下水にはいかないん
二十六にもなって。
ぼくは気だるげに起き上がった。カーテンがまるでスカートみたいに、こんな事思うと変態ぽいけど知られなければ別にいいよね。
カーテンを開けると、異国の地の日差しは綺麗だった。
手袋をつけたら、干したドレイク草を観察する。
あんまり乾燥してない。ドレイク草を薬にするのには時間がかかる。日差しに当たらぬよう、しかし乾燥した場所に吊るす。毒が凝縮しているので何の加護もない人が食べると苦しんだ挙句に死ぬ。ぼくが食べると苦しんだ挙句に死なない。
理不尽すぎる。うん。
ブルーウォーターは一晩置いた色が定着色なので、今着いている色が評価の基準になるはず。
見事な青色ではないか。さすがぼくだ。
日差しにかざして透かす。日差しを受けると深い海の中のように色を映し、海の底から空を見上げているような感覚になる。
「んふふっ」
うまくできた。
昨日歯磨きしてない。口の中が気持ち悪いし、体を拭きたい。日差しに当たるとビタミンが作れるっていうし日差しには良く当たりたい。
ちなみに今ぼくの服装はティーシャツに作業着のようなズボンだ。つなぎって言ってもいいかもしれない。
手袋もしているし、なんていうか夏に工事現場で作業しているアルバイトみたいになっている。ちなみに服はこの一着しかない。
パンツはない。高いんだ。パンツ。
遠い目をしながらぼくは思った。
部屋を出ると、隣の人が部屋から出てくるところだった。
「あっ」
やっぱり挨拶した方がいいのかな。こういう時困る。ぼくはコミュ障なんだ。それを言い訳にしているみたいだけど、声をかけてさ、無視されたら傷付くし恥ずかしい。
リシアの人みたいだ。ワンピースタイプのシスター服と帽子。
「おっおはようございます」
「はよ」
声をかけて来てくれた。ちょっとうれしい。手短に挨拶したら嫌われる前に一階に移動する。廊下に出るとより人の声が聞こえてくる。色々な人の色々な会話、まざりあって雑音になり聞き取れないけれど、時折混じる笑い声にテンションが上がる。
階段へ近づくと、まばらな人が、上に下にと移動していた。
邪魔にならないように気を付けながら一階へ降りる。一階の階段左側に広間があり椅子とテーブル、台所などがあった。右側にトイレや洗面所が設置されている。
台所へ行くと、広間には掲示板があって人が集まっていた。
ほかにも椅子に座って何かお茶か紅茶みたいな飲み物を飲む人たちとか談笑する人たちがいた。
知っている人が一人もいないからかなり切ない。
台所へ行くと、何人かの女性や男性が料理をしている。おいしそうな香り立つ湯気が唾をそそのかす。
なんだか近寄りがたい雰囲気。
この世界にはお米がない。どんぐりのような食物セレッタが主流で、煮たり、焼いたり、こねたりして食べる。
お餅のような触感でぼくはなかなか好きだ。グミのようなお餅のような不思議な木の実。
「あらっみない顔ね」
なんかすごいエッチなお姉さんがいる。
薄着なので目のやり場に困る。ふわふわしたブロンドショート、薄紅色の唇、ほどほどの肌色、垂れ気味の大きな目。
大人の女性だ。
「昨日、入りました」
「そうなの、それで、どうしたの?」
「お湯を、沸かしたく」
「うふふっかしこまっちゃって可愛い、ちょっと待ってて」
目が泳いでしまう。可愛いといわれても別に恥ずかしくはないけれど、実際自分の事を可愛いと思うかと問われれば、それは否だ。女の人は可愛いという事で答えにくい事を回避する傾向にあると姉が言っていた。だから間に受けないほうがいい。
この世界のコンロは、特殊な木々を燃やして作った木炭を使用している。
台所で火を起こすと言ったらこの木炭を使う。ふつうに市場に出回っているし、コーカスって呼ばれている。コークスみたいだけど、ちょっと違う。
炎があまり出ず、赤くなって熱気を吹き出す。
ぼくは雷鱗で水の中の分子を振動させて熱を起こしたりできるけど、下手すると電気分解とかになる。
ティーシャツみたいな服がこのウーシュカでの一般着みたいだけど、女性はたまにパンツとシャツだけしか着けていない時がある。
パンツが下着という認識じゃないんだ。
