01 転生して吸血鬼の女の子になりました
草の匂いを含んだ風が、その匂いの元である草を揺らして身体をくすぐる。それを不快に感じて悠真は目を覚ました。まだ眠気が残る目を薄く開けると頭上を覆う木の枝葉が見え、風が吹くたびに葉擦れを響かせる。
――なんだ?
見回せば枝葉の主である木の幹が見え、枝葉の先には快晴の青空。あとは悠真を囲むように草が生い茂り見渡せない。好き放題に伸びた草むらに埋もれるようにして仰向けになって寝ていた。悠真にはこんな場所で昼寝をしていた覚えはない。
身を捩じり身体を起こそうとして、すぐに服を着ていないことに気が付いた。服どころか下着も身に着けておらず、つまり文字通り全裸だった。それを認識した途端にまだぼんやりとしていた悠真の意識が回転を始める。もっともそれは、どちらかと言えば空転に近いものであったのだが。
――なんで裸? ここ、外だよな?
悠真の混乱の種はさらに続いた。自分の身体のすべてから違和感を覚え、それを確かめるために身体を起こして座ると自分の両手を見つめる。手が小さいように感じる。浅黒かったはずの肌は驚くほど白く肌理細かい。剛毛とまでは言わないまでも太めの毛が生えていたはずの腕には薄い産毛しか生えていない。無骨でそこそこ筋肉質な腕が、今はなめらかな曲線を描いていた。腕も、肩もそうだ。そのまま視線を下ろして見れば僅かに膨らんだ胸と、男性器の無い股間。
――!? 女の子の、身体?
悠真は驚き、慌てて視線を外す。そしてもう一度両手を見て動かしながら確認する。視線を腕に動かして腕を動かし、そのまま何度か上体をひねる。最後に今度はしっかりと視線を落として足を動かしてみる。身体を動かしている間に視界に入る髪の色は一般的な日本人らしい黒髪ではなく、軽い銀糸のような見たこともないほど異質な銀髪が腰まで伸びていた。
悠真の思い通りに動いているのだから間違いない。その女の子の身体は悠真自身だった。手が小さく感じたのも決して錯覚ではなかったらしく、その身体はあまり発達していないらしい少女の身体のそれだった。
何が起きているのか分からず、混乱したまま恐る恐る視線を上げた。座ったまま丁度まっすぐ前を見ると、周りの草むらから頭だけ出すような形となり周囲の風景が目に留まる。その見えてきた風景もまた悠真の混乱を助長させた。
目の前に広がるのは木が疎らに生えた、なだらかな丘陵地帯だった。少し遠くには畑が見え、その中で畑仕事をする人影も見える。その畑の方から悠真がいる丘の下まで踏み固められて土が露出した道が続き、丘を迂回するように悠真の背後の方へと続く。壮大な景色に思わず立ち上がり振り返ってみれば、その道は霞んで見えなくなるほど遠くまで続いていた。
そこまで確認したところで悠真は自分が全裸だったことを思い出して慌ててしゃがみ込む。一度深呼吸をして今度は遠くではなく近くを確認する。付近には人の気配はない。
「どこだよここ……俺、どうなったんだ……?」
そうして絞り出した声も、今まで聞き慣れてきた声とは違い、か細く、高い声だった。
――――
そのまま木陰で何をするでもなく時間が経った。最初はあれやこれやと考えたものの、何も分からず終いだった。記憶はある。物心つく前のことはともかく、学生時代のこともサラリーマンだったことも思い出せる。ただ、ここで目を覚ます直前の事となると靄がかかったようにうまく思い出せない。身体がまるで別人のものに変化してしまった事に関しても、結局手がかりもなかった。
はっきりしたことと言えば、非現実的な現状が現実であることと、ただここに座り込んでいても答えは何一つ得られなさそうだということだけだった。疑問のほぼ全てが理解不能であると認識し、それを飲み込んだ後は最初に比べてだいぶ落ち着くことができた。
「……腹減ったなぁ……」
落ち着きを取り戻し、ある種の諦めに近い形で考えるのを放棄した頃には悠真の体感では二、三時間ほどの時間が経っていた。最後の食事が何時だったのかは思い出せないが、腹が減ってくる程には十分に時間が経っているのだろう。考えることを諦めた次には食欲という自然の欲求に襲われたのだった。
「そう言えばあっちに誰か居たな。……助けてもらえるかな?」
よし、と声を上げて悠真は立ち上がり、とりあえず人を探して助力を請おうと決める。土地の人に聞けばここが何処であるのかわかるだろうし、なんとか電話でも貸してもらえれば実家に連絡をつけられるだろう。
人影を見つけた畑の方を見るが既に人の姿は見当たらなかった。広い農場で畑のある丘の向こう側まで続いているようだった。向こうの丘へ行けば人家など見えるだろうかと考え、ひとまず歩き出す。少なくとも道沿いに歩けば人家なり何なり見つかるだろうと考えた。
