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02 裸の吸血鬼ですが一晩泊めてもらえませんか?

 老人は青い目で悠真を推し量るように上から下まで視線を投げかけながら何事かを言うのだが、悠真にはその言葉が何を意味しているのか全くわからなかった。


「あの、ええと、日本語じゃなくて、英語とかは?……キャン ユー スピーク イングリッシュ? プリーズ ヘルプ ミー」


 英語が通じるか確認してみる悠真だったが、悠真自身も英語が得意なわけではなく、英語で答えられても状況は今より少し良くなる程度だっただろう。老人はまた何事かを言いつつ首を振り、手に持った燭台を扉の横の燭台掛けに取り付け両手を空かせると、自身の前開きの上着を脱いで戸惑っている悠真に差し出した。


「え、あ、ありがとう、ございます」


 恐る恐ると上着に手を伸ばす悠真に対して焦れたのか、老人は扉から一歩、悠真に向かって踏み出すとその上着を悠真の肩へと羽織らせたのだった。大柄な老人の上着は悠真の身体を覆い隠すのには十分すぎるほどの大きさがあった。


「す、すみません。ありがとうございます……」


 悠真がもう一度お礼を口にすると、老人もまた悠真に二言三言話しかけるが、言葉がわからない為、どう返事をして良いのか分からず、悠真は老人に着せられた上着を内側から握って俯いた。


 他の家を訪ねたら日本語が通じる人がいるだろうか? そんな事を考えつつ同時にその考えを否定する。一晩中、必死になって探し回っても言葉が通じる人は見つからないだろう。昼間に見た景色も、この辺りの家屋も日本のイメージとはかけ離れている。その上この青い目の老人は悠真がまったく聞いたことのない言葉を喋るのだ。


――ここは、日本じゃない。


 そう考えたほうが説得力があるように思えた。目の前に人がいても助けを求めることも出来ないでいた。見知らぬ土地でこれと言った策も無く、誰かしら人を見つけて助けてもらおうとしか考えていなかった悠真はそのまま押し黙ってしまった。途方に暮れるとはこういうことだろう。


 悠真が黙って俯いていると不意に老人の手が悠真の肩に置かれた。意気消沈して呆然としていた悠真はびくりと肩を驚かせて老人を見上げると、老人は険しい顔をしたまま空いた手でもって悠真を戸口へと促した。開放された戸口から家の中に視線を送ると中には老婦人と男性が一人、そして三人の子供たちが家の中から悠真を物珍しそうに見ていた。


「あ……おじゃまして、いいですか?」


 改めて人の目を感じて着せられた上着の前を服の中から手で抑えると、悠真は戸口へ半歩踏み出しつつ老人の顔をうかがうと、老人は険しい顔のまま小さく頷き返し軽く背を押すように悠真を招き入れた。


 中に入るとそこはそのまま居間なのだろうか、広めの部屋にテーブルと椅子、そして奥には部屋から張り出したように調理場が見えた。悠真の後ろで扉を閉め、閂を掛け直ている老人が家族であろう面々と言葉をかわしそれぞれが動き出した。


 子供たちは興味津々といった様子で悠真を覗き込んでいたが、年長の子供がなにか言おうとしたのを止めるように、その父親であるらしい男性が子供たちを別室へと連れ出していく。老婦人は炊事場に向かい火の落ちた竈の上に乗っていた釜を覗いた。


 老人は悠真に見えるようにテーブルを指差してから連れて行くと椅子を一つ引いて悠真を促した。悠真が大人しくその椅子に座ると、老人はテーブルの角を挟んで斜め向かいの椅子に座り、悠真に改めて何かを話し出す。やはり何を言っているのか悠真にはわからないが、先程よりも一言一言をゆっくりと話しているようだった。


「あの、すみません。わからないです……」


 老人にも悠真の言葉は分からないだろうが、悠真としてもせめて分からないことを伝えるために日本語で応答した。老人も言葉が通じないことを確かめようとしたのか、意思の疎通が伴わない会話の後は悠真を見つめつつ少しのあいだ黙って手を口に当てて考え込んでしまった。


 悠真も老人を見ていたが何か名案が浮かぶわけでもなく、段々と居た堪れなくなってくる。そうして悠真が視線を外しかけたとき、老人は手を自分の胸に当てて少し大きな声ではっきりと一言短く声を発する。


