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もう勇者ではないん  作者: 犬又又
もう勇者ではないん
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真実の鏡には映らないん

 夕日が沈み、就業時間を終えたリルはこれからどうしようか考えていた。昨日気になる男の子が出来た。目を閉じると好みドストライクな男の子の顔が浮かび、顔が綻ぶ。

 いつ何が起こるかわからないし、誰かに取られるかもしれない。リルは一目惚れするタイプだが、一目惚れした後吟味するタイプでもある。

 いいなと思った相手にはアプローチをかけ、デートしてみて、気に入ったらそのまま付き合う。気に入らないなら別れる。

 もっともリルがデートしてみて気に入った相手は今までにいない。

 リルは男のような性格を偽っているが、実は可愛いものが好きだ。それが恥ずかしくて乱暴な口調を使ったりガサツな行動を取ったりする。

 ポケットから鏡を出し覗くと、指を絡めたり、髪をいじったりする自分の姿が映り、頬が上気した。恋をしている時は心が弾む。

 ひょっこりと背後からアーリエが顔を覗かせた。リルは自分の背後にいる人物を鏡越しに視認し、アーリエは鏡の中ではうっとりとしていた。柔らかく目を垂れ、口を少し閉じたり開いたり、少しの笑顔を作っては戻し、目をそらしてはリルを見つめる。

「リル、これからどうするの? トイレ?」

「いかねーよ。なんだよトイレっておかしいだろっ。いつもトイレばっかりいかねーよ」

「そう、うふふっ」

「うふふじゃねーよ、で何か用かよ」

 アーリエとは無二の親友だとリルは思っている。

「なによ、別にいいじゃない。これから予定あるの? 予定がないならご飯どう?」

「わりぃ、今日はやめとくわ」

 断れるのは本当に久しぶり、内心では強い衝撃を受けながらもアーリエは表情を崩さなかった。唯一、鏡の中で左目だけが僅かに痙攣してしまう。

「……そう、何するの?」

「別になんもしやしねーよ」

 リルはアーリエから顔をそらし、頭を軽くかいた。別に何か悪い事をするわけじゃない。だけれど人に言えるような事でもないので、加えて恥ずかしい。

「……何処かいくの?」

「ちょっと用事だよ用事、そういやベルツァーが探してたぞ」

「なんで?」

「さぁな。まだその辺にいるだろ、んじゃあたしはいくわ」

「明日は?」

「仕事だよ、仕事、シフト知ってるだろ」

「明日の夜は?」

「わりぃ、まだわかんねーわ」

「そう」

「んじゃ、またな」

「うん。朝帰りだけはしないでよ」

「あいよ」

「変な男には気を付けてよ」

「なんだよそれっ」

 相変わらずの心配症だとリルは少し笑ってしまった。アーリエとは傭兵社に入ってからの同期で、アーリエはリシア、リルは戦士だ。

 戦士の正式名称は使う武器によって分かれている。

 剣兵ならソードヘア、弓兵ならアーチヘア、槍兵ならスピアーヘア。格闘ならナックルヘア。

 ちなみにこのうち二つの武器を極めるとクラフティヘア、三つ極めるとスラーイヘア、四つを極めると、ディアブルヘアと呼ばれるようになる。

 リルはディアブルヘア。

 元王国騎士クロックラビのメンバー。

 マリアンヌ式抜剣術の免許皆伝真っ黒兎に最も近いと言われながらその名を辞退した。

 マリアンヌ式抜剣術、マリアンヌエルクルアと言う名の勇猛な女性騎士が齢八十にして完成させた剣術。王国が正式に採用している剣術だ。

 もっとも代表的な技に地擦り昇石という技がある。

 特殊な鉱物で出来た剣を高速で抜刀することにより地中に埋まった岩などと共鳴し隆起させる。

 地擦り昇石は初歩にして最強の技だと言われている。

 マリアンヌエルクルアは齢八十にしてやっと最強の一角へと躍り出た。力では男に勝てず、スピードでも男には勝てず、若い頃のマリアンヌは誰にも名を知られないほどに弱かったという。ではどうすれば勝てる? ではどうすれば勝てる? 力の差をスピードの差を埋められる。

