第13話 アーイカの寝室
多くの人が寝静まった時刻、とある一室で俺とアーイカが見つめる先には、汚くて穴だらけの服がある。
迷宮でさんざん着古して、さらには先ほどギガフレア戦を迎えて決定的なまでにダメージを受けたせいで「服?」から「服じゃないよね?」に変わってしまった。
だぼっとした室内着姿のアーイカは、太ももまで素足を覗かせてしゃがみこんでいる。髪が乾くと頭が丸くなるんだなと眺めていたら、狐を思わせる瞳をくりんと向けてきた。
「服は明日探すとして、これは捨てていい?」
「縫えばまだ着れるんじゃない? 俺、こう見えて手先は器用だから」
「んーと、捨てていい?」
おっと、また無限ループ突入だ。
アーイカは綺麗好きなのか、こういうとき意固地になる。んで、言葉数が少なくなって唇をむにゃむにゃさせる。
気持ちは分かる。これ以上相手に文句を言うのが怖いのだ。
とはいえ懐事情はあまりにもひどいのだし、稼ぎを得るまではどうにか耐え忍ばないといけないところなのだが……。
「仕方ない、明日は服を買いに行くか。アーイカは店に詳しい?」
「まーね。いいトコ紹介してあげる。静かで落ち着いてて、店員がジロジロ見たり、話しかけてこないところ」
おっとぉー、コミュ障御用達のお店があったのか。それは聞き捨てならない。
「なにそれ、天国じゃん」
「んはっ! でしょう。じゃあ明日は早いし、さっさと寝よ寝よ」
急に嬉しそうな顔をして、背中をぐいぐい押される。
それは喜ばしいのだが、彼女の後ろから「死ね、クズ」という恨みのこもった声がぼそりと聞こえてくる。振り返るまでもない、魔剣ダイヤモンドスカイが俺を罵ったのだ。
なんか……怖くない?
ぞっとするし、さっきまでのほんわかした空気が消えてっちゃう。
彼女はヘッドドレスを着けており、服装もどこかゴシックだ。ラフな服装を好むアーイカだが、似通って見えるのは二人の服の色が統一されているからかもしれない。
「許せないわ。いつもは私が一緒なのに。ねえあなた、見えているのでしょう? ねえ、私のことが見えているのよね? ねえ、無視をしてはいけないのよ?」
小さい声で、ぼそぼそと話しかけてくる。その生温かい息が首筋に当たるものだから……こんなのおっかなくて背中に悪寒が走り続けちゃうよ。
いいや、無視しよ。なんか怖いし。
さて、通された先はだいぶ広い寝室で、ベッドもこれまた大きい。びっくりして振り返ると、しかしアーイカはなぜかうなだれていた。
「……調子に乗って大きいのを買ったら洗濯がすごく大変で」
「あー、これだけ大きいとな。やりかたを教えてくれたら俺がやるよ。力仕事は得意だし」
「いーよ、そのうち教えてあげる。じゃあ、えっと、寝よっか」
ぎしっとベッドに膝を乗せて、まだうつむいたまま彼女はそう言う。布団を開くとそのなかに身を滑らせて、ちらりと俺に目を向けてから「早く」と言ってきた。
ちょっとこれ、予想外です。室内着は布が薄いから、暗くても身体の線がはっきり見えてしまう。
どこか甘い香りがたくさんするし、なんか知らんが落ち着く香りでもある。そしてなぜか胸が勝手にどきどきする。
しかしだな、頭上から淀んだ目で見つめてくる女がいると事情が大きく変わるんだ。
魔剣ダイヤモンドスカイは、なぜか俺のエリンギを腕に抱いており、気に入ったのか手でこねこねしながら俺を絶対零度のまなざしで睨んでいる。違う意味で俺はどきどきした。
「あー……、あったかいなぁ。んっ、なんだこのふかふか感は! アーイカのベッド、なんかすごくない?」
「んふー、まーね、そこそこ高かったし。アタシにとっては別に大したことないけど。んでんでタロちん、迷宮でなにがあったわけ?」
んー、と俺は唸る。
どこまで伝えていいのか考えあぐねていたし、それを魔剣士に伝えていいのかなと悩みもする。
隠すべきは魔剣適性が異様に高いことだ。彼女の職業に関することであり、根ほり葉ほり聞かれるだけでなく、俺が考えるよりもずっと大ごとになりかねない。
ただ、これは相手がその気になればすぐにバレる。適性度の検査を受けているし、迷宮攻略室の情報を見る権限のある人だったらあっという間だ。
黄金色にたゆたう生命のスープについても保留だな。無限のエネルギーだと感じたあれも、人は見ることができない。となると見えなくていい理由がありそうだ。
しばし悩み、俺はまず大蛙のいた場所で装備品を捨てるところから話し始めた。
長い長い旅である。
うだつの上がらない剣士は、悩みのもとである剣を捨てて、ただただ潜り続ける道を選択した。
火竜と同一化をして、謎のスライムと出会って、アーイカの知らない景色を見て、見果てぬ強敵、見果てぬ世界、終わりがないと思われていた迷宮の奥底に向かってゆく旅だ。
ゆらゆらと光ゴケの灯りが部屋を染めるなか、アーイカは童話を読み聞かせられる幼子のようにじっとしており、ときどき瞳を閉じて見知らぬ世界を夢想する。
長い年月をかけて産み落とされようとする怪物は、やがてこの世界で暴れ狂うのだろうか。
しかしそうは思えない。
空も地面も青で統一された美しい景色があり、いまでも迷宮の奥底で穏やかな世界を保っているのだから。
話し終えると、アーイカは「んーっ」と唸って大きな伸びをする。
それからまだきらきらと輝いている瞳を俺に向けて、のしっと上から抱きついてきた。
「そっかー、タロちんは攻略じゃなくて旅をしてきたんだぁ。んふふ、そっかそっか。なんか今夜はすごくキミのことを気に入っちゃったかも」
ふうっと熱っぽい息を吐いて、わずかな灯りのなかで彼女はにんまりと笑う。
「あれ、信じてくれるの?」
「うん、あの逃げっぷりを見たら納得。どう見たって人の技と思えないし。じゃあそこにいるスライムみたいなのは、キミについてきちゃったんだね」
もよんもよんと絶えず動き続けているのは、あなたの魔剣さんがいじって遊んでいるだけですよ。
キューと悲しそうな声を発したのに目をやりながらうなずいた。
「ここはペット可かなぁ」
「んははっ、いーよ、それくらい。アタシにとってはタロちんもペットみたいなものだし。じゃ、明日は一緒にお買物をして、それが済んだらちょっとだけ相談しよっか」
ん? 相談ってなんだ? あとペットってなに? 俺は人間だよ?
そう問いかけようと思ったけどアーイカは寝床を整えつつある。
だいぶ遅い時間になってしまったし、諦めて俺も目をつぶることにした。
寝つきが悪いのかしばらくごろごろしていたアーイカは、気づいたら抱き枕のように後ろから俺にしがみついてきた。
お腹があったかくてちょうどいいのか、それから先は朝までぐっすりと眠っていた。
しかしまさか、あれほど憧れていた魔剣士と同じベッドで眠ることになるなんて。
迷宮で過ごしてからというもの、日々があわただしく変わっていくなと俺はまどろみながらどこか人ごとのように思った。
ないように見えて、しっかり主張をするやわらかさに耐えつつ目をつぶる。こういうときは羊を数えるのが一番だ。おやすみなさい。