結・その後
清掃と片付けにはあれから細々と、二日はかかった。
その間誰も訪れなかったのは僥倖だ。あんな状態を母屋の人々に見られては、譴責だけでなく、減給も有り得る。
しばらくの間は、悶々とした日々が続いた。
何と言っても、あの短い時間の中で、大陸中で知る者が数少ないであろう、本当の世界の形状の片鱗に触れたのだ。
刺激的すぎて、思い出すだけで目がチカチカする。
しかし結局は人間だ。眠れないからと起きていれば欠伸は出るし、食欲がないからと飲食をしないでいる時間が長過ぎればやがて腹は減る。そうなれば結局は求めて睡眠に落ち、欲して食事を摂って、日々が過ぎる。
ささくれだったような気持ちも、やがて時間が落ち着けてくれる。
そうなるまでに一月ほどの経過が必要ではあったが。
環境の変化は、半年が経った頃に起こった。
『魔女秤量所』の近日中の閉鎖が決まったと、市と教会の両方から連絡があったのだった。
不採算だから、は理由ではない。その証拠に、オーデルファウト市を始めとした他の九カ所でも同時期の閉鎖勧告がなされている。その理由は、「民間での非合法な魔女狩り行為も終息し、その役目を終えた為」とのことだ。採算が十二分以上に取れていた他の市は抵抗をする構えだが、教皇名での発令でもあり、おそらくやがて従うことになるだろう。
体面だけで運営していたサンベローズ市としては、トップダウンで閉めてよいとなれば、安堵とともにこれ幸いと運営停止に入る。
半月後には閉める、という通達があった。
元の部署に出戻りするように、とも。
再び祐筆補に戻れることになったわけだ。願ってもないことだった。
(絶対に悪くなるようにはしない、か……)
かつてエセルが言った通りになったわけだ。こういう風な恩恵になるとは、彼女も思ってはいなかっただろうが。
そうだ。これは、彼女の暗躍の結果なのだ、ということが、ボーマンには分かっている。
(ルチカの復讐を止めることが出来た、んだろうな)
はっきりとは分からないが、そう思っておく。自分が少しでも関わった少女が人殺しに手を染めるというのは、余り嬉しいことではない。
だから、良かった。
ルチカの協力を得た研究成果から、エセルが教会に提言をしたのだろうと想像する。『常人証明書』を取得した魔女の実在と、今後、『魔女秤量所』を運営していく危険性に関して。その過程で、相手の感情を逆撫でしながら聖女と魔女の等号成立の証拠を完全に掴んだりもした筈だ。いや、あの性格だから絶対やった、と確信する。彼女の調査研究は、彼女の筋書き通りの結論を迎え、最終的に平面化されたわけだ。
教会は面白くはないだろうが、その危険性は十分に理解したのだろう。『魔女秤量所』の閉鎖に動いたのが、証左と言える。
そういった物事が表向きに知らされることはない。
「本当にまずいこと」だからだ。
きっと、世の中は少し裏側を覗けば、「本当にまずいこと」で満ち溢れているに違いない。殆どの人間は揺り籠から墓場までその存在さえ知る筈もないこと。知らなくても良いこと。
これ以上は御免だが、そうした知識に触れたことについて、最初こそ動揺したものの、今となっては幾らか優越感が持てるくらいには余裕が出てきている。
さて、ここに逓信局から届いた一通の手紙がある。
閉鎖までの多忙な猶予期間にある――なくなるならなくなるで惜しんで来訪者が増える、現金なものだ――『魔女秤量所』に届いたものだ。
表書の字は歪んでいてあまり上手ではない。
宛先はボーマン・ナタンで、差出はエセル・キルパトリック。
ボーマンは、開封するかどうかを悩んでいる。
なんてことのない、ことの顛末を知らせるだけの手紙かもしれないが、そうでなかった時は、またややこしいことに関わりを持つことになるのかもしれない。
そうなったら抗うことなど出来まい。
そのことに、恐怖を感じているのか、興味をそそられているのか、自身でも判然とせぬ。
結局は誰にも見せることのなかった『地図屋』のシンボルを、ポケットの中で弄ぶ。
ペーパーナイフまで用意して傍らに忍ばせているが、彼はどうしても、その手紙の封を切れずにいる。
カン、カン。
来客を示すノッカーの音が、部屋の中に響いた。
ここで終了となります。
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