5惨劇の始まり。だって獣人だもの
扉の破片と共に大量の鮮血が降り注ぐ。
その生温かさに凍りついた二人に優雅に近づくと、手前にいた男の頭を鷲掴みする。
「や、やめっ……ぐぎぎぃいっ……⁉」
ブチブチとありえない音をたてながら、男の首が胴体からゆっくり引きちぎられていく。
まるで子どもの粘土遊びのようだ。
「あっ……ひぃ……」
声にならない悲鳴を上げ、ずるずると後ずさる女性研究員。
男の首を無造作に放ると、ゴムまりのように跳ねるそれに全く関心を向けず、ジャバは彼女に手を伸ばす。
同じ目の高さにしゃがみこみ、そっと指先で頬を撫でる。
「ねぇ、救命ポッドはどこにあるのかしら?」
問いかけている最中も、肌上を指先が滑る。
優しい、愛撫のように。
「あ……あ……」
目の前で同僚達が無惨に殺害されたことと、それをためらいもなく実行した男が目の前にいる恐怖。
ペタリ、と床に着けた両足の間から温かい液体が漏れる。
その臭気に、ジャバの眉が不愉快そうに上がった。
「素直にしゃべらないのなら、こんなお口なんていらないかしら?」
優しく撫でられている口元に、薄く血がにじむ。
人間と同様の爪先が、徐々に長く、鋭利に伸びていく。
それと同時にだんだん強くなる痛みが、恐怖に勝った。
「こ、この部屋の階下に!お願い、命だけは……」
「ふぅん、そうね、本当だったらお礼をしなくっちゃね」
嫣然と微笑むジャバに、女性研究員の顔にも安堵の表情が浮かぶ。
「ええ、嘘じゃないわっ!この真下には……っ⁉」
助かる希望が見えて、勢いよく言い募る。
喜色を浮かべた表情のまま、女性の首が宙を飛んだ。
「うふふ、お礼に楽に殺してあげたわよってもう聞こえないわね、残念!だって逃がしたらウィラールちゃん達に告げ口しちゃうでしょう?」
ペロリ、と爪をつたう血を舐めとる。
胸に負った傷は予想以上に深い。
さすがに今の体調で、アミラス人二人を同時に相手どるのは厳しい。
ここは潔く退いて、形勢を立て直すべきだ。
宇宙艦には、万が一のために必ず脱出用の救命ポッドが備えつけられている。
さきほどの女の話では、この階層の真下にあるとのことだ。
拘束されたストレスから派手に暴れてしまったため、ここの惨状にウィラール達は早々に気がついてしまうだろう。
その前に救命ポッドを奪って、脱出するのだ。
ウィラール達に捕まってしまったのは本当に想定外だった。
そのことで思わぬ時間をロスしてしまったが、問題ない。
長い時を費やした悲願達成まであと少しの辛抱だ。
ジャバさえ生きていれば、計画は実行される。
たとえ、あのままアミラス星に輸送されていたとしても、彼を踊らせたい人々が、何らかの手段をもってジャバを自由にしただろう。
しかし、ジャバは自身での解放を望む。
(だって、人生には刺激が必要でしょう?)
他人に踊らされるだけの人生なんてつまらない。
そっと廊下側の扉から抜け出したジャバの耳が、ある足音を拾う。
先ほどの甘くて、苦い血の味がよみがえる。
にたり、と笑い、ジャバは廊下に身をひそめた。
ミントティーのポットを載せたトレーを手に、タレスは艦長デッキの正反対、すなわち医務室に向かっていた。
唯一の同乗者である三人は、仕事に没頭すると寝食を忘れる生粋の研究者達だ。
今日も食堂を使用した形跡がない。
マッドな性格があうあわないはともかく、おかん体質のタレスにとって心配な三人組だ。
(夕餉には必ず出るようにと言っても、あの調子では無駄でしょうね。でも彼らならあのまま餓死したって本望って言いそうですけど……っ⁉)
背後から伸びた両腕が、隙間なくタレスの首に絡みつく。
トレーから滑り落ちたガラスのポット。
その破片が悲鳴のような音をたて、あたりに飛び散った。
「タレスちゃ~ん、捕まえた!」
「がはっ」ぐいぐいと容赦なく、気道を圧迫されあえぐタレスに顔を近づけ、ジャバは甘くささやく。
「救命ポッドとタレスちゃんの首がなくなってたら、さぞかしあなたの皇子様は嘆くでしょうね」
このまま首をねじり取ってあげましょうか、それとも爪で綺麗に切り取ってあげましょうか、と問いかけるジャバに、タレスは弱々しく答える。
「ぐっ、どちらもごめんですね」
「そう?じゃあアタシが好きな……」
「それに、逃げられない。キーがない……とっ」
ジャバの声にかぶせるようにタレスが叫ぶ。
その声はかすれて、ひび割れている。
「キー?どういうこと?」
少しだけ腕の力を弱める。
急な空気の流入に、むせ込みながらもタレスが答える。
「私、の右ポケットに……」
ジャバがポケットを探るために右腕を離し、視線を落とした瞬間、タレスは残った左腕に自身の髪先を押し当てた。