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もう勇者ではないん  作者: 犬又又
もう勇者ではないん
2/74

熱いだけでないん

ごめんね?

 駅に降りた菜隠はため息をついた。頭の中では嵐と風と海が、太陽を求めるように彷徨っていた。降り注ぐ日差しが拍車を、まるで凍てついた砂漠を、先の見えない海の底を彷徨っている気分だ。

 首をふり、思考を振り回して切り替える。

 そもそも姉達は傍若無人だったし、シシリーは怖いし、チェザはビッチだし、マーガレットは好きだったけど、妹がチェザだし。

 考えたって仕方ない。これからの身の振り方を考えなければ。これからどうしようかと菜隠は思いを巡らせる。

 とりあえず家がなければだめだ。でもお風呂がないのと、トイレが汚いのは絶対に嫌。

 今までずっと我慢してきた。お尻を拭くのが葉っぱだった。

 女の子のお尻が匂うのだ。そんなの絶対おかしい。

 でもその……別に嫌いじゃないけど、女の子はまだいい、でも男は臭ったらただの臭い奴なのだ。

 脳裏ではパレードで国民に手を振る第二王女の姿が浮かんでいた。

 菜隠が第二王女を見て思ったことは沢山ある。複雑すぎてしょうがない。複雑すぎてめんどくさなった菜隠は王女を見て考えるのを放棄した。

 なんかエロいなっ――と。

 子供が生まれたせいか母性があり、ふくよかになった体系がスタイルをより強調する。

 そして人妻という点だ。

 なんか存在がえろい。

 菜隠は遅れてやってきた思春期と対面していた。

 菜隠が高校に通っていた時、良くクラスで巨乳と貧乳について議論している人たちがいた。今になって時間が出来たので菜隠は暇つぶしにその議論をまじめに考えてみる。

 なぜ今か、特に意味はないけど時間はあるもの。

 貧乳と巨乳、たしかに大きいおっぱいはいいものだ。

 だけどね、小さいおっぱいなら男にもついている。でも菜隠は男のおっぱいは好きじゃない。自分のを見ても何も感じない。

 そう大切なのは貧乳とか巨乳とかそんな事じゃない。

 君が女の子だってことだ。

 君は女の子なんだ‼ それだけでいいんだ‼

 しかし菜隠は腹フェチだった。胸よりもお腹のラインが好きだった。胸の下辺りから股間までのラインが好みだ。

 菜隠の中では胸など所詮奴は四天王の中でも三番目ぐらいの強さを誇っていた。ダメだった。

 お金を稼がないといけない、その現実が菜隠を一瞬で引き戻す。

 宿に泊まるとしてもあんまりひどい所は嫌だ。ハエ? みたいな目が沢山ある虫とか蜘蛛? みたいな足が蜘蛛よりも多い変な虫とかと共生したくない。ウゾウゾ動くのだ。ウゾウゾクモケムシなのだ。

 あんなのと共生できるわけがない。みなは言う。ゴミを食べてくれる良い奴だって、肌の汚れを食べてくれる良い奴だって。

「そうだ、あんな蜘蛛なのか毛虫なのかわからない生物とは共生できない。何食べてるんだ。おかしい。あんな生き物はおかしい」

 そんな虫たちがまるでゴキブリのように這いよって来る様は圧巻だ。生理的嫌悪が果てしなく、どうしてそんなに恐怖するのか本能の激しい拒絶に遭遇する。そんなのだって生きているんだ? そんな生易しい姿じゃないんだよ‼

 命を助けようものなら懐かれる。一匹助けると五十匹に増えてるのだ。

 そんなの耐えられない‼

 菜隠は目を閉じて奥歯を強く噛んだ。

 頭の中でウゾウゾクモケムシに両手をあげて抗議しながら改札を出て歩き始める。脳内で掲げるプラカードには、嫌いじゃないでも無理、と書いてあった。

 そう、どんな聖母みたいに優しい女性でも、どんなに懐深い男性であっても無理なものがあるのだ。

 本能レベルで無理‼ こればかりはどんな屈強な意思でも覆せない。

 はてさて降り立った交易都市ウーシュカは海に面した交易が盛んな都市だ。昔はさびれた漁村だったけれど、列車が出来たことで物資の流通が増え、外国から船が来るようになると、交易が盛となり取引が活発化して発展した。

