ゾンビの食欲と勇者の屈辱
「そこ迄です、お嬢様!」
アタシの耳元デ魔剣がサケブ。 ウルサイ! ジャマをスルな! アタシはヤットこの肉ヲ食ベテ飢えをシズメようト……
……アレ?
おかしいな、全然お腹空いてない……さっきまでの飢えと渇きと、肉を求める闘争心みたいなのがあたしの中から拭い去ったみたいに完全に消えてしまっていた。
「ひ……ひっく……」
あたしの耳元ですすり泣く声が聞こえたので、目線を上げるとそこには肉……じゃない、ユーファリアの怯えた泣き顔が眼前に広がっていた。
「ひっ!」
目が合って、彼女は怯えきった短い悲鳴を上げた。 完全に戦意を失ってるみたいだけど、コレって……
ココでようやく、今の状況に気が付いた。 あたしは全身ズタボロで、血まみれのまま全裸の彼女を組み敷いて、その細い喉に歯を立てている。 その白い肌も、あたしの返り血で所々赤黒く染まってしまっている。
もう少しアゴに力を入れたら、危うく咬み裂いてしまう所だった。 慌ててあたしは首筋から口を離した。 涎がねっとりと糸を引いて、白い首筋には赤く歯形が残ってしまった。
……なんかエロい。 じゃない! なんだかコレじゃ、あたしが彼女を陵辱してるみたいじゃない!
「それどころか、捕食してしまう所で御座いました。 寸前で制御が戻って何よりで御座います」
あたしの傍らに浮かぶセバスチャンが、ホッとした様な口調でそう言った。
その横から、全身がベコベコになったメイちゃんがおずおずと、あたしの切り飛ばされた左腕と潰れた目玉を差し出してくれた。 心なしか、あたしに怯えている様に見えた。
目玉を嵌める為に、メイちゃんの胸甲に自分の顔を映してみると、左半分がグチャグチャに裂けてて赤黒い腐ったザクロみたいになっちゃってる。 右の頬も裂けてソコから奥歯と舌が見えるし、コレは我ながらグロイ、今までに無く気合の入ったゾンビ顔になってしまってる……そりゃ、メイちゃんもユーファリアも怯えるわ。
まぁ、キズはその内塞がるから良いとして……あたしは戦意を失ってまだ小刻みに震えているユーファリアから身体をどけると、左腕をメイちゃんにくっ付くまで押さえてもらいながら、セバスチャンにさっきあたしの体に起こった何かの説明を求めた。
「で、さっきのアレは何だったの?」
「はい、以前に申しました通りお嬢様は私の制御によって、ゾンビの本能とも言える食欲を抑制しております。 でないと、理性が保てずに肉を求める本能のみで動いてしまいますので……」
「じゃあ、さっきのって……」
「はい。 その食欲を開放する事によって闘争心を高め、恐怖と躊躇を無くして身体機能を限界を超えて使用出来る……一種の暴走状態に置くことで、勇者との戦闘能力の差を埋める手立てを取らせて頂きました」
あたしは、さっきまでの強烈な飢えとユーファリアの身体への渇望を思い出して、思わず身震いした。 なるほど、普通のゾンビが明らかに不利な相手でも一心不乱に向かって来るのは、頭が腐ってるだけじゃ無くって常にあの飢えに苛まれていたからなのか……
そりゃ、あの飢えを塞ぐ為ならどんなダメージも介さずに肉に喰らい付こうとするワケだわ……戦慄しつつ納得したあたしにセバスチャンが言った。
「ですが、闘争本能と食欲が前面に出てしまう為に防御や回避がなおざりになってしまい、この様に大きなダメージを受けてしまいます。 ですから、食欲の開放は今回の様な非常措置に留めておりました」
「……うん、これからも本当にヤバい時だけお願いね」
「畏まりました」
「本当にお願いね。 もうあんな強烈な飢えは二度とゴメンだから」
