お礼はいらないん
「ぐぇ」
体が重たい。お餅がへばりつくように重い体を持ち上げて、ぼくは目を覚ました。潰れたカエルみたいな声を出したのはベットから落ちたせい。
昨日リルと夕飯を食べて、少しばかり街の中を散策した。目が覚めてまっさきに思い出したから、思わずにやけてしまった。
「えへへぇ」
ちょっと楽しかった。
街中にあった薬剤店では遠心分離機を見つけ、今はまだ手が届かないけれど、いつかは手に入れたいと思う。手動式の遠心分離機は手作りで職人によってデザインと機能性が違う。有名な人が作った遠心分離機はギミックが多彩で性能も良く、値段も高い。
カーテンを開けると、今日は雨だった。雨が落ちる音、壁に当たる音が響く。雨の日でも傭兵家業は休みじゃない。もちろん休む人もいるけれど。
背筋を伸ばす。
「んー」
手袋をつけて、服装を整えたら聖者の行進を持って部屋を出る。
部屋を出ると、青い服装のリシアがドアの前に立っていた。身長はぼくより高い。
「あっ」
目が合った。紺碧の瞳、帽子からこぼれるクリーム色の髪。
「ん?」
誰だろう。ぼくは軽く会釈して階段へ向かった。胸が、大きかった。ぼよんぼよん。
なんかトイレ行きたい。昨日のブルーウォーターがお腹に効いている。
「あのっ」
ぼくを呼び止めたのかな。振り返るとリシアがぼくを見ていた。
首を少しかしげると、リシアはぼくの目の前まで来て頭を下げた。
「あのっ昨日は、ありがとうございました」
誰だ。
「何の事?」
「昨日、助けてくれたと聞きました。ナインさん、ですよね、ぼくはリシアのアンバーって言います」
昨日のレッドマザースライムにやられた人達のリシアかな。
「これ、一応リシアの証明書です」
証明書見せられてもぼくには本物か偽物なのか区別がつかないよ。四角い手帳の真ん中に銀貨? が埋め込まれていて、開くと教会の教えなどが書かれていた。一番最初のページにペンでアンバーノックと書かれている。ぼよんぼよん。
「助けたのはぼくじゃないよ。フローディアさんだから」
「はい、フローディアさんにはお礼を言わせて頂きました。それでナインさんにもぜひお礼をと思いまして」
「昨日の今日で、いいのに」
昨日亡くなった人もいる。この人の方が内心穏やかじゃないと思う。お礼とかは別にしなくてもいいし、もっと落ち着いてからでもいいと思う。
「これからお時間ありますか?」
「いえ、あの」
トイレ行きたい。
「ぜひ、見させて下さい」
「いいよ、そんな事しなくても」
トイレ行きたい‼
「いえ、お願いします」
トイレ‼
部屋をでたばかりなのに部屋に戻されてしまった。リシアはこの世界においての医者だ。見るというのは体を見させてくださいという意味。
「いや、あの」
「大丈夫です」
大丈夫じゃない‼ お腹が‼ お腹が‼ あぅ、トイレ、トイレ‼
「トイレ‼」
恥ずかしいけどぼくはトイレと口走ってドアをあけ放ちトイレへと向かった。なんだこの羞恥プレイ、トイレにはなんとか間に合ったけれど、部屋に戻りずらい。臭いとか気になる、部屋に戻ると笑みを浮かべてアンバーが待っていた。
シシリーも良くぼくの体を見てくれた。食料の良しあしや寝不足による内臓へのダメージ、傷つき急速に再生させたためにできた筋肉や骨、神経系などの歪をシシリーがいつも正してくれた。
リシアは触れた人間を癒す。
「座ってください」
「はい」
どうしよう。こういうシュチエーション結構好き。内側からじんわりと心が気持ちよくなってくる。
「手袋を取っていただいてもいいですか?」