おねーさんパンツがエッチです。ぼくの心が不純です。あぁどうしよう。パンツの下にあるお腹のラインがエッチです。
ただこういう露骨なものになるとエッチだと思う反面、美人局を連想させるので警戒心が増す。
姉が言っていた。
「エッチな女性に会ったら裏があると思いなさい。釣られて恥をかいたりお金を取られたり、貴方が騙されて弱みを握られるとお姉ちゃんの楽しみが減ってしまいますから、いいですね? ふふっ試しにお姉ちゃんに釣られてみますか? ほらっこの胸に」
「いいです」
「ころすわ」
「なんで!?」
女の人怖い。
「はい、お湯。温度はちょうどいいはずよ、ふふっ、女の子だもんね、綺麗にしなきゃね」
男です。
そんなに女の子に見えるのかな。子供の頃はどっちかわからないと言われたけれど、中学生ぐらいからちゃんとすね毛も髭も腋毛も生えた。脱毛されたけど。陰毛はある。
勇者の時はみんな一目で男だとわかってくれた。けれど生き返ってからなかなか男だと認識して貰えなくなった。確かに違和感がある。髪が長いのは切る道具がないから。雷鱗で切ると焦げ臭くなるし。
「あたしは205号室のフローディア。よろしくね」
「はい、ありがとうございます」
自分の名前を言うつもりはない。なぜなら覚えられたくないから。モブなのだ。
筒形の金属ボトルを手渡される。バケツほどの大きさで、これがやかんの役割をしている。
「あっ、これあたしが使ったタオルだけど、良かったら使って」
「いえ、大丈夫です」
「遠慮しないで、あたしが使った後で悪いけど、あなたイミコに入ったばかりでしょ、その恰好から察するに借金まみれってとこ? あたしも最初そうだったからね」
「はっはぁ」
気まずい。なんて答えればいいのか、どう答えたら頭の中が真っ白で考えられない。
「いいからいいから遠慮しないで、いらなかったら捨ててもいいから」
無理やり押し付けられてしまった。
「返さなくていいからねー」
自室に戻ったら歯磨き、服を全部脱いで体を拭く。
若干湿ったタオルを、結局使わせてもらうことにした。
なんかいい匂い。お湯に浸して体を拭う。髪を拭ったら、顔を拭い、左手、右手、首元、お腹、足、裏返して、股間とお尻。
腕が鎧みたいだ。ずいぶん馴染んでいるけれど、やっぱり魔王の腕、だよね。後髪の毛の一部がブロンドになっている。
自分をベースに何か混ざっている感じ?
どうしてぼくは復活したのだろう。これも雷鱗の力なのかな。
タオルを残ったお湯でもみ洗い、窓の傍につるして乾かす。せっかくなのでもらっとこ。
パンツ姿のフローディアさんが使っていたタオルで体を拭いた。その事を考えると、もう、やめてよ。
顔を両手で覆いながらパンツ姿のフローディアさんを想像してしまう。ちらりと見た姿が目の裏に映っていて、顔を振って必死に想像を打ち消す。落ち着け。ダメ、ダメです。変態、不純。にやにや緩む顔に唇が震えてしまう。
服を着る。おっきしてるけど、そのうち落ち着くと思う。最終手段トイレで小を済ませるの準備もできている。小を済ませると落ち着くのだ。なぜかはわからない。
お腹が痛くなって胃袋がなった。
「お腹減った」
とりあえずブルーウォーターを一瓶飲んでおく。
「んー」
味は若干甘く、ゼリー入りジュースを飲んでいるみたいだ。
ちゃんとできている。
残り4つ。売り物になるかな。
着替えたら、聖者の行進を持って早速傭兵社へ向かった。
傭兵社に入ると、すでにアーリエさんとリルが受け付けで働いていた。リルと目が合い、ぼくはおっさんのいる受付に向かった。
「なんでだよ‼ あたしのとこ来いよ‼」
「おっさんの方が暇そうだから」
「言っとくが俺は暇じゃないぞ‼ あと俺はまだ31だ。おっさんではない」
「はいはい皆さん仕事してくださいね」
アーリエさんが一番大変そうだ。どうしておっさんの前には人がいないのだろう。悲しすぎるおっさん。
「だからあたしの方に来いっていってんだろ、早くこいや‼」
「忙しそうだからいい」
「なん……だと」
目の前に人いるじゃん、何なぜ来ないって顔してるの、おかしいよ。
「これ」
ぼくはおっさんの前にブルーウォーターを並べた。
「ほう、これはブルーウォーターじゃいか。まさか自作したのか」
