11 あれ?お風呂会まだ続くんですか?
「ねえ、ユーマちゃん! ユーマちゃんがもし良かったら、私が魔術を教えてあげようか?」
「……え、ちょっと! 仕事どうするのよ!」
ミュリーナに抱き締められたユーマは、その腕と胸の谷間から何とか頭を抜け出させて、その腕の中からミュリーナを見上げているが、そのユーマはミュリーナに密着した状態で彼女の身体の柔らかさに気を取られて集中出来ておらず顔を赤くさせている。そしてミュリーナの誘いに別の意味で慌てたのはヒルダである。
ミュリーナは現在、ユーマたちの村からの依頼を受けているが、ヒルダが言っているのはそれに限らずの話だ。魔術の初学者には落ち着いて学ぶ環境を持つことが望ましい。しかし冒険者であるミュリーナにはそうした環境をユーマに用意できないだろうことは想像に難くない。
ヒルダは、ミュリーナが冒険者を引退か休業するなどしてユーマへ教えるつもりだろうかと訝しむが、ミュリーナの方は無邪気に解決策を答える。
「え、ユーマちゃんは冒険者になるために私たちの仕事のお手伝いしてるんでしょ? じゃあそのまま私たちのパーティ入っちゃえば? で、一緒に仕事しながらユーマちゃんは勉強すれば良いんだよ!」
あっけらかんに答えられてヒルダはひとりで肩を落とす。初学者には落ち着いた環境を、などと考えていたのはヒルダだけだったようだ。いや、普通であればヒルダの考えの方が正しいはずなのだ。この場合はミュリーナの方が普通ではない。
これだから天才肌は、とヒルダは心の中で溜息をつく。仲間であり、友人でもあるミュリーナは確かに才能もあり、こと魔術においてはヒルダの妹弟子でありながら、ヒルダよりも上の階位にある。そういった発想を持つのはミュリーナのそうした資質によるところなのだろう。
「あー、もう。私は知らないわよ。そんな中途半端な教え方」
そんな環境でまともに魔術を学び取れるとすれば、それこそミュリーナと同じような魔術の天才くらいだろう。とは言え、目の前のユーマはどうやら視覚による魔力感覚をもつらしい。魔術の才能だけで言えばミュリーナ以上の逸材と言える。ヒルダとしても、ひょっとして、と思わないでもないのだ。
「とりあえず、ミュリーナ。ユーマちゃん離してあげなさい。それでユーマちゃんの方はどうするの?」
「……私は、魔術の才能があるなら、魔術を知りたいです」
さて、自分の適正について考えていたユーマにとって、思ってもみなかった展開に生唾を飲み込みながら答える。一度落ち着いて考えたいと思ってはみるものの、ヒルダの助け舟を無視しているミュリーナがそうさせてくれそうにない。
「でも、仕事が終わったら、その後もミュリーナたちと……行けるかどうかは、すぐには言えないです」
ミュリーナの中では勝手に話が進んでいるようではある。しかしユーマにしてみれば、今は冒険者たちがこの村での仕事を終えるまでの間という話で、ミュリーナたちの家賃代わりとしてユーマは冒険者たちと行動を共にしているのだ。冒険者たちにとっては村での仕事が終わればその必要はなくなる。
そして、いずれ村を出ると考えていたユーマも、ここまで早く村を出ようと考えていたわけではない。だが、この好機を逃す手はないのも事実だろう。村に居られなくなるのと同じ理由で、子供にしか見えないユーマのような女の子を仲間として迎え入れる冒険者がいるのかは疑問だ。ミュリーナの申し出は本当に、この上ない提案だろう。
ユーマの身辺整理が付いていないのと同じく、ユーマを受け入れる準備ができていないのはミュリーナも同じだった。今この話はミュリーナが勝手に進めている話であって、仲間のうちエドガスとケアリオにとっては寝耳に水な話だろう。ユーマもミュリーナも、擦り合わせなければいけない事柄がまだまだあるのだ。
「ミュリーナの話は、嬉しいです。でも私は準備が不足です」
「準備不足――はミュリーナもよね。――戻ってそれぞれ相談したら?」
「はい。マーリドに、明日、夕方に相談します」
「ほら、ミュリーナも。エドガスとケアリオに話通しなさい」
明日も朝からユーマもミュリーナたちと森へ行くことになっている。マーリドとゆっくり話ができるのは明日の夕方以降だろう。お互い、一度この話は持ち帰りとすることとなり、風呂を上がるにあたってようやくユーマはミュリーナから開放されることになったが、開放されてなお、ユーマは動悸が収まらない。
