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6・彼女の真意

「決意?」


 何の?


 とボーマンが問う前に、ルチカは訥々と話し始めている。


「私は、『鴉』だったの……今でもそう、だけど」


『鴉』。


 ところによっては『狼』とか『蜥蜴』とも呼ばれる。


 都市の裏路地に住み着く、子供の浮浪者を指す言葉だ。彼女の見た目からすれば、有り得る出自とは言えるだろう。


「いつからそうだったのかなんて分からない。物心ついた時には物乞いをして、ゴミを漁って、日々を暮らしていた……。仲間はいたけど、いつの間にか死んだり、どこかに行ったりして、ずうっと誰かと一緒にいたりすることはなかったかな……」


 簡単に喋っているが、なかなか凄絶な人生だ。


「生きるので精一杯で、私も自分でそんなに先は長くはないかもって思ってた。飢えるか病気にでもかかって野垂れ死ぬんだって。でも、だから逆に、魔女だ、なんて言われて殺されそうになるなんて、夢にも思わなかったな……」


「何故、魔女と疑われたの?」


 ずばりとエセルは切り込む。口調に遠慮というものが全くない。


「……いつも隠していたけれど、ある時、これを見られてしまって」


 言うなり、ルチカは前髪を掻き上げた。


「あっ」とボーマンは露骨に驚き、


「なるほどね」とエセルは得心する。


 ルチカの瞳は左は空色で、右は(あかがね)色だった。


 猫などの動物には稀にあり。ヒトではかなり珍しいとされる異色眼だ。


(一瞬ぎょっとはするが、綺麗には見えるよな)


 しかし一般的には、奇妙で不思議なものとも思えるだろう。例えば、常人にはない能力を備えているが故に、身体的特徴としてそれが表に現れているなどと考えてしまう輩もいたかもしれない。


 その予想は当たっていたようだ。


 前髪を戻すと、ルチカは話を再開する。


「私は、誰だか知らない男達に引きずり出されて、街中の道と道が交差する、十字路に連れて行かれた。


 彼らが言うには、


『辻は四方からはどこにも行けない終着点で、咎人の行き着く場所とされるから、異色眼の魔女の処刑には相応しい』


 んだって。


 そこには即席の処刑台が設けられていた。遠巻きに観衆がいて、前座に芸人が音楽を披露したり、食べ物を供する屋台も立っていたりして、意味が分からなかったな……」


「魔女狩りには確かに、そういうお祭り的要素が入ったりはするみたいね」


「なんつー悪趣味……」


 少女は続ける。


「そして、私は首に縄を括られた。


 抵抗しても無駄で、一瞬にして刑は執行されたの。


 そして、一瞬で、予想外の結末になった。


 縄が腐って朽ちかけていたのか、細すぎたのか……。ろくに食べていない私が重すぎたということはなかったと思うけども。


 括り縄が千切れて、気付いたら私は地面に転がっていた。苦しくて、激しく咳き込んだのを覚えているわ。


 興醒めだったのでしょう。周りはしんとしてしまって、唖然として、白けていた。


 誰かが締めないといけなかった。


 私を連れてきた男達の一人が道化として出てきて、しどろもどろにこんなことを言って、場は解散になった。


『辻は四方どこにでも行けて、咎人が許されて放たれるのはこの場だけ。こやつは魔女ではありましたが、今、神の思し召しで許され、魔女でなくなりました。これにて、お開きとさせて頂きます』


 みたいな……」


「滅茶苦茶だな」


 ボーマンは憤りを感じたが、エセルはどこ吹く風である。


「古来から、処刑が失敗した時は特赦が常だもの。そうでなければ、今、彼女はここにはいないわけだし。


 でも、分かったわ。その後、一度魔女と疑われたあなたは危機感を募らせて、どこかで聞いた『常人証明書』を取得しようと思った、というところでしょう」


 事例の一つとして記録させてもらうわね、などと言って、エセルは野帳に書きつけていく。その字面はボーマンには何が書いてあるのか分からない。下手な字が雑になりすぎて読めないというわけでなく、『平面化機構』の秘奥とされる圧縮言語だからだ。少ない字数に意味を詰め込むことが出来、更に外部の者には読めない工夫が施されている。


 エセルは話を纏めてしまったが、ルチカは呟くことでそれを否定する。


「まだ、終わっていない」


 ボーマンは、本日二度目になる不穏な空気を感じた。


 しかもこれは、前回のものよりも鋭く重い。


 一体、何だというのか。


「ああ、そういえば決意表明がどうの、とかも言っていたわね。なんの決意かしら?」


 もう余り興味もなさそうな感じでエセルは訊ねている。


「私は、復讐がしたいと思っているの」


「復讐? それは、そう思うでしょうね。一度殺されかかっているのだから。でも、止めておいた方が無難よ。せっかく『常人証明書』を取得したんだから、全て忘れて楽しく生きていきなさいな。何なら、何かの縁だし、仕事も紹介してあげるから……」


「違う……」


 ひゅるるるる……


 小さな風が巻き起こっている。


 どこかの窓が開いたのか?