 その結果生まれたのがマリアンヌ式抜刀術だと言われている。

 同じ時間の中でどれだけ動けるか、どの攻撃にどう対応するか。練磨の果てに到達した一つの境地。所謂後の先を主体とした剣術がその答えだと言われている。

 1秒の中を見る集中力、体感時間を突き詰めた究極の動作。理想は初撃にして終撃。

 もっともこの剣術がなぜ採用されたのかという答えだが、連携に優れていたからだというのが理由になる。マリアンヌは確かに個人でも最強であったが、他人と組んで戦う事を好んだ。

 彼女はバランスを取る者だった。戦場に置いてのバランス、他人同士の間に置いてのバランス、あらゆるバランスをとる事に優れていた。

 これは噂だが、マリアンヌは人の心が読めた、精神感応能力に優れていたと言われている。

 ひとえに、マリアンヌ式抜刀術の本質は相手と自分とのバランスを取る剣術だとも言える。

 クロックラビは王国に二つある騎士団の片方。

 この王国には黒のクレッセントラビと白のクロックラビという二つの騎士団がある。リルは白騎士クロックラビに過去所属していた。

 リルウォンロット。ウォンロットという苗字には意味があり、ウォーロッド、勇ましい杖という言葉のもじり、だがリルは勇ましい杖にはなれなかった。帰ってきたら、今度はあたしがあの人を守るという誓いも今はもう、勇ましき杖となったあの人を守るという夢ももう、今では空しいものだ。

 あるのは授かし真実の手鏡と――。

 年齢は今年で二十になる。

 宿舎に戻ったリルは、二階へと足を運んだ。

 猫の手を作り、ドアを二回たたく。この世界ではドアを叩く時に猫の手を作り、第一関節から第二関節の間で叩くのが主流だ。この時使う指は第二指から第五指で別名キャットノックと呼ばれていた。

 この世界の猫は、耳が長く地球で言う兎のようである。猫の姿だが耳と尾だけは兎である。

 何度か繰り返すが返事がない。

「何処か行ってるのか?」

 リルは部屋の住人が行きそうな場所を少し思案した後、最後にもう一度だけドアを二回ノックした。会いたい人に会えないと心が沈む。どこにいるのか不安になる。会いたいと思うと、また会いたくなる。

 部屋の中で動く音が聞こえ、リルは目を細めた後に少し唇を嬉しそうに歪めた。歪めていることに気が付いてそれを修正する。唇がもどかしく動き、それを押さえようと震える。緊張している、喜んでいる、隠そうとしている。

「なんだいるじゃないか」

 無理やりそう唇を動かす。

 しばらくするとゆっくりとドアが開き、眠そうな眼の菜隠が顔を覗かせた。

「ん? だぁれ?」

 寝ぼけているのか幼子のような無邪気で甘ったるい声に、リルの眼は大きく開いた。薄化粧の下では頬が熱を帯びる。

「なんだ寝てたのか」

「ん、少し、何か用?」

「まぁ、用ってほどでもないけど、一緒に飯でもどう?」

「なんで?」

「別にいいだろ、あたしが誘っても」

「だからなんで?」

「特に意味なんてねーよ。あたしがお前とご飯を食べたいだけだ」

「ねもい」

「眠くねーよ。いこーぜ。なぁ、いこーぜ。つうか行くけぇの」

「やだよ」

「いいからいくの‼」

 こうしたやり取りがたまらなく楽しい。リルの心臓は早鐘のように飛び跳ね、目を閉じれば花びらが舞い、まるでコノハナの中でサクヤ舞う。

「じゃあ、あんまり高い所はやめてよ。一銀しかないんだから」

 しぶしぶながら菜隠は了承した。もともとこれからの予定もないし、お腹も減っている。リルは知らない人ではない。

「okok」

「ちょっと待ってて」

 しばらくすると菜隠が身を整えて出て来て、

「にひひっ」

 菜隠はリルがどういう意図で自分を誘ったのかを考えた。もしかしたら美人局なのかもしれない。もっと何か辛辣な事件に巻き込まれるのかもしれない。

 そう思うと、鬱屈していた菜隠の心臓は楽しそうに笑い出した。

 