「それはちょっとできません」
「えっと、でも……」
「わかりました。 「あっでは」 でもこれはとれません」
「……いいです、いいです。ごめんなさい。ではお顔に触れますね」
リシアの手が頬へ、肌の表面に滑らかな手の感触が広がる。
「上を向いてください、はい、では左を向いてください、はい、右を向いてください」
紺碧の瞳がぼくを捕らえている。誰かがぼくを見てくれるの、心配するように体を調べてくれるの、結構好き。シシリーの時も、調節してくれる時だけは嬉しかった。でももっとしてって言ったら嫌な顔されたのが異様に腹立つ。それくらいいいじゃん。
「つまみますね」
頬を軽くつままれる。
「口を開けてください」
言われた通りに口を開ける。
「あーしてください、あー」
「あー」
「口内が少し荒れていますね」
昨日グルタン食べたから、熱くて口の中を少し火傷してしまった。リシアの手が喉へと降り、喉の筋肉や血管を調べるように動く。
「失礼しますね」
胸に抱き着くようにリシアは右耳を胸に押し当ててきた。
「息を吐いてください、はーい、吸って、吐いて、吸って、吐いて、ではしばらく動かないでくださいね」
リシアがぼくの胸に頬を当てたまま動かなくなった。正直気持ちよくて眠くなってきてしまった。体が温かくなって来るのはリシアの体温と祝福のせい。胸がモモにのしかかっているけれど、リシアは集中していて気づいていない。
「眠くなりましたか?」
「うん、少し」
「では少し横になりますか?」
「うん」
起きたばかりなのにまたベットに横になる。でも二度寝は好き。
ベットに横たわるとリシアがおでこに手を当ててきた。
「もういいよ?」
「いいえ、最後までさせてください。終わりましたら起こしますね」
お金出してもいいからたまに夜寝る前にしてほしい。すごく癒される。
頭を撫で撫でしてくれる。ミスティタッチの効果があるので気持ちいい。
本当に寝てしまった。何時寝たのか気づかないほど、ドアのノック音が聞こえて目を覚ます。どれくらい寝てたのかな。起こしてくれるって言ってたのに、いないから帰ったのかな、と思ったけどいた。一緒に寝てた。リシアがぼくの胸の上に顔を押し付けて眠りこけていた。
「おーい、いないのかー」
リルの声だ。
「リシアさん起きてください」
「んっ」
柔らかい乳房の感触がぼくの脳みそを痺れさせる。誘惑という名の淫魔に取りつかれ、押し付けられた二つの双眸がまるで無理やり召喚されるかのように本能を呼び覚ます。
と言いたいところだけど、なぜだろう。反応しない。男としての本能が拒絶している。
「はいるぞー」
オワタ。って別に見られても問題なかった。
「おわっお前‼ 来ないと思ったら何やってんだ‼ おいっ‼ ってアンバー!?」
リルがリシアを引きはがそうとして起こし、声が裏返った。
「知ってるの?」
「なぜそんな冷静なんだ。いや、この界隈じゃわりと有名だな」
どの界隈だ。
「あっすみません。寝てしまっていました」
アンバーだとわかったとたんに、リルの表情はなぜだか軟化するように見えた。リシアだからかな。
「今日は休むのかよ?」
落ち着いたのでベットに三人並んでこれまでの経緯を説明する。
「ふーん、まぁリシアなら……アンバーなら問題はないか」
「何が問題なのだ」
「えーっとですね、とりあえずすみませんナインさん、途中で寝てしまって」
「いいよ、すっきりしたよー」
「すっきり!? すっきりしたの!?」
リルがぼくから横へ離れる。なんだ?