頷く。
「そういえば、言っていなかったが薬剤師の免許はあるのかな」
ぼくは無言でブルーウォーターをズボンのポケットにしまった。
最初にいってよ‼ 免許がいるって最初にいってよ‼ 無駄な借金が増えただけじゃないか。
「おっおう。つまり、ないってことだな。その、なんだ、今のは俺もみなかったことにするよ」
ハゲロ‼
「今日は依頼ありますか?」
「君は二等兵だったよな。そうだな。畑仕事の手伝いが三銅、破損した建物の補修が四銅、あとはいつものドレイク草とエレメージェバイトの回収、オードの討伐だな。今日は大きな依頼があるな、街の下水にフェイスが増えて困っているらしい」
「フェイスの討伐、いくら?」
「結構応募があったからな。エレメージェバイト一個に付き一匹と判断して一個で一銅って事になる。これは街からの依頼だからな」
「あっ、ねぇ君、朝の子よね」
いや、これはぼくに話しかけているわけじゃない。何か身に覚えのある声を聴いた。わかっている。ぼくに話しかけてきたわけじゃない。
「ぐぬぬぬっないん‼ 覚えてろよ‼ おら、てめぇが受けられる依頼はこれだけだ‼」
「そっそんなぁ」
「うるせっ」
なんか隣のリルがめっちゃ睨んでる。怖いのでやめてください。あとちゃんと仕事してあげてください。
「ねぇ? 君、えっと、君?」
「お嬢ちゃん、話しかけられているぞ。後ろの人に」
「勘違いだと思います」
「違うよ‼ 勘違いじゃないよ‼ 朝タオルあげたよね。フローディアよ‼」
振り向いて、実はぼくじゃなかったらすごく悲しいし恥ずかしいのでぼくは絶対に振り向かない。
「えっそんな……あたし、そんな嫌われて? ねぇ?」
肩を掴まれた。ぼくだった。
「あっはい。ぼくだったのですね。すみません。別の方に話しかけているのかと思いました」
「ほっ、心が折れそうだったわよー」
「ないんってっめぇ‼ あたしのとこには来なかったくせに‼」
「リル、仕事中よ」
「アーリエ‼ でもっこいつが‼」
「リル、仕事」
「クソッ」
リルがなんでぼくを睨むのか。
「ナインって名前なのね。ふふっ伝説の勇者様なのね」
近くの椅子に座って話す。フローディアは軽装で黒い水着のような下着に胸とか腰とかに金属の防具を装着していた。背中には弓を下げているから弓兵なんだと思う。
この世界の人は鎧を着こんだりしない。鎧が重すぎて動けないと本末転倒だし、だから金属でできた防具はモモや腕、胸、お尻などにわけて装着される。
「あたしフローディア、弓兵なの。これからフェイス討伐をしようと思うのだけど、一緒にどう?」
「いいですけど、ぼくは無職です」
「あらっそうなの? このレプリカを持っているからてっきりリシアなのかと思ったわ」
「ごめんなさい」
「いいのっいいのっ、ごめんなさい。大丈夫だから今日は一緒にどう?」
「いいですよ」
「オッケー、じゃあ受けましょう」
「ないんってっめぇ‼」
ぼくは受付に行くと、そっとリルにブルーウォーターを一つ差し出した。
「ん? ブルーウォーター?」
「賄賂」
「意味わかんねぇよ‼」
おっさんのところで依頼を受けてきたフローディアが戻ってきたので、移動することにする。
「案内するわね」
「はい、今日はよろしくお願いします」
「えぇ、頑張りましょう」
弓兵という事なので、やっぱり後衛だと思う。背後から前衛を避けて弓を放つのはとても高等な技術だ。ぼくが勇者だった時にも傭兵の中に弓兵がいた。その人が言っていた。
弓兵と戦士はあまりパーティーを組んだりしないって。弓兵の腕もそうだけど体調や仲間同士の仲も関係して、フレンドリファイアになることもあるって。
マッケンジーハウリクジョウ、勇者だった時に組んだ弓兵の名前。前衛だったぼくが守り切れずに死んでしまった弓兵、今でも尊敬している。
「ぼくが前衛でいい?」
「……いいの?」
「いいよ」
「でもあたし弓兵よ? 後衛だから並んで個々に戦った方がいいと思うけど」
「大丈夫」
「組んだ事がありそうね」
「うん」
「じゃあお任せしようかな。嫌になったら言ってね」
「大丈夫」
「そう言われるとお姉さん緊張しちゃうなー。本当はそのつもりだったんだけどね」