 なんかドアを叩かれて食事に誘われた。ちょっと嬉しい。女の人に誘われるなんてちょっと期待してもいいのかな。

 だがぼくは硬派な男だ。ほいほい誘いには乗る。だが硬派な男だ。

 美人局かもしれないけど面白そう。

 部屋を出るとリルが先導するように前を歩きだした。なんだこれは。まるでエスコートされているみたいだ。

 話は変わるけど仲の良い幼馴染って羨ましい。ぼくにも幼馴染が何人かいた。けれど全然仲なんか良くなくて、女子の幼馴染なんて話す事すらしなくて、会うと気まずかった。

 かまってくれる幼馴染の女の子がいたら良かったのに、そしたらきっともっと幸せなんだろうな。

「なぁなぁ、ナインは何が好きなん?」

「なんでも好きなん」

「いや具体的に言えよ、具体てきにさ」

「あんまり魚介系は好きじゃない。別に食べれなくもないけど、無理して食べたくもないほどには苦手」

「この港町で魚介系が嫌いってどういう事だよっ」

「どういう事でもない」

 別に食べれなくはないけど、貝類を口に含んだ時に鼻から抜ける臭いが嫌い。

「別にたべ――」

「まぁいいや、じゃあグルタン食べようぜ、グルタン」

 くっ話を遮りやがった。このやろう。話を通じない人ってあんまり好きくない。こちらの話が終わるまで待ってくれない人は好きくない。好きくない。

 第六十三回脳内ないん会議が行われた。

 ナイン一号。

(で、みんなはどう思う?)

 ナイン二号。

(リルに抱き着きたいです、甘えたいです大佐)

(ふむ、それで?)

(手を繋ぎたいです)

(会ったばっかりなのに?)

 ナイン三号。

(それが何? 好きになるのに時間は関係ないからね)

(なにそれ、なんだそれ)

 ナイン悟り。

(世の中恋愛だけがすべてじゃないと思うな)

(君は黙ってて‼)

(なんで!?)

 ナイン純粋。

(もうみんなダメだからね‼ 絶対ダメ! 変な事考えるのも、下心もダメ‼ とにかくダメだから‼)

 理性に欲望達が抑え込まれてしまった。

 話は代わるけどグルタンっていうのは所謂お粥の事だ。

 お粥とグラタンの中間みたいな料理で、お粥よりもグラタンに近い濃厚な味付けがしてある。グラタンのような触感だけど粒粒した穀物が入っている。

 この世界においてグルタンは簡易な食料として旅などに用いられることが多い。タネと呼ばれる四角くまとめたソース調味料と穀物さへあれば、どこででも作れるからだ。

 ミルク質な濃厚さに穀物がよく合う。

 このタネにはいろいろな野菜や肉が使われていて、栄養も豊富だ。

 ぼく、担々麺が大好きなんだけど、この世界には担々麺がない。クソウ、なんで担々麺がないのだ。

「どうしたんだよ。そういやさ、今日フェイス狩りで活躍したんだってのう、すげーじゃん」

 リルが振り返り、満面の笑みを浮かべながらぼくの頭に手を伸ばした。触るの? いいよ? 触って、頭触って、いっぱい撫でて。

「別に」

 悟られないように一応そっぽを向いておく。男の子には意地があるのだ。譲れない意地があるのだ。 

「意地があるのだ」

「ふぁ?」

「なんでもない」

 思わず変な事を口走ってしまった。

「しかしまさかレッドマザーフェイスがいるとはな」

 そんなことより早く撫でろよ。ぼくは撫でられたいのだ。早くなでろ、はやく‼ いますぐ‼ なう‼ はやくぅはーやーくぅ。ハリーアップ‼

「ドンタッチミー‼」

 だが断る。ぼくはリルが頭を撫でるために出したと思われる手を避けた。

 いい加減にして‼ 好きになったらどうするの!?

「そっそんなぁそんな嫌がらなくてもいいのに、どっどんたっち? なんて言ったの?」

「さわるな」

「えっさわっちゃ、まずいのか?」

「まずい」

「そっそっか。そんな嫌いか?」

「別に嫌いではない」

「きっ嫌ではないのか。そうなのか……?」

「人生の墓場に入る覚悟ができてから来て‼」

「そこまで!? 人生の墓場ってよくわからんけどそこまで!?」

 夜の街は仕事上がりの人だかりで溢れていた。

 昼間食べ物や日用雑貨などを売っていた店は軒並み下がり、代わりに道の途中までもせり出したテーブルや椅子と飲食店ばかりになった。

 どの飲食店も活気に溢れ、コップに口をつけるとこぼれるのもいとわずお酒を飲む人々や、談笑に花を咲かせる男女などで賑わっている。

「おっここここ、このグルータンってお店、あたしの一押しなんだよ」

 名前そのままじゃんっというツッコミをぼくは心の中にしまっておいた。

 席着くと、すぐに店員が水を持って来て、可愛い制服のウェートレスにリルが指を二本立てて笑みを浮かべた。

「グルタン二つね」

 ぼくは君でいいよ。ウェートレスの店員さんをじっと見つめると、思いが通じたのか店員さんは微笑んでくれた。

「かしまこまりましたっ今お持ちしますね」

 営業スマイルの綺麗な笑みを浮かべて一礼し戻っていく。リルがこちらへと向き直るとテーブルの上のコップを掴み、水を一口、リルの喉を水が滑り落ちていく音が聞こえた。好き。

