03 デイウォーカーにだってなれますよ?
悠真がマーリド達の家に身を寄せてから数十日が過ぎていた。カレンダーなどはなく、悠真も記録をしていなかったため正確には分からなくなってしまったが、おおよそ二ヶ月くらいだろうと悠真は検討をつけていた。
「ユーマ、重くない?」
「うん。ふたつ、大丈夫」
悠真は水の入った木製のバケツを両手にひとつずつ持って家に戻るところだ。目の前をマーリドの孫、子供たちの長男であるマルスが同じように、ふたつのバケツを持って歩いている。
悠真の両隣には次男のデニスと末っ子の長女シーナが両手で一つのバケツを持って並んで歩いていた。悠真と子供たちは学校帰りに生活用水として村の中央にある井戸から水を汲んで帰る途中だった。
身幅に余裕のあるワンピース状のチュニックは襟首をしっかりと締めている。足を、これもしっかりと隠すスカート。編み込みを重ねるようにして通気性と遮光性を両立させた革製のオーバーニーブーツと、そのセットの上腕まで隠れるロンググローブ。
そして小さな体に似合わないほど大きな鍔広帽は風に取られれない様にあご紐を付けている。それでも帽子は大きく風を受けやすいため緊急用にチュニックにはフードが付いている。
当初はマーリドの家で匿われるようにして過ごした悠真だったが、日光に対して完全防備することで悠真は昼間でも出かけることが出来るようになっていた。要は陽の光に直接当たらなければ良いのだ。帽子や服はエルザのお手製、ブーツとグローブは一月ほど前にマーリドが町へ出かけた時に買ってきて悠真にプレゼントされたものだ。
ある程度は通気性が考えられているとは言え、そろそろ初夏と言うような気候では暑苦しい格好であったが、日中でも出かけることが出来るようになったのは、気分転換の外出が夜間に限られていた悠真にとって暑い以上に嬉しかった。
それまで炊事や掃除など屋内で出来る手伝いをしていた悠真だったが服が揃って日中の活動範囲が広がるとマーリドに子供たちと一緒に学校へ行くように手配されていた。学校と言っても村の中の少し広めの居間を持つ普通の家屋で、村の子供達を預かり読み書きや簡単な算数を教えている私塾のようなものだ。
悠真の充填科目は日常会話と読み書きである。長い会話はまだ難しく、毎日のようにまだ知らない言葉を耳にするが、日本語に頼ること無く二ヶ月近くの間をマーリド達の言葉に浸かった生活を送っているうちに悠真もマーリド達とは簡単な意思の疎通が出来るようになっていた。
学校は午前中だけなので、朝食の後にバケツを持って学校へ通い、勉強をして昼前に井戸で水を汲んで家に帰るのが日課になっていた。
「水――バケツ一つで良いのに。ユーマは女の子――」
とはマルスの言葉。わからない所もあるが言わんとしていることは悠真にも大まかわかる。マルスはもう学校を卒業していたのだが、悠真の付き添いとして学業に現役復帰したらしい。次男のデニスとシーナはまだしばらくは学生の身分だ。
「うん。大丈夫。心配、無い」
悠真はマルスに笑顔で答える。軽々と、とまでは言わないが悠真にとって水バケツ二つはそれほど苦にするほどではない。今の悠真の方がマルスよりも身体は小さいが、腕力や握力は負けてはいない。華奢に見えて力が強いのは、やはり吸血鬼だからだろうか。
悠真を労るマルスの様子に面白くないのは次男のデニスと末っ子のシーナだ。マルスとそしてデニスも悠真のことが好ましく思っているらしく、マルスが悠真に優しくするとデニスがそれに対抗する。
もっともその対抗は歳の分だけデニスが不利であり、今回もバケツひとつで手一杯のデニスには付いていくのがやっとで、なにか声を掛ける余裕もなく今はただ頬を膨らませている。