「ユーマちゃん、拭いてあげるよ」
「ミュリーナ! 私は自分でできます!」
脱衣所に出たところで、ユーマはミュリーナにタオルを頭に被せられて足を止める。再び捕まったユーマだが本当に嫌ならば、ミュリーナを押しのけて逃げる事もできるが、ミュリーナに対して乱暴に出られないのはユーマの性格故だ。
ユーマもミュリーナの過剰とも言えるスキンシップが嬉しくないわけではなく、嫌ではまったくない。だが男だった頃から女性にあまり免疫がなかったおかげで、風呂を共にしたり、裸で抱きつかれては冷静ではいられなかった。
そうして大した抵抗が出来ないままに、結局ユーマは念入りに肌と髪に残った水気をミュリーナによって拭き取られ、着付けの世話までされてしまうのだった。
ユーマは二人をマイス家の前まで送って別れる。冒険者たちの泊まる納屋まではマイス家からすぐそこだ。ユーマが風呂から戻る頃には、マイス家の家族は全員寝静まっている。木造のマイス家のこと、どうしたって無音とは行かないが、それでも家族の眠りを妨げないようになるべく音を立てないように家に入る。
居間にある自信のベッドとして使っている長椅子に毛布を持って寝転がり、先程までの自分の行動を思い出しながら、また顔が火照るのを感じて毛布を頭からかぶって潜り込む。
本来なら、ミュリーナの話についてもっとよく吟味して、マーリドたちにどう説明するか考えなければいけない気がする。でも思い浮かぶのはミュリーナ自身のことと、ミュリーナの身体の柔らかさばかりだ。もしかして、とユーマは思う。ミュリーナのスキンシップからは明確な好意を感じる。
ユーマは女性に免疫はないが、朴念仁なわけではない。だが、本当にそうだろうか? 自惚れではないのか? と自問する。なにせ、今のユーマは何処からみても、詳しくみても女の子なのだ。
好意を持たれるのは嬉しいが、その上で、となるとミュリーナは同性愛者ということになってしまう。もしそうであるなら、ユーマにとっては複雑である。なにせユーマは身体は確かに女の子であっても、その心の有り様は男なのだから。
ユーマを家まで送り届けたミュリーナとヒルダはユーマの事について話しながら、納屋への道を歩いていた。
「ユーマちゃんさ、けっこう脈アリなんじゃないって思うんだ」
「まあ、始めるなら若い内のほうが良いとは思うけどね」
「ん、まあ若いって言うのも理由の一つではあるけどさぁ」
ヒルダもミュリーナも魔術を学び始めたのは、今のユーマとそう変わらない歳の頃だった。だからヒルダもユーマが魔術を学び始めるのに早すぎるとは思わない。ただ、難解な魔術の説明を理解するのが難しいであろうユーマに、冒険者と兼業で魔術を教えるのも、学ぶのも大変だろうとヒルダは考える。
ただ、本人たちと、エドガスやケアリオがそれで良いと言うのであればヒルダとしても、ユーマの成長を邪魔をしたいわけではないのだ。下手をすれば未来において語り継がれるほどの魔術師となる可能性をユーマは持っている。だからユーマは魔術を学び、魔術師になるべきだとはヒルダも思う。
むしろ、だからこそ魔術を学ぶに相応しい環境で学ぶべきだと思わずにはいられないし、友人が良い師匠でいられるのかという部分にも疑問が残る。才能ある魔術師が、必ずしも良い教師とは限らないのだ。逆に魔術師としては三流でも魔術を教えるのが上手いという魔術師だっているだろう。
「まずは言葉と、あと読み書きもちゃんと出来るように教える所からよね」
読み書きは、まあ辺境の農村で暮らす子供が読み書きが出来ないというのは仕方がない部分もある。とは言え言葉から始めるというのは大きな痛手だろう。少なくともヒルダは、もちろんミュリーナも魔術を学び始める時にはすでに言葉も読み書きも問題はなかった。ユーマにとってはこの分の時間のロスは実に残念だった。
「え~、でもそこが可愛いポイントでもあるし?」
ふにゃっとした声で返事をするミュリーナに、ヒルダは違和感を覚える。可愛いとかそういう問題ではない。
「でも喋り方は可愛いけど、ユーマちゃんって結構しっかり考えてるんだよね」
「……ミュリーナ。ユーマちゃんを弟子にするって言う話よね?」
「ん? うん。そーなんだけど、あ、そうするとこれって師弟愛って言うことになるのかな!? 師匠と弟子っていうのも悪くないかも!」」
