2・『地図屋』の目的
かちゃり、かちゃり、と金属を積み重ねる音が秤量室に響いている。
「ね~、怒ってるの~?」
ボーマンが錘の量を調整している計量皿と逆の皿に乗っているエセルが声をかけてくるが、
「静かにしてくれ。動かれると安定しない」
とだけ告げて後は無視した。「ちょっと、もう」などとエセルはぶつくさ言っていたが、実際に作業が先に進まないのを悟ったようで、しばらくしたら大人しくなった。
小さな秤で微調整を行っていき、乗せたり下ろしたり変えたりで水平を合わせる。
ぴたりと合った。
この仕事の中で数少ない、ちょっとした達成感を覚える瞬間だ。
(四十五瓩と三百十二瓦。ここから予定通り一瓩引いて、と。少し軽いな……全然、問題はないけど)
秤量室の入口脇にある目盛の入った柱で事前に身長を糎で測っておく。ここから百十を引いて単位を入れ替えた目方瓩を標準数値として、その標準数値から三十瓩以上軽い者は魔女であり、そうでない者は魔女ではない、という判定とする。エセルの身長は百五十五糎であったので、十五瓩以下にならなければ魔女ではない。問題ない、というのはそういう意味だ。
(それにしてもザルだよな)
百五十五糎、十五瓩以下になる成人などいるものか。
まあ、そんなものはいない、という前提の決まりだから狙い通りではあるのだろう。
ともあれ、エセル・キルパトリックは魔女ではなく常人である、ということが証明された。その証憑となるものを発行しなければならない。
母屋の方で用意している、証明書として既に定型文が書かれた書類を出す。聖別された厚手の良い紙が使われており、一枚書き損じてもその五倍の量になる届けを出さなくてはならないので、どうにも取り扱いは慎重になる。文字を書くのは習い性なので、時々始末書の類を出してもいいかと思ったりもするが、よく考えると譴責されるのは厭で思い留まっている。
エセルの名前、身長、目方とサンベローズ市長の名前、教区長の名前を代理で書き入れ、軽く火を当ててインクを乾かした。
うん、我ながらよく出来た。
こちらは大きく満足感を覚える瞬間である。
「ほら。出来たよ。これを持ってさっさと帰ってくれ」
本来なら客には取らないような態度で、片手で証明書を差し出す。
「そんな風に言わなくたっていいじゃない」気に障った風でもなく、エセルは証書を受け取る。「ふうん、こんな感じなんだ……あら」
「なんだよ」
「今、あなたが書いた部分の文字だけど」
「はあ?」
「物凄く、上手じゃないかしら」
「…………」
唐突にそんなことを言われて鼻白む。
はっきりと言えばそれは得意分野であるが、しかし一方でそのせいもあって、この仕事に回されている側面もあるのだった。
心境は複雑だが、褒められて少しだけ口の端がにやけかけるのは抑えられない。
「元々、市の祐筆補だったからな。そりゃ、そういうもんさ」
ぶっきらぼうな言い方で噛み殺す。
市や市長の文書を代筆する役職が祐筆だ。ボーマンはその補佐三名の内の一人だった。
「道理でね。それにしてもここまで完璧なお手本みたいな字は、正直見たことなかったかも」
「……そうかい」
またにやけそうになったので、顔を背けた。
表情筋を落ち着けてから向き直り、
「ほら、もう証明書は出したんだから、満足しただろ、帰った帰った」
改めて追い出そうと画策する。
そもそもこのエセル・キルパトリックはタチが悪いのだった。
彼女は『平面化機構』の所属である。
この組織は、遥か帝祖の御代、戦略を優位に進める上で正しい地図を作るべきであるという方針の元に作られた軍の地図作製部を基としている。その後大陸は統一され、時代を下り、地図作製は武から文の領域に移行した。やがて、あらゆる地形を紙という平面に落とし込む、という目的はあらゆる知識を、と主語が置き変わったわけだ。
そうした設立経緯から、『地図屋』などと呼ばれることもある学術機関なのだ。
それだけであれば、素晴らしい理念を持っているというだけの話なのだが、その平面化の対象が、星辰教会にとってややデリカシーがない領域に及ぶことがあるらしい。
相互協力している分野もあるそうだが、基本的には仲が良くないのだ。
だから、立ち入りを制限するように下知されていた。
だというのに。
それを伝えるや。
「あら、だったらお金を返して下さる?」
と来た。
寄進料の箱を開ける鍵は、母屋の方で管理されている。開けるのは月一回で、それ以外の開封には手続きが必要だ。手続きをすれば、『地図屋』を入れたことがばれる。
ならば、と身銭を切ろうにも持ち合わせがなかった。銀貨三枚は大金だ。部屋に帰ればどうにか工面出来るが、業務中の出入りも知られては大事になる。
打つ手がなかった。
エセルは、そうなることが分かって行動を取っていた節がある。あのタイミングで縫い取りを見せたのも、こちらが困惑するのを知ってのことだ。
だから、タチが悪い。所属の話だけでなく。
「あら、証明書を取るのも含めて、調査に来たのだから帰るわけはないでしょう」
「何も答える気はないぞ」
「それじゃあ、人を雇って秤量所のボーマンは『地図屋』の人間の出入りを許したらしい、みたいな噂を流すわよ。実際、根も葉もないウソではないわけだし」
またそれか。
彼女は本当にやるのだろう。くらくらする。
「…………」
「応じてくれれば、逆に謝礼だって払うし、絶対にあなたに悪くなるようにはしないわ。だから、ね?」
媚びるような物言いで畳みかけるように捻じ伏せてくるのだった。
どうにもならない。
嘆息するしかない。
無言で秤量室から出て、ケトルからカップに白湯を注ぎ一口啜る。喉が渇いていた。
それから、待合所にある椅子にどっかりと座った。
「……あんたのような学者が求めているようなことは答えられないと思うがな」
変則的な降参の呟きに、エセルの顔がぱっと輝いた。
「いいのよ、それで。大体のところは調べが付いているし、これは補完的インタビューというか……。まあ参与観察も絡めたフィールドワーク、フィールドサンプリングってところね」
私にも一杯頂ける? とやはり悪びれもせずに、エセルは対面に腰を掛けてくる。