「マーリド」


 そして老人は胸に当てた手を悠真に向けた。何だろうかと悠真が戸惑っていると老人は少し手順を増やしてもう一度それを繰り替えす。炊事場にいる老婦人を指差し一言。


「エルザ」


 そしてその手も自分の胸に当て一言。


「マーリド」


 最後にその手を悠真に向けて、その姿勢で何かを待つように止まる。老人が二度繰り返したその行為の意味を悠真は理解する。


「悠真、悠真と言います!」


 悠真が名乗ると老人は先程の行為を更にもう一度繰り返した。老婦人を指し「エルザ」と。自分に手を当て「マーリド」と。そして最後に悠真に手を向け一言。


「ユーマ」


 悠真は思わず老人の、マーリドの手を掴んでいた。お互い言葉が通じない状況に特に策も思い浮かばず途方に暮れていた悠真だったが、マーリドは決して諦めずに悠真とのコミュニケーションを取ろうとしてくれていたのだ。その結果としてマーリドは名前を教え合うというコミュニケーションの初歩を成立させた。


 老婦人、エルザがパンとシチューを載せた木製のトレイを持ってきたのは丁度その時だった。マーリドは自身の手を掴んでいた悠真の手に、エルザが食事と一緒に持ってきた匙を握らせ、食事を促してくれた。


 食事を目の前にすると自然と口の中に唾液が出てくるのを感じていた。老人たちにもう一度頭を下げて感謝を伝えようとした悠真だったが、それと同時に悠真の腹から大きな音を鳴らし、老人二人はつい吹き出してしまっていた。



 ――――



 居間の壁際にある長椅子をベッド代わりに借りて悠真は身体を横にしていた。よく寝られたとは言い難かったが、その原因をベッド代わりと言うにはそこそこ硬い長椅子の所為だけにするのは、長椅子に失礼というものだろう。


 昨晩、食事をとった後すぐにマーリドから毛布と共に長椅子を貸し与えられ、就寝となった。灯りもすぐに落とされたが、悠真は灯りがなくとも暗闇の中で物を見ることが出来る。とは言え流石に夜中に室内を勝手に調べて回るのは失礼だろうと長椅子に座ったまま見渡すだけであったが室内を見回してみた。


 そうして分かったことをもう一度整理してみる。まず、この部屋には電灯やテレビなど家電の類は見当たらない。そして炊事場にも冷蔵庫やレンジも無い。ガスコンロも無く、代わりにあるのは煉瓦を組んだ竈だった。竈は居間との境目付近にある大きな暖炉と繋がっているらしい。時計なども見当たらなかった。


 悠真が知っている文明的な生活とは大分かけ離れた家だと思えた。マーリド達が特別に文明から離れた生活をしているというわけでもないだろう。この集落の家は大体似たような造りをしていたのを昨日見ているし、他の家でも同じなのだろうと予想をつける。


 テレビ番組で外国のまだ未発展の地域の特集などを見たことはあるが、日本にもそういった地域があるという話は、悠真は聞いたことがない。マーリド達が白人系の人種であることも含めて、やはりここが日本ではない可能性が高いのでは無いだろうかと考えた。


 日本でないとしたら、自分はなぜここにいるのか? という問題にたどり着くのも最初ではなく、夜中の間ずっと考えていたことだ。誘拐されたのかと考えてみても、誘拐したとして誘拐した男を海外まで連れ出して放り出していく意味がわからない。


 そして、そもそも悠真の身体は今、男ではない。毛布の下で身体をまさぐってみるが、触り心地の良い肌の感触とともに確認できる現実に三十余年来の相棒はそこには無い。自身に何が起きているのか、疑問に答えは、無い。


 問題は他にもある。夕食と一晩の宿を得ることができたが、悠真の今の心配事はこれからどうするか、である。昨日の様子からして昼間に外に出るのは自殺行為だろう。このまま朝を迎えたら夜まで外には出られない。


 マーリド達はそれまで悠真を家においてくれるだろうか? もし出ていくのであれば、日が昇る前でなければいけない。そう考えたものの、その考えに至るのは遅かったと言わざるを得ない。鎧戸の隙間から見える外の色が闇から薄明かりへと変わってきていた。


「――――ユーマ」


 不意にマーリドの声がして、悠真は飛び跳ねるようにして起きあがる。


「マーリドさん。……おはようございます」


 居間に入ってきたマーリドはそのまま窓の鎧戸を開け、家の中に朝の光を取り込んでいく。窓にはガラスはなく、鎧戸があっただけなので光とともに夜の間に冷えた空気も一緒に入り込んできていた。


 マーリドが悠真の近くの窓を開けるときには、悠真は後ずさるようにして壁の後ろに下がる。頭を出しかけた陽の光が、窓を開けているマーリドをほぼ真横から照らしていた。マーリドを照らす光を見て、悠真は決心する。