 一つ、絶対に温泉街を見つけて毎日お風呂に楽して入る。

 二つ、ウォシュレットを作る。

 人間一度贅沢を味わうとそれ以上グレードをなかなか下げられないものだ。葉っぱよりは紙、紙よりはウォシュレットだ。 

 正直日本の学校のトイレには耐えられなかった。家にウォシュレットがついていたからだ。

 将来的にお風呂、トイレ、寝床、この三つが綺麗な事が絶対条件。

 お金どうやって稼ごう。

 やっぱりコートは暑い。なんで着てたのか疑問に思う。

 懐かしく愛おしい思い出のコートも日差しの強い海側の土地ではただの邪魔な布だ。魔王の腕を隠すために分厚い手袋をしているのにコートなんて着てるから余計に暑い。

 大体姉達はいつも横暴だった。

 デザートのケーキは残しておいてくれないし、嘘は平気で吹き込むし、絶対王政を敷かれて逆らえないし、逆らったら逆らったで暴力を振るうし。

「知ってる? 菜隠、ラピュータンには続きがあってね。最後にパズズは心臓病になって死んでしまうのよ」

「えっ? そうなの?」

「そうなのよ、可哀想よね」

「うん」

「うふふっそれにね、日本海側が雨の時は太平洋側は晴れるのよ?」

「そうなの?」

「うふふっふふっそうよ」

 あからさまな嘘なのに、菜隠は高校生になるまでその嘘を信じていた。

「もう……」

 お水飲みたい。こっちの世界で甘い飲料は果実水のみだ。

 菜隠は知っている。喉が渇いている時に甘い飲み物を飲むとかえって喉が渇き、さらに飲んでしまうと。理由は知らないけど知っているのだ。どやぁ。

 菜隠はペットボトル症候群の事を言っているつもりだ。

 しかし糖尿病にはなりたくない。

 正直辛い職場でもいい。でも菜隠は働くのに一つだけ条件があった。これは絶対だ。

 上司は絶対女性がいい‼ これだけは譲れない。

 同性の上司に文句を言われると腹が立つと父が言っていた。異性の上司だと罵倒もご褒美だと父は言っていた。

 独身ならなおいい。三十路独身とか可愛い。お酒飲むと絡んでくるところとか可愛い。

 菜隠の父親は公務員なのだが上司は女性だった。

 その女性が良く家に来て、お酒を飲むのだけれど、菜隠をいつも可愛がってくれたので時に憎たらしい姉たちとは違い上司はいい人という刷り込みが出来上がってしまっている。

 ちなみに三十路、恋人いない歴が年齢、処女、身持ちが硬すぎてしまった彼女にとって菜隠は可愛い年下の男の子で最後のチャンスとばかりに唾を付けていただけなのだが、それを快く思わない姉たちとの影での激闘を菜隠は知らない。