「ん?」
「なんでもないよ。ほらっあそこあそこ」
下水の入口は港の傍にあった。上流の川から街の下を通って下水の役割をし、最後は海へ流れていく。この街には二種類の川の流れがあるようだ。一つは地上を流れる水の流れ、こっちは下水として利用し、もう一つの地下を流れる川の水を飲み水として使用している。井戸の水と下水の水は別。
「結構入口が大きいんだね」
「来たのは初めてよね」
「うん」
すでに数人の人達が、入口の前にいた。
ウーシュカはほどほどに広いので、下水も相当に広くなる。
下水の前には街の兵士がいた。鎧が傭兵とは違うのですぐにわかる。憲兵とか警察の部類に入るはずだ。
「あ、フェイス討伐の依頼で来たのですが」
「あーはいはい。ではこちらをどうぞ」
受け取ったのは袋とカンテラ。
「それじゃあいこっか」
「うん」
「くれぐれも気を付けてくださいね。暗いので、特に味方からの誤撃に備えてください。また盗賊などのごろつきの情報もあります。このカンテラと袋を持っているという事が依頼を受けているという証明なので」
「はい」
暗い下水に足を踏み入れると肌に冷たい空気と少し臭い匂いが漂ってきた。下水は石の通路が左右に、真ん中に川が流れている。
カンテラを左手に、聖者の行進を右手に持つ。
背後ではフローディアがカンテラを腰に下げ、弓を両手に構えて付いて来た。
一応もしもの時を考えて、口の中に雷鱗を複数飼っておく。
「やっぱり手前の方にはもうほとんどいないわね」
「結構暗いね」
「そうね」
ちょっとしたダンジョンみたいだ。時折、片側の小さな穴より水が流れたり、下水が合流したり分岐したりしていた。同業者とも顔を合わせる。反対側から来た同業者に武器を向けられたりする、失礼だな。
階段がある。壁に着いた緑の苔に、茶色や緑に色づいた通路。あんまり触りたくない色だ。
「うわーこれ見て」
「どうしたの?」
一つの小さな穴の中に、ミミズのような生物がびっしりと詰まっているのを見つけた。
「ミミズ?」
「ぐろいねー」
「階段降りるよ、足元気を付けてね」
「ありがとっ」
声が響く。石を跳ねる音、辺り一面に響く水の流れ跳ねる音がそんな音達をかき消したり歪めたりしていた。
階段を下りるとドーム状の広間に出た。
複数に散った下水を一か所に集めるための広場みたいだ。
「そっち気を付けろ‼」
「一体撃破‼」
複数の人達がいて、
「うわっ見て、天井」
フローディアの声を聞いて上を見上げた。
「うわっ」
天井にフェイス、フェイス、フェイス、フェイス、フェイスだ。一面フェイスで気持ち悪い。
「じゃあ始めますか」
「うん」
周りとかち合わない距離を取って、フローディアが弓を構えた。先端を油に浸している。カンテラの炎に尖端に付けると火が灯った。
弓をつがえ、フローディアが歯を噛んで力を籠める表情。
解き放つと矢は天井の一角に当たってスライムを照らした。驚いたスライムが一斉に落ちてくる。
ぼくは落ちてきたスライムを聖者の行進で払い、受け、潰す。雷鱗を使えば一瞬なんだけどな。
背後から矢が飛来して、ぼくがまだ手を出していないスライムへと突き刺さった。
「カンテラ離さないでね。見えなくなるから」
「うん」
落ちてきたスライムを駆除したらまた天井に矢を放ち、スライムを落とす。
結構弓使いがうまい。この暗い中でスライムを正確に射貫くのは技術と自信がある証拠。たまにぼくの体をかすめるけれど、雷鱗をわずかに発動して軌道をそらす。
グリーンファイスはあんまり強くない。この子たちがいるから下水がキレイに保たれているのに、この始末。
驚いたスライム達はぼくに飛びついてくる。それをかわし打ち、払い、外膜を飛ばして核を取り出す。ある程度倒したら核を回収して、また繰り返し。
聖者の行進を右手に持ち、柔らかそうな饅頭体のスライムへと打ち下ろす。ゼリーのように柔らかく跳ね返すような衝撃を想像するけれど、その感触は生のイカに良く似ていた。
噛んだ後にどろりとした液体が口の中に流れてくる。きっとそんな感触に良く似ている。
戦いのリズムはぼくを高揚させる。
