4・『地図屋』との対話・後
疑問のようなものは解消されたので、ボーマンにも異論はないというか、余計な話を振ってしまったなという思いもある。
「話を戻しましょうか……。と、それで、ひとつ誤解があるみたいなんだけれど、私は別に、『魔女の秤』そのものについて調査しているわけではないのよ。色々と知見は広がったとは思っているけれど、そのへんは枝葉末節の部分というか……」
「そうなのか?」
「殆ど調べれば分かることばかりだもの。……私が知りたいのは、別のこと。
――もう一つ質問だけれど、ボーマンは〈天与〉とは何なのか、答えられる?」
「何って……さっき言っていた通りだろう」指折り答える。「ベローズなら癒し、ピエッタなら掌から食べ物を取り出した、パトリシアなら枯れた土地に雨を降らせた、みたいな聖者によるありえない奇蹟の発現、だよな」
「その力の源はどこから来ているとされているのか、にも言及しなくてはね」
「それは勿論、星辰の神がおわす〈星と月と太陽の座〉だろう」
「うん」一拍置いて。「それじゃあ、〈異能〉とは?」
「そりゃあ、あれだ。魔女の秘術だよ。炎を生み出して村を焼き払ったとか、一夜にして街に病魔を撒き散らしたとか……。こっちは名前までは知らないけど」
「前者はエレハイム、後者はフィリーね。どちらも教会が正式に処刑した、本物の魔女だわ」
「で、こちらは、魔的存在との契約で〈今でなく、ここでない場所〉から力を得ている、と」
言いながらボーマンの中にひっかかりのようなものが出来ている。
妙な対比構造になっているような……?
その思考回路の形成が、エセルにとっては会話文脈上の狙いだったろう。
「喋りながら、二者間の類似性には気付いたかしらね」
「まあ……」
「現在する魔女は、なかなか見た人もいないけれど、聖女の方は目にしようと思えばその機会は少なくないわ。教会が分かりやすく権威を示す為に、定期的に〈天与〉のお披露目会をやっているからね」
「……言い方だよなあ」
他に誰もいないとは言え、教会に縁深い建物の中では落ち着かない物言いだ。
そういう摩擦を恐れない表現が、軋轢を産むのだろうに。
ここから、エセルが更にとんでもないことを言い出すまでにさほどの時間も要しない。
「一方で、〈星と月と太陽の座〉と〈今でなく、ここでない場所〉を見た人なんていない、わよね。かつての魔女や聖女の発言から、不思議な能力の根源に繋がっているらしいことが推測されるから、そうした仰々しい名前が付いただけで。こういうそれっぽい名前を付けるの得意というか、好きよね~。教会は」
「…………」冷や冷やする。
と、言うか、なんだ、これは。
もの凄く奇妙な空気になっていないか。今。
雨が降る前に感じるような、悪い予感めいたものが肌を粟立たせている。
エセル・キルパトリックは一体、何を言おうとしているのか。
「で、私はこういう風な仮定をしたわけ」
「おい、ちょっと、もうやめないか」危険を察知して、ボーマンは止めに入る。
エセルは止まらない。
「〈星と月と太陽の座〉と〈今でなく、ここでない場所〉というのは同じものを別の言葉で表現しているだ
けなんじゃないかって。つまり――」
「や、やめろって」
ボーマンの制止は聞こえても、届くことはない。
エセルの口調は熱を帯び、遂に核心について述べる。
「教会の聖女と在野の魔女というのは、実は等号で結べる存在なんじゃないかしら?」
ああ~。
言っちゃったよ。もう。
止めるのは無理で聞きたくないからと、指で耳に栓をしたくらいでは、届いてしまう。後悔の念しかない。
悟る。
つまりはこういうのが、公表も出来ない「本当にまずいこと」なわけだ。
完全に禁忌の知識とでも言うべき類のことだ。忘れないと死ぬような呪いの言葉だ。寝言ですら零せない。
エセルは興が乗ってか、ぺらぺらと続けている。
「つまり教会にとって都合の良い、正にして陽な印象の力は〈天与〉として、不都合で負にして陰な印象の力は〈異能〉と定義付けた――と、私は思っているのよね。強大な組織力を使って巷間に流布し、今ではまるっきり事実みたいにして、前者を教会の権威付けに使って、後者を排斥することで、やっぱり教会権威の一助とした。まあ、やりすぎて拗れたのと世相の乱れも相まって、証拠も無しの魔女狩りという私刑も横行しちゃったわけだけど……。