 また会いたいな。

 菜隠は昔を思い出して少しだけ笑ってしまった。

 過ぎた事はもうどうしようもない。憎しみも悲しみも、ナイチンゲール症候群のような変な気持ちにもなりたくない。ストックホルム症候群とかたまらなく嫌だ。

 成し遂げたあとの、あの空虚な気持ちをまた味わいたくない。

 まだ生きている。先行きも不安だけれど、菜隠はただ失われた普通の生活を取り戻そうと思った。

「ふぅ」

 しかし街中を歩いていると少し疲れてしまう。背中に括り付けた聖者の行進はまるで私は史上最強にいい女なので丁重に扱ってねオーラを放っている。

 誰がつくったのだか、良くできた樽に座って菜隠はぼんやりとした。裏路地の片隅で、通行人をぼんやりと眺めた。

 汗にまみれて働く人、人、人、男の人と女の人。

 みんな薄着で賑やかに働いていた。漂ってくるのが潮風の香じゃなくて汗の匂いな気がする。なんでみんなそんなに楽しそうなんだろうかと口を半開きにする。

 もともと菜隠はめんどくさがりだし、ぼんやりするのが好きだし、自分の好きなことにしか集中できないタイプの人間だ。

「なんかお腹減った」

 口癖はなんか。とりあえずなんか。

 お腹も減ったし、ポケットをまさぐると銅燐貨が七枚。目の前の屋台を見る。

 この世界の通貨は銅燐貨、銀燐貨、黄燐貨の三種類がある。どれも十円玉ぐらいの大きさの硬貨だ。

 この暑い中、汗が垂れては解ける炎をわざわざ日の盛る昼の真下で炎上させる屋台はクソ熱そうな熱気をクソ垂れ流して串焼きを焼いていた。

 うあぁああああああああ。

 菜隠の脳内が蕩けそうな音を立てる。

 クソなんて野蛮な言葉を使ってしまいましたね、失礼してしまって、申し訳ない。おうんこ熱そうな熱気ですね。あら違う? さのばびっち熱そうな熱気。あらあらお上品でない?