聖者の行進はぼくの手に良く馴染んでいた。重さも感じず、良く訓練された手品のように腕を体を器用に回る。まるで熟練の槍使いのように、誤射された矢を柄ではじく。
雷鱗系魔法一門鱗眼。
見るという事はとても大事な事。雷鱗を目の神経に通して感覚を跳ね上げる。目を始点として体へと広げ、動きを加速する。
雷鱗系魔法二ノ門、鱗体。
一門は体の反応を早くするけれど、動きが早くなればなるほど体へかかる負担も大きくなる。それを防ぐのが二ノ門、鱗体。雷鱗を使った肉体強化、超自己再生。一門で傷ついた筋肉を超速で再生する。
この一門と二ノ門がぼくの近接の基本、ちなみに五ノ門まである。
これを使うと、まるですべてが磁力でつながっているかのように見える。生物はみな多かれ少なかれエネルギーで動いている。ぼくの目にはそのすべてが見える。すべてのものがすべてあるがままに、その中で、最善、最速の動きを雷鱗は誘導してくれる。
背中に目があるわけでもないのに、立っているだけで辺り一面のすべての情報が手に取るようにわかる。フローディアの体の動きが神経系の揺らぎが、緊張しているのか、筋肉が強張っているのか。
そして雷鱗は付与できる。
フローディアの体の流れを雷鱗で少しだけ手助けする。
ほんの少しだけでいい。ぼくの体からフローディアの体へと地を伝い流れ、無意識に強張った筋肉を脱力させる。あれ、今日は調子がいいな。そう思わせるだけで人の感覚は鋭くなる。高付加はよくないのでしない。
一門は体への負荷が高い。感覚はあるので痛いし、筋肉が切れる音や感触がダイレクトに伝わってくる。それが二ノ門で再生する音も、まるで現実味がなくおかしくなりそうになる。
サイショハネ、クルシカッタヨ。
今はもう平気、体がどれだけ壊れようとも、痛みすら喜びに思える。傷付くほどに、顔が狂乱に喜ぶ。自分は強いという思い込みできっと気持ちよくなっている。
怒りで強くなる人がいる。でもぼくはそういうタイプじゃない。
怒りで強くなる人はきっと優しい人。優しすぎて迷う、戸惑う、それが怒りで吹っ切れるから強くなる。
ぼくにはそれがない。だからぼくはきっと、優しくなんてないんだ。
人と喧嘩する、戦闘になると腕や手の平が激しく震える。本当は弱虫なんだ。自分は化け物なのだと奮い立てせて戦っている。
「おい‼ 邪魔だよ‼ ここはもうこれ以上入れねぇよ」
「てめぇらがどっか行けばいいだろ‼」
美味しい依頼は人が多くなってダメだね。
「まってまって、みんな落ち着いて」
フローディアさんがみんなを落ち着かせようと声を張り上げていた。
「ごめん、ないん、移動しない?」
申し訳なさそうに声をかけてくる。
「いいよ」
エレメージェバイトを回収、袋につめる。
「結構取れたね」
「四十三個」
「えっと四十三個だと四十三銅か。二人で分けたら二十一銅づつだね」
「三銀?」
「今の相場だとそうなのかな、今日はちょっとあたし調子いいんだ。もう少し散策してみない? こういう時って稼ぎ時だからね」
「いいよ」
「うふっ」
無邪気な声とは裏腹に、フローディアの体からは色気が漂っていた。モモとかお尻とか胸とかが嫌でも目に入ってしまう。それを否定するために顔の緩みを殺して背ける。
ここで男性慣れしてない女性は自分が嫌われてると思い距離を取るけど、慣れている女性は意識してるとわかって距離を詰めると思う。
何冷静に分析しているのだぼくは、しかもただの推測だしね。
お腹のラインが、ラインが、見るな、見たら死ぬぞ。
「いこっないん」
「うん」
一定間隔で雷鱗を走らせる。雷鱗は地面を伝い、何か生物や異物に当たると反応してぼくに教えてくれる。
この排水でなぜグリーンフェイス、スライムが定期的に異常繁殖するのか、だけど、雷鱗を走らせる事でその全容がぼんやりと推測できた。
排水、実は川の中がフェイス達の住処になっていて、フェイス達は人間の排出物や産業系のゴミを食べて増えている。主に川の中に栄養が多くて川の中で増えたフェイス達が川の中であぶれて外へ出てくる。この事態を人が異常繁殖だと認識する。
これがぼくの推測。
実際外よりも川の中の方がフェイス達は多い。暗くて見えないけれど、底の方に沢山いるのだ。
