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14 痛い思いはしたくない

 デニスは昼食前に出発したという。隣村までは朝から出発しても夕方になってしまうことを考えると、昼食前に出たデニスが家出を企てたとは考えにくかった。しかし当人が何を考えていたかなどは、その本人でなければわかりはしない。


 子供や、そうでなくても人が家に帰らない理由は大きく分けると、帰りたくないか、帰りたくても帰ることができないかのどちらかだろう。特に帰りたくないと考える理由は人それぞれだろうが、昼食までに戻ると言って外出したデニスは後者の帰りたくても帰ることができない方ではないかとユーマは思う。


 では帰る意志があっても帰れない理由はなんだろうか?人攫いに捕まったのか、怪我をして動けないのか、それとも気を失い倒れているのか、あるいは……失っているのは命なのか? 死んでいるのかもしれないという可能性を考えるとユーマの背筋に嫌な汗が伝う。


 森には命を失うに十分な要素が沢山ある。流石にデニスも毒キノコを無闇に口にしたりはしないだろうが、大蜘蛛のような捕食者も、小さくても人の命を奪うに十分な毒を持つ蛇もいる。草食の動物でも驚かせば人を襲うこともある。昼に見たほど立派ではなくとも、牡鹿の角で追突されれば人の子などひとたまりもない。


「デニスー! デニース!」


 自分の背後から聞こえたエドガスの声でユーマは我に返る。少しの間でも黙ってしまうと嫌な想像を意識してしまう。デニスからの返事を期待して、大声で名前を呼びながら歩き、時折デニスからの応答を聞き逃すまいと全員が押し黙る。そんな間の妄想だった。


 耳を澄ませてみても聞こえてくるのは風がなぜる木々の葉擦れの音、夜を飛ぶ梟の鳴き声、何処からか聞こえてくる狼の遠吠え、茂みや文字通り草葉の陰から聞こえる虫の音など、森というのは案外に静な場所ではない。しかしそれらの森の音の中に期待するデニスの声はない。


 もちろんデニスが返事をできる状態であるとは限らない。歩いていく場所はなるべく、可能な限り目でも確認していく。もっとも倒れていたら容易に埋もれてしまうほど背の高い草がそこかしこに群生している。完全な意味ですべてを見ていくことは不可能だ。それについては見落としていないことを願うしか無い。


 西の空はまだ辛うじて明るいが、日は既に沈み冒険者たちはエドガスが手に持ったランタンで足元が照らせる範囲でしか動けなくなってきている。その分、暗くとも見通すことの出来るユーマが少し先行して暗がりを確認していった。


「どう?ユーマちゃん」

「いいえ。デニスを見えていません」


 探している相手が見つからないまま、時間だけが過ぎていくとまだ否定的な想像に意識が支配されそうになる。デニスが居るのはこちらではなくケアリオの方だったのではないか? そもそも森にデニスがいるというのが間違いだったのではないだろうか?


「デニス-っ! 何処にいますかー!」


 妄想を振り払うために自ら大きな声でデニスを呼んだ。暗がりを探す手を止めないまま、耳は神経を研ぎ澄まして森の雑音の中からデニスの応答を聞き分けようとする。そうして耳を澄ませた時に聞こえた森の音に、ユーマは違和感を覚える。


 果たしてその時に感じた違和感を追求するべきか、ユーマは躊躇う。その違和感は直接デニスと関係がないように思えたからだ。しかし関係ないと切り捨ててしまうのもそれはそれで躊躇いを感じる。


「ユーマちゃん? どうかしたの?」


 先を行くユーマが神妙な顔で立ち止まってしまったのを見て、追いついてきたミュリーナが声をかけた。ユーマは困ったような顔をしてミュリーナを振り返る。


「……聞こえましたか?」


 なにを? と言うような顔でミュリーナが何かを言おうとしたところで、ユーマが人差し指を口に当てる仕草で、ミュリーナが口を開こうとしたのを止める。同時に追いついてきたエドガスも、ユーマが何を聞いたのかはわからない。少なくとも、デニスの、子供の声はミュリーナにもエドガスの耳にも届いていなかった。


「ぅ、ぅぅぅううおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉん!」


 二人に静寂を求めたユーマが首を上げ、天に向かって突然声を張り上げる。それは明らかに遠吠えを真似たものだった。息の続く限りの大きな声で遠吠えを上げたユーマは空になった肺に息を吸い込む時間も惜しいとでも言うようにすぐさま両手を耳に当てて耳を澄ませた。


 数拍をおいてユーマの遠吠えに応えるように、狼の遠吠えが聞こえてくる。狼は遠吠えを聞くと本能的に遠吠えを返す。遠吠えが帰ってくると言うことは、ユーマの遠吠えが聞こえた範囲に狼がいたということだ。