「へいらっしゃい」

「ください……」

「あいよ‼ 嬢ちゃん‼ いくつ欲しいんだい?」

 お嬢ちゃんではない。

 手に持っていた銅燐貨をおそるおそる三枚、広げて見せる。値段が書いてない。

「あいよ、毎度あり、十五本だね」

 一枚で五本だと素早く察する。

「五本でお願いします」

「あいよ‼ 毎度あり‼」

「おっ嬢ちゃん串焼き買ったね‼」

 串焼きを買うと隣の屋台の男が話しかけてきた。黄色のバンダナ、黄色のシャツを着た色黒の筋肉の鎧をまとったお兄さんは手を挙げながら爽やかな笑顔浮かべた。

 だが暑すぎてその笑顔が限りなく苦しい。苦しいを通り越して業火に焼かれているようだ。

「どうだい? 一緒に? キンキンに冷えた果実水だよ‼」

「買った」

 この商売上手どもめ。

 喉の奥から唾があふれてくる。唇を舐める。熱気の中でも熱さを伝えてくる串焼きの束、垂れるのは秘伝のタレとは名ばかりのただのタレだが、それがまたいい。

 左手は熱く、右手は冷たい。

 熱気と冷気のコラボレーション。

 うぐぐぐぐ。

「嬢ちゃん、嬢ちゃん、じゃあそこのタル使っていいよ。あっジョッキは返してね」

 いい人たちだ。

 日陰に座ると我慢できずに串焼きを一本つまみ上げる。

 蜜のような光沢を放つ液体が串を持ち上げるとねっとりと移動し、垂れさがってくる。

 はあうむ。

「はふはふ」

 甘辛いタレが口の中を熱していく。ふんまりと広がる蒸気は喉を通って鼻から息と共に抜けていく。その香は鼻孔を反芻し、右手のジョッキを口元で思い切り傾ける

「ごくごくごくごくごくぅうううううううぷあっ‼」

 柔らかい肉と硬い肉が交互に挟まれた串焼きはウーシュカの名物だ。二つの肉と甘い液体が喉の奥へするりと飲み込まれていく。

 うまい。

 姉の圧力下で暮らしていたので菜隠の行儀は良かった。

「肘ついて食うな、箸を立てるな、お前の尻に敷いてるのはあたしのお気に入りのパンツだ。皺になっただろうな、てめぇのパンツで償え」

「そんなのおかしいよ‼」

「スパゲティはすするなって言ったよね!?」

「いいじゃん別に、好きな食べ方で」

「人が見てるでしょ、しゃんとして」

「みんなそんなにぼくに興味ないって」

「返事は?」

「んももにゅも」

「返事」

「ぁい」

「へ、ん、じ」

「……はい」

 悪魔の所業だよ。

 もうお婿に行けない。菜隠は顔を両手で覆って首を振った。恥ずかしい思い出ほど良く覚えているものだ。

 やっている事とは裏腹に、菜隠の目は何処か荒んでいた。

 せかいなんかほろぼしてやりたい。

「嬢ちゃん、この街は初めてかい?」

「嬢ちゃんではない」

「そうか、悪かなったなレディ」

 イラアアアアっ。

 正直かなり腹が立った。一瞬で脳内が真っ白に染まり我に返る。別にいいじゃん。相手がそう思っているならそれで、気持ちをすぐに切り替える。

「初めて」

「そうなのか、どうだい? 活気にあふれた街だろう? ひと昔前は寂れてたってんだから信じられないものさ、なぁおやじ‼」

「おやじって言うな。俺はこれでも三十代だ」

 三十代はおやじじゃないのか。菜隠の知識の一部が上書きされた。

「ちなみに独身?」

「ばりばりな‼」

 やべっぼくこのおやじ好きだわ。

 ほもーかさかさかさかさ。

 恋人が出来たら殺意に変わるけど、こういうおっさんに限って嫁になる女性は美人だったりするのだ。悔しい。

 菜隠の脳内では次々に言葉が浮かびあがり、脳内にいるもう一人の真面目という名の菜隠がそれら全てを押しのけて現実という名のノシを叩きつけてくる。

 机の上に並べられた書類に仕事を感じ眺めていたら、部下が来てそれらを一斉に手で吹き飛ばし、これが一番重要と言わんばかりに一枚の紙にハンコを打つよう求めてくる。きっとそんな心境に良く似ていた。

「なにか、仕事を紹介してくれるところを知りませんか?」

「おっ仕事か」

「お嬢ちゃん何ができるんだい?」

「回復魔法を少々」

「おっ品があるとは思ったがもしかしてリシアなのか‼」

 リシアはこの世界の僧侶の事。

「それなら傭兵になればいいよ‼ この街はそういう依頼も多いからね」

 傭兵か、マーガレットさん好き。好き、好き、好き。

 マーガレットは傭兵達を束ねる傭兵長の女性だった。長くふわふわとした髪に飽満な胸、いい女を具現化したような、寄りかかった時の柔らかくふと漂う汗の香りが菜隠は一等好きだった。

 マーガレットの容姿と香が再生されて、彼女の声が囁きのように蘇る。

 あなたはここにいていいの。

 あなたはちゃんとやっているわ。

 わたしがいるから大丈夫よ。

 肯定されて、菜隠はそれに苦笑する。いい加減にしろよ、自分の足で歩けよ。

 辛い事も悲しい事も、全部飲み込んでしまえばいい。

「どこにいけばいいの?」

「あぁ、この通りの先に傭兵社ってとこがあってだな、そこなら仕事を見つけてくれると思うよ」

「そうなの? ありがとう」

「いいさ、いいさ、稼いだらまた来てくれよお嬢ちゃん」

 歩きながらふと――菜隠は振り返る。

「あと、ぼく男だから」

「えっ‼」

「まじ……か」

 驚く男たちをしり目に、菜隠は傭兵社へと向かった。

 傭兵社とは所謂派遣会社のようなものだ。街に入ってきたトラブルを依頼として受け、社を訪れた人間に紹介する。トラブルが解決できれば提示されていた報酬を受け取り、斡旋料として1割を引く。

 魔王が討伐されると、統率されていた魔物達は個々に活動をはじめ各地へと散らばった。そんな魔物達を討伐したり、秘薬の元となる植物や動物の採集、未知の領域の開拓や伝説の武具の捜索などの依頼がひっきりなしに訪れるのが傭兵社だ。

 別名イリーガルミッションコンプリート。

 略してイミコ。

 傭兵社イミコへようこそ、なんちゃって。

 複雑な塔と民家がくっついたような少年心をくすぐる建物を菜隠は眺めた。

「よし」

 入ろう。

 手を握り菜隠は心の中で己を勇気づける。人見知りにとって未知のお店とは入りにくいものなのだ。

(たのもー)

 心の中で言っている。

 中は木造で、木のテーブルとイスが等間隔に並んでいた。剣や槍などの武器を持った人たちが楽しそうに談笑している。

(ちっリア充め)