木陰から歩き出てすぐ感じたのは陽の光の熱さだった。やけに暑い。いや、どちらかと言えば熱いと感じた。気温はそんなに高くはないのだが、まるで真夏の焼けたアスファルトかマンホールの上に裸足で立った時の足の裏のように、直射日光が刺すように痛い。そして変化もすぐに訪れる。
木陰から出て三分も経たない内に、白磁のような肌が陽の光に曝され赤く焼け、見る間に水ぶくれ、すぐに黒く焼け爛れ始める。
「痛っ!」
周りに隠れる場所はさっきまで居た木陰くらいしか無く、慌てて悠真は踵を返し木陰に転がり込む。勢いを余らせてそのまま木の幹に身体をぶつけるようにして身体を止めた。突然襲われた痛みに肩で息をして耐え、特にひどく焼け爛れた肩に思わず手を当てた。
しかし手を当てた肩が更に痛み、手を当てたことを後悔して慌てて手を離す。離した手には嫌な感覚が残っていた。その手には、じわりと滲む赤黒い体液と、黒く炭化した組織と、そして白化した灰が残っていた。
「痛ってぇ……なんだよこれぇ……」
火に炙られたような状態に悠真は涙目になってもう一度火傷を確認する。その火傷は……治り始めていた。驚くことにその傷は目で見てわかる速さで元に戻ろうとしていたのである。赤く焼けただけの部分はすぐに白い肌に戻った。炭化した組織はその下から現れた新しい皮膚に押されて肩から落ち、すぐに灰となって地面に落ちた衝撃で形が崩れ粉状になってしまった。痛みは、既に無い。
陽の光にあたって灰となるモノ。そんな存在を悠真は一つしか知らなかった。吸血鬼、それともヴァンパイアと言うのが正しいのか? 映画や物語で見たり読んだりした悪魔のような存在。あるいはアンデット、不死の王。
「なんだよ……俺、死んだのか? 死んで……吸血鬼になったのか?」
木の幹に寄りかかって座り、悠真は項垂れる。せっかく落ち着きを取り戻した悠真の精神は再び混乱の中に放り込まれていた。息苦しく呼吸をする胸に手を当てると、心臓が早鐘を打つのを感じる。
「動いてるよ……死んでるわけ、ないよな?」
悠真は自分でも独り言が多くなってきているのには気がついている。でも、何か声に出すだけで気が楽になるような気がしたのだ。脚を引き寄せて抱き、膝の上に頭を伏せる。息苦しい。息苦しいが体を伸ばしたらまた陽に焼かれるのではないかという恐怖が先に立って身体をなるべく小さくした。すぐに治ってしまったとは言え、焼かれた痛みは本物だったのだ。
「吸血鬼って棺桶で寝てるんじゃないのかよ……なんで真っ昼間の外で寝てたんだよ……」
悠真の声に答える者はなく、悠真がもう一度落ち着くまで、また数時間を木陰で過ごすことになった。
――――
太陽がもうすぐ沈む。悠真は木の幹に手をかけてその時を待っていた。目を覚ましてからだいぶ時間がたったが結局の所、方針に変わりはない。ひとまず人家を探して助けてもらおう、と言うものだ。どうしたって、今の悠真に寄る辺はないのだから他にどうしようもない。
一つ気がかりなのは、いきなり全裸で訪ねて助けてもらえるか? ということだった。「まあ、裸のおっさんより女の子の方が助けてはもらえるだろう」と考えることにして、木の影が夜に溶け込むのを待って、まずは丘の下にある道へと足で草をかき分けて歩きだした。
日が沈んでしばらくは、まだ空も明るく難なく道までたどり着くことができた。直射日光でさえなければ焼け死んでしまうことはないらしい。そもそも反射光にすら焼かれてしまうなら、木陰に隠れた程度では逃れられないはずだろう。
しかし陽光の残滓もなくなってしまうと、街灯も月明かりも無い道は完全に夜闇に閉ざされてしまう。いや、閉ざされてしまうのだが。悠真の目にははっきりと道や景色が見て取れた。彩度が落ちてしまっているが物の形などはよく見える。これならば明かりがなくても道を外れずに進めるだろう。
「便利なところもあるんだな……」
吸血鬼であろうと言う部分についてはもう間違いないのだろうと悠真は考えていた。少なくとも短時間の日射で火傷をし、灰化が進み、そんな酷い傷を短時間で治癒できて、明かりのない夜闇でも見通すような人間は、いない。そんな事を考えながら、でも考えすぎないようにした。あまり深く考え込むとまた混乱、というか錯乱してしまいそうだった。
畑のある丘の上までたどり着くと、悠真の気はやっと少しだけ晴れた。願っていた通り、まだ少し距離はあるものの、丘の向こうにログハウスのような平屋の家を見つけたのだ。希望が見えてくると悠真の心にも、より安心感が広がる。
悠真は思わず駆け出した。
――夜分にすみません。
――電話、貸して頂けませんか?