 閉めなくては、と思う前にボーマンはそうではないことを知った。自身が受けている風圧と、室内の物体に生じている揺らぎから、風が起こっている中心点が推測されたからだ。


 その中心は、ルチカ。


 襤褸や長い髪がはためき、覗いたその両の眼は、先ほどの状況とは異なっている。


 どちらも、紅く、妖しく、燃えるように輝いていた。




()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……!」




 曰く――


 首を括られ、ほんの刹那だけとは言え死を体感したルチカは、何かに繋がったのをはっきりと感じたという。かつての魔女や聖女のように。


 それは〈今でなく、(エレ)ここでない場所(フォン)〉のことなのか、〈星と月と太陽の座(イケイプス)〉のことなのか。


 はっきりしているのは、死に瀕した際にルチカが特殊な能力を得てしまったことだ。


「私は、この力を使って彼らを殺すことを誓った。『常人証明書』を持っていれば、その後追われても、私は魔女じゃないって言い張れる」


 風は強くなる。旋を巻いて、段々と。


「言葉にしてみて、やっぱり決めた。私は、彼らを許せない。


 優しくしてくれて嬉しかった。


 ありがとう。


 もう、行くわ。


 さようなら」


「ま、待ちなさい! ルチカ!」


 エセルの口から、はじめて慌てたような言葉が聞かれたが。


 轟、とそこから風はさらに強まり、最早目も開けていられないほどだ。エセルとボーマンは両手で顔を庇い、うずくまる。風切り音の中、途中で遠ざかる小さな足音と扉の開閉音が混ざった。


 しばらくして――


 唐突に、風が止む。


 ルチカの姿は既にそこにない。


 部屋の中を見渡すと、思ったほどには散らかっていなかった。暖炉の炎も残ったままだ。あれだけの暴風だったというのに。


 どうやらそうなるように、ルチカが風を操ったらしい、ということが察せられた。そうした能力なのだから、それくらいは出来るのだろう。


 エセルは、少しの間呆けていたが、はっと正気に返ると、ばたばたと自分のコートを羽織って、背嚢を背負った。


「私も、行くわ」


 宣言する。


「彼女のことを機構に連絡してすぐに手配をかけないと。復讐なんかさせたら、大変なことになるし」


 確かに、その通りだ。


〈異能〉を持った本物の魔女が『常人証明書』を持っているなどと知れたら、『魔女秤量所』を運営する教会の権威は揺らぐことになる。社会不安に繋がる。そんなことは『平面化機構』だって望んではいないのだ。


「それに、彼女の存在はそのまま私の説の裏付けになる筈なの。絶対にもう一度会って、協力を仰がなくては、ね」


「裏付け?」


「同じだったのよ。昔、遠巻きに見た〈天与(ギフト)〉と」


「え?」




「聖女も〈天与〉を顕現させる時、ああやって虹彩が紅く輝くの」 




「…………」


「あの子の力は、空気の疎密を自在に操る、というところかしらね。ああやって風を起こすだけじゃなく、他人を害しようと思ったら、窒息させたり、削り取ったり、破裂させたり、色々やれそうだわ。人の役に立てようと思えば、例えば好きな時に風車を回せる、とかかしら。粉挽きが重宝しそうね。風向きに頼らず船を動かすことだって出来そう。そういうの自体も研究対象にはなりそうだわ。


 おっと、そうだ、これこれ」


 はい、とエセルは背嚢から取り出した何かを、ボーマンの掌に押しつけてくる。


 見ると、金属で出来た『地図屋』のシンボルだ。


「これは?」


「この件で何か困ったことが起こったら、それを出せばどうにでもなるわ。それを持っていることで私たちの庇護下にいる証拠になるから。


 忠告するまでもないと思うけど、今回のことは流布しては駄目よ。


 時間がないから、お礼はまた今度するわね。


 それじゃあ!」


「あ、ああ……」


 別れを惜しむ暇もない。


 エセル・キルパトリックはやってきた時と同じような慌ただしさで、秤量所から立ち去っていった。






 

 散らかった部屋と静謐だけが、後に残った。

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