悠真を挟んで反対隣りを歩くシーナはと言えば、末っ子で一家のお姫様だったところに新しいお姫様がやってきて自分の立場が危ういと感じているらしい。とは言っても悠真とシーナの仲が悪いわけではない。むしろ一緒に遊ぶ時の二人はもうすっかり仲良しで、傍から見ればまるで実の姉妹の様だった。
年下たちの気持ちも知らずに悠真を心配する長男と、その長男が態度が気に入らない弟妹が長男から悠真を左右からきっちりガードしているのを見て、悠真としては苦笑いするしかない。吸血鬼であること以上に、元男のおじさんだということは説明が難しく、誰にも明かしていない秘密になっていた。
「そうだみんな。これ、知ってる?」
自宅へ到着して皆でバケツの水を家に備えた大きな水瓶に移している時に、ふと思いついて悠真は兄弟たちに声を掛ける。
三分の一ほどの水を残したバケツを持って兄弟たちから少し離れると、バケツの縄を握り直してから勢いよくそれを振り回し始める。突然の奇行に驚いて訝しげに悠真を見ていた兄弟たちの前で何周かバケツを振り回した後、慎重に勢いを殺してバケツを止める。
「水、こぼれる、ないよ」
と、兄弟たちにバケツを渡した。
「え?」
「本当だ!水こぼれてない!」
「逆さまにしたのに!?魔法!?」
実際には多少こぼれていたが、ほとんど残っているバケツの中の水を見て兄弟たちが驚きの声を上げた。
「魔法でなくて、みんな、できる」
やり方を言葉で説明するのは難しいが、こういう遊びは実践してみるのが言葉よりも早い。一番年下のシーナには重いバケツを振り回すのが難しく水をこぼして服を濡らしてしまったが、マルスとデニスは直ぐにやり方を覚えて成功させる。面白がって皆で何度もバケツを振り回し、シーナには水を引っ掛けられた。
そして、マルスが何度目かの挑戦のときに事件は起こる。マルスが振り回していたバケツの縄が切れ、中の水を撒き散らしながら家の壁へとぶつかって大きな音を立てた。
「「「「あ!」」」」
全員の慌てた声が揃い、壁にぶつかったバケツは地面に落ちて転がっている。音に驚いて家から飛び出してきたマーリドと、マーリドの息子で兄弟たちの父マジロが見たのは壊れたバケツと服を濡らして泥だらけになった子供たちだった。
悠真と兄弟たちの四人はマジロの雷を呼び起こし、特に首謀者たる悠真と実行犯であるマルスは頭にタンコブという勲章まで頂くことになった。そして近くの森に遊びに行こうと兄弟たちと話していた午後の時間を、バケツの修繕に必要な縄を綯う時間へと当てられるのだった。
マジロから作るように命じられた縄の長さはバケツの修繕には十分などころかずっと長く、悠真と兄弟四人がかりで作業小屋として使っている納屋での作業は夕飯前まで続けられていた。
十分な長さの縄を綯いだ後、そろそろ夕食の炊事の時間だと兄弟達よりも一足先に戻った悠真は、家で服を濡らしたマーリドと泥だらけのマジロを目撃することになる。笑顔が苦手なマーリドが珍しく満面の笑みを浮かべ悠真に見られて声を上げて笑いだし、マジロは悠真に見られてばつの悪そうな顔をしている。
いろいろと不便な所もあるけれども、今の暮らしも悪くはない。遠藤悠真は、いやユーマ・エンドと名乗る吸血鬼はそう思い始めていた。
――――
夕食を終えると寝る前までは家族団らんの時間となる。その日はマジロが子供たちに注意を促す話をしていた。
「やっぱり今年は――森で――蜘蛛が多い――。お前たち――森の深くまで入るなよ」
森の奥には大きな蜘蛛がいるらしい。通常なら人を見れば蜘蛛の方から逃げていくが、腹を空かせていると時には人に襲いかかってくる事もあるらしい。それが今年は大量発生しているらしく餌が足りなく常に腹を空かせている状態だと言うのだった。