みんな下水に関しては触ろうとしないからね。何が入っているのかわからないし、トイレもここに垂れ流しだからね。たまに細い通路があり、分岐した川の水が流れてくる。
「この先ってもしかしてトイレ?」
「そうよ、行かないほうがいいわよ? 前、その先に入った新人がいたのだけど、上からアレがちょうど落ちてきてね。顔にドンピシャしたらしいのよ」
「災難だね」
「うふふっそうよね。ちょっとひどい災難よねっ」
とても笑い話には思えない。
まるで下水は迷宮みたいだ。ロンドンの地下や、閉鎖された地下鉄道を連想させる。
ぼく達の存在に驚いて排水の中からフェイスが飛び出してきた。
聖者の行進で払いのける。
「内液に気を付けて」
外膜を破る時に注意しないと内液が目にはいり失明する恐れもある。
「あぶなかった。ありがと」
「うん」
「エレメージェバイト、いつ見ても綺麗よね。あたしもブルーウォーター作りたいんだけど薬師の免許がネックよね」
「フローディアは戦士学校卒業?」
「えぇそうよ。正確には兵士訓練機関の卒業生。戦う事しか教えてくれなかったのよね」
「そうなんだ」
「まぁ、あたしも昨年卒業したばかりなんだけどね、また来た‼ ないん‼」
「うん」
飛び出してくるグリーンフェイス達を倒しながら奥へ進むと今度は長方形型の広間に出た。広間の先で、カンテラの明かりが見える。数人が戦っているみたいだ。
「誰か戦ってる」
「わぁお、ってあれ? あれっ見て、大きいのいるわ‼ あれマザーフェイスでしょ」
あんまり大きな声を出さない方がいい。フェイスは空気の振動を感知するタイプのモンスターだ。表面が波打つのは空気の振動を感知しているから。
一際大きなフェイスがいた。色は赤、レッドフェイスだ。
「毒に気を付けろ‼」
「へへっわかってらい‼ だが久々の大物だ‼」
「あなたたち、手を出さないで、これはあたしたちの獲物よ‼」
大きなフェイスはマザーフェイスと呼ばれている。何年も生き延びたフェイスは体積が徐々に増えて核が肥大化する。
「ふぅ、残念ね」
邪魔にならないように下がり、辺りを警戒しながら戦う様子を見ていた。
大きなレッドマザーフェイスを取り囲むグリーンフェイスが隊列をなして、まるでボールのように傭兵達に体当たりしていた。傭兵達はそれを盾や剣で防ぎ落とし、マザーフェイスとの距離を詰めようと進む。
切り落とされたグリーンフェイスが溶けて地面に広がっていった。それを見越したようにマザーレッドフェイスが体から液体を噴出する。
「毒だ‼ みんな下がれ‼」
「リシア、回復を頼む」
すごい冒険してるな。
「くぅーあたしレッドマザーフェイスって初めて見たわ。まさかこんなのが街の地下にいるなんて」
「フローディア、ちょっと下がって」
フローディアを下がらせて、雷鱗で壁を作る。
レッドマザーフェイスの吐き出した液体がグリーンフェイスの死骸に当たり、急激に紫の煙を発生させた。
「なんだっ」
「みんな下がれ‼」
「ぐぁあ体が」
戦っていた傭兵達が痙攣をはじめ、口から泡を吹き始めた。レッドフェイスの内液はグリーンフェイスの内液と混ざると神経系に作用を及ぼす毒ガスへ変貌する。
これフェイス系に共通することで、どの色のフェイスの内液も他色のフェイスの内液と混ざると別のタイプの毒ガスへと変化する。
「あれ? みんなどうしたの?」
レッドフェイスは動植物に痛みを与える毒を持つ。痛みとしてはクラゲに良く似ている。内液が付いた場所が刺されたようにかぶれ炎症する。
グリーンフェイスの内液と混ざると気体へ変化し、神経系の強力な毒ガスへと変貌する。
フェイス系は油断ならない敵だとぼくは思う。ぼく達も冒険の時、このフェイス系に頭を悩まされた。
特にブラックフェイスとホワイトフェイスの混合内液は強力な酸で触れても肺に入っても絶望的なダメージを受ける。
どの混合毒も、獲物を高確率で捕食するために得たものじゃないかな、ってぼくは推測している。
もっともたまたま内溶液にちょっとした違いがあり、毒ガスへと変化したものの生存率が高く繁殖したためとも言える。
レッドマザースライムが壁から床に垂れてきた。水のように流れて落ちてくるのではなく、泥のように重く粘性を帯びて床へと垂れてくる。
