17 大切なのは一緒にいた長さじゃないんです
「ミュリーナ、これを取る、手伝いをくれますか」
ユーマの声にミュリーナに若干の緊張が混じる。ミュリーナ以外の冒険者たちの中では、ユーマの怪我はミュリーナの癒やしの術で治癒が進んでいると認識されていた。ミュリーナがそう言ったわけではない。それが出来るのはその場にいたミュリーナだけだったからだが、事実は違うことをミュリーナだけは知っている。
もちろん止血や当て木を当てての骨の固定、ヒルダによる疫病などへの対策もあった。しかしユーマの怪我そのものは本質的にはユーマ自身の治癒力だけで、それも一晩で治ってしまったのだ。それが自然な状態での治癒ではないのは間違いなく、何らかの魔術的な、あるいは魔法的な力が働いていたはずだ。
その事実をただひとり知っているミュリーナとふたりだけの状態で、怪我の確認をしようというユーマの言葉に、緊張を感じるのは仕方がないことだろう。もっとも緊張をしているのはユーマも同じだった。
まずユーマは怪我の様子を確認し、その上で怪我の治りの速さについてミュリーナに説明するつもりでいた。それは自分が吸血鬼であるということを、つまり人間ではないということを告白するということになる。
マーリドたちのように受け入れてもらえたという前例はあった。おそらく、マーリドが受け入れ、家族は家長であるマーリドに説明され、説得されたのだろう。しかしそのマーリドも他の村人たちにはユーマが吸血鬼であるということを隠していた。つまりマーリド自身も受け入れを決めたのは稀な例だと認識していたのだ。
それを隠したままでミュリーナ達の仲間となってもいつかは露呈してしまうだろう。ならばそうなる前に告白したほうが良いとユーマは考える。だがミュリーナたちに吸血鬼を受け入れてもらえるかはわからない。説明はしなければならないが拒絶されるかもしれないのが怖かった。緊張するなと言う方が無理がある。
「うん……痛かったら言ってね」
「はい。大丈夫です」
ミュリーナを迎えに行く前に、ユーマは包帯の上から触れてみたり、軽く叩いたりして腕にもう痛みがないことを確認していた。起きてまだ一時間も経っていないのだから、ほんの二、三時間前までは寝付くことも出来ないほどの鈍痛がしていたのにもかかわらずだ。
ミュリーナは丁寧に包帯を剥がしていく。上腕部の包帯の端から、手首の方向へと少しずつユーマの腕が現れる。半分以上の包帯を剥がすと、当て木が不安定になるので、包帯を外すまでの間は当て木をユーマが右手で支えた。
「すごい! すごく綺麗になってる」
包帯の下から現れたユーマの左腕の肌はミュリーナが言った通り、傷一つ無い状態で腫れもなく怪我をしていた痕跡すらない。ヒルダは傷跡が残るかもしれないと言っていたが、きめ細かい肌には狼の歯型などはなく、ミュリーナが手にとっているユーマの腕の角度を変えて月の光に照らしても、滑らかな表面にそれらを含めて無粋な痕など一つも存在してはいなかった。
ミュリーナが驚いたのは治りの綺麗さだけではない。ヒルダは確かに今日中には完治するとは言った。しかし今日はまだ日も明けていない未明の時間だ。時間にして、あのひどい怪我から半日もたっていないのだ。
「はい。もう大丈夫です」
ユーマはその左手でミュリーナの手を、少し強めに握る。ユーマの握力は見かけによらず強い。だからユーマに強く握られると少し痛いくらいだ。強く握ってユーマ自身の握力にも問題がないことを示してみる。
「もう、全部治りました」
そういった自身の声がユーマには酷く掠れているように感じた。
「こんなに早く治るなんて、やっぱりユーマちゃん……」
「はい。知っていますか?私は吸血鬼です……おそらく……」
吸血鬼という言葉を口にしたユーマ自身が、背筋に寒気を感じた。最初から受け入れてくれていたマーリド以外の相手に対して、ユーマは初めて自分をそう言い表した。途端に全身が震えだし、ミュリーナの手を握ったその手も震えていく。
「ミュリーナ。わた、私は、吸血、鬼、で……」
体が震えると、どんどんと言葉が出なくなっていく。顎まで震えて上手く声が出せないのだ。吸血鬼であることを伝えて、それから、どうすればよかったのだろうか? その後に何を言おうとしていたのか、何を聞こうとしていたのかが思い出せない。
次に思い浮かんだのは後悔の念だった。やはり吸血鬼だと伝えるべきではなかったのではないだろうか? 伝えるにしても時期尚早だったのではないだろうか?
