16 やっと帰ってこれました
ユーマが村に到着した頃には、やはりもう少し休憩しておけばよかったと後悔するくらい、左腕の痛みが疼いていた。怪我をしたときよりも、怪我をした後の方が痛いのではないかとユーマは疑うほどだ。結局見かねたミュリーナに肩を貸してもらうことになってしまった。
もっとも本当にアインに噛まれていたときか、骨がもとに戻った時の痛みが続いていたら歩いて帰るどころの話ではなく、もしそうならユーマはのたうちまわるか、痛みのあまりのたうち回ることすら出来ないでいたかもしれない。
村に戻ってからはそれはそれで大騒ぎだった。先に戻っていたケアリオがマーリドを呼び出しておいたのだろう。ユーマたちの到着を冒険者たちに貸している納屋の前でマーリドとその一家、そして村長を含めデニスの捜索にあたっていた村人達が総出で出迎えており、その中に家族の姿を見たデニスが走っていく。
デニスが無事に戻ったことを声を上げて喜ぶ一同だったが、冒険者たちと一緒に到着したユーマが怪我をしているのを見て、どうしたのかと騒ぎになり、その怪我を負わせた狼を連れて帰ってきたと聞いてまた大騒ぎである。危うくアインは吊るし上げられるところであった。
アインについてはデニスと、噛まれた当人であるユーマにより助けられ、デニスの安否が確認できたということで村人たちは安堵しつつ解散となり、村長はついでということでその場で冒険者たちからの報告を受けてくれることになった。蜘蛛の糸で捕まっていただけで直接的な怪我などをしていないデニスは、休養が必要ということでマジロたちと共に家に戻った。
怪我をしているユーマはその後の措置をするため、ミュリーナとヒルダと共に冒険者たちの泊まる納屋へと先に戻る。アインはデニスとユーマの行き先が別れたことで迷っているようだったので、ユーマにより納屋の前で待つように命じられて納屋の前に伏せていた。
「さあ、見せてちょうだい」
納屋に入るとヒルダがユーマを促す。魔術の中でも守護や癒やしを得意とするヒルダに怪我の具合を確認してもらう。魔術だけで言えばミュリーナにもほとんど同じことが出来るが、ヒルダの方がそれに必要となる知識が豊富なのだ。椅子に座らせたユーマの怪我をした左腕をミュリーナが取り、患部を覆ったタオルを丁寧に剥がしていく。
「ふぅん。癒やしの術は順調みたいね。毒抜きはもうしたの?」
「ううん。まだ」
ミュリーナは首を振って応える。出血はもう滲む程度でしかないが、患部全体が赤く腫れあがり、熱を持っている。改めて見てもひどい状態だったが、もとは皮膚や肉が目に見えるほどに裂けていた事を思えば、外傷についてはかなり治癒が進んでいた。裂けている部分はなくなり、幾つかの歯型の傷が残る程度だ。
ヒルダはその治癒の進みがミュリーナによる癒やしの術の効果によるものだと思ったらしい。実際にはユーマの身体が自前で備える治癒力による物だったが、その様子はミュリーナが見覚えがあると思ったのと同じく、より癒やしの術について深い知識を持つヒルダの目から見ても見分けはつかないようだった。
「じゃあ、毒抜きしちゃうわね」
ミュリーナに濡れタオルで患部を清められながら、ユーマはヒルダより感染症などを防ぐための魔術を施される。現時点で感染症の症状があるわけではないのでどの程度の効果があるのかはユーマには分からないが、術中のヒルダに代わって説明してくれたミュリーナによれば症状が出るより先に行なっておいたほうが術者の負担も患者の負担も少なくて済むのだそうだ。
施術と患部を清め終わった後、鉈の鞘ではなく別の当て木を使って今度はタオルではなく、ちゃんとした包帯を患部に巻きなおした頃、村長への報告を終えたエドガスとケアリオ、そしてマーリドが納屋へと入ってきた。
ヒルダによりユーマの怪我の具合をマーリドに説明される。ヒルダが言うには、順調に治癒が進んでおり明日中には完治するだろうとのことだが、骨が治り切るのに時間が必要なため今晩はまだ腕が痛むだろうということと、傷口に多少の痕が残るかもしれないと言うことだった。
ヒルダの説明が終わった後で、ユーマはマーリドに頭を下げる。
「ごめんなさい。森の外だけの約束、守りませんでした」
デニスを見つけた時の、ユーマが怪我をした経緯も説明されているはずだ。隠していても仕方がないので素直に白状してユーマは謝る。マーリドは普段はあまり笑わず、顔をしかめているように見えるが別に怒っているわけではない。単純に笑うのが苦手なだけだった。
「それでデニスを見つけてくれたんだ、白状されても叱れないぞ」