……とか言ってる内に左腕が動くようになってきた。 左目がまだ見えないけど、そのうち回復するだろう。
さて、その前に……あたしはまだショックから回復出来ないでいるユーファリアに近付いた。
どうやら腰が抜けてるみたいで、上体を起こすのがやっとの彼女はそれでもあたしをキッと睨みつけて叫んだ。
「くっ、殺すなら殺しなさい!!」
彼女は怒りと屈辱で頬を紅潮させて、切れ長の目には悔し涙が浮かんでいる。 強がりを言いながらも身体はまだ恐怖で小刻みに震えていて……ああ、こんな可愛い裸の娘を前にした鬼畜族の気持ちがちょっとだけ解かる気が……
って、違う違う!! あたしはそんなシュミは無いし、鬼畜族になった覚えも無い! でも、彼女にとっては似た様なモノなんだろうなぁ……
まぁ、仕方が無い。 誤解は蘇生してからゆっくりと解こう。 あたしは魔力鞄から、何かの役に立つかもしれないとアングラールのアイテム保管庫から持ち出したハイポーションを取り出すと、彼女の前に置いた。
「心配しないで、毒でも媚薬でも無いから」
「どう言う……つもりですの? ワタクシに情けを掛ける気?」
「いやぁ……そんなんじゃ無くって、アンタとはたまたま敵対しちゃっただけでダグウェルとは無関係なの。 あたし達の目当てはこの先の蘇生施設で人間に戻る事だから、ダグウェルとか魔族退治は勇者様に任せるって言うか」
彼女の目から疑念の色が消えないのを見て、あたしは肩をすくめた。 ま、判ってたし。
ようやく左目の視力も戻ってきた。 あたしは辺りに転がっていたビキニアーマーを拾って、これも彼女の前に置くと、セバスチャンを持って先へ進む事にした。
ケガは大したコト無さそうだし、ショックから癒えれば一人でも大丈夫だろう。
あ、ケガと言えば……あたしは傍らのメイちゃんの方を見た。 もう全身の凹みや焼け爛れたアトは殆ど残っていない。 それでも一応言っておかないと。
「あ、あのさ。 さっき、勇者を食べようとした時に止めようとしてくれたよね」
メイちゃんはちょっと戸惑ったみたいだったけど、ちいさく頷いた。
「止めてくれてアリガト。 そんで、その時メイちゃんに酷いコトしたと思う……ごめんね」
メイちゃんはまた小さく頷いて、それから優しくあたしの頭を撫でてくれた。 アーちゃんもどこか優しげな唸り声を上げてくれる。
ごめんね、みんな本当にごめん。 あたしはちょっと泣きそうになった。
「お待ちなさい!」
そんなあたし達に向けてユーファリアが声を掛けた。
「魔王の魔剣セバスチャンを持って、幽甲冑と“悲嘆呪殺のドレスアーマー”を共にしたアナタが只者であるハズがありまぜんわ! せめて名を名乗りなさい!!」
えー……そんなコトを言われてもなぁ。 みんなと居るのは半ば幸運に恵まれたダケで、あたし自身は只者なんだよね。 でも今までみたいに“お嬢様”って名乗ってもまた変な称号が付きそうだし、かと言って黙って去るのも決まりが悪い。
まぁ、でも、相手は勇者様だし名乗っても悪いコトにはならないだろう。 あたしは勇者に踵を返すと胸を大きく反らせて名乗りを上げた。
「あたしの名はシネル。 何者かと言われると、今は只のゾンビ。 で、この魔剣は知っての通り、セバスチャンね。 あと、幽甲冑はメイちゃんで、ドレスアーマーはアーちゃんだから、次に会った時はちゃんと名前を呼んであげてね」
「お嬢様、そろそろ行きませんと」
「おっけ。 それじゃ先に行くから、またね“ユーちゃん”」
「ユー……ちゃん?」
キョトンとした顔の女勇者を残して、あたし達は更なる地階へ急ぐことにした。