――打ち明けるなら、早いほうが良い。


「……マーリド」


 最後の窓を開け終わったマーリドに悠真は声をかけた。打ち明けると言っても言葉では説明ができない。説明出来たとしても、もし悠真が他人から聞いても信じられないだろう。わかりやすく打ち明ける方法は一つしか無いと思えた。ふと、自分は今、どんな表情をしているのだろうと言う思いがよぎる。


 名前を呼ばれたマーリドは悠真へ向き直る。呼ばれたからと言って悠真とは言葉が通じないことは昨晩確認済みだったが、悠真の様々な感情が入り混じったような表情になにかあるのだろうと視線を外すこと無く悠真を見ている。だがその表情を一言で表すのなら、恐れだっただろう。


 マーリドから借りた上着の前を開け、そこから悠真は右腕をゆっくりと前に伸ばした。マーリドは今開け放った窓から差す光の中にいる。その朝の光の中に悠真は腕を差し入れていった。


「見ていて、ください……」


 陽の光に曝されて悠真の肘から先は、白い肌がより一層輝いているかの様に美しかった。でもそれは最初だけの事だ。悠真が小さく呻くと次第にその肌は赤く腫れ、爛れ始め水疱が出来始めた。マーリドはその急激な変化を目を見開き見つめていた。


 悠真は奥歯を噛みしめる。日光に差し出した右腕の肘から先の半面を熱さと痛さが走る。腕を炎で炙っているのか、焼けた鉄板に押し付けているかの様だった。微かに漂う肉の焼ける匂いは窓から入る冷気にすぐにかき消されてしまうが、その匂いに気が付かないと言うほど微弱ではない。


 あまりの痛みに今すぐにでも腕を引っ込めたい悠真だったが、マーリドに見せたいモノにはまだもう少し先がある。程なくして、爛れた腕は水疱を弾けさせながら黒ずんで行き炭化しながらその範囲を広げていく。水疱の中の体液や爛れた表面から直ぐに蒸発していく。そして炭化のした部分から更に薄い白煙を上げながら灰となり始めていった。


 目の前の凄惨な情景を前にして、マーリドは食い入るように悠真の腕を見ていたが、灰の匂いに正体を取り戻し、慌てて悠真の腕を掴みながら朝日の中から押し出した。影に入ったマーリドはその手に掴んだ悠真の腕を確認するが、今度は急速に治っていく腕を目撃することになる。


 悠真は薄れていく痛みに耐えながら、マーリドの反応を待った。もしもこの場で家を追い出されたら、身体を焼きつつ彷徨い歩くことになるだろう。安全な場所を見つけるのが早いか、焼き尽くされて死ぬのが早いか? すこしやりすぎたのではないだろうか、早まったのではないだろうかと迷いつつも、しかし遅かれ早かれ知られることになることだ。


 マーリドがどのような判断をするのか、それを待つのが怖くて悠真は腕だけをマーリドに預け項垂れて床を見ていた。焼けて死んだ組織がごそりと灰となって床に落ち、腕の痛みが完全になくなる。治癒が終わったのだろう。その後もしばらく悠真の腕を確かめていたマーリドが、悠真に声を掛けた。


「ユーマ、――――」


 悠真は名前を呼ばれてびくりと身を震わせる。しかしマーリドは悠真の乱れた服――と言っても上着しか無かったが――を直すと汗で濡れた悠真の額を手で拭う。そして悠真の両肩に手を置き腰をかがめて身体の小さな悠真と視線を合わせた。


 首を振ったり頷いたりしながら、マーリドは悠真に語りかけている。マーリドの表情は真剣ではあるがその分感情が読み取れなかった。マーリド自身としても今語りかけている内容が通じていないのは分かっているはずだったが、言わずにはいられなかったのだろう。


 短く語り終えるとマーリドは立ち上がり悠真の頭を少し乱暴に撫でると、悠真から離れた。そのまま部屋を出ようと少し歩き出すが、思いついたように悠真が寝ていた長椅子に近い窓の鎧戸を閉め直し、それから部屋を出ていった。


 玄関口ならすぐそこなのだ。マーリドがもし悠真を追い出すつもりならとっくに追い出しているだろう。そう考えるとまだここにいることを許されているのだろうと思い、悠真は深く息を吐きながら緊張を解いた。それと同時に体の力も抜けてしまい、よろよろと長椅子へとへたりこんでしまった。


 部屋を出ていったマーリドはすぐに戻ってきて悠真の名前を呼ぶと、手に持って来たものを悠真に手渡して悠真が落とした灰を指さした。マーリドの表情は強張り、作ったような表情だったが、その笑顔はすこしいたずらっぽそうな笑顔をしていた。


 マーリドが悠真に手渡したのは、箒と塵取りだった。


「……あ、はい。片付けます」


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