教会ではないん
この世界の教会は聖白霊貨教会と呼ばれている。
名も無き聖なる女神を主軸とし、その生涯を捧げる。
主は白く神々しい霧の形を模した女性体となって現れる事が多く、霧の神、霧の女神、ミスティーミストなどの異名で呼ばれていた。しかし教会の者たちはそう呼ぶ事を嫌悪しており、あくまでも名も無き女神である。
不可思議な力、この世界にある全ての異能は、別の世界や神に触れる事で行使しているではないかという考え方がある。
アルメアにいたってはその身の中にある異能の血を使い、別の世界の扉を開きその世界から流れ込むエネルギーや神、悪魔の力を代行して使用しているのではないかと一説を立てる学者もいる。
その身に宿すには大きすぎるエネルギーを一体何処から調達しているのか、学者たちにとっては永遠の題材として有名だ。
リシアになるためには体が清い必要があり、これには諸説あって、女神が淫行を嫌うからとも、嫉妬深いからとも言われている。
しかしそれは女神の好みであって、教会に所属するのには関係ない。
女神に愛されているか愛されていないかは教会に所属するのに関係ない。
ただし、女神に愛されていれば女神の寵愛である力を行使できるが、寵愛がなければ何の力も持ちえない。
力が行使できるものを使徒と呼び、霧の使徒リシア、通称リシアと呼ぶのが一般的である。
ちなみに共に旅をしたリシア、シシリーウォンロットが持っていたプロメテウスの結晶は、教会にとっては秘宝中の秘宝であるが、女神とは関係ない物であり長い間隠匿されてきた秘宝だ。聖者の行進は霧の女神の代行、最高の寵愛を意味する武具である。
初歩的な神秘として行使できる力は霧をイメージとし、使徒が触れた部分の傷が治るという大変神秘的なものである。触れたところから全身へ瑞々しさと清潔感が広がり、最終的には体全身の疲労が取れる。
ミストタッチともミスティタッチとも呼ばれている。
霧の使徒はもっとも純粋な存在だと憧れられるが、心が清いかどうかは別の話となるようだ。
霧の女神の寵愛を受けし者の純潔を奪うと奪った者と奪われた者、どちらも霧に溶けて亡くなるという言い伝えがある。
使徒は絶対的に自分の身を守れるよう地獄のような修練と、生涯子供を作れないという生物としての絶望に耐えうる精神が必要になる。
もっとも寵愛を返上することは可能であり、力を失い普通の女性に戻ることは可能だ。
寵愛を受けたものが貴族に娶られることは多く、必然的に教会は強い権力を持つ。
又、名も無き女神には対となる女神がいると言われている。
一部で崇拝されているが、こちらも名も無き女神である。
教会に入ると、沢山の修道女と修道士たちがいた。
この世界の修道服は体にぴったりのワンピースタイプであり、体のラインがより強調されるため女性達の憧れと共に慈愛の象徴でもある。
教会では病気や怪我の治療が無償で受けられるが、感謝の意を籠めて帰りに寄付をするのが恒例だ。、
「こっち急いで‼」
「先輩っこっちも手一杯なんですよ‼」
「シーツ足りないよシーツ‼」
「消毒液とって‼」
「自分で作りなさいよ‼」
「うっさいわね‼ 今忙しいのよ‼」
「「「「みんな忙しいっつーの‼」」」」
菜隠は絶望した。あまりの奔走ぶりに眩暈がする。
リシアになるのはやめよう。そっと引き返す事にした。
「あらっいらっしゃい、どうしたの? もしかしてあなた三……リシアね!?」
「ちがうます」
「いいから早く、こっち手伝って‼」
「ちがうます‼」
「いいから‼ 何処から来たの? あー隣街からね。ちょうどよかったわ。はい、この人とこの人、あとこの人を治療してあげて。なにその聖者の行進、レプリカね。まったく、あなた憧れるのはいいけれど、レプリカ持ってると先輩達に怒られるわよ」
「違うます‼」
「わかったわかった、じゃああとはお願いね」
なぜ人の話を聞いてくれない。リシアじゃないのに。
ため息をついて菜隠は怪我をした人達を見た。
「リシア様、お願いします。この子が苦しそうで」
リシアの神秘を菜隠は扱う事ができない。リシアではないからだ。
雷鱗をまとう。雷鱗は雷鱗系魔法を使う前段階の状態。体に微弱な電気をまとう行為だ。
微弱に設定すれば他者が焼けることはない。むしろ弱く設定すれば虫を寄せ付けず、体にはいったウィルスや寄生虫を除去すると共に、細胞を活性化し体を超即で癒す。
