第14話 バイバイ、アーイカ
ぼうっとした瞳でアーイカは起きる。
それから俺をじっと見て、しばらく経ってから「はよ」とだけ口にした。
あれ、寝起きが弱い人なのかな。
そう思いながら勝手にお茶を淹れたりして、近くの台に乗せると彼女はようやく身を起こす。
もそもそした動きで手に取って、ズズと飲んでいるのを待っているうちに、ゆっくりと目の焦点が合ってきた。
「ありがと、タロちん。気分がいいし毎朝こうして」
「毎朝はちょっとなぁ。あ、勝手に茶葉を使ったけど大丈夫だった?」
「へーきへーき、安いもんだし」
まだ身体に力が入らないらしく、頭を俺の肩に乗せてくる。
こうして見るとやはり華奢な身体つきをしており、とても昨夜は魔剣士として暴れ狂ったとは思えない。あのときの大虐殺しかねない破壊力と怪力は魔剣から引き出しているのだろうか。
くあっと大欠伸をするアーイカは、服の裾をにぎってついてくる。
それから隣の部屋に移ると、テーブルの上に用意されていた朝食を見て青い瞳をぱちっと見開いていた。
「あ、寝てるあいだに市場で買っておいたよ。アーイカは胃が弱そうだし、粥に薬味を入れてもらった。そういえば味の好みとかある?」
「タロち~~ん、毎朝こうして!」
後ろから思いっきり抱きつかれた。
出ていかないでぇ、と大げさなことを言われて俺はびっくりした。
この子ったら、本当にこれで魔剣士なの!?
また、当の魔剣ダイヤモンドスカイはというと「なんて小ずるい男!」という目で俺を睨んでいた。
あのさ、どうしろっていうの?
かつかつとレンゲで粥をすすり、薬味と一緒に噛んでから呑み込む。
まだ熱いらしくアーイカは汗を流しており、冷たいお茶で心地よい思いをしてから今度は蒸した鶏肉に手を伸ばす。
朝だから少なめにしておいたけど、意外にもアーイカはよく食べる。昨夜暴れたせいかもしれないし、普段からこうなのかもしれない。
「粥もたまに食べると美味しいよね。東南部にあるタルサ国からの輸入だし、珍しいからちょっと値が張るけど。舌に合いそう?」
「ありありのあり。おいしーね、これ。なんかたくさん食べれちゃう」
幾分か血色を取り戻しており、口調も元気なものに変わる。やっぱり朝食って大事なんだなぁと思いつつ、俺も腹を膨らませていく。
んぐんぐと噛んで呑み込んだアーイカは、唇についていた粥を指でぬぐってから青い瞳を向けてきた。
「今度、このお店の場所教えてよ。あたしに合うっぽい……って、タロちん、その黒い服はどうしたの? 前のは昨日捨てたよね」
ああ、これ?
袖をつまむと、にゅーんと伸びる。途中で黒は透明に変わり、ちぎったぶんと同じ大きさの球体となったことにアーイカは目を丸くしていた。
「服っぽくエリンギに化けてもらっている。先入観があると、ぱっと見で分からないよね」
「へぇぇ~~、エリンギってばすごいじゃん。ふんふん、そっか、昨日の鎧もそのコだったんだ。へー、ふーん、そのうちアタシのも獲りにいかない? 着替えるのめんどくさいときがあるし」
うーん、できるのかなぁ。
俺は火竜を通じて生命のスープに触れることができる。
魔物のあいだでは弱肉強食というべきか強者が弱者を従えるところがあって、俺、火竜、そしてエリンギという順に属していることで俺の命令を聞くようになっているわけだ。
「うん、いけそうだな。ならまずは、血のしたたる火竜の肉を食べるところから始めようぜ」
「ぜっっったいにヤダ!」
心底嫌そうな顔をされてしまった。なぜなのか。
というわけでお買い物である。
昨夜は手をつないでいたアーイカも「人前だとちょっとムリ」と言わんばかりに距離をあけている。まあ、俺も助かるけど。
この辺りは富裕層が多くて、俺の知らない世界だったりする。
買い物客も多く、高い建物があちこちにあって俺はどこからどう見ても田舎者だった。
「こっち、ついてきて」
裏道に入って、俺とアーイカは揃ってホッとする。
人が減ったのと見慣れている感じの薄暗さに安心したんだ。
「どうして人間ってあんなにたくさんいるんだろう」
「ちょっとくらい減ればいいのにね」
ねー、と同意し合ってから歩いてゆく。
あなた、本当に平和を愛する魔剣士様なのですかね。
裏道はときどき猫が睨んでくるくらいで平和なものだ。俺の住んでいた地区みたいに死体が転がっていたりはしない。
死体かな? 残念、ゾンビでしたー、というケースもままある。
やっぱり治安が違うんだなと感心していたとき、アーイカが隣に近づいてきた。
「前に話したナザルの件だけどさ、アンタ、あいつのこと追ってる?」
不意打ちぎみだったのでドキッとした。
魔剣士ナザルは俺が目下標的としている相手だ。正確に言うと彼ではなく、あいつが手にしている魔剣フラウデリカをだが。
ややキツめの瞳をしたアーイカは、じっと俺を眺めたあとに言葉を続ける。
「なにか魂胆があるならさ、ついでと思って頼まれてくれない?」
「え、なにを?」
「最近、ナザルの動きが怪しいんだ。あの顔だし魔剣士で一番人気だけど、魔剣の力は今ひとつ。なのになんか匂う。そういうのアタシは鼻が利くから、タロちんが動くのなら手助けする」
