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25 本当の血の味ってどんな味ですか?

 ミュリーナによる許しを得たユーマは、ミュリーナの右腕の傷口へと無言で飛びかかっていた。口で直接、流れ出たばかりの血を前菜とするように舌で舐め取り、それがなくなれば、傷口へと口を運び、吸い付くようにまだミュリーナの体内を流れる血を吸い出す。


 息を付くのも惜しんで血を吸うユーマは、今朝ユーマを襲ったミュリーナの姿そのものと言っても間違いはない。興奮して言葉も忘れ、傷口に口をつけて血を吸うユーマは、まるで母乳を求める仔犬かなにかのように見え、ミュリーナにしてみれば庇護欲さえ感じさせる。


 ただ実際に吸っているのはミュリーナの生き血なのでその様子は凄惨そのものだ。貪欲に吸い付くユーマの口元は血で汚れ、赤く染まっている。そして安易にそれを許したミュリーナの余裕も最初の内だけだった。



 最初に流れ出た血を舐めて感じたのは、今朝舐めたミュリーナの血とまったく同じ血の味だった。ミュリーナの血は変わらず塩味と鉄を感じさせるが、それが堪らなく旨く感じる。しかし流れ出た血が無くなり、傷口から直接、ミュリーナの体内から血を吸い出した時、流れ出した血とは比較にならないほどの旨味がユーマの意識を痺れさせる。


 ミュリーナの血はそれだけでも旨い。しかし命から切り離される前の、身体の中に流れる本当の意味での生き血は、そんな流れ出ただけの血とは比較にならない味だった。強い酒のように舌や喉を焼き、だがそれがまったく不快ではない。一口で強い酩酊感を起こすが、どんなに大量であっても幾らでも飲み干せそうだった。


 ついさっき、怪我をしたミュリーナに近寄った時に感じた酩酊感はこれなのだろう。飲んでも酔いはしないのに、ユーマに多幸感とさらなる興奮を呼び起こすのだ。それはただ血を吸っているのではなく、ミュリーナそのものを自分の中に取り込んでいるのだと感じさせられた。



 魔術の心得の無いものなら、ユーマに血を吸われた時に説明のできない肉体の虚脱感を感じたのだろう。そして魔術師であるミュリーナにはその原因がありありと感じ取れた。ユーマが吸っているの血液だけではない。生き血と共にミュリーナの持っている魔力まで吸い出していた。


 ただ単に血を舐め、吸われるだけだと思っていたミュリーナにとっては、まったく予想外の出来事だった。血を吸われるのはもちろんだが、他者の魔力を強制的に吸い出すなどという話は聞いたことがない。通常なら個体が持つ魔力はその意識と強く結びつき、他者の魔力を自由にする事など出来るはずがないのだ。


「え、ちょっと、ユーマちゃん?」


 その魔力がまるで底に穴の空いた器のように、勝手に漏れ出していくのだ。初めて経験し、また噂などにも聞いたことのない事態にミュリーナも焦りを感じずにはいられなかった。思わず声を上げたミュリーナだが、興奮したユーマはそれでも吸血行為をやめられない。


 この世に在るあらゆる物に魔力は内在する。それこそ空気中にも希薄ながら存在するのだ。中でも人間や動物など意識を持つものにはより濃い魔力を内包している。しかし濃いとは言ってもそれぞれの個体が持つ魔力は通常ならば、それだけでは世界にほとんど影響力を持たない程度でしかない。


 ただ、魔物と呼ばれるような魔法の力を持つ怪物や、魔術師などは話が別だ。魔術などで力を行使するために自身の中にとりわけ強い魔力を溜め込んでいる。ミュリーナのように才能にあふれる魔術師となればその中でも格別に強い魔力を持っているのだ。


 そんな常人の何倍もの魔力の殆どを飲み込み、ようやくユーマはその行為を止める。満足げな表情を浮かべ上気した顔でミュリーナを仰ぎ見る。固有の魔力はその個の存在に深く関わっている。もしそのまま、すべての魔力を吸い付くされれば存在が崩壊する。それは死ぬということだ。動けないままに死に近づくような状況には流石にミュリーナも恐怖を感じずにはいられなかった。


 ユーマがそれを察してミュリーナの魔力の全てを吸い尽くさずに残したのか、ただ満腹で吸うのを止めたのかはその表情からは分からない。だが薄く笑みを浮かべた表情から興奮状態が続いているのは間違いない。ミュリーナの魔力を飲み込んだからか、夜闇を見る時にしか光らなかったユーマの眼が赤く光を帯びていた。