この雷鱗は電気ではない。電気のような魔法であり、電気だけの特質ではない。
まるで無数の雷光が生き物のように弱く菜隠の体を這う。
原始の力、命の力、生命の衝動、刹那の衝動。
子供を抱え、おでこを合わせる。
苦しみ、熱を発する少女の体に雷鱗が伝わり、体全体に通っていく。一瞬でいい。
「うぅっ苦しいよ」
「もう大丈夫」
「あぁ、ありがとうございます」
雷鱗は攻撃にも治癒にも一部であるが蘇生にも使えるため、菜隠は一人でなんでもできる。
魔王を倒すために、殺した人間や魔物を雷鱗を通して操り、フラケンシュタインを思わせる死肉を通電させただけの人形を作ったこともある。
雷鱗人形はシシリーに激しい拒絶をチェザに恐怖を、騎士に嫌悪を与えた。
シシリーに平手打ちをされ、蘇生もできないくせにと菜隠に言い返えされて、二人の隔絶ともなった。
治癒はあっという間だ。
さすがにおっさんと額を合わせるのは嫌だ。
女の人には額を、おっさんには嫌だけど額に手を当てる。手が魔王の物であるため、なるべくなら手も使いたくはないけれど、仕方ない。
「聖女様……ありがとうございます」
菜隠は心の中で渋い顔をした。
やめろっおっさん、ぼくをそんな目で見るな。
菜隠は背中に走る悪寒に震えた。
「あなた‼ なかなかやるわね‼ こっちもお願いね‼」
菜隠はどさくさに紛れて逃げることにした。結局無許可で治癒してるし、適当に暇になり始めたら逃げる。
「あら、あの子、何処に行ったのかしら?」
「逃げた!?」
もうやだ。
菜隠は逃げだした。
仕方なくもう無職でいい事にする。パーティーを組めないのはとてつもなく寂しいし、もしかしたら女の子と仲良くなれるかも知れないとムッツリな事を考えていただけに、動揺で精神がへばりつきそうになる。ちょっと涙目になりながら菜隠はイミコへと引き返した。
イミコに戻るとさっそく依頼を受ける。
受付にひょっこり顔を出すと、女性が声をかけてきた。
「ようこそイミコへ、何か御用ですか?」
「依頼を、下さい、なう」
「はい。依頼ですね。あなたは……二等兵ですね。そうですね。二等兵ですと、この三つの依頼がおすすめです」
傭兵には階級があり、依頼をこなし名声を得ることによってより高度な依頼を受けられるようになる。二等兵、一等兵、兵長、伍長、軍曹、曹長、准尉、少尉と階級が上がっていく。伍長からは自分の隊を持つことが可能になり、パーティーを組む事と隊を作るのは別の事だ。
配布された首輪や腕輪には階級が刻まれており、偽証すると重罪に問われる。
傭兵会社の後ろ盾は秘密にされているが国である。
「ドレイク草の採集、エレメージェバイトの採集、街の近くに出没するオードの討伐」
エレメージェバイトはスライムの核の名前だ。発音が難しいので菜隠はスライム核と呼んでいる。
「じゃあドレイク草の採集でお願いします」
「はいわかりました。報酬は十草で銅貨2枚になります」
(渋い……)
ドレイク草は所謂薬草の部類に入る植物だ。根は猛毒だが、葉は傷を癒す塗り薬をはじめ色々な薬の材料になる。二等兵の依頼なので安いのはわかるけれど、十草で銅貨二枚は労力にあってない。
「聞いていいですか?」
「はいなんでしょう」
「宿屋に泊まるにはいくら必要ですか?」
「そうですね。この辺りですと、大体銅貨七枚から十五枚になりますね」
(絶望した)
菜隠のやる気ゲージはダウンした。
「傭兵社イミコでは格安で部屋を提供しています。もしよろしければ、こちらで宿舎をご用意いたしますが」
「いくらなーの?」
「三十日で銀貨7枚になります」
菜隠は心臓に一撃を受けて少し固まった。
お金がないと何もできないのは世知辛い。
「三十日経過するまでに納めて頂ければ、後払いでも結構ですよ」
「ほんと!?」
「はい」
「もし払えなかったら?」
「借金という形になりますね。こちらで提示した依頼を強制的に受けて頂きます。労働プランを提示して受けて頂き稼ぐ、という形になります」
「あんまり無理な依頼とか受けるの? えと、難しい依頼とかになるの?」
「いいえ、そんな事はありません。あくまでも階級にあった依頼を受けて頂く事になります」
「ほんと?」
「はい。大丈夫ですよ」
「じゃあ、後払いでお願いします」
「はい、じゃあ契約書はこちらになります」
「隅っこの方に小さく、お金が払えない場合はって書いてない? 臓器を売るとか」
「えっ? そんなことは書いてありませんよ!? なんですかそれは」
