第9話 閃きのダイヤモンドスカイ①
魔剣士ギガフレア。
戦場では常に全身甲冑を着ており、また配下もつけぬことから姿を見た者はいないと聞く。
年若い青年や麗しい女性などと正体について噂されるものの、噂以上の情報を得ることは当時の俺にできなかった。
しかしいま、目の前でグラスをあおる女性はというと、己がギガフレア本人なのだと口にした。
肌が弱いのかまぶたの周囲を赤くする彼女は、じいっと狐のような瞳を向けてくる。
「魔剣士ギガフレアだって信じられない? んー、いや、キミは信じてる感じがするなぁ。なんで?」
くるんと瞳をまた向けてきて覗き込まれるが……あの、ちょっと、綺麗なお顔がとても近いです。
困ってしまい、こちらが離れるとそのぶんの距離を彼女は埋めてきた。
迷宮で鍛えられたことにより気配で本物なのだと分かるが、納得できるかはまた別の問題だ。腕も首も細いため、甲冑を身にまとい、魔剣を手にして戦う姿をどうもうまく想像できない。
「外、行こっか」
両手で頬杖をついて、にまにまと笑みを浮かべたままそう提案してくる。いや、この場合は強制か。がたりと彼女が椅子を鳴らして立ち上がると、俺は己の意思と関係なく立ち上がっていた。
ぽしょりと「いいコ」と囁きかけてきて、こちらに小さなお尻を見せると店から出てゆく。
その後を追いながら俺は思う。
外見からの印象と、五感で伝わってくる気配に差があり過ぎる。
眼の印象が強い人だと思いはするが、戦場を切り裂く上位魔剣士がすぐそこにいるなどとは信じられない。
また一方で俺の五感はというと、鉄が凝縮されたような存在感を覚えているのだからおかしな感じだ。
夜気にさらされて、ぽっかりとした月明かりに照らされる。
この辺りは石で舗装されておらず、雨の日はぬかるむし人通りもそう多くない。大手にすっかり客を取られてしまったんだ。
物珍しいのか彼女はしげしげと周囲を観察して、それから瞳を向けてくる。なんとはなしに川べりを並んで歩きながら話しかけてきた。
「キミ、面白そうだね。アタシのものにならない?」
「魔剣士ギガフレアの、ですか?」
「そ、魔剣士の配下。アタシに絶対服従、なんちゃって」
にまりと笑いつつも目はまったく笑っていない。
提案の意味が分からなくて言葉につっかえていると、ギガフレアは笑みを深めた。
「こう見えて勘が鋭くてさ、キミが一緒にいたら面白いかなぁーって思って。どういう方法かは知らないけど、さっき魔剣士を探ってたでしょ?」
「え、魔剣士を? まさか僕なんかがそんな」
びっくりした顔でそう返す。
しれっと嘘をついたのはさ、危険、危険、という危険信号が脳裏に鳴り響いたからなんだ。見た目と違ってヤバい人、そう俺は第六感で感じ取っていた。
「あ、ごまかすんだー。言ったでしょ、アタシの勘は鋭いって。それで名前はなんていうの? 家はどこ?」
「タロです。誤解されるのなら迷宮攻略室で調べてください。うだつの上がらない剣士だと皆が言うと思いますよ。ちなみに家はありません。消滅しました」
途中までうさん臭く聞いていた彼女は、最後のひとことでぱちっと瞳を開く。
いやいや、家が知らないあいだに消えるなんて普通のことですよ。別に泣いていません。これは鼻水であって泣いていませんったら。
「ふーん、良く分からないけど、はぐらかそうとしているな。強制は嫌だし、とりあえず『うん』って頷いて。悪いことはしないから。そうしたら……魔剣士ナザルを追うのも手伝ってあげる」
なぜナザルを追っていると気づける?