「やばい‼ あたしが先制するわ」
フローディアが矢を取り、火を点け弓へと番えるとマザーレッドフェイスの表面が少し波打って動きを止めた。こちらの動きを感知された。感知されたが、何をされるのかはまだわからないといった様子でフェイスは動かない。
張りつめた弓の弦、指に込められた力と小刻みに揺れる二の腕。
ぼくは聖者の行進に握力を込めた。
フローディアがぼくを見つめ、ぼくは首を傾けた。それを合図と思ったのか、フローディアが弓を穿つ。
放たれた矢が――レッドフェイスに直撃。
外膜が傷付き、レッドフェイスが身の危険を感じて瞬時に暴れだした。天井のグリーンフェイスが降り注ぐ。やばいどころじゃない。傷ついた外膜から噴き出た内液が矢の火を消し一面に降り放たれるとグリーンフェイスを溶かして毒ガスを発生させる。
ぼくは聖者の行進を刹那に放った。投げやりのように投擲する。同時にカンテラを地面に置き息を止めて走る。手前に倒れていたリシアを回収、ほかの人達は……ダメだこのままじゃ死んでしまう。
ぼくはリシアをフローディアに投げた。
「えっちょっうわっわ」
そして地面に倒れた人たちの服を片手で掴み、下水へと投げる。内液が水に溶けて濃度が薄れるはずだ。何人かは内液が目や口から入り込み、
「うががががが」
「あぶぶぶぶううぶう」
人として理解のできない言語を口から漏らして痙攣していた。これはもう助かりそうにない。
レッドマザーフェイスは聖者の行進に貫かれ、壁に縫いとめられると内液が引きずられてさらに流出。グリーンフェイスが内液に溶けて暴れまわり、辺りに跳ねてはところかまわず体当たりを繰り返す。
内液で満たされた床を滑りながら移動、レッドマザーフェイスから聖者の行進を引き抜くと同時に手を突っ込んで核を引きずりだす。
『ビクッビクッ』
筋肉の痙攣を思わせるマザーフェイスの動きに性的な興奮を覚える。えろーい。
下水に手を突っ込んで振り内液を手袋から落とす。視界の端に痙攣する男が二人映った。死なないにしろ、人としての生は閉じているかもしれない。
それならばいっそう――そう考えてやめた。
ここは戦場じゃないもの。
すぐさま手を水から引き抜き、フローディアの元へと戻る。
「どうしよう」
フローディアは困惑していた。
「これ以上できることはないよ。撤退して」
「でも、そうね」
「ぼくはここにいるから出来たら応援を呼んで」
「わかったわ」
「あとこれ、マザーレッドフェイスの核、出来たら持って行って」
「わぁお大きいわね」
「大きいよ」
フローディアはエレメージェバイトの入った袋に核を突っ込み、腰に巻き付けると弓矢を置いてリシアを担ぐ。
「先ほどの広間まで突っ切るから心配しないで」
「ごめん、弓の弦はずすね」
「どうするの?」
弓の弦を外して、リシアと背負ったフローディアを固定する。カンテラを腰に装着させて。
「ok。行って」
「器用ね」
「はよはよ」
「無理はしないでよ」
ぼくは首を少しかしげて無理はしないよアピールをした。フローディアが走りだし、すぐに見えなくなる。
ぼくは汚物を消毒する。
雷鱗系魔法電解――。
「……レイブン」
舌を出して口を開くと口の中で飼っていた雷鱗がカラスの形へと変わり飛翔した。毒を魔法で強制的に分解する。
雷鱗系魔法雷鳴――。
「か、ん、な、り」
本来は音を武器にする魔法だけれど、音を消して衝撃だけを伝える。口の中の雷鱗はオオカミの口へと変貌し吠える。
こっちは手加減した。部屋に充満していた毒ガスがレイブンによって分解され、グリーンフェイス達がオオカミの遠吠え、衝撃によって壁に押し付けられて破裂する。やっぱり核までつぶれてしまった。
しゃーなし。ちなみにしょうがないという意味だよ。
下水に投げた人々を引き上げる。一人、二人、三人。
剣兵が一人、職人風の女が一人、アルメアが一人。
職人ていうは物づくりの職人ではなくて、鍵を開けたり罠を調べたりする人の事だ。元の名前と変わってなければ、短剣とピッキングツールが腰に下がっているので職人のはず。
剣兵の瞳孔を確認、開いている。毒による心肺停止かな?