マーリドはユーマの頭をくしゃくしゃと撫でる。マーリドはユーマを褒めたり、安心させてやる時によくユーマの頭を撫でる。撫でられて喜ぶ姿はまるで仔犬かなにかのようだが、マーリドもユーマが撫でると喜ぶのを理解していた。ユーマ自身、マーリドに撫でられるのは心地よいと感じる。それはユーマが男だった頃からも覚えのない経験で、ユーマ自身への肯定感、承認欲求を満たしてくれるのだ。
確かにユーマはマーリドの言いつけを守らず、デニスを探すために夜の森に入っていってしまったが、それにより見事にデニスを見つけてきたのだから、ユーマの判断は間違ってはいなかったのだ。それによって怪我をしてしまったとも言えるが、ユーマならば帰ってこれさえすれば傷は治る。
「それで、今後についてだが」
気持ちよさそうに撫でられているユーマを見て、こんどやってみようと目を輝かせているミュリーナを横目で見つつ、エドガスが全員に切り出す。大蜘蛛の調査と見かけた大蜘蛛の討伐は変わらないが、やはり変異体の確認を行うことになる。変異体を討伐しなくても良いが、倒せる戦力を図る意味で変異体を接触を図るとのことだ。
その様子を見て十分な兵力を都市から派遣してもらうことになるが、もしも変異体を倒せたのならば追加報酬と、さらに村長が変異体討伐の証人となり都市からの報奨金への口添えもしてくれるとのことだった。
どちらにしても冒険者か、都市の兵力により変異体が討伐されるまでの間、村では森への進入を禁止して利用ができなくなる。
「それでユーマ、明日は、」
「い、行けます。私も森に行けま……」
「おっと、ユーマ。ダメだ」
エドガスの言葉を遮るようにして森への同行を主張するユーマの言葉を、さらにケアリオが遮る。
「でもケアリオ! 私はまだみなさんに……」
「俺たちゃ明日は骨休みで行かない。お前、一人ででも森に行くのか?」
「……え、い、いえ!ひとりは無理です!」
慌てて首を振ってユーマは答える。除け者にされまいと意地を張ったユーマだったが、冒険者たちの仕事の邪魔をしているのかと思うとそれはそれで心苦しい。表情をころころと変えて分かりやすいユーマに、改めてエドガスが声を掛ける。
「別にユーマの怪我が治るのを待つわけじゃないぞ。明日の休みはデニス発見の報酬みたいなもんだ。安心して体を休めてくれ」
「は、はい」
そう言ってくれるエドガスだが、実にタイミングが良すぎるあたり、ユーマの体の調子を見るために一日とったというのも見当違いではないだろう。
「あ、じゃあマーリドさんもいるし、ユーマちゃんのアレも話ししちゃおうか」
アレとはユーマがミュリーナの弟子として冒険者たちパーティの正式な仲間として加わろうと言う話のことだ。本来なら昼の探索が終わり村に戻った時に切り出すつもりでいたのだが、デニスが行方不明と聞いてすっかり忘れていた。
魔術の才能があるユーマをミュリーナが弟子に取りたいということ。そしてそのために、今回の仕事が終わった後も冒険者たちがユーマを預かり、正式にメンバーとしてユーマを連れて行くことの是非をエドガスとケアリオ、なによりマーリドへ確認を取りたいと説明する。
ミュリーナは下心は説明から隠されているが、やはり付き合いの長いエドガスとケアリオには言外の意図が透けて見えてしまい素直に考えられない。村での仕事が終わった後、ユーマと共に村に残るなどと言い出さないかと心配はしていたが、連れ去る方向で考えていたのかと呆れる。
いや、この仕事にユーマが混ざってきた辺りで、すでに警戒しておくべきだったのかもしれないと考え直す。ミュリーナが相手をパーティメンバーに誘うというのは今までになかったケースだ。ユーマはミュリーナが誘ったわけではないが、ユーマと一緒に行動できることに味をしめてしまったのだろう。
「あの、返事は今しないのは大丈夫です。ええと、今の仕事が終わりにして、それからでも」
呆れたり、難しい顔をしていたエドガスとケアリオを見てユーマは返事は今でなくても良いと補足するが、その言葉でエドガスたちは少し考えを改める。この話はミュリーナだけでなく、ユーマも希望している提案であるらしい。ならばミュリーナの都合ばかり考えて決める訳にはいかない。
「あー、俺は良いや。ユーマを入れるか、どうするかはエドガスに任せる」
ケアリオはいち早く選択権を放棄する。思わずエドガスが、あっけに取られてケアリオを振り返る。エドガスにしてみれば逃げられたと言うか、味方をひとり失った気分だった。
「俺はユーマのこと、別にイヤじゃないしな。魔術については分からねぇけど、俺が教えてやれることもまだありそうだし」
エドガスが冒険者の残りのひとりであるヒルダを盗み見ると我関せずと言った感じだ。事前にこの話を知っていたヒルダは特に反対意見はない。ミュリーナが師として相応しいかは置いておくとしても、ユーマが魔術を学ぶ事自体はむしろ勧めたいくらいだ。