「ユーマちゃん大丈夫?」
気が付いた時には、ユーマはミュリーナに抱き抱えられていた。自身に感じた恐れに身を震わせ始めたユーマを安心させようとしたミュリーナが、ユーマの震えを外から止めようとしているかのように、しっかりとユーマを抱き締めていた。
「は、い……あの、ミュリーナは、大丈夫、ですか?」
「うん?なにが?」
「わ、私は、吸血鬼が怖い、です。私が吸血鬼です。ミュリーナは、怖いはないですか?」
ユーマはミュリーナの腕の中で絞り出すように声を出す。怖くてミュリーナの顔が見られず、見ないように頭を項垂れると自然とミュリーナの胸に顔を押し付けるような形になってしまった。だがその事を気にする余裕はユーマにはない。滲んだ涙がミュリーナの胸元を濡らし始めていた。
この体になってからのユーマは、どうも感情を抑制できないでいる。端的に言えば涙脆くなってしまっていた。以前はこんなに簡単に涙を零したりはしなかったはずだ。
「私は大丈夫だよ。ユーマちゃんはどうして怖いの?」
「吸血鬼は、怪物、違いますか?吸血鬼は人を襲ったり……ミュリーナを襲うかもしれません。ミュリーナを怖がらせて、どこかにいなくさせてしまう、が怖いです。ミュリーナを襲って、殺してしまうは、嫌です」
単純な話なのだ。知らない世界に放り出されたユーマが、この世界で居心地の良さを感じているのも、ミュリーナに吸血鬼であることを告白したことで感じる恐怖も、その理由に通じていた。
以前は友人と呼べる者は多くはなく、そんな数少ない友人ともそう頻繁に会うわけでもない。ひとりでいることには慣れていたはずだった。だが、今のユーマは、拒絶されることを酷く恐れていた。
「独りになるのが、私は、怖いです」
抱きしめてくれているミュリーナの体温が暖かく、このまま抱きしめていて欲しいと願った。少なくとも抱き締められている間は、それは相手に認められている証拠だと感じるられるし、独りになることはない。ユーマの身体の震えは止まらないが、ミュリーナの体温が移ってくるとその震えはいくらか収まってきたようにも思えた。
「私は、ユーマちゃんと一緒にいるよ。だから、安心して。ユーマちゃんが吸血鬼でも、私と一緒にいたいって思ってくれる限り、ずっと一緒にいるよ」
そう意識していたわけではない。しかしその言葉こそ、ユーマが欲しかった言葉だった。言葉にして聞いた後ならばはっきりと認識することができる。自分自身でもまだ、よく分からないでいるユーマの事を、冒険者の中でもっとも強く興味を示しているミュリーナから聞きたかった言葉だった。
「ね、ユーマちゃん。こっち見て」
「はい? んっ!」
ミュリーナの言葉を聞いた途端に身体の緊張が抜け、振るえが止まっていたユーマは言われたままにミュリーナを見上げると、そのユーマの口はミュリーナの口で塞がれていた。
「ごめんね、ユーマちゃん。我慢できなかった」
「い、いえ……大丈夫です」
ユーマにとってファーストキスという物には特別な思い入れはない。この体になってからはもちろん初めてであって、男だったときのことは……子供の頃のアレはカウントに入れなくて良いだろうと思う。ただ、不意を突かれたので驚いただけだった。
「ユーマちゃんはがんばってくれたから、私も言っちゃおうかな。でも、ユーマちゃんは私がユーマちゃんをどう思ってるか気が付いてるよね?」
「は、はい。でも……」
「うん。でも?」
「はい。多分ですけど……ミュリーナは良いんですか?」
「なにが?」
「ミュリーナは、その、ええと……」
言って良いのか迷い言い淀むユーマに、ミュリーナがその先を促す。
「言ってみて。ユーマちゃん」
「はい。ミュリーナは、私のことを、その、好きなんですか?」
「そうだよ?」
ミュリーナがユーマにぶつける好意はわかりやすい。口で言われなくても、そしてユーマでなくても、気がつかないわけはないだろう。気が付かないのだとしたら相当の朴念仁だけに違いない。
「でも私は、その……ミュリーナは、女の子が好きなんですか?」
「うん、そうだね。ダメ?」
正確には女の子“も”好きなのだが、ミュリーナはあえてその場での訂正はしない。それ自体はその場の雰囲気を壊さないためと、ユーマを思っての気遣いだったが、後者については逆にユーマに心の引っ掛かりをつくる結果となる。今の身体はともかく、ユーマは今でもその心は男であるという意識がやはり強い。
「いいえ。駄目ではない、ですけど」
「ダメじゃないならいいよね? ユーマちゃんのこと、私が貰っちゃっても」
「ま、待ってください!ダメです!」
思わず叫んでしまったユーマの言葉に、今度はミュリーナが身を縮ませる。その先へ進むことを止められるということは、それこそ拒絶の意思表示だと感じられた。拒絶されることには慣れていると思っていた。
ミュリーナが入れ込む層は、少し可愛い系に偏ってはいるものの男女の別なく年下からすこし年上までと幅が広いが、自身の強すぎる押し方の所為か、それとも違いすぎる好みの所為か、成功例は実に過去に一軒のみ、とある女性と短期間の間だけだった。だがやはり、拒絶される時の心への負担は無くなりはしないらしい。
ユーマは即座に迂闊な止め方をしてしまった事を悔いる。言いたかったのはそんな言葉ではない。つい先程、ユーマを支えてくれたミュリーナを今度はユーマが支えなければならないのだ。
だがそれは義務からではない。出会ってまだ数日しか経っていないミュリーナは可能な限りユーマのことを気にかけてくれていた。だからと言ってユーマも、こんな思いを抱くのはいささか軽率だろう。だがそれが何なのだろうか? ミュリーナがユーマを弟子に取ると言い出し、その話に乗ろうとしている事は軽率ではないのだろうか?