「狼です! ミデルの話を覚えています! 森に狼はいないと言いました!」


 確かに村長がそんな話をしていたと二人は思い出す。大蜘蛛の天敵となる生き物がいたらそれも教えてくれと。大蜘蛛を餌としていた狼が、何年か前から姿を見ないと。だが、それはいま重要なことだろうか? と二人は疑問を顔に出す。今探しているのはデニスだったはずだ。


「デニスは、森に友達に会いに来ました。大人には秘密にしていたデニスの友達は何かの生き物です」


 そこまで聞けば二人にもユーマが何を考えているのかわかった。ユーマはその狼こそがデニスの友達なのではないかと疑ったのだ。デニスがその友達のところにまだいるという可能性は確かにあるだろう。ただ、その狼がデニスの友達である確証がない。


「そりゃあ、賭けみたいなもんだな」

「でも、今は他に何もありません」


 森にデニスが居る可能性が高いと言う以外に今は他に手がかりとなるものはない。闇雲に森を探す以外には手がないのだ。だったら、狼が居る方向を探したとしても同じではないか。そう考えるとエドガスの判断は早かった。


「行ってみよう。ユーマ、もう一回出来るか? 何処から遠吠えが聞こえてきたか確かめる」


 ユーマは頷き、もう一度遠吠えを上げる。今度は間髪をいれず遠吠えが帰ってきた。そこまで遠くというわけでもない。


「わかった! こっち!」


 三人が少し離れて別々の方向に耳を澄ませ、そのうちミュリーナが担当した方向を指して三人はそれを頼りに歩き出す。森のなかに入っていく方向になってしまい、マーリドとの約束を破る形になってしまうが、唯一の手がかりの前にユーマは約束を黙殺する。


 しばらく歩いては、ユーマが遠吠えを上げつつ行き先を修正していく。そうしてしばらく進むと唸り声と共に吠え声が聞こえてくる。強い嗅覚を持った狼にはユーマたちが近づいてくるのは分かっているだろうし、こちらはカンテラを持って進んでいるのだ。どちらから近づいているのかも把握しているはずだ。


「この先、広くなっています。そこにいます」


 先頭を行くユーマが後続の二人に声を掛ける。カンテラの灯りに頼る二人にはまだ見えていないが、ユーマにはそこに居る遠吠えを返した主が居るのが見て取れた。その他に、これは狼の仕業だろうか? 狼の少し前に食い散らかされた少し小ぶりの大蜘蛛が一匹。そして狼の後ろの木の幹に蜘蛛の糸で絡め取られた、人間らしき姿がある。


 その人物は上半身をほぼ完全に蜘蛛の糸で覆われて顔は見えないが、自由になっている両足はユーマも見知ったズボンと靴を履いていた。


「デニスっ!」



 ――――



 少し前から、何処かからか遠吠えが聞こえてきていた。その遠吠えは少しずつ近づいてきているのもわかった。遠吠えが聞こえる毎に、すぐ近くにいるらしいアインがその遠吠えに答えている。


 でもその遠吠えがずいぶんと近づいてくると、アインは苛立ち始めていた。最初はアインの家族が近づいてきたのかと思っていたがそうではないらしい。


 それに見つかったのは家に帰ろうとアインと別れた直後だった。すぐ近くの木陰にいた大蜘蛛と出合い頭に遭遇したのだ。びっくりして、その場でしりもちをつき、慌てて逃げようとしたが、すぐに捕まってしまった。逃げられないようにするために糸で巻かれて、その時に糸で顔まで覆われてしまう。


 蜘蛛の糸で引っ張り上げられ、木か何かに絡め取られてしまうのを感じていた。蜘蛛の糸は頑丈で、最初のうちは頑張って暴れていたが全力を出しても蜘蛛の糸は緩んだような様子もない。アインが駆け付けてくれたのは、その直後だった。争う音が聞こえ、最後にはアインの息遣いと吠える声だけが聞こえてきた。。


 しばらくするとアインが爪などで糸をひっかき脚が動くようになった。アインが逃してくれようとしていたのだろう。しかし、上半身の方まで爪が届かないのか、自由になったのは下半身だけだった。上半身は固定されていて胸も締め付けられている。浅くしか息ができず、うめき声を上げるくらいしかできなかった。


 アインがずっとついていてくれたが、何時間もそのままで過ごした。途中何度も泣いたが、息が苦しくなるだけで疲れてしまう。腹も減り、すっかり泣きつかれていた頃、最近よく聞く声が聞こえてきたのだ。新しい家族の声。


――ユーマ!


