序・魔女秤量所
固く凍った土を踏み歩くことで、シャリシャリとした音が後からついてくる。
ボーマン・ナタンはそれを心地よく感じる方だった。鼓膜を小刻みに叩く刺激は聞くほどに曰く言い難い快感を伴い、脳髄を抜けて昇華されてゆく。
……というのは自己暗示、自己欺瞞の類なのだろう。うまく騙せているのかも怪しいものだが、何かに楽しみを見出さないとこの季節の通勤は辛すぎる。研ぎ澄まされた冷気が防寒着から露出する肌を容赦なく突き刺し、温度差のある呼気が浮遊する塵埃にまとわりついて白く結露するこの時分。
雪が舞っていないだけ、それでもマシというものだ。
彼の仕事場はサンベローズ市の郊外にある教会――の敷地内にある小高い丘の上に建っている。小さいが、母屋よりも荘厳に見える石造りの建家だ。
ボーマンは市の職員であり、この建物で働く唯一の人物である。毎朝早くに施設を開放しなければ、母屋の方から盛大に苦情が入るので、その点は留意していた。
「誰も来やしないってのになあ」
愚痴が零れる。
正確なところをいえば、ごくたまに、利用者はあるのだが。
星辰教会はその組織名称から斟酌できる通りに非営利団体だが(少なくとも、表向きは)、費用対効果という意味ではここは完全に赤字部門になり下がっている。聖職者でもないボーマンがとばっちり的にここの管理を任されているのには、そのあたりも理由として絡んでいた。
はー、と我が身を省みて深く長く白い溜め息が漏れ出る。
「……さて、今日もまた錘を磨く時間の始まり、か」
自嘲するように一人ごち、寄木細工入りの分厚い扉の鍵を開けて、中に入った。
ぱたりと自重で閉じた扉の上には施設名が彫り刻まれた銘板がかかっており――ボーマンはこの銘板の文字配列やバランスが美的感覚上些か気に入らない――そこには、
『魔女秤量所』
とある。