女を見かけることが増えてきた。
初日にフラウデリカが赤っ恥をかいてからというもの、俺への警戒心をすっかり失ってしまった。それだけでなく猫の様子を見たりなんだりと、最近はお近づきになることが多かったんだよね。
魔剣の真の姿が人の目に触れなくても、彼女は姿勢正しく歩く。たぶん真面目な性格なのだろう。
ただ歩いているだけでも華のある人だな。そう感心する。しかしピタリと足を止めたとき、俺は息を呑んだ。
――なんて眼光だ!
ぎらりと瞳は剣呑な輝きを生み、離れていた俺の背筋をぞくりと震わせる。
なんだ? あの殺気はただごとじゃないぞ。この俺でさえ、正面からフラウデリカのあの殺気を当てられたら気絶しかねない。
「そうか、そういうことか……!」
勝手に震え始める身体を抱きしめて、かすれた声で俺はそう漏らす。
まさか魔剣がここまで恐ろしい存在であったとは。気配を殺して追跡している俺をすぐに見抜き、真っ二つに切り裂こうとしているのだ。間違いない。
まさかと思うのならあの目を見るといい。ぎらりと輝かせて、隙がまったくない。近づけば必ず殺られるだろう。
しかし、そのすぐ下、ぷっくりとした鮮やかな唇からわずかに垂れるものがある。
「ん、なんだあれ? よだれ、じゃないよなぁ」
その視線の先を目で追うと……洋菓子のエッグタルトがあり、ぷうんと甘い香りを漂わせていた。
やや紫色混じりの黒い瞳を、きらりんと彼女はかがやかせる。
カップ型のエッグタルトにはカスタードをふんだんに使っており、焼きたての香りはなかなかに強烈だ。卵、小麦、砂糖という組み合わせはもはや定番中の定番で、だからこそこう思う。
――なんて美味しそう!
まさしくフラウデリカはそう言いたそうな表情をしていて、直後、己の身体を両手で抱きしめると、その場で何度か足踏みをする。
んーっと唸っているのは、香りの誘惑にあらがおうとしているのだろう。だが悲しいかな、魔剣には「おひとつください」と口にすることなどできやしない。
後ろ髪を引かれつつも一歩ずつ離れてゆく姿を見たら……見ちゃったら……目にしちゃったらさあ、もう俺が作ってあげるしかないでしょう!? 違うの!?
ドンと料理用のテーブルを叩く。
その剣幕に料理長は肩をビクンと震わせた。
「なにがなんでもエッグタルトを作りたいんです! そのためならなんでも言うことも聞きます! 裸にされても構いません! どんなに難しくても、どんなに長い道のりであろうとも、すべて完璧に覚えてみせます!」
ごおうと背後に炎を上げる俺を見て、料理長は喉をゴクッと鳴らす。
だがその程度で秘伝のレシピを教えてもらえるはずがない。料理長はしばらく考え込み、それから俺の目を真っすぐに見つめてきた。
「なら本当のことを言うんだな。無償で働いて、菓子の作りかたを知りたがるその理由はなんだ?」
魔剣に食べさせてあげたいなどと言えるわけがない。
だけどこのとき俺は、本当の気持ちを伝えたかった。甘くて美味しい菓子を、彼女に食べてもらいたくて仕方なかったのだ。
ためらいがちに俺はゆっくりと口を開く。
「笑顔にさせてあげたい人がいるんです……」
つまるところ俺がしたかったことはそれだ。
笑顔になってもらえたら、俺は天にも昇るような思いをするだろう。そのまま首をつられたところで、恐らくは満面の笑みを浮かべているに違いない。
もしかしたら俺の熱意が伝染したのかもしれない。彼は「ハッ!」と笑うと、急に職人としての顔を取り戻す。
「いい度胸だガキ! 俺の授業料はクソ高いが、お前のタダ働きに免じてプラマイゼロに差っ引いてやる! まずはその目で覚えるがいい!」
「おおおおお! 料理長殿おおおっ!!」
きっ、来たあああーーっ! 門外不出の技であるレシピを教わる大チャンスの到来だ!