あいつが持つ魔剣フラウデリカを奪うことが俺の目標であり目的である。しかしこれまでの会話でヒントを何も与えていないはずだ。
さりげなく目を向けると、彼女は唇に指先を当てて「ンフ」と笑う。これで目星をつけられてしまった。
「あれあれー、鋭い目つきだぞ。そっちが本性なのかなぁ? うだつが上がらないはずの剣士クン?」
ほんのり色づいた舌で、ぺろりと指を舐めると彼女の存在感は増す。自然体なのに一分の隙もなく、ほんのわずかに魔剣士としての実力を見せた。
ふう、と諦めの息を吐いてから俺は観念する。
なぜかは知らないが、迷宮から発せられるエネルギーを探るという技を知られてしまった。
ならば俺の進む道はひとつだけだ。
「ギガフレアさん、というのは本名なのですかね。どうも呼びづらくて……まあともかく、従えたいのなら実力で納得させてください。でないと俺みたいな跳ねっ返りは言うことを聞きませんよ」
「戦うってこと? いーよ、カモーン」
ポッケに両手を突っこんだまま、ぺろりとまた舌を覗かせる。
余裕しゃくしゃくですね、この前髪ぱっつんちゃんは。などと内心で悪態をつきながらも心臓の高鳴りは止まらない。あれは強者だと本能的に火竜も嗅ぎ取ったらしい。
しかし俺はそんなに困っていない。緊張もゼロ。
いつものように軽い感じで、それこそナンパをするような口調で話しかける。
「では行きますね。こう見えて俺は動きが速いので、ギガフレアさんでも見失っちゃうかもしれません」
「んはっ、ないないー。やっぱ面白いね、キミ。ペットにしちゃおっかな」
「まあともかく注意はしてください。俺はここにいて、いまあなたを見ています。そのまま目を離さないで、集中して……」
まるで安っぽい手品師だ。しかし笑いをこらえている表情は、ふと不思議そうなものに変わる。それからゆっくりと瞳は見開かれていった。
たぶん俺の姿がにじんで見えたんじゃないかな。
ぼやぁーっと揺らいでいって、うまく見続けられない。焦点がどうも合わなくて、じっと見ていると目がおかしくなりそうだ。
まさしく彼女はそんな表情を浮かべていた。だけど俺は吹き出したりしないよ。女性を笑うなんて失礼なことをしたくないし、そもそも俺はすでに50メートルほど離れた裏道を駆けている。
「いやー、ムリムリ。いくら美人でも首枷をつけられるのはちょっとね」
気配遮断における最上級の術を「絶界」と名づけている。
地下迷宮の奥底で磨いた術だけどさ、こうなるともう名高い魔剣士様であろうとまず目で追えないって。ただ、俺も周囲をあまり認識できなくなってしまうから、用が済んだらさっさと遮断レベルを落とさないとだけど。
「ではお達者で、ギガフレア様。アディオス」
「く~~~~っ!! しんっじらんない! あンのクソガキーーッ!」
さようならの挨拶をしたちょうどそのとき、ギガフレアは地団太を踏んでいた。ドン、ズン、と地面を踏む騒音に、周囲の者たちは何ごとかと顔を向ける。
しかし、しゅううと口から煙を上げる女性を見て、すぐさま視線を外して逃げ去ってゆく。
「ばか! あほ! とんま! せっかくせっかくアタシが優しく声をかけてあげたのに! 人と話すのが苦手そうなコだったから安心したのに!」
わっとたくさんの文句を口にして、また地面を踏み抜く。
不覚にも気配を見失ってしまい、右かな、左かな、と襲いかかられるのに備えて集中していたらこれである。
恥ずかしさで涙をにじませながら、すっくと身体を起こして……そこから先は異様な光景であった。
ギガフレアの身体が分裂してゆくのだ。
一人、二人、と数を増して、前傾の姿勢で四方八方に散ってゆく。何体となったのかもはや数え切れず、そんな異様な光景のなかでまた「逃がさないから」とギガフレアは不敵につぶやく。
ざざざざざ、とイナゴの大群のような音がエツィオネ地区中で響いた。