「ユーマがそう決めたのなら、ワシは反対しようがない」
ユーマはマイス家の兄弟たちと、それこそ兄弟のように暮らしているが、ユーマを直接預かっているのはマーリドである。そうした意味では家族側の承認はマーリドひとりで事足りる。これで必要な承認のうちエドガス以外のすべてが出揃ってしまった。そうなると後はエドガスの判断次第ということになる。
「あー、済まない。少し考える時間をくれるか? ユーマの言う通り、今回の仕事が終わるまでの間には結論をだす。それでいいか?」
エドガスの言葉にユーマが頷く。即座に結論を出さなかったことにミュリーナは少し不満げではあったが、この決断は今後の冒険者四人、全員に大きな影響を与えるだろう。エドガスにしてみればよく考えもせずに答えを出す方が不誠実だろうと思えた。
「急がなくてもいいと言ったのだが、ユーマはワシの言うことはあまり聞いてくれないな」
「すみませんマーリド」
そう言うマーリドだが、その声に責めているような響きはない。ユーマが十分に考えて出した結論なら、マーリドがその考えを支持しない理由はないのだ。
「さて、もう遅いがみんな夕食がまだだろう? また招待させてもらえるかな。急なことで大したものは出せないが、量は保証できる」
マーリドに言われてユーマたちはまだ夕食を食べていないことを思い出す。戻って食べるはずが、行方不明のデニスの探索にそのまま出てしまい、夕食をすっかり忘れてしまっていた。マーリドの招待に冒険者たちの今後についての話し合いは一旦お開きとなる。
今回の仕事の報酬として食料というか食材は十分に提供されている。時間が合えば村長宅でも食事にありつけるが、基本的に食事の調理自体は自分たちで行なっていた。
今から作ることを考えると、特に冒険者などをしていると簡単に作ったもので食事を済ませてしまうことも多いが、やはりしっかりと作ったものを口にするのは気分が違う。食事の招待ともなれば冒険者たちには嬉しい申し出であり、喜んで招待を受けるのだった。
――――
翌日の早朝、まだ空が白み始めるよりも前の未明ともなれば朝と言っても夜と変わりがない。そんな時間にユーマとミュリーナはお互いの家屋を抜け出していた。納屋まで訪ねてきたユーマと抜け出す時にヒルダに気が付かれてしまい、ミュリーナは怪我人にあまり無理をさせないようにと釘を差されてしまうが、今回この時間にミュリーナを誘い出したのはユーマの方である。
日の出までにはまだ十分に時間があるが、ユーマでなくとも相手の顔がみえるくらいに月明かりが明るく、外を歩くのには差し障りがない。ユーマは日射対策をしない夜着の姿である。ミュリーナが巻きなおした当て木と包帯をした左腕を首から吊り下げている。
「ユーマちゃん、昨日は眠れた?」
「はい。少しは睡眠することができました」
ユーマはそう答えるが、ミュリーナはその言葉を信じてはいない。夜中には腕の怪我がもっとも疼く時間帯だっただろうし、そんな時間に他に何もやることがないともなれば気を紛らわすことも出来ず、ほとんど寝れなかったはずだ。実際、ユーマはミュリーナと出かける直前に、小一時間ほど意識を失っていた程度にすぎなかった。
「仕事が休みになって、朝でない時間でも良かったですけれど」
急な休息日となってしまったが、その前に約束していた通りの時間で二人は会っていた。ただ、左腕を固定してしまっているので日中用の服装に着替えるのは、今のユーマにとっては大変であり、夜着のまま出かけられるのは助かっている。
「いいよ。ユーマちゃんとだったらいつだって一緒にいたいくらいなんだから」
いちいち肯定してくれるミュリーナにユーマの胸がすく。子供たちと遊ぶ時間が増えたおかげであまり感じなくなっていたが、ユーマ自身は自己肯定感があまり高くはない。それ故かミュリーナやマーリドがユーマを褒め、肯定し、必要としてくれているのはユーマにとってこの上なく嬉しいことだった。
自己肯定感の低さはユーマが男だった頃の生活にあまり未練を感じていない理由でもあった。ユーマにしてみれば、必要とされない場所に戻るよりも、必要とされているこの世界に居ることのほうが居心地がいいのだ。
「ユーマちゃんから誘ってくれて嬉しいけど、今日はどうしたの?」
「はい。私は、ミュリーナにお話したい事があります」
本当は一晩、ミュリーナにどう話をするか考えるつもりでいたのだが、実のところユーマは話をまとめきれないでいた。しかし、話すと決めたことを先延ばしにするのは避けたかったのだ。言うべきことと聞くべきことは、今言い、今聞いておきたかった。