「ごめんなさい。ミュリーナ。とても、夢中になっていました」

「ううん。いいよ、そんなの」


 ユーマの雰囲気に、思わずミュリーナは生唾を飲み込む。自身の血と魔力を飲んだユーマは、普段の愛らしさはそのままに、何処か艶やかさと凄味がまして見えた。そんなユーマを見ただけで、先程までかすかに感じていた死に近づく恐怖は消え失せてしまう。


 死ぬのがどんなに恐ろしくても、ミュリーナにとって恐ろしいのはユーマではない。ユーマのためであるのなら命を投げ出す覚悟ならすでに出来ている。


「怖くなかったですか?」

「ちょっとだけ、ね。今朝のユーマちゃんの気もち、わかったかも」

「じゃあ、私とミュリーナでおあいこです」


 二人で笑顔を交わした後、ユーマは表情を引き締める。


「でも、まだです。彼を、なんとかします」


 ユーマは視線を、ミュリーナの背後で争う音が途絶えないエドガスたちと変異体へと向ける。ミュリーナが逃げられない以上、仲間たちも逃げる訳にはいかない。戦いながら変異体を誘導し、少しずつユーマとミュリーナから距離を取ろうとしているが、森の木々も邪魔してあまり上手くいっていないようだ。



 エドガスたちも、そしてユーマたちも知る所ではなかったが、変異体自身もエドガスたちがユーマたちから距離を取ろうと誘導しているのに気がついていた。だが、ユーマとミュリーナの方にこそ強い怒りの感情を持っている変異体は、そう簡単にユーマたちから引き離されるつもりはなかったのだ。



「う、でもどうしよ……私はしばらく動けそうにないし……」


 ミュリーナは変異体から隠れるように木陰にもたれ掛かっているために戦いの状況は見えないが、昨日の状況からみて何かしら対策を持って仲間たちが変異体と戦えばおそらく互角と言ったところだろう。ただ、一丸となって戦う場合のミュリーナはパーティの中で火力を担当している。


 そのミュリーナを欠いた状態では決め手に欠け、一進一退の攻防であろう。その状態で時間をかけて戦えば、仲間側の被害も大きくなってくる。手早く勝敗を決しなければ、他にも誰かに甚大な被害を受けかねない。


「私が、いきます。ミュリーナ、手伝ってください」

「……え、まってまって、ユーマちゃん!」


 自分が行くと言うユーマにミュリーナは慌てざるを得ない。ユーマのことを高く評価しているミュリーナだが、それはあくまで愛でる対象としてと将来性でという意味であって、流石にミュリーナでも現時点ではユーマを戦力としては考えていない。興奮状態が続いているユーマの気が大きくなっているとしか思えない。


「ミュリーナが手伝ってくれるのなら、大丈夫です」


 目を閉じて、と言いつつユーマはミュリーナに抱きつき、有無を言わせずに顔を近づけるので、ミュリーナは驚いて言われるままに目を閉じてしまう。積極的に動くユーマに、その雰囲気が違って感じるのはユーマが普段の何処か、自信の無さ気なところが無いからだとミュリーナは気が付く。


 目を閉じたミュリーナの額に、ユーマの唇が触れるのがわかる。足が動かないミュリーナが、ユーマの無茶を止めるのには言葉で説得するしか無いだろう。だが興奮して精神が高揚しているユーマに、どんな言葉をかければ止められるのか、それを考えながら、もう一度目を開いた時、ミュリーナを大きな混乱に襲われることになった。



 目を開いたミュリーナの眼前に、目を閉じたミュリーナ自身がいた。自分の顔を見間違える訳はない。そこにいたのは眠ったように目を閉じたままのミュリーナ本人だった。


「さあ、行きましょう。ミュリーナ」


 何処からか響くユーマの声を聴きながら、ミュリーナは自分の身体を大切そうに寝かせ直し、戦いが続く仲間と変異体の方へと向き直る。勝手に動く身体のその視線はずいぶんと低い。そして遂にその身体は変異体に向かって走り出す。


「なにこれ! ユーマちゃん!?」


 驚いて出たその声は、ユーマの声だった。ミュリーナの身体が勝手に動いているのではない。ユーマが見ているものをミュリーナもまた見ているのだ。勝手に動くのはそれがユーマの身体であり、ユーマの身体の中にミュリーナの意識が同居している様な状態だとなんとか理解する。


「ミュリーナと一緒なら、きっと大丈夫です!」



 変異体との戦闘は、長引きそうだった。昨日とは逆にエドガスが変異体の主な注意を引き、時々ケアリオとその役目を変化させることで変異体の虚を突きながらそれぞれの得物で攻撃する。それぞれの刃はヒルダの魔力を宿し、変異体の外殻を削るだけでなく、有効な傷を与えられるようになっている。


 しかし、どれもこれも浅く致命傷には程遠い。最も大きな傷を負わせたのは、初手のケアリオによる眼への突きだろう。以降、変異体はケアリオの方を危険視し、眼などの柔らかい部分へケアリオに攻撃させないように牽制を繰り返している。