 残念ながら菜隠は日陰の者なのだ。

 楽しそうに談笑している人間たちがなぜそんな簡単に話題を楽しそうに話せるのか、少なくとも菜隠はそんなに器用じゃない。妬ましい悔しい。

 まずはじめに会話の成立とはお互いがお互いを気遣っているから成立するものだ。お互いに興味が、利害がある、合わせようとする。つまり興味のない相手、利害のない相手とは成立しない。だって片方は興味あっても片方はない。この状態で話しかけても片方は興味がないのですぐに興味のある方へ移動してしまう。

 友達の少なかった菜隠は姉にそう諭され、いっそう根暗になった。

 受付は何処だろうと辺りを見回す。受付には女性とおっさんがいた。よし、おねえさ……しかしお姉さんの前には列が、おっさんの前は空いていた。

(おっさああああああああああああん‼)

 菜隠はおっさんの前へと足を運んだ。

「はい、どうも、傭兵社イミコへようこそ」

(おっさんがやると暑苦しいな、暑苦しいのに寒気がする、震えが止まらない、でも仕事だから仕方ない、おっさん、ほんと不合理だよおっさん、おっさんまじおっさん、脛毛すごそう)

「はいお客さん、メンチ切らないでね」

「はい」

「今日はどういったご用件でしょうか」

 菜隠はカウンターに小さく手をのせた。

「あっ、ベルツァーさん、傭兵長が呼んでましたよ」

「あぁまじで? しょうがねーな、わるいなおじょうちゃっ……どうしたお嬢ちゃん顔が、顔がすげーぜ‼ なんつうメンチの切り方だ」

(お嬢さんじゃねーよハゲ‼)

「なんだこえっこえーよ。あっリル、受付お願いすんわ?」

「あぁ!? てめぇでやれや‼ ハゲ‼」

(そうだハゲ‼)

「そう言わずに頼むよ、可愛いお嬢さんが来たんだよ」

「はい何でしょうか? まぁ可愛いお嬢ちゃん」

(変わり身早‼)

 リルと呼ばれた女性が菜隠の前に来た。

「お嬢ちゃん、お名前は? 年齢は? 彼氏は?」

 彼氏とかふざけるなよ。と菜隠は思ったが、リルは割と好みのタイプなので顔は険悪にならなかった。

 青黒い髪の少女。身長は小さく、小悪魔のような瞳、白い肌に、腰には剣が下がっている。胸は小さい。

「菜隠です。登録をお願いします」

「そう、ないんちゃんって言うのね。お姉さん、このあと暇なんだけど一緒にご飯でもどう?」

「登録をお願いします」

「もう、照れ屋さんなのね、可愛い」

(こいつはやばい女だ)

 菜隠の脳は瞬時にこいつはやばい女だと切り返した。

「もう、デートしてくれるなら登録してあだっ」

「まじめにやってください」

 隣の女性が見かねてリルの耳を引っ張った。

「ちっうっぜっ死ね」

「あぁ?」

「あぁ? じゃねーよお前マジ後でトイレ来いよな? 連れションだからな? はい、ないんちゃん、こちらの紙に名前と職業、あと年齢を書いてね」

「職業?」

「戦士なのか、それともリシアなのか、もしかしてアルメアなのかな? 何ができるのかなぁーわくわく」

「回復魔法を少々」

「あっリシアなのね。リシア証明書を提示してね」

「持ってないです」

「えっーと、もしかして無許可?」

「ごめんなさい。嘘つきました。回復魔法なんて使えません」

 回復魔法を使うのに許可がいる……のか。菜隠は言葉を濁した。

「うふふっそうそうそんな見栄張っちゃう時って、あるよね、いいのよーリシアは人気の職業だものねっうふふっ」

「ちなみに無許可の場合はどうなるの?」

「死刑……かな」

 そんな恋する乙女の瞳でそんな事言われたら引き下がらずにはいられないな。

「じゃあ、攻撃魔法を少々」

「あっアルメアなのね、じゃあアルメア証明書を提示してね」

「もってないです」

「えっ……やっぱり、無許可で?」

「ごめんなさい見栄張りました」

「もうっお茶目さん」

(詰んだ)

