3・『地図屋』との対話・前
暖炉に泥炭を継ぎ足して戻ると、エセルは両手で大事そうに茶の入ったカップを持ち、口をすぼめて持て余し気味に少しずつ飲んでいる。自分で欲しがった割には、その不審な挙動からどうも、猫舌なようだ。
(こうしていると、ただの可愛らしい小娘みたいだけどな)
中身はそんな生易しいものではないというのは、既に体験済みだ。
「うん? 何?」
視軸に気付いたらしく、無邪気に訊いてくるので、意図を悟られたくなくて、肩を竦めた。
「なんでもないさ。それよりも、聞きたいことがあるなら早くしてくれ。決めたからには、答えられることには答えるつもりだ」
「そんなに、構えてもらわなくていいんだけれど……。聞きたいこと、というよりはそうね、丁度、考えを纏めたい、てところだから」
う~ん、と思案してから、問い掛けてくる。
「ボーマンは、『魔女秤量所』の成り立ちについてどのくらい知っている?」
「? そりゃ、あれだろう」
ここの担当に回された時に母屋の方で荘厳な雰囲気の中、長々とした説明を受けたので、いくらかは覚えている。
「設立した当時は魔女狩りが流行っていて、対象を私刑にかけるのが横行していたんだとか、何とかで、それの抑制として……」
「ブブー。二十五点」話の途中でいきなり評点を下して、エセルは教師のような顔になる。
「もう少し言及すると、なんでもない人を魔女とみなして殺してしまう、そうした風潮が背景として強くあったというところから始めなければね。同時代の手記、公式文書なんかに目を通すと、各地で不作が続いていたり、大きな地震があったり、嵐に見舞われたり、流行り病が蔓延したり……。たまたま、短い時間に大きな規模でそうしたことが集中してしまうと、人は荒んで、何かと理由をつけて捌け口を求める……」
「その一つに、魔女があった……」
「そう。各地のコミュニティの嫌われ者、鼻つまみ者、特異な身体的、精神的特徴を持った者なんかは適当な理由をつけられて魔女に祀り上げられて殺されてしまった。ひどい例だと、振られた腹いせに相手の女性を魔女に仕立てて、なんて話もあるわね」
「……世の中が暗いというのとそれは、全く関係ないんじゃないか?」
「でも、罷り通ってしまった。そういう世相だった」
さばさばと言う。
「知っているかしら? 星辰教会が正式に認定して処刑した〈異能〉を持った本当の魔女というのは、たったの十三人しかいないの。それ以外は民間で勝手に烙印を押されて殺されている。その確認方法もひどくてね、眠ってしまったら魔女だとか、水に沈めて浮いて来たら魔女だとか、赤くなるほど熱した鉄の塊を運べなければ魔女だとか……。あとは……」
悪戯っぽく片目を閉じる。
「体重が極端に軽ければ魔女、だとか」
「…………」
その口ぶりでは元々、その規則については知っていたと見える。
「あんたは、性格が悪いな……」
「知らない振りをするというのはコミュニケーションを円滑にする為の、偉大な処世術よ」
などと嘯く。
「まあ、その際の秤量方法は恣意的に目方を軽く見積もるやり方だったそうだから、対象は全て魔女扱いで、ことごとく死に至らしめられたわね。
そこに、事態の沈静化を画策していた帝府や教会は逆に目を付けたわけ。力で抑えつけてみても中々各地で魔女狩りの火は消えない。ならその勢いを利用する方向に持って行こう、てね」
「それが、公的機関としての『魔女の秤』というわけだ」
ボーマンは言葉を引き継ぐ。低い点数を付けられたくないから、補足もする。
「ただし、恣意的ではなく、正しい重量を量ることで、魔女嫌疑者に魔女ではない、という公証を出す。公証を得た者が民間で私刑にかけられるようなことがあれば、その首謀者は罪に問われるから抑止力になる……」
「そういうこと」
エセルは、親指と人差し指で丸を作って見せた。
「オーデルファウト市で実験的に行われたこの施策は、はっきりと言って当たりだったわ。直後に公証を得た者を実際に殺してしまった例に対して非常に厳格な処罰を下して見せたことで、スタンスも示したしね。市と教会にとっては、副次的な恩恵もあった。自分が魔女と疑われたらそうでないことを証明出来ずに殺されるかもしれない、という不安は、多くの人の胸中に潜在していたから。市にはそれまで以上に多くの人がやってくるようになったそうよ。寄進料だけの話じゃなくて、人が動けば自然の摂理としてモノとカネも動くから……」
「だから、各地に『魔女秤量所』は設置されたっていうんだろう。人道的と呼ばれる施策を行えるし、街は豊かになるし、言うことなしだからな」
「誘致されればどこにでも、というわけではなく、選別はされたのだけどね。教会の権威を示すものだから、そぐわない場所だと思われれば大きな都市でも設置はしない。逆に、多少鄙びていても教会的に格が高いと思われた場所には教会主導で置かれたり……。例えばこの、サンベローズなんかは後者の代表になるのかしら?」