「うん。体、見て貰った」
「体、見てもらわれてしまったのか」
「何その言い方」
「それ以外はないよな?」
「他に何があるの?」
「いや、別に、お尻が痛かったり……そういう趣味は」
もごもご何を言っているのだ。なぜ目をそらすのだリルめ。ぼくはそんなに不純じゃない。右手をおでこに当ててかっこいいポーズをしながら自分の正当性を主張してみた。
「なに、やってんだ?」
ダメだった。
「そうだ、あのっナインさん、これからお昼、一緒にしませんか? あのっぜひっ」
「もうお昼?」
「もう昼だよてめぇ、いい身分だな」
「リル」
「なんだよ」
好き。
「なんだよ‼」
「別に」
「腹立つなお前っ」
「まぁまぁお二人とも、お昼にしましょう、ぼく、食材少しありますからちょっと待っていてください」
三人で部屋を出る。ぼくはこの後依頼を受ける予定なので聖者の行進を手に取って部屋を出た。
アンバーは屈み、足輪から鍵を取り出すと隣の部屋のドアを開ける。そういえば初日に顔は合わせてた。
リルがそばに寄ってくる。なになにどうしたの? 近いよ。
「一応、お前が勘違いしてないといいが言っておくぞ」
「なに?」
「あいつは男だ」
なん――だと。
「でも胸が」
「あいつは生まれた頃からミスティミストの寵愛を受けていたために体があぁなってしまったらしい。その筋では有名な話さ。男でありながらミスティミストの強い寵愛を受けているあいつが教会の上の方に睨まれるのに時間はかからなかった」
「付いてるんだ」
「付いているようだ。まぁあたしが調べた話じゃ上の方にご奉仕を強要されて拒否したようだがな。そのせいで傭兵社入りさ、あたしらにとってはありがたい話だが」
「そんな事、ぼくに話してもいいの?」
「あぁ? あたしは隠し事嫌いだよ」
「ちょっと」
腕を頭に回して引き寄せられる。雨の日、衣服の少し濡れそぼる、鼻先を傷付ける香り、その中に混ざる髪の香り、透明感に雫の揺れる頬が瑞々しくて、いくつもの複雑な情報がぼくの中のリルを作り上げる。
「やめてよ」
「なんだよっいいじゃんかよっ」
「やーめーてーよ」
「なんでだよっ」
ドアが開いてアンバーが出て来た。
「お待たせしました。あらっお二人とも随分と仲がよろしいのですね」
「普通だよ」
「普通だな」
「そうですか? じゃあ行きましょう」
「そうだな」
「うん」
階段を下りる時、リルに小声で話しかけた。
「昨日、死んだけど、彼女、じゃなくて彼は大丈夫なのかな?」
「この界隈じゃ死ぬのなんて日常茶飯事さ、そんなのいちいち気にしてたら身なんかもたねーよ。だからみな、死なない仲間を探しているのさ、強い仲間を、な、それに十年前、魔王がいた頃はもっとひどかった。今はマシな方さ」
「そう」
「だからって死んだ奴に同情しないわけでもないけどな」
階段を下りて広間へ近づくにつれ、人々のざわめきが大きくなった。沢山の傭兵が広間にいて、料理を作ったり談笑したり狩りの算段やきっとクエストの算段をしている。
フローディアはいないからきっと狩りに行ったのだろう。
「おい、誰をさがしてんだよ‼」
「ちょっと見回しただけ、そういえばアーリエさんは?」
「仕事だよ仕事」
「リルは抜け出してもよかったの?」
「……あたしはいいんだよ」
さぼったな。目を反らすな目を。
ぼくは目を反らすリルの袖をつまんで引っ張った。
「なんだよ」
「別に?」
目を反らす。
「なんだよっ」
リルがぼくの腕を押す。
「押さないでよ」
「やだよ」
「やだよじゃないの」
リルの腕を掴む。
「なんだよっ」
「なんでもないよ」
「あっもうっこのっ」
「ふににににっ」
台所へ行くと数人が調理していて、少し場所をつめてもらい調理を開始した。広間を見回すと水炊きのような鍋料理を囲んでいる傭兵達が多い事から、鍋料理が傭兵達にとって主要な料理だと言える。
鉄製のお鍋に具材を入れて煮て味を付けて食べるだけ。
アンバーが作っているのも鍋料理のようた。
「お鍋?」
「えぇ、そうですよ。お鍋、嫌いですか?」
「ううん」
手軽で簡単で火も通すし体も温まる。これ以上ないくらい鍋料理は傭兵に向いている。