拙速だとか軽率だとか言っても一歩を踏み出さなければいけない時はある。判断を下すのは今をおいて他にはないと感じた。そこにメリットもデメリットも考える余地が無いのであれば、自分がどうしたいか、どう在りたいかが重要だった。
「ユリーナの好意は嬉しいです。だからその先は、私が言います。ミュリーナ、私と、恋人になってください!」
「はえ?」
ミュリーナにしてみれば、拒絶されたと思った次の瞬間のことである。ユーマが何を言ったのか、理解するのが遅れてしまう。ミュリーナの意識が揺らいで体の力が抜けると、ミュリーナが支えることで立っていた二人がその場で抱き合ったまま座り込んでしまった。
「えっと、ユーマちゃん。本気で言ってる?」
「んな、ひ、ひどいですミュリーナ! 私は、ほ、本当です」
気が多く、相手を口説こうとすることについてはそこそこ場数を踏んでいるミュリーナだったが、その想いが通じた例は少ない。ましてや、相手から告げられたことはなく、ミュリーナは堪らずしどろもどろとなってしまう。そこから先の経験はあまりないのだ。
「ミュリーナ?」
「あ、うん。大丈夫。ええと、これは? 逆に私がユーマちゃんに貰われちゃったのかな?」
「ミュリーナ、落ち着いてください」
どっちが貰ったとか貰われたとか言うのはこの際重要な事ではない。お互い意識をしていた者同士の想いが通じ合ったという一点のみが重要なことだった。
「あ、でもさっきユーマちゃん、私を襲うかもしれないって言ってたし、これは襲われちゃうフラグが立ったみたいな感じ?」
「みゅ、ミュリーナ、だから、落ち着いてください」
ミュリーナが状況を理解していくと同時に、段々とテンションが上り始めて、いや、とめどなく上がっていっているのが見て取れる。とっくに勢いを振り切ったその上げ幅に、ユーマが危険を感じるほどだ。
「あぁ!でも!」
突然ミュリーナに肩を捕まれ、ユーマは押されて地面に倒されてしまう。
「でもね、ユーマちゃん。ユーマちゃんは襲う方じゃなくて、襲われちゃう方だからね?」
「ひっ、み、ミュリーナ……」
ミュリーナの顔が近く、ユーマを見るその目が据わっている。
「ミュリーナ! 止まって! 止まってください! 時間がないです!」
「はえ? 時間?」
早くに抜け出してきたとは言え、真夜中ではない。夜明け前に軽装で少し話したいと言うつもりで抜けてきたのだから、その時間は有限だった。ミュリーナがテンションを上げている間に東の空が白み始めてきていた。
「う、嘘! あ、ここで? ここでお預けとか!」
「ミュリーナ、こんど、今度時間をゆっくり作りましょう。だから、落ち着いて一度帰ります。でないと、日の光に焼かれてしまいます」
ミュリーナは心底、そしてこれ以上無いくらいの無念そうな表情をしつつも、いくらかの冷静さを取り戻す。
「ごめんユーマちゃん。これだけ」
起き上がる前に、すぐ近くにまで寄せていた口を合わせ、そしてミュリーナはユーマを助けて立ち上がる。問題行動を起こすことのあるミュリーナだが、大切な人が焼けて苦しむのを見て喜ぶような趣味は流石に持っていない。ユーマは今や、ミュリーナにとって一番大事にしなければいけない人なのだ。
「ありがとう。ミュリーナ」
助け起こされて、ユーマが感謝を伝えるが、それが助け起こしたことへの感謝なのか、それともミュリーナが正気を取り戻したことへの感謝なのかは傍目に判断はつかない。
「今日は森はお休みです。でも、グローブを直さないと明日困ります。ミュリーナ、手伝ってください」
ユーマの言葉にはミュリーナも頷く。二人のこれからのためにも、喫緊の課題はユーマをエドガスに認めさせなければいけないということがある。もっともミュリーナはその点についてはそこまで心配はしてはいない。昔なじみのエドのことだ。エドガスがダメだと言ったとしても最悪、汚い手段の一つや二つは思いつかないでもないのだ。