 デニスはうめき声を上げて、足をばたつかせた。



 ――――



 デニスの名を呼ぶと、蜘蛛の糸で木に磔られたその身体で唯一自由になる脚を動かして木を蹴った。


「デニス! 今行きます!」

「待てユーマ!」


 ユーマはデニスが動いたのを見て我を忘れて駆け寄ろうとしたが、それをエドガスが止め、ミュリーナが慌ててユーマの腕を掴んで止めようとした。その急な動きと大きな声が切っ掛けになってしまった。ユーマたちを警戒していた若い狼は身体の撥条を弾かせてユーマたちに向かって走り出した。


 ほんの数秒で距離を詰められ、ユーマたちは完全に先手を取られてしまっていた。いつもならば先頭にいたエドガスは手にカンテラを持ち、一行の中で一番後ろにいた。そのため、声を掛ける以外の行動が取れなかった。


 ミュリーナは慌てて走り出そうとしたユーマの腕を掴んで止めるのが精一杯だった。そしてユーマは走り出そうとしたところを腕を捕まれ、バランスを崩してミュリーナの居る後方へ向いてしまっていた。だから狼が走り出したのを見ていなかった。気が付いた時、ユーマの左手首は狼の顎に捉えられていた。


 ユーマの左手首が上と下から同時にハンマーで殴られたような痛みに襲われ、次の瞬間、ユーマに数十キロもの荷重がかかりミュリーナは掴んでいた手を剥がされて、その勢いでユーマは狼と一緒に地面を転がった。


「ユーマちゃん!」


 エドガスは急いで剣を抜き、ミュリーナもユーマを助けようとするが、ユーマと狼はもみ合って転がり合いどちらも手が出せない状態になってしまう。引き倒されたユーマは最初は何が起きているのか分からずにただ転がっていたが、左手首を噛み砕かれそうな痛みと狼の力に為す術がない。


 狼は噛み付いた手首を離さず、噛み付いたまま首を振り、体全体で噛み付いたものを引っ張りさらに顎に力を入れる。ユーマの手首が、嫌な音を立てて曲がり、狼の牙に裂かれてユーマの血が飛び散る。


 マーリドに貰ったグローブは付けているが薄手の柔らかい物だ。狼の牙を防ぐほどの力はなく、ユーマの血でグローブが赤黒く染まってしまっていた。このままでは手首を食いちぎられると、ユーマは狼の首を抱き込むようにして動きを抑えようとする。


「い、痛い、痛い、止めて! 動かないで!」


 もみ合い、転がりながら右腕を狼の首にかけ、ユーマが狼の上に乗りかかるようにして抑え込むと、狼は驚くほど大人しくなる。しかしまだ噛み付いた左手首を離していない。


「ユーマ、離れろ!」


 エドガスは剣を構えてユーマに叫ぶが、ユーマは頭を振る。


「待ってください! この狼がデニスの友達です、殺すは駄目です。先にデニスを、放してください」

「ユーマちゃんっ!」


 ミュリーナが狼の顎からユーマの腕を抜こうと駆け寄るが、狼の牙はユーマの腕に食い込み、押しても引いてもユーマの腕が裂けてしまいそうだった。しかし既に主要な血管にまで食い込んでいるのか、ユーマの出血がおびただしい。


「大丈夫です!エドガス、先にデニスをおねがいします!」

「クソッ!待ってろユーマ!」


 狼を大人しくさせるためか、それとも狼をエドガスに殺させないためか、ユーマが狼に覆いかぶさるように乗っているためエドガスとしても狼には手出しできない。危険な状況がまさに差し迫っているユーマの方が心配だが、昼からずっと捕らわれているデニスの安否確認もしなければいけない。


 エドガスは頑なに意地を張るユーマに狼を任せ、剣を振るう矛先をデニスを捕らえている蜘蛛の糸に変える。デニスに剣が当たらないように、木の裏側からデニスを捕らえている糸を剣で切断していく。無数の繊維がバラバラに巻き付いている蜘蛛の糸は一太刀で切れるほど単純なものではない。何度も切りつけて少しずつデニスを開放していった。


「ミュリーナ、少し上を持って……しっかりと握っていてください……」


 ユーマはミュリーナに噛まれている左腕の肘の上あたりを両手で握って圧迫してもらい、血流を抑える。流石に出血が多くて不安だった。怪我の治りは早いとは言え、出血多量などでも耐えられるのかは確認できていないし、しなくても済むのであれば確認などしたくもない。


 そしてもちろん狼に噛まれるなどという体験もしたくはないのだが、そのおかげでわかったこともある。強力な治癒力とは別の吸血鬼が持つ能力らしい。どういう条件で発現したのかは分からないが、それは他者へ影響を与える力のようだった。

「ええと、離して、食べるのを止めてください」


 ユーマの言葉に狼が顎の力をゆるめた瞬間、ミュリーナがその機を逃さずユーマの腕を引き抜く。


「ユーマちゃん! 怪我を見せて!」


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