「……あんたはそれを知ってて来た筈だよな?」
「さあ? ……サンベローズは、確か触れるだけであらゆる傷を癒したという〈天与〉を持つ、聖なるベローズ縁の土地、なのよね」
人口一万人足らず。旧大陸幹道の沿線というかつて栄えた小さな街で地方中枢というにも二歩も三歩も譲る規模だが、星辰教会が与える格は、前述の理由で高めである。
だからこそ、大陸全土で十カ所しかない『魔女秤量所』の設置に許可が下りたわけだ。
一時の間、つまり、需要がある間の数年ほどは、確かに多くの人が訪れたという。
魔女狩りが下火になった今となっては……現状の通りなのだった。
他の都市では、最盛期ほどではなくとも物見遊山として未だに人が訪れ、記念品代わりとばかりに『常人証明書』が発行されている。言い方は悪いが、その後も黒字経営が成り立っている。
サンベローズでは、実需がなくなった後は観光で人が訪れることも元々ない為に、教会側が管理を放棄し、市に押しつけて、市は市で人件費はなるだけ抑えたいのと証明書発行業務で公人の代筆が必要だからと、祐筆補の若手たった一人に任せるなどという無茶振りだ。
完全なる腫れ物扱い。
そんなことをやっているコミュニティは他に一つもない。
ボーマンが街の中央にある聖なるベローズの石像を脳裏に描いて思うことには。
「……俺はベローズを恨むよ。どんなに徳が高かったとしても……」
「私は感謝するわね。ベローズさまさま。そのおかげで、こうやって足を踏み込める『魔女秤量所』があるわけなんだから。他のところはガードが堅くて、堅くて……」
にやー、とエセルは笑いかけてくる。面白がっている。
もしかしたら、ここに来る前から、ボーマンの背景についても調べをつけていた可能性はありそうだ。
そんなことに意味があるのかと思う。それを言えば、彼女が調査している物事に対してだって意味があるのかどうかすら分からないが。
訊いてみる。
「なあ、こんなことをやって誰の得になるんだ?」
「へ?」
「あんたが『魔女の秤』について調べていることは分かったよ。しかしそれで、誰かが得したりするのか? 『地図屋』は他にも教会と対立するようなこともたまに発表したりしているだろう。無駄な軋轢を産むだけじゃないのか。金になるってわけでもないだろうし」
「『地図屋』はやめて欲しいんだけど……」苦笑する。「私たちの財布の中身まで心配してくれるの?」
「そこは、もののついでだが……」
「でもまあ、そうね。そう見えるのは分からなくもないわ。余人には理解しがたいところはあるかも。けれどもそこは、地図を作製していた頃から変わらない部分だから、はっきりと答えられる。それは、
『未知なる領域を埋めていくことは恐怖を消し、愉悦を産む』
ということね。
あなたにだって、例えば苦手な算術の問題が一つ解けて、嬉しくなったということ、それに類するような経験はあるんじゃないかしら?」
記憶を探るとそういう場面は幾つか思い浮かぶ。
「……まあなくはない、か?」
「私たちは、何にでもそう、というだけ。役に立つ、得になる、という軸だけでは全てを平面化するなんていう理念は実現しよう、とならないし、出来ないものね。発表に関しては、それなりに時と場合を弁えているつもりはあるわよ。向こうが突っかかってくるから、ちゃんとした調査に基づいた牽制、をしているのね。それに、本当にまずいことなら、研究するだけで世に知らしめたりはしないもの」
例えば一部の聖遺物が捏造、偽造品であるといった類の発表は、「本当にまずいこと」ではないらしい。
(じゃあ、本当にまずいことって一体なんだ?)
体温が下がり、背筋が薄ら寒くなった。エセルは聞いたら軽く答えてくれそうな雰囲気がある為、その質問はしないことにする。眠れなくなりそうだ。
「ついでに答えておくと、お金の心配だってないわね。設立当初ならいざしらず、今の『平面化機構』には継続的な収入源があるから。大きなところではプラントハント――一例としては新大陸調査に同行した時に発見した、キナ樹皮の安定供給ルートに噛んでみたり、あるいは各地で鉱山の運営やコンサルタントをしてたり、ね。このへんも最初は、本当に役に立つのか疑問視されていた平面化が回り回って返ってきた、みたいなところがあったりして。まあ、それが目的ではなかったんだろうけど。ともかく今は独立採算でも全然やっていけるようになっているわ。帝府は関係が希薄にならないように無理矢理予算を付けたり人材交流を推進したりしているけど……」
政治的な話になってきた。
脱線が大きくなったことに気付いたようで、エセルはふっと言葉を止めてからようやく温度の下がったカップの中身を半分ほど干す。
閑話休題ね、と手をひらひらして一区切りを示した。