このビッグイベント、すべてを完璧なまでに覚えなくては死んでも死にきれない。目に炎を灯して、俺は勢いよく立ち上がった。
「まずは目で覚えろ。いいか、菓子作りは簡単だ。正しい分量、正しい手順、そして正しい火力で焼けば勝手にできあがる」
言うは易く、行うは難し。
そう料理長から言われても、材料の味や特性から学ばなければならない。最も難しいと感じるのは火力だ。
「ハッ、そいつはお前の肌で覚えろ。季節によって気温が変わるし、くべる薪の量も当然変わる」
昔から存在する石窯は、炉のように高い気温となる。
溢れる熱気で汗がとめどなく吹き出てくるし、目の水分まで飛んでゆく。しかしこの熱を覚えなければ話にならない。
手をかざして熱を感じ取ろうとする。そのあいだも料理長は器用に薪の配置を調整しており、その仕草だけでも高度な技術が込められているのを知った。
「どうだぁ、見ているだけで分かるかア? おまえのような青二才が」
「すごいですね、薪を重ねたり、平らにしたりして石窯の熱を調整しているなんて。この場に立ち会わなければ絶対に気づけませんでした」
きょとんと男は目を丸くして、それから「ハッ!」と小気味良さそうに笑っていた。
しかし最も卓越しているのは、灰や煤を無闇に飛ばさない技術だ。なにげなく調整しているようで、そこには繊細な技が込められている。嘘やおせじなどではなく、彼は一流の料理人なのだと俺は知った。
「俺ぁさ、ガキのころからコレをやっている。親父ゆずりの技を、こんくらいの背丈のときからすり込まれてんだ」
だから口では伝えられない。そう言いたいのだろう。
覚えろ、覚えろ、すぐそこでプロの技が披露されているんだ。こんな機会は二度とない。命を懸けた戦いだと思って本気で覚えろ。
戦場や迷宮でもめったに見せない目つきをしている俺に、料理長はニヤリと笑いかけてきた。
「秘伝ってのはさ、つまり誰にでもできるってことだ。職人にしかできないのなら、隠す必要もないだろう? つまり、お前も真面目にやれば絶対に覚えられる。諦めんなよ」
「ええ、絶対に諦めません」
まばたきもせずに石窯を睨みながら俺はそう言う。気難しいと噂の彼だったが、めずらしく愉快そうな顔を浮かべていたらしい。
§
それは菓子作りの修行を始めて数日ほど経った日のことだ。
高価なガラスをふんだんに使った邸宅の廊下は明るくて、そこを魔剣フラウデリカはゆっくりと歩いていた。
と、それまで冷静な顔つきの彼女であったのだが、形の良い鼻でクンと香りを嗅いだとき、わずかに表情がゆるむ。
どこからか漂ってくるのは甘い香りで、春の陽気に誘われるように彼女はフラフラと歩きだす。向かう先には厨房があり、ここまで来ると先ほどまでの優雅な内装ではなくなっている。
そうっと彼女が覗き込んだ先で、俺はできあがったばかりの菓子を睨みつけていた。
「ん、どうしたタロ、気難しそうな顔をして。おっ、ついに菓子ができあがったのか?」
外に通じる戸口から話しかけてきたのは、庭師のニコライだ。彼は仕事をひと段落させたばかりらしく、手ぬぐいで汗を拭いていた。
名を呼ばれた俺は、むっすりとした顔を彼に向ける。
「ええ、ようやくできたはできたんですが……」
ふたたびニコライは不思議そうな表情をする。
これまで料理を習ったことのない俺にとって、菓子づくりの修行は果てしなく困難だった。
なにしろ食材が乏しい。高価な品であることからめったに触れることはできず、余ったときに初めて調理を試せるのだ。
それ以外の時間はいつも「見て覚える」という修行である。そんな状況であるのならば、できあがったことをものすごく喜んでおかしくないとニコライは思ったに違いない。
「いや、ぜんぜんダメです。煤がついてしまったし、形も崩れてしまっています」
「そうかぁ? 私の目からは良くできていると思うんだがな。菓子作りに詳しくないが、これなら店にも出せそうじゃないか」
しげしげと観察をしながらそう言われても、俺はしかめっつらのままだ。
「こんなのを出したら『女将を呼べ!』と言われかねないですよ。とにかく、とてもじゃないですが客に振る舞うことはできません。なのでこのタルトをどうしようかと悩んでいたところです」
「お前、変なところでこだわるな……」
親父さん、それと俺の背後でこっそりと見ていたフラウデリカは、まったく同時に首を傾げる。
確かに美味しそうだと言う気持ちも分かる。見た目はいい。味もいい。だが料理長の仕事を見てきたからこそ、こだわりは大事にしたい。
「そういうわけで、これは客人以外のかたに食べていただきます」
「そうか、なら私が……」
むんずとタルトをつかもうとした手をぴしゃりと叩く。
「これは失敗作です。そんなものを俺の見ている前で食べさせるなどもってのほか。俺がここを離れているあいだに、だれかが食べてくれればそれで良し。散歩をして戻っても残っていたら……悲しいですが処分します」
ああー、だれかが食べてくれたらいいのにー。
そう大きな声で言い、まだあっけにとられているニコライの背をグイグイと押して俺は戸口の外に出る。
一人残されたフラウデリカはというと、ぱちくりと瞳をまばたきさせたあと、困ったように周囲に目を向けていた。
意味もなく辺りをうろうろと散策して、雑草をむしったり毛虫退治の薬を撒いたりしてから俺は調理場に戻る。
ちょっとだけ胸がどきどきする。
まともに料理をするのは初めてだ。できればそれは俺にとって一番大事な人に食べて欲しい。
祈る気持ちで戸口をくぐり、そうっとテーブルに目を向ける。
そこに置いていたタルトは、どうなっただろう。
渾身のエッグタルトは綺麗に食べ終えており、きちんと置かれたフォークを見て――俺はにっこりと笑った。