 菜隠は口に手を当てて考えた。

「もしかして何処にも所属してないのかな?」

「あっはい」

「そっかー。じゃあ無職という事で登録するね。登録料に銀燐貨三枚が必要だけど持ってるかな?」

(無職ってなんだ。銀貨三枚……)

 菜隠の脳裏にスーパーでお金が足りず店員さんに足りない旨を伝えた時の事が通り過ぎた。あの恥ずかしさ、絶望、悲しみ。

 申し訳程度に銅燐貨を取り出して広げる。

「すみません……これしかないのですが」

「あら、大丈夫、いいのいいの、それじゃあ代わりに依頼料から返済するプランで行くけどいいかなー?」

「もしかして、借金ですか?」

「うーん、そうねぇ、利子はないから依頼料から徐々に返済する形になるわねぇ、それでいいかしら? あっそうだお姉さんが代替えしてあげる」

「でも悪いような」

 菜隠はいざとなったら力づくでも踏み倒す気満々だった。

「いいのいいの、そのかわりにーもし受付に来たら私を指名してね」

「あっはい」

「ちょっと採寸図らせてねー。腕輪と指輪と首輪と足輪、どれがいいかしら?」

 腕輪は手袋があるからなるべく装着したくない。指輪も同じ理由で無理。足輪か首輪、首輪でいいかと考える。

「じゃあ、首輪で」

「やーん首輪なの、やーん」

 リルは笑みを浮かべて、巻き尺を菜隠の首に回した。ペタペタと体に手の平を這わせてくるけれど、別に嫌じゃない。リルの体は無臭で柔らかく、マッサージをするように体をほぐしてくる。

「少し待ってね、年齢は十九……十九!? 歳なのね、しばらく空いている席で待っていてくださいね。えっと性別が――男‼ おとっ男‼」

 おそらく十九歳だと菜隠は思う。死んでから七年経っているが、死んでたからセーフ、セーフだ、菜隠の中ではセーフだ。実際は二十六歳ということになるのだろうか。知らない間にずいぶんと年をとってしまった。

 驚愕の表情を浮かべるリルに、菜隠は後味の悪さを感じた。何もしていないのに勝手に期待されて勝手に落胆された気分。

 だが菜隠には姉をも泣かせた禁断の言葉を言う準備が出来ていた。

 男で悪いか? 化粧を取ってからかかってこい‼

 少なくとも姉は泣いた。

 罪悪感に打ちのめされ、菜隠は二度とその言葉を口にしなかったが、こちらには迎撃の用意がある、と心に強く言い聞かせて自分を奮い立たせている。

 実は姉の一人が好きでもない好きな人の事を口走って菜隠にばらさせたのも、化粧を取っても問題ないのにわざと泣いたのにも理由があり、菜隠が自分に対して罪悪感を持ち圧倒的優位に立つためであった事を菜隠は知らない。