雷鱗を微弱に当てて、蘇生を計る。肺に入った毒を吐かせて、破損部位を雷鱗で把握し再生を促す。
職人の女、ダメだ。これはぼくにはどうしようもない。召されている。雷鱗を使っても雷鱗人形になってしまう。鼻と耳からの出血と目が溶けている。おそらくレッドフェイスの内液が直接目に入ってしまったんだと思う。脳味噌が蕩けていたらぼくにはどうしようもない。作り変える事はできるよ? でも壊れた記憶や感情までは再生できない。
レッドフェイスが人間にとって毒なのは、人間の体がレッドフェイスの体液に科学反応する物質で出来ているからなんだと思う。鉄が酸化して錆びるように、そこには化学式があって漠然としたものじゃなく原因があって結果が起こる。
アルメアも脊髄が蕩けていた。神経系の毒は強力だね。
魔法で毒を分解する。応急処置は終わった。あとぼくにできることはない。
しばらく待っていると足音が響き、ほかの傭兵が助けに来た。
「大丈夫か‼」
「この人たちを急いで運んで」
「こいつぁ……ひでぇ」
「うっぷ」
「吐くなよ‼」
「うっせーな。お前女のくせによく、良く平気だな」
「女のくせにとか言うなボケ、死なすぞ」
「お前は大丈夫なのか?」
「ぼくは平気、呼びに行った女性は?」
「外で待っている。急いで運ぶ。悪いがもう少し手伝ってくれ」
「ほい」
「レッドマザーフェイス、まさか外界から?」
「毒に気を付けろよ」
「えぇ」
この世界の魔物って相変わらず優しくない。
結局成果はというと、一人銀鱗貨三枚とレッドベリルが金鱗貨二枚で一人一枚だった。
レッドマザーフェイスの核、レッドベリルって言うらしい。赤い鉱石みたいな形をしている。
「今日はありがとう」
外で待っていたフローディアと傭兵社イミコで換金を済ませ、いつもどおり受付はおっさんが暇そうだったのでおっさんに換金してもらった。
「こちらこそ」
「またよろしくね」
「うん」
「おーい、フローディア‼」
お金を分け終えると、遠くから男が声をかけてきた。
「あ、ウラード」
「今日は悪かったな」
「いいよ、息抜きもできたしお金も稼げたしね」
「そうか、こちらは?」
「今日組んでくれたないんさん、ありがとね、ないん」
「うん」
フローディアは男の腕に体を絡めると、表情を緩めた。距離感が近いから多分恋人なんだろうな。
なんだかどっと疲れた。
「おい」
振り返るとリルが睨んでいた。
「はい」
「借金」
「はい」
世知辛い。
結局金鱗貨一枚と銀燐貨二枚を借金と家賃に取られた。
残ったのは銀鱗貨一枚、お腹空いた。今日、朝ブルーウォーターを飲んだっきりだ。
「しかし残念だったな。あいつ、彼氏持ちだぜ? 期待してたんだろ?」
リルが余計な事をいうので気分が悪い。
「そうだね」
「お前あんなのが好みかよ‼」
別にそういうわけじゃないけど、彼女とかほしい。きっと彼女が出来たらできたで、メンドクサイって思うのだろうな。
「あんなのって超失礼」
「やっぱ胸か!? 胸に惹かれたのか!?」
好きになったら胸なんて結構どうでもいいと思うけど。
帰りに果物を一つ買って齧り、宿舎に戻る。宿舎の一階広間には昼も過ぎたのに人が沢山いて賑わっていた。なんだか学生みたいな気分。他人が沢山いる環境にちょっと嬉しくなる。部屋へ戻るとそわそわしたけれど、干していたタオルで軽く体を拭いたら眠くなってしまって、ぼくはそのままベットに横になり、眠ってしまった。