ああ、ミュリーナはどこまで行ってもミュリーナなんだなとヒルダはまた、肩を落とす。今日だけでも、ミュリーナについて肩を落としたのは何度目だろうとも思う。魔術師は人格破綻者だという世間の誤解は、ことミュリーナにおいては正解だろうとぼやきつつ、妹弟子がこんな様でユーマに対しては申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「……ユーマちゃんのこともっと真剣に考えてあげなさいよ……」
「え、考えてる! 考えてるよ!? 私は真剣に考えてるんだから!」
「だったらもう少しそのがつがつした所を控えなさい。いつもそれで失敗してるんでしょう。なんて言ったっけ、前の子のときも。その前のええと、フリオの時もそうだったでしょう」
「う……」
ヒルダは過去にミュリーナが振られてきた相手の名をあげてミュリーナを諌める。ミュリーナとしても自分でも分かっているだけに言い返せない。ただミュリーナは、気がつくといつの間にか、見境がなくなってしまうのだ。
同じ時間帯にユーマはミュリーナについて思い悩んでいたが、ユーマの認識は少し惜しいところで違っていた。ミュリーナの仲間たちは知っていることだったが、ミュリーナは同性愛者ではなく、両性愛者なのだった。
――――
「昨日、森の浅い部分を回ってみたけど、今日はもう少し奥まで行ってみよう」
打ち合わせを兼ねた朝食からユーマはミュリーナたちと一緒に行動している。その場でパーティリーダーであるエドガスから当日の確認事項を確かめていく。
冒険者たちの仕事は森全体で大量発生している大蜘蛛の調査と間引きである。そのため同じ場所を探索していては意味がない。冒険者たちは前日に探索した範囲から探索位置をずらし、ゆっくりとではあるが虱潰しの様に森を探索していくことになる。
「それから、皆は解っていると思うが……」
ちらりとエドガスがユーマに視線を送ってからその先を続ける。おそらく、ユーマ以外のメンバーにとっては既に共通認識なのだろう。だが、新人であり冒険者としての経験も浅いユーマはそうではない。全員に向かって話している様子ではあるが、それはまさにユーマのために話しているのだろう。
「昨日回った場所だけでも相当の数の大蜘蛛がいる。――がいる可能性が高い」
「……その言葉は知りません。それはなんですか?」
ユーマの知らない言葉が出たところで、エドガスがあえて口に出したことでパーティ全員の緊張感が高まるのをユーマは感じる。その緊張感からして良からぬものを感じるがユーマのその想像は決して間違ってはいない。
「呼び方は色々あって決まって無い。暴君、狂王、変異体。他にもあるがどれも同じだ。特に一つの種類の生き物が一箇所で多く集まるような所では、時々ほかとは違う何倍も強力な個体が生まれることがあるんだ」
「中にはその種に本来ないような特殊な形質を持って生まれたり、魔力を宿して生まれることもあったりね。そこまで行くともう怪物というより魔物ね」
エドガスの説明にミュリーナが補足を入れる。ミュリーナたちは主に変異体と呼んでいるそうだ。そうした変異体は強さでは例外的で原種である生物の強さなど何の参考にもならない。ただ体格が大きかったり、力が強いだけではない。原種にはない毒を持っていたり、その他の特殊な能力を持っていたりすることもある。
存在が認知されつつも生息域のおかげで実害がなかったり、避ける手段があって長く生き続けたりするか、あるいは発生から短期間でも大きな害を及ぼすような変異体は人々からも恐れられ、名前付きとされることもある。
大蜘蛛は冒険者たちにとっては数で押されれば多少厄介な程度で、それでも遅れることはまずは無い。しかしそういった変異体が相手ともなれば一体でも苦戦を強いられる可能性もあるのだそうだ。
ユーマにとってみれば原種としての大蜘蛛でも油断できる相手ではない。その変異体ともなれば尚更であり、話に聞くだけでも肝を冷やすような相手だ。エドガスは、変異体がいる可能性が高いといったが、出来ることであれば出会いたくない相手であるに違いない。
だが、もしも本当に変異体がいるのであればそれを確かめるのは、冒険者が請け負っている仕事の内であるし、もし倒せない相手であっても先々のためにどのような個体であるか、どの位の強さなのかを確かめない訳にはいかないのだ。
そうなれば、ユーマが望むように、出会わないで済む相手ではないのだ。