しばし俺は悩む。
こちらの魂胆を聞かずに手助けをしようとする様子だし、どう接触したものかと悩んでもいる。渡りに船なのだが、魔剣を奪うとなると彼女を裏切る結果となるかもしれない。
どうしたものかと悩んでいたとき、耳元にぼそっと囁かれた。
「狙ってんでしょ?」
ドキッとした。
どこまで勘が働くんだと驚きつつ彼女を見ると、狐を思わせる笑みをアーイカは浮かべていた。
「んふふ、アタシの鼻はごまかせないの。みんなそれを知っていて近づかないから、タロちんなら都合がいいんだ」
「……コミュ障だからじゃなくて?」
がんっと足を蹴られた。
いてっ、ハハハ、よくもやったなー、という感じではない。
ぐるんと身体が真横に半回転をして、頭の上に地面があることに俺は戸惑う。痛くはないよ、エリンギ製の服を着ているんだし。
だけど、ゴミ箱で盛大な騒音を立てて、猫たちはびっくりして逃げて行った。
しゃがみこみ、さかさまになった顔が覗き込んでくる。
彼女は「ごめんね」というよりは、不思議そうな顔をしていた。
「なんかタロちんって思いきりツッコミをしても許してくれそうだね」
「どこが!? 生ゴミまみれなんですけどぉ!?」
俺はバナナの皮を頭に乗せながら憤慨した。
さて、紹介してくれた店はとても落ち着いていた。
稼ぎが入ってから支払うということで話はまとまり、まずまず無難な服を選び、なぜかアーイカ好みの服がその上に乗ってくる。
「……この首輪、なに?」
「首輪じゃなくてチョーカー。ゴツいしかっこいいし、アンタは線が細いから絶対似合うよ」
うーん、理解が追いつかない。
なんでゴツいとかっこいいの? どっちかというと世紀末をヒャッハーと生き抜いて汚物を消毒する感じがするんだけど。
妙にたくさんの金属が使われているし、どうひいき目に見たって息苦しいだけの代物だ。
「あ、そ、ヤなんだ。ならタロちんのこと嫌い」
つんっと顔を背けられると……なんでこんなに胸がソワソワするんだろう。指をいじくりたくなるし、またこちらを向いてくれたアーイカにホッとする。
「買う?」
あー……、と俺は天を仰いだあとに観念した。
唯一の救いは、にっこりと彼女が目を線にして笑ってくれたことだ。さようなら、俺の未来の金貨たちよ。
俺の服や靴だけじゃなくって、アーイカもついでに小物や服を選んでいる。なかでも黒いマスクがお気に入りとなったらしく、これからどんな空気汚染エリアに向かうのだろうと俺は不思議に思った。
毒対策、かなぁ……。
ああ、金持ちの考えることが分からない。
噴水の見える場所に公園があって、そこのベンチに腰かける。
想定していたよりもたくさんの物を買ってしまったので、もう夕方になりつつあった。
「ありがとう、アーイカ。お店を色々教えてくれて」
「いーよ、別に。アタシもいい気分転換になったから。あーあ、タロちんとしばらくお別れかぁ……」
両足を抱いて、その上に鼻を乗せながらアーイカは悲しそうな声を出す。いじけるように身体を揺すっている様子がなんだか嬉しくて俺は苦笑する。
「まあな、これからナザルの邸宅に潜入する以上、魔剣士アーイカとつながりがあると知られたら困ったことになるしさ」
それは分かるけどさぁ、と悲しそうな声を出して彼女はうつむく。
あれから結局、俺は彼女の提案に乗ることにしたんだ。
邸宅の使用人として内側に入り、内情を探るという手を打つことにした。だからアーイカとはもう一緒に住めなくて、なぜか俺たちは二人とも困っている。
いや、困っているというよりは、戸惑っているのか。
一晩一緒に過ごしただけの相手なのに、妙に共感し合ってしまった。こんな感情は初めてだから、どうしていいのかお互いに分からなくなっているんだ。
ぐすんとすすり泣くのが聞こえて俺は驚く。
彼女もそうだったらしく、涙を浮かせたまま瞳を丸くしていた。その戸惑いの表情を残したまま、アーイカは俺をじっと見つめてくる。
「タロちん、ずっと友達でいてね」
そう言って両手で俺の首に抱きついてきた。
あったかいし女の子のやわらかさを感じ取れるし、ぐすぐすと泣いている様子も伝わる。少しだけ悩み、チラリと傍らにいる魔剣ダイヤモンドスカイを眺めてから俺はそっと抱き返した。
頬を隠す髪が長いアーイカは、そのまま目頭を押し当ててくる。
じわりと広がってくる温かいものを感じていたとき、彼女は唐突に身を起こした。
まぶたの周りを赤くして、出会ったときと同様に彼女は唐突に離れてゆく。
「バイバイ、またね!」
ぱっと涙混じりで浮かべた笑みは、どう見ても大好きな友達に向けたものだ。
人と接するのがすごく苦手な人だけど、この笑みを見せたらどんな人とでも仲良くできるのではと俺は思う。
「バイバイ、アーイカ!」
んふっと笑って、それからもう彼女は振り返ることなく、重い足を引きずるように歩いていった。
猛烈に寂しいと感じたのはなぜなのか。
これまでもずっと一人で生きてきたというのに。
ベンチから立ち上がって帰路につくのは、それからだいぶ経ってからのことだった。
知らなかったけど、一人でいるのってもしかして辛いことなのかな。