何はともあれ、ある程度調査研究が進んできた今はこの仮説を補強するような裏付けが欲しい、のよね。……どうしたの?」
「……なんでもない」
ボーマンの頭痛の原因を推察出来るなら、エセルは『地図屋』に所属などしていないだろう。推察出来たうえで韜晦している可能性もあるが。言っても詮無きことだ。
「裏付けって言うと、何になるんだ?」
「聖女とか魔女に直接話を聞けるのが一番良かったんだけどね。聖女の方はさっきも言ったけど、教会関係でガードが堅くって。正規ルートで取材も申し入れたんだけど、けんもほろろ、取り付く島なし」
「…………」
それは、当たり前との話でしかない。
聖女は、俗っぽい表現をするなら教会ブランドの柱の一つだ。
誰が傷付けるような行為に手を貸したりするものか。
「魔女の方は出会おうにも希少性が高過ぎるしね。本物はいてもその素性は隠すだろうから。だから、出没する可能性のある場所に行ってみることにした。何かヒントがあるかもしれないしね。まあそちらも、随分ガードは堅かったけれど、調べてみるとどうも、緩い場所があるみたいだったから、こうして、ここに来ている」
「お言葉だが、本物の魔女がここに来て秤に乗ったかどうかなんて、俺には分からないぞ」
「まあ、そうなんでしょうね。体重が見た目よりもずっと軽いなんて人が本当にいたら、大変な問題になっているだろうし」
「……本物の魔女だったら、教会が決めた目方の法則通りになってるとあんたは思っているのか? あれは秤を抑止力として作用させる為の方便だろう?」
「逆かもしれないわ」
「逆?」
「教会側で聖女=魔女という認識を裏で持っているなら、〈天与〉持つ聖女の重量がこれくらい本当に軽いから、同じように魔女も軽い、というデータに基づく数式設定かもしれないじゃない」
「穿ち過ぎじゃないのか……」
「それが分かるのは、本人たちだけよね。だから、『常人証明書』を出す『魔女の秤』の設置を知った魔女がいたとして、目方が普通の人と変わらないなら、量りに来ててもおかしくないと思えるわ。軽いのなら、逆に絶対に来ないでしょうけどね」
「どちらにしろ、自分からそうであると表明しないんだから、余人には分からないんじゃないのか……?」
「そこなのよね~。せめて、聖女の方だけでも量ることが出来ればいいんだけれど」
滅茶苦茶なことを言う。
なんとなく思いついたことが口を突いて出た。
「……代償に魂を捧げているというなら、魂に重さがあるかどうかだけを先に調べておいてもいいんじゃないか?」
「んん? どういうこと?」
「人が死んだら、魂が抜けたってことだろう。死体がそこまで軽くなっているかを調べれば、重さが分かるんじゃないか」
「おー」
エセルはぽんぽん、とボーマンの肩を楽しそうに叩いてくる。
「それ、ちょっと面白い説だわ。検証してみてもいいかも」
「…………」
『地図屋』が喜ぶということは、余り真っ当な感覚の意見ではなかったかもしれない。
短い時間で随分毒されてしまったな、と反省する。
一方で、ふむ、とエセルは腕を組んで少し考え込んでいる。
「それにしたって、ううん、やっぱりちょっと、これ以上は推論の域は出ない、というところで足踏みになっちゃったわね」
いいセンは行ってる筈。あとちょっとって感じなんだけどな~、と悔しそうにぼやく。
確かに、ひどく冒涜的ではあるが、彼女の論理は無理筋ではない。確かな証拠さえ添えられれば、おいそれと誤謬を指摘出来まい。
その証拠を用意するのが一番大変なわけだが。
むー、と学者は目を瞑った。先ほどまで口舌が回転し続けていたのが嘘のように、そのまま沈思黙考に落ちている。
しばらくその様子を眺めた後、邪魔はするまいと、ボーマンは再び暖炉の面倒を見る為に席を立った。
立ったところで――
カン、カン。
ノッカーの音が響く。
「お客さんかしら?」
エセルの方が先に反応した。頷いて見せる。
「今日は、千客万来だな」
大袈裟な表現のようだが、一日で複数人が訪ねてくることなど、とんと記憶になく、あながちズレてもいない。
ともあれ、ぶっきらぼうになっていた感情を二、三度咳払いなどして切り替え、ボーマンは外の人物を招き入れる為に扉を開ける。