リルがテーブルの一角を取って待ってくれていた。
鍋料理と言っても味付けはみな工夫しているし、アンバーも何か味噌のようなものを鍋に入れていた。
「はい、後は温めて完成です」
完成したら席に着く。
「よそりますね」
久しぶりに鍋を食べた。やっぱり元の世界の鍋料理とは全然味が違う。鍋料理を食べているといつも豆腐を思い出す。お豆腐食べたいな。
「おっうまい」
一足先に口を付けたリルが開口一番にそう言った。
「ほんとに? フラーレンス地方独特の味付けなんですよ」
フラーレンスか。
「懐かしい」
思わず口から言葉が漏れてしまった。本当に懐かしかったから。
「食べた事あるのですか?」
「前に少し」
「お前フラーレンス地方出身だったのか!?」
「違うけど、前に行った事がある」
「えっそうなんですか!?」
「ちょっと通りかかっただけだけど」
フラーレンス地方は西の方。温和な気候で作物が良く育つ。肥沃な土地が続きこの国の食料の要だ。
ウーシュカはクルミシアーノ地方、南の方。
十年前西のフラーレンス地方は魔王軍により多大な被害を受けた。ぼくはその奪還作戦にも参加した。沢山の人が亡くなった。鍋を振る舞ってくれた人々が焼けて焦げる臭いが鼻にこびりついて離れない。鍋を食べるたびに脳裏をかすめ、最初は鍋を見るのも嫌だったけれど、今では平気、その臭いを美味しそうだと感じるほどに。
「どうですか?」
「美味しい」
失われなかった味、受け継がれてたんだ。
「今日は午後からどうするんだ? 依頼を受けるのか?」
「うん、そうしようかな。雨だからってサボれるほど裕福じゃないしね」
「二日で借金を帳消しにしただけ十分凄いよお前は、無職の癖に。普通の奴は返済に一年はかかる。無職の癖に」
「あれ? ナインさん無職だったのですか? ぼくはてっきり……」
聖者の行進を見ると、みんなぼくをリシアだと思うみたいだ。
「これは鈍器」
一応主張しておく。これは鈍器。
「随分と使い込まれているようですが」
「鈍器だからね」
「ちょっとお借りしてもいいですか?」
「いいよ」
立てかけていた聖者の行進をアンバーへと手渡す。だけどアンバーが手にした途端、
「あつっ」
アンバーは聖者の行進から手を放してしまった。
手放した聖者の行進は回転するとぼくの手元へと納まる。
腕の中で聖者の行進が振動する。怒ってるみたい。
他の奴に触らせてんじゃねーよ。てめぇが所有者だろ? なぁ? お前以外が触っていいあたしじゃねーんだよ。
「どうしたの?」
「いえっもしかして所有の魔法がかけられているのですか?」
「さぁ、これぼくのじゃないから」
「お前、意外と良い物持っているんだな。そんなレプリカに所有の魔法だなんて」
所有の魔法は所有者以外の者をはじく魔法だけど、聖者の行進はもともとぼくの物じゃない。シシリーの物だ。
「ごめん、所有の魔法がかかっているの知らなかった」
「ご友人から頂いたのですか?」
「うん」
「きっと良いご友人なのですね」
勝手に借りてるだけだけどね。
「女か?」
「リシアの友人からね」
「お名前を伺っても?」
「ごめん、言いたくない」
「そう……ですか、すみません根ほり葉ほり」
「いいよ」
「隠し事かよ」
「大したことじゃないよ」
「どうだかな」
「なに、どうしたのリル?」
拗ねたところが可愛い。そう言う処可愛い。
「どうもしねーよ」
リルが手鏡を取り出して何か見ている。
「そうだ、午後から依頼を受けるなら、ぼくと組みませんか?」
「なっんっ」
なんでリルが驚くの?
「アンバーと?」
「はい、ナインさん」
「でも、ぼくは無職だよ」
「かまいません。ぼくも、あまり組んでくれる人はいませんから」
「別にいいけど」
午後からアンバーと組んで依頼を受ける事になった。
「思うんだけどさ」
「なにをだ?」
「一途で健気な人が恋愛を頑張ってる姿を見ると応援したくなるけど、いざくっつくとなると応援したくなくなるよね」
「お前ちょっとひねくれてないか?」
「ひねくれてない」
「あーなんとなくわかりますー」
「いぇー」
ぼくは手を挙げた。釣られるようにアンバーも手を挙げてくれたのでハイタッチする。
やべっリア充トークしてしまった。