また蜘蛛達は何匹かで集まり、数で勝ると見るや脅しが効かなくなりその数で襲われれば大人でも危険である。弱いが毒を持っており噛まれるとその場所の周りが小一時間ほど麻痺して感覚を失う。数で攻めてきた蜘蛛に無数に噛まれれば身動きが取れなくなるだろう。
もっとも美味そうな餌に群がっているだけで連携しているわけではなく、捕らえた獲物をその後どの個体が食うかでさらに争うのだ。獲物を捕らえるまでの協力関係、というわけだ。
本格的に餌が無くなると共食いもするらしく異常発生しても森から溢れて出てくる様な事は無いだろうとはマーリドの見解だが、それとは別に森の恵みを食い尽くされても困るので村の寄り合いでは既に対策を進めている最中とのこと。
森に遊びに行くのは控えるにしても、食材の採集であったり、薪拾いであったりと森へ行く用事は少なくないので森へ入ること自体は禁止というわけではない。だが蜘蛛は不意打ちを得意とする捕食者なので十分に注意しろと言うことだった。
つい最近まで日本の都会暮らしをしていたユーマにとって蜘蛛を始め虫は苦手としていたので大量の蜘蛛に襲われるなどと言われては心穏やかではない。
「ほーらユーマ。ユーマは柔らかくて美味しそうだから食べちゃうぞぉ」
ゴクリと音を立てて生唾を飲み込んでいたユーマの背後で、次男のデニスが近づきユーマの背中に手のひらを広げて当て、指を蜘蛛の足に見立てて動かす。
「ひゃひっ!うひゃあ!」
大人たちの話していた蜘蛛のイメージと、いきなり背中をまさぐられる気色悪さで、思わず可愛くない悲鳴を上げて近くのシーナを盾にして逃げたユーマだが、村で虫などを見つけてもこうした感じで逃げの一手である。少し距離をとって見るくらいならともかく、その虫がユーマに向かって走り出したりすると一目散に逃げだすのだ。
この虫嫌いは兄弟たちの中でもそれなりに弄りネタになっており、兄弟たちもつい面白がって虫を捕まえてはユーマに見せに来たりする。元三十路の男が八歳の女の子の陰に隠れるというのも情けない話であるが、苦手なものは仕方がない。そんな時に助けてくれるのはだいたいシーナだった。
シーナも虫は嫌いだが触るのは平気であるらしく、それらの虫を手で掴んでは何処かへ投げ捨ててしまう。マーリド・マイス家の先輩お姫様は農家の娘に相応しい程度には逞しく、虫を使って怖がる女の子を追い立てる幼稚な遊びから新人で年上のお姫様を守ってあげるのだった。
「デニス。あんまり騒がないの」
シーナがユーマを守るように胸を張って面倒くさそうにデニスを見やると、横からエルザがやんわりと止めてくれた。
そんな家族の歓談も日が暮れると共に終りとなる。マイス家に限らずおおよそ日が暮れれば一日の終りだ。ユーマがマルスから聞いた話では、冬場であれば暖を取るために暖炉に火が入っているということもあり、しばらくは暖炉の周りに集まっていたりもするという。
灯りが必要ならロウソクや油を使ったオイルランプなども有るが、高価ではないとは言え安くもない。それらの流通の多い都市ならともかくこの村のような辺境の農村では日常的に使うものでもない。祭りでもあるか、ユーマが来た時のように夜間の来客でもなければわざわざ灯りを点けることもなく寝てしまうのだ。
家族が寝室へと引き上げるのを見送ると、ユーマは柔らかい革のショートブーツにチュニックだけと言う昼間よりも軽装に着替え出掛ける準備をする。夜ならば蒸れるグローブも帽子も必要はない。
吸血鬼であるユーマにとっては、夜に出掛けるのはむしろ自然な事で、そして吸血鬼だからこそ夜でなければ済ますことの出来ない用事もあるのだ。