あたりさわりのない契約書を読み、菜隠は書類に名前を書いた。
もしダメだったら、全部滅ぼせばいいや。踏み倒す気満々でにっこりと笑みを浮かべる。
「では、宿舎に案内いたしますね」
「これから?」
「はい、少々お待ちくださいね。ベルツァーさん、さっき言っていたお部屋、まだ空いてますよね」
「あぁ、開いてるぞ。おっさっきの嬢ちゃんじゃないか、あれ? リルを指名しなくていいのかい?」
菜隠は目をそらした。
「あっリルさんのお客なんですか」
「違うます」
「あっ、違うのですか、ところでリルさんは?」
「トイレに行った」
「そこはお花を摘みに行ったと言ってくださいよ」
「なんだそれは」
「ごめんなさいね。えっと、ないんさんね。わたしはメルクリアーリって言います。アーリエって呼んでくださいね」
「はい、アーリエさん」
「ふふっ、じゃあ行きましょうか」
「はい」
イミコから歩いて十分ほどの場所に宿舎はあり、208号室に案内された。
「ここがないんさんの部屋になります」
建物の扉を開けると螺旋階段と廊下があり、各部屋へのドアが見える。四階建てでエレベーターはなく、菜隠の部屋は二階の隅っこだった。
部屋のドアを開けると窓から差し込む日差しが真っ先に目に飛び込んで来た。
日当たりが悪くない。というのが真っ先な感想。
部屋は狭く、ベットと小さな机、備え付けの椅子しかない。部屋の中にドアは一つ、開けると桶が一つ。
「そこはお風呂ですね。お湯がほしい場合は一階で沸かしてください、あとカンテラはこちらに、マッチで火をつけてください。油は今満タンに入れてありますが、なくなったら一階で有料ですが補充できますので」
「わーお」
「トイレも一階にあります。共同ですので、綺麗に使ってくださいね。お掃除は月に一回業者にお願いしていますが、できればご自分でもなさってください。あっ火の扱いには十分注意してくださいね。バケツが一階にありますので、かならず一杯用意して置いてください」
「ふぁい」
すぐに一階へと向かう。手すりにお尻を付けて滑り下りる。
トイレはやっぱり、やっぱり底抜けか。所謂ボットン便所という奴で、下に地下水でも流れているのか、水の流れる音が聞こえた。
「大丈夫ですか?」
トイレから出てくるとアーリエが声をかけてきた。
「はい、ありがとうございます。アーリエさん」
「いいえ、何かありましたらいつでもおっしゃってくださいね」
「はい」
「こちらが部屋の鍵になります。無くさないよう気を付けてくださいね。首輪の内側に内蔵できるようになっておりますので、よろしければしまう時はそちらを活用してください」
「はい」
「最後に宿舎を利用するにあたりイミコの規約の一つになりますが、一日に最低一回はイミコへ顔を出してください、約束ですよ? ふふっ。ではわたしは戻ります」
「はい」
二階に戻り、部屋にコートを置いて、ベットに横になる。
「埃臭い」
埃臭いぐらいなら問題はないと思いたいところだが、あまり敷布団が柔らかくない。
「はぁ」
窓から差し込む光の中で、埃だけがゆっくりと温かそうに舞っていた。光は波だって菜隠は勉強した。埃に反射する光が波のようなフィラメントを描くのはこの世界の光も元いた世界と同じ物だからなのかもしれない。
このままこうしていたら怠け者よろしくナマケモノになってしまう所だ。
菜隠は早速依頼を達成しに行く。
聖者の行進を持ったまま背筋を伸ばし、
「うっうーん、いくますか」
宿舎を出た。
ドレイク草の取り方は知っている。生態としては元の世界でも有名な植物マンドレイクに良く似ていた。引っこ抜くと攻撃してくる。根と葉を分けて切り取り採取するのが一般的なのだが、菜隠が旅をしていた時、良くお世話になった。
あまり知られてはいないが、ドレイク草の根の部分は賢者薬の材料になる。
賢者薬とは飲むと性欲が抑えられる薬だ。
街を出て近くの山のふもとを探す。
デイアラ森林は貿易都市ウーシュカの近くにある森林だ。街は高い壁に囲まれ、城郭都市のようになっており、入口には堅牢な門がある。これは魔物への対策、隣国への権威を示すためでもある。
街を出る時、複数のパーティーを見た。みんな談笑しながら街を出たり、帰ってきたりとそれを遠くで見ながら菜隠はなぜだか今のその位置が当たり前の位置のような気がした。
楽しそうな人たちを遠くから見ている、この場所が自分の場所のような気がした。