――ここってどの辺りですか?
――あと、この辺で泊まれるところは?
――それと、なにか飯食えるところか、それかコンビニとか無いですか?
――あ、財布、持ってないんだった……
――ええと、一晩……泊め……て?
走りながら、人に会ってからどの様に話を切り出すか、何を尋ねるかを頭の中でまとめていく。歩きならともかく、裸足で走ると少し足が痛かったが、それでも陽に焼かれた時程ではなく、あまり気にならなかった。そして近づくに連れて家の様子が詳しく見えてくる。
家の数はそう多くはない。遠目にはもっと多いように見えたが、見えている建物の内、多くは家ではなく納屋のようだった。その納屋も含めてぽつりぽつりと十分に間を開けて建っており、そのあいだに畑や空き地を挟んで贅沢に土地を使っている。昼間にいた丘などは周囲に畑も何もない場所だったし、土地が余っている様だった。
ログハウスと評していたその家の近くにまでたどり着くと、また別の感想を思い浮かべる。使っている木材はそれほど揃えられておらず、手作り感とでも言うのだろうか? その造りも相まってあまり日本の家屋の様には見えない。畑がなければキャンプ場かと疑ってしまいそうだった。
目の前にある以外の家もあまり変わらない。全体的な造りは似ているが全く同じものはなく、それも手作り感を強めている。そして家の造り以外での感じた違和感もある。どの家も生活の明かりが灯っていなかった。日が落ちてまだそう時間が経っていないにもかかわらず、だ。
もしかして空き家なのかと疑いも持った悠真だったが、戸口の前まで来てその疑いは振り払う。戸口前のステップの外には足跡が残り、その周りの手すりやドアの取手には埃が無かったからだ。
悠真はドアの前に立ち、一度深呼吸をしてから思い切ってドアを強めにノックする。自身が小さいからだろうと思いつつも、ドアがひどく大きく感じた。
「こんばんは!どなたかいらっしゃいますか!」
少し時間をおいて、もう一度さらに強くドアをノックする。
「夜分にすみません!誰か居ますか?」
二度目のノックの後、扉の向こうから人の気配を感じた。気配と言っても人の足音なのだが。音がしばらく続いた後、ドアの近くにあった窓の鎧戸の隙間から灯りが漏れ出す。ゆらゆらと揺らめく明かりを見て、悠真は胸に手を当てて安堵の吐息を漏らす。そして人の気配に当てられたのか、自分が全裸だったことを思い出してなるべく腕で身体を隠した。見慣れない身体だとは言え自分の意志で動いている身体はやはり自分の身体なのだと思えば羞恥も湧くようだった。
扉の向こうでゴトリと音がした後、軋みながら扉が開き体格の良い老人がドアの隙間から外をうかがった。白い頭髪に、これも白くなった髭を切りそろえた老人は扉を開いて最初、背の低い悠真に気が付かず悠真の頭を越えて外をみて怪訝な表情を見せたがすぐに悠真に気が付き視線を落とすと、今度はぎょっとし驚きの表情を見せた。
「す、すみません。あの、助けて頂けないでしょうか?」
扉が開いて老人が手に持っていた灯りが戸口から十分に漏れ出すと、悠真の視界にも鮮やかな色が戻ってくる。悠真はと言えばあまり隠せているとは言い難い格好で老人に助けを求めるのだった。
「――――?――――ッ?」
老人の返答を聞いて、悠真はその日何度目かのショックを受けていた。老人は悠真の聞いたことのない言葉、聞いたことのない言語を口にしたのだ。
悠真と老人とは、言葉が通じなかった。