 だからこそ、エドガスがケアリオより変異体の注意を引くように動いているのだが、エドガスの方を向いているときでも変異体はケアリオへの牽制を忘れない。大蜘蛛どもに比べて、簡単には注意を一箇所に集中させられないのだ。


 ヒルダに攻撃側へ回ってもらえば均衡を崩せるだろう。しかしそれはどちらに転ぶかわからない。今はヒルダが魔術による要所の防御を行なっているおかげでエドガスとケアリオへの変異体からの致命的な攻撃を防げているのだ。エドガスとケアリオ、そしてヒルダの三人のうち一人でも欠ければ、たちまち不利な状況に陥るだろう。


「おい! ユーマ!?」


 ケアリオの驚きを含んだ声でエドガスは集中を途切れさせられる。エドガスから死角になる、変異体の陰になる部分からユーマが変異体に向かって走り込んでいたのだ。それを確認して驚くのはケアリオだけではない。確かに昨日もユーマが変異体に突っ込んだが、それはミュリーナを助けようとしてのことだ。


 肉薄した戦闘ともなれば余計なことは考えないに限る。まさか、ミュリーナを連れて逃げさせたユーマがミュリーナを置いて戻ってくる様な事はないだろうとすっかりミュリーナとユーマの事は思考の外に追いやっていた。とは言え緊迫した状況で想定外の事が起きるのは珍しくはない。


「うおぉぉ!」


 武器を持っていないユーマは拳を握り素手で殴りかかる。それはあまりに無謀な攻撃だろうとエドガス達の目には映る。エドガスもケアリオも、ヒルダの魔術で武器を強化して初めて有効な攻撃となっているのだ。そんな相手に素手で殴りかかろうなどというのだから正気の沙汰ではない。


 ユーマも殴りつけたとしても変異体に傷を負わせることが出来るとは思ってはいない。思うように攻撃が出来ないでいるエドガスとケアリオから注意を反らせればいいのだ。だが、変異体に感じた怒りを忘れたわけではない。だからどうせやるなら中途半端ではユーマの気が収まらなかった。


 小ぶりに振りかぶった拳を突き出し、その拳が変異体へ接触する瞬間、更に足でもう一歩を全力で踏み込み前進する。自身への反作用を一切考慮に入れず、全力で殴った拳を全身の力で更にねじ込む、体当たりの勢いを拳だけに乗せた一撃が変異体の身体を揺らす。


 すぐ側でそれを見たケアリオが驚きの声を上げる。昨日ケアリオとエドガスが二人ががりで体当たりをして揺らした変異体を、ユーマひとりで揺らしてみせたのだ。もちろんそんな無茶をしては殴りつけたユーマの方も無事では済まない。殴りつけたユーマの拳は皮膚が爆ぜ、骨にも異常が起きている。


 だが、ユーマにとってはそんな傷は放って置いても、すぐに治ってしまうのだから気にする程の事ではない。そしてユーマにとっても予想外なことに、手袋の下の傷ついた手が、普段よりも更に速い速度で治っていくのを感じる。


 殴り終わって数歩後ろに後退した時には、その手は問題なく使える状態にまで治っていた。ただ、こんな攻撃方法では変異体の注意を引けても自分が傷つくばかりで相手に傷を負わせることは出来ない。


 突然後ろから殴られた変異体が、ケアリオへの牽制を忘れずにしつつも後ろを確認しようと身体を回したことで、変異体の注意から外れたエドガスは自分の剣を地面に突き立てて手放し、背負っていた小振りの剣を変異体の頭上を飛び越えるようにユーマに投げてよこす。


「使え! ユーマ!」


 エドガスが投げた剣を左手で受け取り、昨日まで使っていた鉈と同じ構造で作られた留め具を、昨日まで引き抜く動作だけは何度も行なって来たのと全く同じ動作で右手だけを使って外し、その剣を鞘から引き抜く。


 ヒルダに何かしらの魔術が施されていると指摘された小振りの剣は、鞘から引き抜くと同時に鈍く暗く輝き出す。ヒルダの魔術が付与されたエドガスたちの武器と似て軌跡に輝きを残すその光は、ユーマの眼と同じ緋色の輝きをしていた。


――ドゴギ、ギッデダンダゴ、ギ、ユーマァ!

『あんたに関係ないだろ』


 剣を抜いたユーマの方へ変異体は向き直り声を上げる。その変異体に対しユーマは落ち着いた様子で短く返事をする。落ち着いているが半眼で睨みつける赤い目は相手を只の敵としか見ていない。もう相手への恐れもなく、それが自分と同じ元日本人かどうかということもどうでも良い事だと切って捨てていた。


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