「ふう」

 落ち着くのを待って、

「ところで、どうしてぼくを誘ったの?」

 なんとなくそう聞いてみる。理由がなければ食事なんて誘わないと思うから、ちなみに女性に食事に誘われたのはこれが初めてだ。何をしていいのか内心では震えている。

「気に入ったからさ」

「それだけ?」

「それだけだよ」

「がっかり」

「なんでだよ‼ 何ががっかりなんだよ‼」

「別になんでもない」

 リルから目を離すと、目の端、遠くの席にフローディアの姿が映った。目が合うと右目を閉じて開ける。一緒にいるのは彼氏かな。すぐに視線を戻して、話に相槌を打ち、楽しそうに笑っていた。なんだろう。恋人同士の雰囲気、空気の流れを感じる。この動き、まさかと――なんでもない。

「むっ」

 リルがぼくの視線に気づいたのか、フローディアの方を眺めてから顔をしかめた。眉間に皺が寄っているのが異常に可愛い。好き。

「どうしたの?」

「お前あぁいうのがタイプなのか?」

「フローディア?」

「そうだよ」

「普通だよ。タイプってよくわからない」

 女の子なら誰でも好き。でもたぶん恋愛になるかどうかは別の話。リルは可愛い。

「お前はさ、恋人とかっているの?」

「いないよ」

 生まれてこの方恋人がいたことがない。恋人は欲しいけど、恋人ができて、ぼくはどうするのだろう? いつも考えてしまう。

「そうか、恋人が出来たら、何がしたい?」

「何でもしたい?」

 質問に対して質問で返すのは、その質問を理解してないからだという話を聞いた。だが知るか。

「ほらっどこどこに行きたいとか、一緒にどうしたい、とか」

 本音を言えばエッチしたい。

 でもいつも思うのだ。エッチしたいけど、エッチって子供を作るための行為であって、子供を作らないのならする意味がない。そう思うとなぜだか性欲は弱まってしまう。

 さらに言うならエッチして? エッチの次は? いっぱいエッチして、その次は? 