 元の世界に用意されていたENDはバットエンドだけだった。

 なぜなら長女超絶不良な姉にひそかに溺愛され、次女清楚系処女ビッチに貞操を狙われていた。

 恋人ができると長女がキレてバットエンド。

 恋人ができると次女にやられてバットエンド。

 父親の上司である鬼柳と結ばれると丸腰で羅生門に一人で突っ立つはめになる。

 ブラコンから逃れることはできない。とかできるとか。

「あっ、ねぇ君、もしかして初めて?」

 ショートカットの綺麗な女性が話しかけてきた。

「あっはい」

「そうなんだ‼ 私はエレメンディ、エレメって呼んでね? 君ってもしかしてリシアなの? その杖って聖者の行進のレプリカだよね?」

「違います。無職です」

「はぁ? ぺっ話かけて損したわ。ったく無職かよ、紛らわしいんだよ」

 手の平返しがすごい。しょごいのおお。だが菜隠にさほどダメージはなかった。

 そもそも興味がない

 心は剣でできてる。そう千本の剣とかでできている。

「おらよ」

 リルが菜隠の近くまでやってきて、ポイッと首輪を投げてよこした。男だとわかったとたんにこの扱い。世知辛い。

「これで、お前は傭兵だから」

「はい、ありがとうございました」

「あとこれ、うちで身分証明するけぇの」

 菜隠は一応頭を下げた。

「一つお伺いしてもよろしいですか?」

 ついでに聞いておく。

「んだよ」

「リシアになるにはどうしたらいいのですか?」

「教会に行って、そこで試験が受けれるから、それに受かりゃーなれるよ」

「そうですか」

「あっ最初に言っとくけどリシアは清い体じゃないと慣れねーからの」

「清い体?」

 詰みそう。

 菜隠は汚れという言葉に少し反応した。菜隠が勇者だったころ、自分を守るために殺戮の限りを尽くしてしまった。清いのかと問われれば、その体は血塗れだ。人を殺した人間は同じく人を殺した人間を見分けられるというが、きっと菜隠の事も見分けられるのだろう。

「そのっ、あれだよあれ、あれをしてるとダメなんだよ」

 リルが顔を真っ赤にしながら手の平を振るう。

 あれってなんだという話だが、菜隠はさほど気にしはしなかった。

「アルメアになるにはどうすれば?」

「魔術結社アルメアに行って試験を受けりゃなれるよ、あぁ合格したらの?」

「そうですか」

「でも魔法は遺伝だし、魔法使いっていうのは大体生まれた時から魔法を使えるって話だ。お前魔法使えんのか? 結社が管理しとるけぇ、遺伝洩れなんてほとんどないって聞くけどの」

「そうなんですか、じゃあ戦士は?」

「戦士は戦士訓練学校に通う必要がある。最低2年はかかるし、毎日汗臭いおっさん達に囲まれて暑苦しい汗をかいて暑苦しいおっさん達に囲まれながら暑苦しく暮らす覚悟があるなら行ってみぃ」

 うごごご。

 菜隠は面倒くさがりだった。二年も束縛されるのはきつい。女戦士とか好物だけど、汗臭いおっさんは好物ではない。リルに対して女戦士と口にするのも菜隠にとってはレベルが高すぎる行為なので、聞きたいけど聞けない。

 それに女性に対して男性が多いと、女性は必然的に女神のように祭り上げられていく。菜隠にその競争に加わり、女性を勝ち得られるのかと言われると超絶めんどくさいし無理だ。

 女戦士が他の男戦士とイチャイチャしてる姿を、特にちょっといいなって思っていた女性のそんな状態を見たら菜隠は吐血してしまう。菜隠は自分でも自覚しているが、ちょっと困った恋愛性格をしていた。好きな人には自分だけを見て欲しい、自分だけじゃないと嫌だ。ほかの人とちょっと話してるだけでも拗ねてしまう。嫉妬深く、独占欲も強い。

 治そうと努力はしているが、理性でどんなに頑張ってみても、心が痛んでしまう。

 我慢はできるけど、努力はする、努力はするけど、心は嫌がる。

「あのっあのさ、あんたって本当に男なん?」

「そうですが」

「ふっふーんそうなんだ。あたし、女戦士なんだ」

 だからなんなのだ。菜隠は心の中で顔をしかめた。

「そうですか」

「よかっ良かったらさ、あたしが街、案内してもっ「リルさんまだ仕事が残っていますよね」 うるせーの‼ なんなら!? あとでトイレ来いや‼」

「はいはい、連れションですね。そんなに膀胱が弱いんですか? でも仕事が残っていますよね?」

「弱くねーし‼ ちょっちょっと後で、後でまた、あっ今度来た時もあたしを指名しろよ? 絶対だぞ? 絶対だからな? いいか? リルだぞ? リルだぞ」

「リルさん仕事」

「うるさいの、今いくし‼」

 いってしまわれた。

 さきほどのエレメという女性の発言からして許可書を持っていないとこれから先何かと辛そうだと菜隠は考える。

 実はリシアに憧れていた。アルメアは魔法使いの少女を思い出す。

 菜隠は微妙な表情を浮かべつつ、教会に向かうことにした。

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