9絶体絶命のピンチです
「どうしてって、医務室前で襲ってきたのはあなたでしょうが。お蔭さまで何とか生きてます」
呆れた顔でため息をつくタレスの声。
ジャバの鋭利な爪で切り裂かれた背から流れ続けていた血。
そのままだと失血死しかねない身体で、這いつくばりながら医務室にたどり着いた。
三年間の戦場暮らしで、簡単な応急処置法を身につけていたことも幸いだった。
「ふん、今すぐウィラールちゃんを殺して、そっちに向かえばいいことよ!」
憎々しげに、座り手のいないイスを映し出すモニターをにらみつけ、爪をかざした。
「おや、待ってください。わざわざ殺しにきてもらわなくても、私にたいして時間は残っていません。せめて恨み言ぐらい言わせてくださいよ」
ようやくモニターに姿を現すタレス。
言葉のとおり、顔色は紙のようで、唇も青ざめている。
ひゅうひゅうと喉からもれる音。
酷くせきこんだ際にあたりに飛び散った血が、机の前に設置されているであろうカメラを汚し、画面を赤く染めた。
「タレスっ、しゃべるな!頼む、逃げてくれ‼」
ウィラールは死んだと思っていた侍従が生きていたことに感謝しつつ、その身を案じ叫ぶ。
現アミラス皇帝の後継者は多い。
年齢、能力に関わらず、その出自がものをいう後継者レース。
第九皇子……母親の出自の低さで後ろ盾もなく、周囲に見放されていたウィラール。
物心ついてから、アミラス宮廷に連れてこられたが、その際からの付き合いだ。
タレスがいなければ、陰謀渦巻く魔窟でこの年まで生き抜くことはできなかっただろう。
口にはしないが、他の皇子、皇女達からの引き抜きの話があったことを噂で聞いている。
当然、待遇や地位は現在よりはるかに素晴らしいものだ。
それでもなお、頑固にウィラールの側に居続けたタレス。
命を無駄にする気はないが、タレスが助かるのなら、と密かに決意を決める。
死ぬことさえ恐れなければ、アミラス星人には最後の手段がある。
限界までの生命エネルギーの使用。
胸に置かれた足を掴んだ手に力を込め、叫ぶ。
「俺のことはいいから、さっさと逃げろって言っただろう‼」
必死の懇願を聞き、ふわりと微笑するタレス。
知らない人が見たら女性かと勘違いする、柔和で優しげな笑み。
その表情に反し、冷たい怒りを込めた声を発する。
「無理です。昔、教えたでしょう?皇子!」
その声に、ウィラールはびくり、と肩を震わす。
その様子を見て、ため息をつきながら頭を振るタレス。
心底、呆れている様子だ。
さらには、馬鹿な真似させないようにしっかり押さえててくださいよ、とジャバにまで注文をつける。
「全く、どうしようもないですね!そういうところが嫌いなんですよ」
二人の耳に、タレスがイライラと机に指を打ちつける音が聞こえる。
うつむき、表情を隠すウィラール。
ふがいない主に相当、いらついているようだ。
「うふふ、相当ストレスがたまっていたようね。いいわよ、最後だもの!思う存分、恨みつらみを言っちゃってちょうだい!」
両手を広げ、タレスに促す。
あれだけ最後の抵抗する気満々の表情を浮かべていたウィラールの顔から一切の感情が抜け落ちたのは幸いだ。
死を覚悟した力をもつアミラス星人は怖い。
皇族であるウィラールに、死なばもろとも精神で暴れられるとこちらも被害を免れない。
(いいわ、いいわ!助けようとした侍従に見限られるなんて、何てかわいそうなのかしら!あは、あはははは!)
「では、お言葉に甘えて遠慮なく」
嬉しくて堪らないジャバをよそに、タレスはウィラールに向き直る。
「長短の違いはありますが、人は皆、死にます。皇子にとってそれが長いか短いかは知りませんが、そうやって敵の足元で縮こまって死を迎えるのがお似合いでしょう!聞こえましたか、皇子?理解できなかったらもう一度……」
「もう、いい。わかった……」
「あっはっはっ‼最後の最後で侍従にすら見捨てられるなんて!随分、人望のない皇子様ねぇ!」
ショックを受けたのか、頭を抱え込み、丸くなる皇子を嘲笑う。
負け犬にはお似合いの姿だ。
さらにいたぶろうとしたその時、一際響く警戒音をあげて、艦を大きな衝撃と光が押し包んだ。
急な衝撃は、立っていたジャバを艦長デッキ後方に吹き飛ばすに十分な威力だった。
「くっ……」
頭をひどく艦壁に打ちつけかすむ目に、立ちふさがるウィラールの姿が写った。
「よくやった、タレス」
同時に、鉄片でしたたかに側頭部を殴られ、ジャバの意識は深淵に沈んでいった。