 満たされない。考えれば考えるほどに、満たされなくなる。誰かが一緒にいればこの気持ちも満たされるのだろうか。

 誰かと恋人になればこの気持ちは満たされるのだろうか。

 戦っている時、脳みそが発狂するように思考が真っ赤になる。くだらないこともつまらないことも全部脳内からぶっとばしてぼくを壊してくれる。

 うぇっへっへ。

 その時、ぼくの心は確かに埋まっていた。

 会話って共通の話題がないと始まらない。こういう沈黙になった時、気まずいと感じるのか、楽しいと感じるのか。

 ぼくの中の理想の女性は、目を見合わせるだけで愛していると理解してくれて、何も喋らなくとも一緒にいれて、甘えると甘え返してくれる、そんな人。

 ふと背中に寄りかかると、微笑みながら寄りかかってくれる人。

 でもやっぱり理想と現実は違う。

 いつも笑ってられないし、相手にだって気分があるもの。

「おーい」

「一緒にグルタン食べたい」

「えっそっそうか」

 布団の中で肌を重ね合わせたい。肌を触れ合わせたい。エッチな事をしなくてもいい。ただお互いのぬくもりを感じたい。受け入れられているという事をお互いに感じ合いたい。

 顔を両手でおおい、首を振る。やーんはずかしい。

「いきなりどうしたっ」

「別に何でもない」

「おまたせいたしました。グルタン、二つになります」

「きたきたっ食べようぜ」

「うん」

 熱した陶器の皿の上では野菜などが盛り付けられたグルタンがおいしそうな湯気を上げていた。


 リルは手鏡を使って、菜隠を覗き込んでいた。鏡の構造上、リルからは菜隠の顔が、菜隠からはリルの顔が見える。

 菜隠はその光景に対して、なにその高度なしかんプレイは、と思っていたが、リルからはそこにいる菜隠とは別の人物が見えていた。

 驚きにリルの瞳孔は大きく見開き、それを悟られないように表情を硬く絞る。

 鏡には青年が映っていた。黒い髪の青年、醤油顔でありながら優し気で、切れ長でありながら二重の目、童顔だが確かに男だとわかる青年の姿が映っていた。

 鏡と菜隠を見比べてしまう。姿を偽っている。

 真実の手鏡は文字通り真実を映す鏡だ。元は古く神々が創造せし宝具の一つ、偽れざる大鏡、罪を暴く大鏡の一部であり、魔王に割られたとされているが、飛び散り零れ落ちた破片は職人達により手鏡や鏡へと加工された。

 多くは魔王討伐の際、人に化けた魔物を暴くのに使用され、その多くが魔物の手により破壊、または人の手によって紛失された。

 元は56枚あった鏡だが現在王国が所有する鏡の数はたったの三枚であることからその希少性が伺われる。

 手鏡には元の効果である真実が存在しているため、その鏡の前では何人たりとも真実を偽る事はできない。まさしく真実を映す鏡である。

 神々が込めた力の形は真実、慈愛、抱擁であったが、人々はこれを罪を暴く、偽りを見破ることに使用したために人々は偽れざる大鏡、罪暴きの大鏡と呼ぶようになった。

 主な使用目的として裁判などで使用されていたため、魔王に見せかけた上流階級による破壊だとも誠しやかに囁かれている。

 訓練生時代、リルに言い寄る男は沢山いたが思春期という性に難しい時期にあらゆる人物の真実が見えてしまったため、リルは性に奥手となってしまった。

 男らしい口調と性格は男を避けるためでもある。

 ちなみに訓練校は女性が少ないため、ほとんどの女性には彼氏ができる。そんな中で彼氏ができない女性が少なからずおり、奇跡の乙女として男達の中では半ば伝説と化していた。

 彼氏が出来なかった女性達の主な原因として、異性を意識して避けていた、超奥手であった、友人に守れていた、一途に一人を思っていた、手を出してほしいとアピールするあまり逆に手を出されなかった、などがある。

 今目の前にいる菜隠の姿と、鏡の中の菜隠の姿はまるで別人だ。

 鏡の中の菜隠の姿は変化し、右目は真っ黒く渦を巻き、左目は閉じて涙を流す。髪の毛はうっすらと赤身を帯び、滴り落ちる赤色は底が見えない。

 一体何があったらこんな真実になるのか、リルは思わず鏡から目をそらし、ゆっくりと視線を戻した。

 人というのは複雑なものだ、楽しそうに笑うものでもその心の内はまったく異なっている。わかっているつもりで実は真実とはほど遠い。

 菜隠は無表情で美味しそうにグルタンを口に運んでいるが、その心は恐ろしいほどの闇に覆われていた。その事実にリルは少しばかりの衝撃を受ける。

 こんな鏡など捨ててしまえばいい。真実を見るたびにリルはそう思ったが、だからと言ってなぜだか鏡を手放すことができなかった。

 角度を変えて自分を映すと、鏡の中のリルは少し悲し気に笑っていた。

「食べないの?」

「食べる」

「美味しいね」

「うまいだろ? つうかてめぇ今日なんであたしを指名しなかったんだよ」

「だって忙しそうだったし」

「そこはあえて指名しろや」

「無茶ぶりすぎ」

「無茶じゃねぇ」

「無理だから」

「無理じゃねぇ」

「じゃあもうちょっと暇になってよ」

「十分暇だけぇの」

「じゃあ一口頂戴」

「いや、同じものだろ」

「あーん」

「……あーん」

「するんかい」

「うるせっ‼ 明日は絶対指名しろよな‼」

「指名すると何かあるの?」

「いや……別になにもねーよ」

「なにもないの?」

「なにもねーよ‼」

「怒らないでよ」

「怒ってねーよ‼」

 本当はみんな心の中で疲れたり、悲しかったりするのかもしれない。

 夜は眠ったほうがいい。リルは思う。きっと夜の闇がすべてを溶かし込んでくれるから、だから眠った方がいい。

 リルは髪を押さえてグルタンを口に運ぶ。その瞳の中にはリルの人生のわだかまりが濁っていた。

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